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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
脱出
159/366

4

 船は目の前に浮かんでいると言うのに、乗り込んで漕ぎ出すまでが遠かった。

 聖堂騎士団の騎士達は執拗に安東(あんどう)家に関連する所を嗅ぎ回り、港湾役人にも船を出させない様、圧力を掛けているらしかった。

 ありもしないものを必死になって探すとはご苦労な事だが、何か掴まない限り連中は高星(たかあき)一行を拘束し続けようとするだろう。

 それは半永久的に拘束されるという事であり、そうなればいずれ面子に掛けて証拠を上げようとして来るだろう。つまりは証拠のでっち上げだ。

 そんな事で無実の罪を着せられるなど、たまったものではない。だからと言って、戦争の大義名分を作るための謀略で、罪を着せられたりするならマシと言う話でもないが。


「ひっそりと逃げるにせよ、正面から突破するにせよ、強行突破するしかないと言う点では変わらんな。だが……」


 強行突破をする。その結論はすぐに出た。疑いを晴らす事は不可能なのだから、広い意味で強行突破以外にはない。

 しかしそうなると、別の懸念が高星の頭を悩ませた。


「エステル、聖堂騎士団の連中は、腕は立つのか?」

「私は所属した事が無いので確証は無いが、寺院所属の騎士団と言うものは、どこも量より質だ。街をうろついている連中も、腕は立つ方だと見た」

「やはりそうか。どう逃げるにしても、連中に捕捉されたら戦闘になる可能性は高い。だがこっちは戦える者ばかりではない。

 数が違うので負ける事は万に一つも無いと思うが、ここまできて一人でも犠牲を出すのは馬鹿らしい」

「それには同意するが、高星が囮になって皆を先に船に乗せる、と言うのは止めてくれよ」


 高星が一瞬身を固くした。


「図星か。どうしてそう高星は、棟梁なのに囮になりたがるのだ」

「失敬な、囮になりたがってなどいない。ただそうするのが最も犠牲が少ないと判断せざるを得ない情況が、どういう訳か向こうからやって来るのだ」

「棟梁が死んだら、犠牲が最大でしょうに」


 ジャンがやってきて、高星とエステルの分のお茶を置きながら言う。


「ジャン、お前居たのか」

「ひでぇ! ずっとそばに居ましたよ。棟梁が難しい顔ばっかりしてるから、うっかり声も掛けられなかっただけで」

「そうだったのか。知らない間に雪山に置いて来たかと思った」

「その死に方は凄く嫌なので、冗談でも止めてください。

 話を戻して、棟梁は自分で何でもやろうとしすぎですよ。少しは俺達みたいな部下を頼ってください」

「それで私がやるよりも上手く行くと思えるなら、そうしたいところだ」


 痛い所を突く、とジャンはおろかエステルでさえも思った。なまじ高星が優秀であるがために、性質が悪い。


「棟梁様、あまりこういう事は言いたくないけれど、護衛するエステルさんの気持ちも考えてあげて欲しい」


 イスカが珍しく高星に対してものを言った。


「イスカ、お前居たのか。帝都に置いて来たのかと思ったぞ」


 ジャンがそう言うと、イスカは冷え切った視線をジャンに向けた。


「……悪かったよ。冗談が過ぎた。だから黙って睨みつけるのは止めてくれ」

「まあ、護衛役の出番が無いのは喜ぶべきなんだろうけど……陶明(とうめい)と言ったけ? あいつなんかが体を持て余してうるさい」

「そ、そうか。まあ、武器じゃどうにもならない敵ばっかりだったもんな。雪山とか政治情況とか」

「『百戦百勝は善の善なるものに非ず』と言うだろうが。ここまで切り抜けて来たんだ、最後まで武器の出番は無いままにしたい」

「だからと言って、高星が囮になるのは無しだ」


 高星の言葉に、エステルのツッコミが入る。


「私の目から見ても、安東殿はやや危なっかしい所があります。周りの者がもっと補佐できればと言うのは確かにあるでしょうが、もう少し堅実な手を打っていただきたいように思います」

