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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
進撃
169/366

3・総督府滅亡

 朱耶(しゅや)軍とワンヤン軍は、ほとんど戦らしい戦も無いままににらみ合っていた。

 固い野戦陣地を構築した朱耶軍に対して、ワンヤン軍は三倍近い兵力を有しながら、有効打を与えられずにいた。

 一方の朱耶軍も、この兵力差では守りに徹する以上の事は出来なかった。ただ克用(なりちか)の思惑は、必ずしも勝つ事ではない。負けなければそれで良く、戦の終わらせ方をすでに考えていた。細々と、ワンヤン軍と和平交渉を行っている。ただそれも、望む機が来るまでまとめずに、引き延ばしている。


「暇だなぁ。暇過ぎて死にそうだ」

「克用様、戦陣でそう言うことを言うのは慎んでいただきたい」

「実際、暇なんだから仕方が無いだろう。天下の形勢は今も動いているというのに、今は昼寝しかする事が無い。まあ、それはそれで悪くはないが」

「将兵の前で昼寝をしないでください」

「大将たる者、肝の太い所を見せないとな」


 光綱(みつつな)は溜息を吐いた。へりくつを自在に操る克用に、口喧嘩で勝てた試しが無い。頭痛が悪化するだけだ。


「天下の形勢が動いている、と言う点に関してだけは、同意します」

「何かあったか?」

玄州(げんしゅう)で動きがありました。ジエ橋会戦でユアン公爵に大敗したコウスェン子爵が、あるところまで押し返しつつあるようです」

「へえ、なかなかやるもんだ。そう言えばコウスェン子爵も、蒼州(そうしゅう)戦乱経験者だったな」

「短い間ですが、お父君と馬を並べて戦ったはずです」

「そりゃ強い訳だ。今頃ユアン公爵は青くなっているだろうな。虫の息になった雑魚と侮って、止めを刺さなかったからだ。詰めが甘い」

「克用様は、甘くありませんからな。その点、ある意味では容赦が無い」

「そう褒めるな」

「はいはい、褒めております」


 光綱が軽く流す。


「それで、コウスェン子爵はどんな風に押し返したんだ? ご自慢の騎馬隊は、ジエ橋会戦で痛い目に遭わされたはずだが」

「城を築いたようです」

「城?」

「それが何でも途方もない城らしく、塹壕と土塁を重ねること五重、城壁は15mを越え、櫓や塔は五十近くも建ち並ぶという、とんでもない城を建てたとか」

「想像するだけで呆れるしかないな。良くそんな城を築く余裕があったもんだ」

「これにはユアン公爵もすっかり攻めあぐねているとか。克用様でしたらどうなされます?」

「実際に見てみないと何とも言えないが、ま、相手にしないかな」

「相手にしない、ですか。なるほど」

「しかし、ユアン公爵は意地でも落とそうとするだろうな。どんな戦をするか、見ものだな」

「人の戦より、自分の戦を気にかけていただきたいのですが」

「解っている。今だって、俺にしかできない戦をやっている。解るだろう?」


 解っている。克用にしかできない戦をするために、駆け回っているのは光綱なのだから。

 しかし駆け回るほどに光綱は思う。克用にとって戦は、ある意味で遊びなのだと。戦を楽しんでいる。だからこそ、真剣なのだ。

 芸術家が、己が楽しむ遊びの極致に芸術を生み出す様なものだろう。


     ◇


 早馬が、緊急連絡を持って来た。だがそれこそ、克用が待ち続けた一報だった。


「光綱、魚が餌に掛かったぞ」

「来ましたか、ではすぐにワンヤン軍と講和を結びます」

「おう、話がまとまらなくても、勝手に退くがな」


 変州(へんしゅう)属州総督軍の残党が兵を集め、元総督府の有ったマイタクの街を奪回せんと動き出した。マイタクには(ろく)な守備隊を置いていない。

