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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
それぞれの在り方
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4・朱耶家の在り方

 第7節中旬になって、ヤリュート家に滞在していた朱耶(しゅや)克用(なりちか)は、突如として軍を動かした。

 伴っていた手勢五百だけを連れて西進し、変州(へんしゅう)南部諸侯のうちでも有力な家の一つ、ワンヤン家の領地へ侵入して、居座って見せた。

 突然の軍事行動に初めは驚いたワンヤン家だったが、すぐにその驚きは怒りに変わった。

 ワンヤン家は総動員を掛ければ二千の軍勢は集められる家である。それをたった五百で侵すとは、甘く見るにもほどがある。千五百の軍勢を動員し、朱耶軍を蹴散らすべく出陣した。

 一方の朱耶軍は、ヤリュート家領との境界にある月笠山(つきかさやま)の北に陣を敷いた。

 月笠山は最高峰2000mを超える高山で、変州における最高の霊場として、道士修行者の領域とされているため、無断で軍勢を入れることはできない。

 そのため南から攻撃を心配する必要の無い位置で、すぐ背後がヤリュート家の領地である事も踏まえ、後方の安全が確保された場所に陣を敷いたと言える。

 なお変州の指導的立場にある道士は、霊場月笠山を踏み荒らす者は、誰であろうと打ち払うと宣言しており、未確認だが独自の軍事力を持っているのではないかと噂されている。

 さて、自らの領内が戦場であるため、ワンヤン家の動員は非常に早かった。朱耶家が領地に侵入してから二日後には、もう先鋒として三百の軍勢が到着していた。


「さて、どーするかな」

「どうするも何も、打ち破るべきです。こちらは五百。鴉軍も百足衆もいないのですから、叩けるうちに敵は叩くべきです」

「光綱。そんな事は解っている。俺が言っているのは、どんな戦い方を見せつけるのが効果的かって事だ」

「それでしたら……」


 克用が言わんとしている事は、いつもの克用の思考法だ。目的から逆算して、目の前の策を考える。

 そして今の目的だが、多少ややこしい事情があるが、まず山向こうにある城をどうするかで良いだろう。

 月笠山の南には、ヤマ城と言う城があり、アシナ氏というワンヤン家の家臣が守っている。

 ところがこのアシナ氏、元はと言えば独立した領主だったのが没落してワンヤン家の家臣に収まった家であり、かなり独立性が高い。

 これを調略によって寝返らせて、ワンヤン家を内から崩すのが当面の目的だ。

 アシナ氏に狙いを定めたのは、もう一つ理由がある。アシナ氏の内部は、今まさにお家騒動の火種がくすぶっていて、つけ込みやすかったのだ。

 事の発端は、アシナ氏の先代であるアシナ・キュウケイが、次男セイケイを溺愛して、長男ソウケイを差し置いて後を継がせようとした事に因る。

 当然、長男ソウケイはこれに猛反発するが、キュウケイは強引に次男セイケイにヤマ城主を継がせ、長男ソウケイを追放してしまった。

 収まらないソウケイは主君ワンヤン家に訴え、支援を取り付けて弟セイケイを攻め滅ぼしてしまった。

 ワンヤン家としては、普通に長男が後を継いでいれば、余計な混乱など起きなかったのだから、当然の処置だった。

 しかし今度は父キュウケイの方が収まらなかった。クーデターを起こしてヤマ城を乗っ取り、ソウケイは命からがら逃げだして、再びヤマ城奪回の軍を起こし、兄弟の争いに続いて、親子の争いとなった。

 無論、主家であるワンヤン家として放置できる情況ではなく、仲裁に入ってどうにか納めた。

 しかし親子のどちらも一歩も譲らなかったため、ヤマ城主はソウケイでありながら、隠居となったキュウケイが大きな実権を握り、城内は冷戦状態が続いていた。

 このアシナ氏に、克用の命を受けて光綱が調略を掛けていた。狙いは城主ソウケイである。

 親子両方に二股をかけると、露見する危険が増す事と、いくら実権があっても隠居のキュウケイよりは、公式な城主ソウケイの方が、寝返りの効果が大きいと見ての判断だ。

 とは言え、現状はっきりとアシナ・ソウケイの心がワンヤン家を離れている訳ではない。実力のあるキュウケイに遠慮して、煮え切らない裁きをしたワンヤン家に、多少の不信がある程度である。

