2・攻城戦
静かな夜に、突然けたたましい鉦の音が打ち鳴らされる。
「敵襲! 敵襲!」
すぐに武装した安東軍兵士が隊列を組み、敵を迎撃する。夜襲を掛けて来たコルネリウス軍の放つ火矢が、闇に尾を引いて飛ぶ。
安東軍がミタク城攻めの準備を進めている間、コルネリウス軍も決して城に引きこもってばかりいる訳も無く、さかんに奇襲夜襲を掛けて妨害を繰り返してきた。
安東軍もその程度の事は予想して、警備を厳重にしている。しかしコルネリウス軍は、手強いと見るやすぐに城内へ引き揚げるので、追撃も出来なかった。
厄介な事にコルネリウス軍は、正面だけでなく側背からも襲撃を掛けてくる。城を包囲できないため、安東軍陣地から遠い城門から出撃し、迂回して背後を突いてくる。
大打撃を受ける様な事は無かったが、連日のように夜襲を掛けられては、兵はゆっくり寝る事も出来ない。
その上、様々な疑念をかきたてられる。陣地への警戒を強化したところで、兵站線への襲撃を狙ってくるのではないか。いつもの夜襲に慣れきったところで、全軍を繰り出しての攻撃を仕掛けてくるのではないか。疑心暗鬼になるときりがない。
「解っていた事だが、実際にこう言う攻撃をされてみると、鬱陶しい事この上ないな」
高星も流石に疲労といら立ちを隠せないでいる。
「直接の影響だけでなく、兵が寝不足なせいで作業が遅れがちになっております。何か対策が必要かと」
「一度痛い目を見せてやるか。それで少しは夜襲も止むかもしれん」
「どうなさるおつもりで?」
「陣を空にして、敵を引き込んで囲み撃つ」
ありきたりな戦法だ。
「掛かるでしょう?」
「こう連日連夜仕掛けて来るならば、向こうも慣れて警戒心が緩くなってくるはずだ。一度試してみる価値はある」
「では今夜にも」
「許す。やれ」
その夜、怪しまれないように歩哨だけはいつもと変わらずに立てておきながら、陣地の中は空にし、迎撃部隊は周囲に伏せさせた。
日付が変わってしばらく経ったかという時分、コルネリウス軍の夜襲があった。歩哨はいつもの様に声を上げ、鉦が打ち鳴らされたが、迎撃部隊は出ない。その間に、敵が雪崩を打って陣内へ突入してきた。
敵兵が火を放ち、手当たり次第に物を壊す。だが誰も居ない事に不信感を抱き、ついでまさかと思ったとき、周囲から鯨波の声が上がった。
闇の中を矢が一斉に唸りを上げて飛ぶ。放火のせいで、コルネリウス軍は我が身を明かりの下に晒していた。音を立てぬよう、金属製の鎧も脱いだ軽装の兵が、矢に貫かれて次々と倒れる。
あわてて元来た道を引き返そうとした敵兵だが、すでにそちらにも安東軍の部隊が回り込んで塞いでいる。四方から襲い掛かられたコルネリウス軍は混乱し、統一行動もとれずに個別に戦っては討たれて行った。
夜陰に紛れてなんとか逃げ出す事の出来た兵以外は、ことごとく討たれ、朝には無数の死体の山が折り重なっていた。
「かなり敵に打撃を与えたようだな」
エステルが死体を片付ける情況を見ながら言う。
「だが陣地も結構荒れてしまった。これでしばらく夜襲が止めばいいが、そうで無ければ無駄に造りかけの陣を壊しただけの事だ」
「それは、勘弁してほしい結果だな」
「果たしてどう出るか……」
◇
幸いな事に、コルネリウス軍の襲撃はしばらくの間止み、陣地構築作業は遅れを取り戻しつつあった。
しかし高星は、陣地構築を急がせるよりも、新たに陣の側背に落とし穴を掘る工事を追加させた。
一度は大人しくなったが、コルネリウス軍がこのまま黙って見ているはずが無いと読んだ。