 最初から、これが狙いだった。総督軍の残党は、総督直轄領の南部にある山城に逃げ込んでいた。小さな城だが、堅牢だった。

 しかし向こうからわざわざ城外に出てきてくれたのだ。克用不在の隙を突いたつもりなのだろうが、克用は初めから誘い出すつもりでワンヤン家に侵攻をした。

 手勢が五百しか居ないのも、引き返してくるにしても、軍勢を本国から動員するのに時間が掛かると思わせるためだ。

 克用がワンヤン軍相手に見せた様に、しっかりした野戦陣地があれば、三倍程度の敵をしばらく支える事ができる。しっかりした野戦陣地があればの話だ。

 このまま急行し、敵を撃破する。その備えをしながら、ずっと機を(うかが)っていたのだ。魚は針に掛かった、後は、上手く釣りあげられるかどうかだ。

 ワンヤン家との講和はすぐにまとまった。無条件でワンヤン家の領地から撤退するという朱耶軍を、三倍近い兵力で当たりながら、追い返す事も出来無かったワンヤン軍は、見逃すより他無かった。立場は圧倒的に、朱耶軍の方が強いのだ。

 それに、無条件で撤退はするが、無駄な出兵ではない。ヤマ城主アシナ・ソウケイの心を揺さぶる事は出来た。いずれ離反させる布石としては、十分だろう。


「光綱、道中の手配はできているな?」

「すでにヤリュート家の支援の下、道中に水と食料の手配はできております。すぐに食べられる状態で用意をするように要請しておきましたので、通常の行軍の倍の速度は出せるかと」

「よし、輜重を捨てて走り抜けるぞ。全軍、撤退!」


 朱耶軍が撤退を始めた。退けばすぐにヤリュート家の領内である。朱耶軍の兵士は、ただ走り続けるだけでよかった。食料も水も、欲しい時に近隣の住民が差し出してくれる。

 わずか半日で朱耶軍は、ヤリュート家の本城へ帰還した。一度そこで休止する。克用が、ヤリュート家の当主ナロウと面会する用があったからだ。

 克用は着替えもせずに、ナロウと面会した。


「お早いお帰りですな、克用様」

「急いでいるので御託はいい。ヤリュート家に援軍を出してもらいたい」

「援軍ですか」

「ほんの二・三日で良い。それも姿を見せるだけでいいのだ。敵が案外多くてな」


 総督軍の残党は、せいぜい二百と言う克用の予想に反して、四百の兵をかき集めていた。戦に勝てそうにない落ち目の軍には傭兵も集まらないので、良くこれだけの兵を集めたものだ。

 ただそんな状態で集めた兵では、質に関しては最低だろう。だから今の手勢五百でも問題はないと克用は考えていたが、できれば楽に勝ちたかった。


「思いがけず早くに我らが現れた上、多勢に無勢となれば、敵は戦わずに崩れるだろう。戦いになっても、我が軍が戦う後ろで姿を見せていてくれれば、それでいい。だから頼む、義父上」


 克用が頭を下げる。床に頭を付ける程に。


「顔を上げてください、克用様。やはりあなたは英傑だ。良い義息子を持った事を、誇りに思う」

「では」

「今のヤリュート家には五百しか出せないが、それでよければ」

「十分だ。すぐに出陣を頼む。俺はこれで」


 克用が、飛び出すという表現がまさに当てはまるような勢いで、部屋を出て行った。その後すぐに、朱耶軍が再び、今度は南に向かって走り出した。


     ◇


 翌朝、マイタクに迫った総督軍は目を疑った。無防備なはずのマイタクの南方に、朱耶軍五百が陣を敷いて待ち構えているのだ。

 これに関しては、総督軍は完全に戦略を誤った。質を問わずに四百の兵を集めたため、行軍速度が極端に遅くなってしまっていた。

 克用の予想通り、二百の兵で行動していたら、朱耶軍より先にマイタクへ入る事は出来たかもしれない。しかし、少ない数で戦う不安から、多くの兵を集めた結果、朱耶軍に行動を察知されるのが早くなり、行軍速度も遅れた。