 アシナ氏を独立した領主として再興するという餌をちらつかせてはいるが、決定的に寝返らせるには、朱耶家が頼りになるという確信を与える必要がある。


「敵の本隊が到着してから、まとめて叩いた方がよろしいでしょう。それが可能ならば、ですが」


 朱耶家の強さを印象付けるなら、華々しい軍事的勝利。寡兵で大軍を破ったというのが望ましい。ただ戦略的には邪道であるし、失敗すれば一転して無謀・無策で頼りにならないという印象を与える。


「敵は、千五百を動員しているんだったな?」

「はい、ソウケイからの密告に、裏も取ってあります」

「三倍の敵を見事に打ち破るのが最上。それが無理なら目の前の三百を蹴散らして、本隊相手には負けない戦をするのが次善か」

「無謀な戦はせずに退く、と言う手もあります」

「下策だな」

「無策よりは上策です」

「違いない」

「で、どの策を取りますか?」

「次善の策を取る。本隊が到着する前に、敵を蹴散らすぞ」

「意外ですな。克用様なら、最善の策を選ぶかと思いましたが」

「やってやれない事はない。だが先の先を考えたとき、最善の策は必ずしも最善ではなく、次善の策が最善になる」

「先の先……ああ、そうでしたな。そのための出兵でした。しかし、そうなるとヤマ城への調略は、もう少し時間が掛かりますが」

「それは仕方が無い。寝返らせるなら、最大限効果的なときに寝返らせた方が良い。だから今は、まだ向こうに居させる。そう思っておこう」

「では私も、先の先を見据えて動くとしましょうか。五百と三百なら、私はいなくてもよろしいでしょう?」

「解った。戦はこっちでやるから、お前は調略に専念してくれ」

「はっ」


     ◇


 攻め込まれているワンヤン軍にとって、戦わずに敵と対峙するという選択肢は存在しない。

 敵が進攻を続けているならば、本隊到着まで敵を足止めする戦術もあるだろうが、居座っている朱耶軍相手に、戦闘もせずにただにらみ合っている訳にはいかない。本隊到着前に、一撃でも加えておきたかった。

 そのため、朱耶軍が戦う姿勢を見せると、すぐにそれに応じて戦闘態勢を取って見せた。


「典型的な傾斜陣だな」


 ワンヤン家先鋒部隊の陣形は、右翼が厚く前に出て、中央と左翼が手薄で下がり気味の、解りやすい傾斜陣だった。

 手薄な中央と左翼が牽制し、戦力を集中した右翼で局地的に優勢に立つ。寡兵で敵を討ち破ろうと意図すれば、定石と言える。

 一方の朱耶軍は、何の変哲もない横陣だった。仕掛けも何も無い。だが克用は、命令した通りに兵が動くのならば、これで十分だという自信があった。そして朱耶家の兵は、十分に克用の思い通りに動く。


「よし、全体、前へ!」


 朱耶軍五百の横陣が、きれいに隊列を保ったまま前進する。ワンヤン軍三百の傾斜陣も、前進を始めた。


「右翼、中央、右前方へ進路変更。左翼はその場で展開!」


 ぶつかるかと思われたとき、朱耶軍が進路を変える。右翼と中央が右前方へ斜めに進み、左翼は引き延ばされるように横に薄く広がる。

 ワンヤン軍は、斜めに避けるように動く敵を追って、陣の左端を軸に、回転するように動いた。


「よーし、決まった。左向け左、突撃!」


 右前に進んでいた朱耶軍の兵が、左を向く。目の前に、ワンヤン軍の手薄な左翼があった。

 動く朱耶軍を、弧を描く軌道で大きく動いて追うワンヤン軍右翼よりも、回転の軸として止まっているワンヤン軍左翼に迫る朱耶軍右翼の方が、速かった。

 総兵力で劣っている上に、右翼に戦力を集中したために手薄になったワンヤン軍左翼は、優勢な朱耶軍の突撃を受けて瞬く間に崩れた。続いて中軍も、同じ様にして朱耶軍の餌食になる。