その読みは的中し、敵を引き込んで打撃を与えてから五日ぶりに、敵の夜襲があった。
夜も更けないうちに敵は、側面から攻撃を仕掛けてきた。しかしあらかじめ用意しておいた落とし穴にまんまとはまり、早々に引き揚げて行ったと報告が入った。
「現場を見る。案内をせよ」
妙に引っ掛かった。夜襲を掛けるのに不自然な時間ではないが、もっと夜更けや払暁を狙わず、早い時間を選んだのはなぜか。
以前のように連日の夜襲ならば、遅い時間の夜襲を繰り返した後、早い時間に夜襲を掛ける事もあるだろう。
だが五日ぶりの夜襲を、早い時間に行うのは少し妙だ。そう思う油断を突くのが狙い、とも考えられなくはない。しかし何か別の企みがあるのなら、その痕跡があるかもしれない。
「情況はどうだ?」
「これは殿。味方の被害は軽傷者が数名です」
「それはなにより。不審な点は無かったか?」
「いえ、特には。捕虜が数人いますが、尋問なさいますか?」
「そうだな」
あまり大した情報が得られるとは思えないが、やるだけやってみる価値はあるか。
落とし穴を見回る。一度見せた落とし穴はもう使えないので、埋め立てるか空堀にしてしまう。埋め立てる落とし穴に、敵兵の死体を放り込んで、墓穴も兼ねさせている。
「少ないな」
「は?」
「まんまと罠に掛かったにしては、敵の被害が少なすぎる。敵は、間違いなく罠に掛かったのか?」
「はい。襲撃してきた敵の大半が罠に掛かり、掛からなかった敵も、明らかに動揺して退却をしていきました」
話を聞く限り、罠に対する警戒をしていた、もしくは後方に本隊がいた様子はない。
「今夜、もう一度来るな。すぐに警戒を強めろ」
「今夜もう一度、ですか?」
「まともに罠に掛かったにしては、敵の犠牲が少ない。おそらく本気で攻撃する気は無かったのだ」
一度囮の夜襲を掛け、それを凌いで油断している所に、本命の攻撃を仕掛ける。そういう筋書きだろう。
「下手に引き込んだりする必要は無い。追い返してやれ」
「はっ」
こういうときは、敵の目論見が成功したように思わせて引き込み、包囲殲滅するのが常道なのだが、それでまた陣地が荒れるのは好ましくない。
それにいくら奇襲部隊に大打撃を与えたとしても、敵全体から見ればたかが知れている。細かく出血を強いるのは攻城戦前には魅力的だが、この場合割に合うかは微妙な所だ。
その後敵は、こちらが夜襲を受けた後始末を終え、深い眠りに入るであろう頃を絶妙に狙って襲いかかってきた。兵力も、正確には解らないが、一回目の三倍はいると思われた。
近づいてくる敵に弓矢の斉射を浴びせ、容易く蹴散らしてやったようだ。一晩のうちに二回の夜襲に、こちらが対応してくるとは思わなかったようで、結構な損害を出したようだ。
◇
何度か夜襲に失敗し、逆に痛い目にあわされたコルネリウス軍は、夜襲に出て来る事が少なくなった。
しかしその分、昼間に小競り合いを仕掛けて来る事が多くなった。夜襲よりはマシだが、鬱陶しい事には変わりが無い。
敵の常套手段は、こちらが小競り合いに応じてくれば、城壁からの攻撃が届く距離まで誘い込もうとする。応じなければ、接近して陣地への攻撃をチラつかせる。
いくら陣地への攻撃をチラつかせたところで、こちらが小競り合いに応じて来た時に備えた装備では、陣地への有効な攻撃はできない。だから放っておけば何もできないのだが、そんな情況で安心して作業を進めさせられる訳も無い。
結局小競り合いに応じる事になるのだが、敵の射程に入らないように立ち回ると、なかなか敵に打撃を与えられない。