 思いがけず敵と遭遇する形になった総督軍は、動揺のあまり更に判断を誤った。総督軍も陣形を整え、にらみ合いに出てしまった。

 思いがけず敵と出会った遭遇戦では、とにかく相手に先んじて攻撃を仕掛けるのが鉄則である。総督軍も、不利を承知でまず攻撃を仕掛けるべきだった。そうなればまだ数の上では四百対五百で、勝ち目が無くはない。

 しかしそれをせず、いたずらに陣を敷いて時を過ごしたがために、昼にはヤリュート軍五百が到着し、四百対一千の兵力差になってしまった。

 これに元から質の悪い総督軍は浮足立った。さらに朱耶・ヤリュート連合軍が一斉に鯨波(とき)の声を上げて威嚇するに及んで、戦わずして総督軍は敗走を始めた。

 それを見届けるや、朱耶・ヤリュート連合軍は、マイタクの街に入った。追撃をする必要もなかった。


「いやー、義父上のおかげで戦をせずに済みました。お礼を申し上げます」

「なに、こんなものは戦ではなく、散歩の様なものだ。礼を言われるほどの事もしていない。我が軍はこれで退くが、克用様はどうするので?」

「まだやる事が残っていますので、このまま敵を追います。もっとも、戦にはならないでしょうが」

「戦をせずに敵を降すか。それが克用様と、昌国君(しょうこくくん)の最大の違いかな」

「さあ、情況が違いますから。今の俺と同じ情況に立てば、親父も同じ事をしたと思います」

「今の世にこそ、昌国君の手腕を見てみたかった。いや、彼に今の世は酷かな。ともあれ、克用様はそのまま進みなされ。きっと、それで間違っていないと思います」

「義父上、おたっしゃで」

「早く、孫の顔を見せてくれよ」


 ヤリュート軍が撤退すると、朱耶軍はさらに南へ進撃を続け、総督軍残党の立て籠もる山城を囲んだ。

 昨年、総督軍を大いに打ち破ってマイタクを奪い取った際、克用が追撃してこの城を攻め落とさなかったのは、ひとえにこの城、と言うよりも砦が堅牢だからだ。

 一度に大軍で攻めかかれない細く切り立った山道に、籠城側は身を隠せ、寄せ手は姿を晒す地形。小さいが理想的な堅城だった。

 そうは言っても多勢に無勢なので、大軍で持って交代で繰り返し攻め寄せれば、落とせぬ城では無かった。しかし、克用はそれを割に合わないとしてやらなかった。そうまでして犠牲を払ったところで、この砦にはほとんど戦略的価値が無いのだ。

 敵が砦から出てくれば、それこそ今回のように餌食にしてやればいい。だから克用は、一年余り総督軍残党を放置していた。だがそろそろ、次に進むために始末したい存在になっていた。だからこうして敵を誘い出したのだ。

 砦の敵軍は、もはや百を切って数十人しか居なかった。もはや一揉みに押しつぶせるが、無血開城させられる砦を、わざわざ攻めるなど馬鹿げている。

 朱耶軍は城を攻める態勢を取り、そのまま恫喝と懐柔の硬軟両面作戦で敵に揺さぶりを掛けた。


「どうだ光綱。連中は降伏しそうか?」

「もう少しかかりますかな。何せ完全包囲をしていないので、最後の望みとしてユウキ家へ援軍を要請している様です」


 ユウキ家は、ここからすぐ南の家だ。これまでの関係や事情など考えず、ただ手近な相手に救援を求めている。


「だがこっちは、ユウキ家にもすでに手を回しているんだな。これが」


 蒼州(そうしゅう)の覇者、自称皇帝ジギスムントに要請して、ユウキ家牽制の軍勢を出してもらっている。ユウキ家は今頃対応で手一杯だろう。

 牽制をしてもらう見返りは、変州―蒼州境界の完全な安定と、その証拠としての幾ばくかの支援物資だった。

 すでにジギスムントとは相互不可侵条約を結んでいる。だがジギスムントは、昨年に引き続き、今年はより本格的な討伐軍を送り込んでくるであろう北朝との戦いに備えて、背後の完全な安全保障が欲しかった。