「ドゥルースス、お前もか」

「全会一致で高星はもっと自重すべき、という結論が出たようだな。高星」

「控訴」

「却下」

「これは謀反か?」

「主君の過ちを正すためならば、主君に逆らってもそれは正しい事なのだろう?」

「その覚悟があるならな」


 どこか投げやりに高星が言う。それきりそっぽを向いてしまった。らしくない高星の拗ねた態度に、まずエステルが、続いて他の者も、小さく笑った。


     ◇


 夜が訪れるのが遅くなってきた。あと一節ほどで春分が訪れる。

 ジャンは高星に呼ばれ、商館の廊下を歩いていた。風も無く静かな夜だ、床板の軋む音しか聞こえない。

 高星が泊まっている部屋の戸を開けると、明かりの眩しさに一瞬目がくらんだ。


「おう、来たか」


 高星の声。目が慣れると部屋には高星と、それにイスカも居た。


「まあ、座れ」


 促されるままに、空いている椅子に座る。イスカの隣、高星と向き合う様な格好だ。


「棟梁様、私達に何か用か?」


 イスカが緊張気味に尋ねる。


「そう固くならなくてもいい。特に用事が有る訳ではない」

「では、どうして俺達を呼んだのですか?」


 イスカとジャンの二人だけが呼ばれる理由は、思い当たらなかった。


「特に理由は無い。誰でも良かったとも言える。が、強いて言うならば、お前達がどう感じたが聞きたかったから、だな」

「どういう事です?」

「ジャン、イスカ。お前達は改めて帝国の中央地域を実際に見て、どう思った?」

「色々な人が居た。そして、その分だけ差別があった」


 なぜ高星がそんな事を聞くのだろうと考えるより先に、イスカが答えた。それでジャンも何故と言う疑問は、一旦脇に置いた。


「差別はありましたが、その一方で差別されている人間を使っている矛盾が気になりましたね」


 高星が頷く。


「我らの立場なら、当然まずそこに目が行くだろうな。南朝の皇帝カルロスの檄文を覚えているか? あの中でカルロスは、自分を正当な皇帝と言い、ペルティナクス大公を逆賊呼ばわりしていた。

 そこにも同じ発想の芽がある。即ち自分の正当性を謳い、相手を貶める。それによって有利な情況を作る。自分に利益をもたらす」

「差別を必要としている、ですか」

「そうだ。自分達がやりたく無い事を、被差別民にやらせる。それによって生活が、社会が成り立っている。だから、この世は永遠に差別される誰かを必要とする。今のままではな」

「でも――」


 ジャンとイスカが同時に次の言葉を発した。


「それは間違っていると、私はそう感じるんだ」

「その先には、行き止まりしかないと俺は思う」


 発した言葉は、一見違うものの様に思えた。


「どちらも正しいのだろう。まずイスカ、お前の言った事は純粋な感情だが、生物には生きようとする本能がある。その本能が差別は生存を損なうと感じ取った。それが感情として出るのだろうと私は思う。