敵の射程に入る前に、一気に敵を撃滅できなければ、追い散らすだけで終わり、すぐにまた敵が来る。
敵の思うままにされるのも癪なので、こちらもこちらで敵を利用する事にした。迎撃部隊の割り当てを事前に決めて、数百同士の戦いにおける戦術を考えさせる。それを実戦で試させるのだ。
演習の様なもので、敵に打撃を与える事もあれば、逆に痛めつけられる事もある。負けた時は、騎兵が救援に入る事で、致命的な事態だけは防いでやる。
何度かそれを続けていると、敵を撃退できる事が増えてきた。下級将校の質が向上しているのだ。
将兵を育てるのに、実戦に勝るものは無い。演習の様な実戦の機会が与えられるのは、またとない機会と言えよう。
コルネリウス軍の度重なる攻勢を、安東軍は幾度も撃退し、少なくない犠牲も与えている。しかし、攻撃を受けているだけで、こちらの兵は疲れ、作業は遅れる。
攻防の勝敗だけではなく、その影響まで考えると、両軍の戦果は互角と言って良い戦況が続いていた。
だがそれも、安東軍陣地の一応の完成をもって終了し、戦は次の段階へと進む。
◇
陣地と言うよりも野戦築城に近い物が一応完成した。それを見て、コルネリウス軍も連日の夜襲を止めた。
このままにらみ合いを続ける。それも一つの手だ。待っていれば、海路から攻城兵器も届く。それを待ってから攻勢に出ても、決して遅くはない。
しかし高星は、陣地が完成したのを機に、攻勢に転じる事を決めた。陣地構築中の間、執拗に敵の攻撃を受けて、その度にこちらの動きは止まった。
攻撃を受けている間、迎撃以外の行動をするのは難しい。どれほど小さな攻勢であってもだ。味方が攻撃を受けている間、無視して別の作業に専念はできない。万が一、そこに敵がやってきたら、被害は甚大なものになる。
逆に攻勢を掛けていれば、その間敵の動きを封じる事が出来るのだ。それは主導権の奪い合いにも通じる。
コルネリウス軍が守勢に回った今、こちらから攻勢を続ければ、敵に余計な策略を使わせる余裕を与えない。それは、反撃に出るときに思う存分敵を振り回す事が出来る、という事だ。
また敵は、こちらに攻撃をさせて、消耗させる事を狙っている。それならば、その通りに動いてやった方が、敵の目を眩ませられる。
「総攻撃を仕掛ける。全軍、攻城戦用意」
戦闘準備が進められ、陣中が慌ただしくなる。攻城櫓は結局間に合わなかった。投石用の石も十分とは言えない。
だが竹を束ねた即席の楯は大量に用意してあるし、援護射撃は石がなくとも矢がある。堀を埋めるための土嚢も大量に用意したし、負傷兵の手当てに備えて医薬品も多く用意した。
現状、打てる手は打った。後は士気と指揮の問題だ。無理な攻略に欲を出さなければ、致命的な被害は避けられるはずだ。
安東軍二千八百が、夜明けと共に攻撃を開始した。密集して、楯で亀のように身を守った部隊が前進する。そこに雨あられと矢が降り注ぎ、逆に安東軍の支援部隊からも矢が射ち上げられる。
城壁から降り注ぐ矢は凄まじかった。射手だけでなく、一度に数本の矢を射ち出せる、連弩式の大型弩砲が有る様だった。
楯が有るとは言え、矢を完全に防げる訳も無い。攻撃部隊が怯み、足が止まる。動きが止まった部隊は、より一層敵の弓矢に狙われやすくなる。
「何をしている、進め!」
高星が叫ぶが、前線の部隊に声が届く訳も無い。舌打ちが漏れる。
「私の弓を持って来い」
「高星、何を?」
「城壁の敵を射落として見せる。それで少しは腹も座るだろう」