 ワンヤン軍は、一瞬にして立場が逆転している事に気付いて、愕然とした。傾斜陣で攻撃を仕掛けるはずが、朱耶軍の方が左翼が薄く、右翼の厚い傾斜陣になっている。

 それどころか、前方は牽制には残った朱耶軍左翼。側面から後方にかけて、牽制のつもりでいたワンヤン軍左翼および中央を撃破した、朱耶軍の中央および右翼。三方から包囲されつつあった。

 このままでは完全に包囲殲滅される。ワンヤン軍は総退却に移った。だがすでに、敗走とほとんど区別がつかない様な有様だった。

 結局この戦いで、ワンヤン軍は兵力の半数を失うという、兵力に劣るにしても無残な敗北を喫した。

 小規模とは言え、華々しい大勝利である。しかし克用には、眼中に無い勝利だった。追撃も、あまりしていない。

 むしろワンヤン軍先鋒を追い散らした克用は、すぐに堅固な陣地の構築を命じた。敵先鋒部隊は、朱耶軍が領を侵してから二日で現れたので、堅い陣地を築く時間も無かった。

 先鋒を蹴散らして、本隊が到着しない今のうちに、堅固な野戦陣地を構築する。今一番必要な事は、それである。

 始めから遠くしか見ていない克用は、目先の勝利に酔う事は無かった。


     ◇


 ワンヤン軍先鋒部隊との戦いから四日後に、先鋒部隊の生き残りを取り込んだ、ワンヤン軍およそ千三百五十が到着した。

 これに対して朱耶軍は、四日のうちに柵を立て、空堀を巡らし、土塁を築いて堅固な野戦築城を作っていた。

 ワンヤン軍は数の優位を活かし、西側と北側の二方面から攻撃を仕掛けてきた。だが克用の命で、突貫工事で築き上げた野戦築城に籠る朱耶軍は、三倍近い敵の攻撃に耐えて良く戦った。


「北からの攻撃が、思ったより手ぬるいな」


 克用が北と西で攻撃の激しさに差がある事に気付く。北から攻める敵は、西からの攻撃に比べて兵力が少ないが、それにしても攻撃に粘りがない。反撃を受けると、あっさりと退く。


「北の敵部隊は、先の戦いの敗残兵が多く含まれている様です」


 敵本体の到着に合わせて帰還した光綱が言う。


「そういう事か」


 敗残兵が、敗色を一掃しないまま新たな戦いに投入されている。一度手痛くやられた朱耶軍相手に、もう一度攻撃しようという士気が無いのだ。


「北側の敵を蹴散らすぞ。百五十ほど兵力を捻り出せ」


 西からの攻撃を支える部隊を三百、北の守りに五十ほどを残し、攻撃部隊を編成した。編成は、克用率いる百と、別働隊五十に分けた。

 まず克用率いる百の部隊が攻撃に出る。北のワンヤン軍は三百五十ほどだが、突撃を受けただけで、元敗残兵百五十ほどが浮足立つ。

 残る二百は果敢に克用隊に抗戦してきたが、攻める側でいれば、少しの間は半分の兵力でも互角に戦える。

 その少しの間に別働隊五十が敵の側面に回り、攻撃を掛けた。これで完全に元敗残兵が敗走する。

 側面攻撃を受けた事に加え、部隊の半分近くを占める元敗残兵は崩れた事で、残りの二百も巻き込まれる様に敗走に陥る。

 敗走した敵は西側の味方陣営に逃げ込むので、追撃はほとんどできず、打撃はあまり与えられなかった。しかし、一方面の敵を蹴散らしたのは十分な戦果だ。

 なぜなら敵は、それ以降再び北側からの攻撃は行おうとはせず、西側からの攻撃に兵力を集中させたからである。しかしいくら兵力が増えても、二方向を守るより、一方向を守る方がずっと容易だった。