 相互不可侵条約には違反した場合の罰則として、シバ家の介入が盛り込まれているが、シバ家が介入する前に、苦境に付け込んで一気に領土を奪われては意味が無い。

 何があろうと最後まで支援者であるという確証。それに近いものを得るのは、今のジギスムントにとっては抗い難いものがあった。その対価が牽制のための些細な軍事行動ならば、安いもの、という判断を下す。

 そう克用は読み、実際その通りになった。これで、ユウキ家は動けない。


「最初から希望が無いよりも、ある様に思えた希望が消えた方が、心を折れるからな」

「心を攻めるを上と為し、城を攻めるを下と為す。と軍学は言いますが、実際に見るとなかなかどうして、えげつない物ですな」

「光綱、これも戦だぞ。綺麗なまま勝てる戦など、あるものか」

「ごもっとも」


 戦に対する幻想の無さ。これもまた、克用の強さだろう。

 思えば克用は、初陣のときから容赦の無い、顔をしかめたくなる様な策を忌避しなかった。それもきっと、克用が持って生まれた才能なのだろう。


「ところでユウキ家ですが、こちらでもお家騒動の火種がくすぶっている様です」

「ユウキ家もか。みんなお家騒動が好きだな」

「別にお家騒動が好きな訳ではないでしょうが、こちらも父と子で()めているようです。アシナ家と違って軍事衝突は有りませんが、冷戦状態である事には変わらない様です」

「全くどいつもこいつも、親子で殺し合いなんかしやがって」


 克用はさらりと言った様だが、光綱には克用の心に細波(さざなみ)が立っているのを感じ取った。

 偉大な父を持ち、ほとんど言葉を交わす事も出来ず、しかしそれでも父を深く尊敬している克用には、父子で憎しみ合うなど、どうして自分が望んでも出来なかった事をする機会を棒に振るのか。と言う思いなのだろう。

 この一点だけはきっと、克用が友と公言して憚らない高星(たかあき)とも、解り合えないだろう。


「それでユウキ家ですが、簡単に言えば現当主であるユウキ・タダアキは我らに好意的で、その長子マサスエはコルネリウス―シバ寄りのようです。あと都方面に次男が行っているという話ですが、これはまあ今は関係無いでしょう」

「へえ、ユウキ家の当主は俺達に好意的なのか」

「そのようです。ただやはり、乱世の引き金を引いた一族として、目立つような事は避けたい思いの方が強いようですな」

「つまり俺達が勝てば、自然になびいてくるって事だ。ならば動きさえ止めておけばいい」

「まあ、そういう見方もできるでしょう」

「良い事を聞いた。頭の片隅に留めておこう。さて、総督軍は援軍を断られて、それでもまだ戦う気でいられるかな?」

「無理でしょう」

「無理だろうな。だから、じきに降伏する」


 朱耶軍が砦へ押し寄せて四日。総督軍は、命を助けてくれるのなら降伏すると通達してきた。

 克用はこれを受け入れ、総督以下要人は変州から退去、それ以外の者は去就自由とした。

 都から派遣されてきた総督は、頼みの綱のコルネリウス家の支援はおろか、誰からの支援も無く、親に捨てられた幼子の様な立場に憔悴しきっていた。

 僅かな従者を連れ、去っていく総督。いや、元総督の背には、安堵すら浮かんでいる様に思えた。

 山の砦は、戦略的価値が無いのに戦術的には堅牢極まりないので、どこかの勢力の手に落ちて利用されると厄介であるという事で、廃城にされた。

 廃城作業が終わると、朱耶軍は本拠タガへ帰還していった。これで、変州における総督直轄領。即ち帝国政府の直轄領は、完全に朱耶家の支配下に組み込まれた。

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