「危険だ! 敵の矢が届く場所に身を晒す気か!」
「ならお前が守れ、エステル」
高星が、支援部隊と同じ位置まで前に出る。上から射る方が当然遠くまで矢が飛ぶので、支援部隊の射手にも犠牲は出ている。矢楯に敵の矢が突き立った。
高星が自分の弓を引き絞る。一兵卒の弓よりずっと物は良いが、性能がそう何倍も違う訳ではない。
放った。矢は消える様に飛んで行き、城壁に立つ一人の敵兵の胸を貫いた。敵兵は城壁から真っ逆さまに落ちる。
もう一射。これも敵兵の眉間を射抜き、内側に倒れて姿を消した。しかし戦場の喧騒の中では、ほとんど誰にも気付かれる事が無い。
高星は三本目の矢を番えると、これまでよりも上、城塔の窓から身を乗り出して、地上の敵を狙い撃とうとしている敵兵に狙いを定めた。距離は今までの、1.5倍はあるか。
高星に向かって矢が飛んできた。無視した。エステルが矢を切り払う。僅かに口元を上げた。
「皆、良く見ておくがいい! これが棟梁高星の弓矢である!」
腹の底から大音声を張り上げ、高星は矢を放った。矢が空気を切り裂いて飛ぶ音が、何故かよく聞こえる様な気がした。
城塔の兵が一瞬動きを止め、落ちた。爆発するような喚声が上がった。
「進め!」
安東軍の攻勢が強まる。直接高星の弓術を見ていない者も、士気の高さは伝わった。攻撃部隊が堀に土嚢を投げ込んで埋め、各所で城壁に取りつく用意ができる。
鉤縄が投げ上げられ、城壁に梯子が掛けられる。それを登る兵。矢が、石が、丸太が降り注ぐ。縄を切られ、梯子を倒され、落ちて行く兵が悲鳴をあげる。
「兵力を集中しろ! 牽制攻撃を掛けつつ、二・三ヶ所に集中攻撃。どこでもいいから突破しろ!」
城壁の上で盾を持った重装兵が壁を作り、登ってくる安東軍を阻む。遠いので弓矢も効果が薄い。弓矢に優れた兵が僅かな鎧の隙間を射抜いたが、すぐに穴が塞がれる。
こういう時こそ投石が有効なのだが、十分な投石の用意は無い。
「くそっ、どうにかあれを突破できないか」
流石の高星も、有効な手立てが浮かばずに悪態を吐く。
重装兵の壁が、吹き飛んだ。遠目でも明らかな爆発が起こり、敵兵の壁を破壊した。すかさずそこに兵が殺到し、城壁上に乗り込む。
「操かな?」
普段攪乱ばかりしているので忘れがちだが、操は炸裂弾も持っていた。多分、それだろう。
城壁上に安東軍兵士が次々と上がる。一ヶ所突破すれば、一気に行けるか。僅かに期待したが、やはりそう甘くは無かった。
城塔から、城壁に上がった兵に向けて攻撃が殺到する。狭い城壁の上では必然的に密度が上がるうえに、登るときに楯も捨ててしまっている。
極め付けに、火車を持ちだしてきた。荷車に燃料を満載して火を点けた物で、それが城壁の幅一杯に迫って来る。炎の壁に追われている様なものだ。
左右から火車に挟みこまれ、そのまま押し込まれて城壁から叩き落された。
「駄目か。退却!」
これ以上は、どちらかが限界を迎えるまでの消耗戦になるだろう。それこそ敵の思うつぼだ。用意した手があらかた失敗したら、さっさと引き揚げるに限る。
死者及び戦闘に支障が出る負傷者は、僅かに二十八人で済んだ。城の周囲が水濠で、落ちた者も水に落ちたので軽傷で済んだ者が多かった。不幸中の幸いと言うだろうか。
しかし、敵の犠牲はもっと少ないだろう。少なくとも、割合としてはこちらよりも少ないのは確実なはずだ。それに、城に籠る敵は、負傷者を治療にもずっと有利だ。
高星とティトウスの戦いは、まだ始まったばかりである。