 ワンヤン軍も大きな犠牲を払う事は望まず、犠牲に目を瞑った猛攻などはしてこなかった。朱耶軍陣地を攻めあぐね、にらみ合いが続く様になる。


「負けず、犠牲も払わずというのは望むところだが、どうにも暇になるな」

「克用様、妙な考えは起こさないようにお願いします」

「失敬な。まるで俺が妙な思い付きで、周りに迷惑をかけているみたいじゃないか」


 完全に自覚した上でこう言う事を言うのが、克用の性質(たち)の悪い所だ。


「そういう光綱は、上手く事を進めているのか?」

「誰が聞いているかも解らないのに、(はかりごと)をペラペラと話すものではありません」

「大丈夫だ、今はいつでも耳を無くせる奴らしか傍には居ない」


 いい加減な様で、実に周到だ。隙など微塵も見せないくせに、自然体で隙だらけのように振る舞える。克用には、天性の役者の才能がある。


「アシナ・ソウケイの心は揺らいでおります。ただやはり、決定的なものには未だ足りません」


 光綱は克用にだけ聞こえるように、声を低めて話す。用心に越した事はない。


「今すぐに寝返らせるのでしたら、ワンヤン家の主力部隊を壊滅させるくらいの事が必要でしょうな。ワンヤン家が潰れれば、ソウケイは喜んで我らに臣従します」

「勝った後で臣従されても、あまり意味は無いな」

「ですので、しばらくこのままの状態で置いて、ソウケイの心の中で、疑念が育つ時間を与えた方が得策かと。その方が我らの戦略にも一致します」

「その間にソウケイが、ワンヤン家への忠誠を心に誓ったり、事が露見したら?」

「前者は無いとは言えませんが、可能性は低いでしょう。ソウケイはワンヤン家の事を、中途半端にしか助けてくれなかったと見ていますから」

「助けてやったのに恨まれるとは、人助けも難しいものだな。露見の方は?」

「そのときはそれまでの事。ワンヤン家には激しい敵意を向けられるでしょうが、そもそも克用様がワンヤン家を敵として潰す気でおられるのですから、意味のない事かと」

「違いない!」


 光綱の気遣いをぶち壊さんばかりに、克用が大声を上げる。光綱は軽く頭痛を覚えた。


「そうなると、この戦いをどう締めくくるかを考え始めた方が良いな」

「はい、そろそろ南にも動きがありそうです」

「当たりがありそうか?」

「食いつきはすると思います。ただ大魚が釣れるか、雑魚が掛かるかはまだなんとも」

「獲物の大きさは、釣り上げてみてからの楽しみにとっておくさ。それよりも、光綱は『迅速な撤退』の準備に取り掛かってくれ」

「『迅速な撤退』ですか。承知しました」

「できる事なら、義父上の手も借りたい。楽ができるからな。その辺りも、上手く取り計らってもらえるか?」

「やってみましょう。ところで、その場合のワンヤン家の動きに関しては、問題は無いので?」

「なに、見ての通り攻め込まれて打ち払えずに歯ぎしりしているからな。こっちから退くと言い出せば、表面はどうあれ内心はホッとするさ。

 万が一追撃して、ヤリュート家の領地を侵したときは、引き込んで殲滅してやる。そのままワンヤン家を潰して、領地をヤリュート家に迷惑料として差し出せばいい」


 冗談の様な言い方をしているが、半分は本気だろう。少なくとも、愚かにも追撃して来たら、返り討ちにする事。ヤリュート家に手を出したら、滅ぼす気でいる事は、本気だ。

 誘い込む事は有っても、追撃されて逃げる事はない。味方ならどんな小勢力でも、どんな苦境にあっても決して見捨てず、舐めてかかってきた相手には徹底的な報いを。

 それはかつての蒼州の覇者、昌国君(しょうこくくん)が信条とした戦ぶりそのものだった。

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