 そしてジャン。お前の言った事が、本能が感じ取った事に言葉による説明を与える。何故お前は、行き止まりしかないと思うのだ?」

「何と言いますか、理由は色々だけど、要は自分より下の人間を必要としているという事ですよね?」


 高星は何も言わず、黙って聞いている。


「自分より下の人間が要るという事は、それを突きつめれば、一人の頂点とそれ以外の下の者に行き着いて、下の者もさらに細かく上下が着くという事になるはずです。

 上の人間は差別している下の人間と一緒になるなんて事は嫌だし、下の人間も差別されている以上、上の人間とは解り合えません。

 そうなるとつまり、誰とも協力できない。一人でできない事を、皆でやるという事が出来なくなります。力づくで下の人間を働かせればできるでしょうけど」

「まさしくそれだ。人は協力し合わなければ生きていけない。自然の中で一人の人間は、限り無く無力だ。差別と言うものは、その協力の選択肢を切って捨てる。

 そして差別する事に慣れた者も、差別される事に慣れた者も、人を対等には見れなくなる。敵同士として憎しみ合えば、二度と協力はできなくなる。

 そして差別が必要とされるという事は、敵を作り続けるという事だ。その先には、誰も信じられない世界だろう。

 それは生き物としての、生きると言う本能に反する。だから拒否感情が生まれる」

「でも、現実には差別があって、差別が必要とされています」

「人間は獣ではない。本能を抑え込める存在だ。それがまずい方向に発揮された結果だろうな」


 高星がふっと悲しげな表情をした気がした。だが一瞬の瞬きの後に見ると、いつもと変わらぬ高星の顔があった。


「棟梁様、でも私達と棟梁様の間にも、上下と言うものは有る」

「確かにそれはある。上下と言うものは、人が協力し合うのに必要な物だ。矛盾の様だがな。それとも本当に矛盾なのか、まあ今はどちらでもいい。

 とにかく全て皆平等であったら、何が起こると思う? 例えば、炎州で反乱を起こした清浄(カタロス)派は、『平等』を掲げていたな。あれがヒントだ」


 ジャンとイスカがしばし頭を捻る。先に答えにたどり着いたのは、ジャンの方だった。


「領主殺し……」

「流石にこういう事になると、ジャンの方が察しが良いな。そうだ、『平等』では上に立って指導する者が、上に立つ理由が無くなる」

「どういう事だ?」


 イスカはまだ解らないと言う顔をしている。


「つまり、『平等』という事は、指導者が特定の誰かである理由が生まれない。だから今の指導者を殺して、その殺人者が新たな指導者になる事を否定できない。

 その先にあるのは、地位を巡っての果てしない殺し合いだ。誰でも平等で、誰が王でも皇帝でもいいのなら、その地位を巡って延々殺し合う事になる」

「だから上下が必要」

「そうだ。そして上下を認めさせる、武力以外の理由が必要だ。いや、武力でも悪くは無いのだが、それは内に対しての『正統性』しか持たない」

「正統性?」

「国を建てるとき。国を保つとき。常に必要とされて、誰もが頭を悩ませたもの。それが『正統性』だ。正統性無くして国はあり得ん」

「それはつまり、自分は正しいと言う事ですか?」

「少し違う。『正統性』とはつまり、『そうである事を納得させられる理由』だ。正しい事ならば正統性を主張し易いが、必ずしも正しい事が正統ではない。そして、善悪とも関係が無い。むしろここに善悪を絡めると、厄介な事になる」

「具体的にお願いします」

「例えばだな、私が自分の領地を治めていて、それが領民に認められているのは、一つは私が古来より続く棟梁の血筋だからだ。

 棟梁の血筋だから領主である、と言うのは正しいとは言い難い。しかし皆棟梁の血筋ならば領主で良いだろうと認めている。これが正統性だ」

「解るけど、何か納得できないな……」


 イスカが眉を寄せる。


「確かに、何か足りない様な……。そうか、棟梁の血筋だから治めていると言うのは、例えばコルネリウス家の様な、他所の家に対しては納得させられないんだ。

 内に対しての正統性しかないって言うのは、そういう事ですね?」

「まさにそこだ。内に対してなら、血筋でも、武力でも、統治される側の人間を一応納得させる事は難しくない。

 だが外に対しては、血筋や武力ではその土地を治める事、そこに国を建てる事を、納得させられない。外に対しての正統性が、別に必要となる」

「どうやったらそれを得られるんでしょうか?」

「難しい所だ。何せ相手が納得するかしないかは、相手側の都合だからな。都合が悪ければ何であれ、認めようとはしない。

 しかし、いくら都合が悪くても、認めざるを得ない実績を以て正統性を主張する事はできる。独立した国家であると認めさせるに足る実績。例えば――」

「例えば?」

「独自通貨を発行して、独自の経済を持っている事」

「あっ」


 高星が少なく無い金を投じて、南朝から通貨発行権を買ったのは、これが目的だったのだ。

 もちろん、これから発行される粗悪な新金貨への対抗策や、今はまだ必要な南朝を存続させるための資金援助と言う理由もある。

 しかし高星の最終目標は新たな国家の建設であり、通貨発行権はその新国家を外に向かって認めさせるときのための武器だったのだ。


「ここでそこに国が建つ事が『正しい』と考えると、泥沼に踏み込む事になる。自分が正しければ、自分以外は間違っていなければならない。

 正しい事が複数あると、それはもう正しい事である意味が無い。正しさは、唯一無二だから正しさ、正義として機能する。

 そして自分以外が間違っていれば、自分以外の存在は認めないという事になる。何故なら自分以外は存在する事が間違っているのだから」

「寺院の連中みたいな考え方だ」


 イスカが嫌悪を露わに言う。


「確かにそうだ。宗教とは信じる事だからな。神以上に、正しさを信じている。間違っていたと思えば懺悔をするが、そうする事で常に自分が正しいと信じようとする事が宗教だ。

 正しいか正しくないかではなく、正統かどうかを考えれば、二つ以上の国が並び立ち、違う国として存在する事が、それぞれ正統だ。相手の存在を認めず、相手を滅ぼして自分のものにする事にこそ、正統性が無い」

「棟梁様が新しい国を建て、帝国と別々に存在していく事が正統。皆がそれでいいと認められる。善悪では無く」

「まあ実際は、長い年月の統治を理由に、変州という帝国の一部である事こそが正統だ、と主張するだろうがな。だからそれ以上の理由を作り出さなくてはならない。認めさせなくてはならない。そのために、打てる手は打たなくてはならない」


 話しているうちに、大分夜も更けて来た。あくびが漏れ始める。


「そろそろ締めるか。いいか、差別の先には誰の幸福も無い、はずだ。だが平等では社会は成り立たず、上下の区別が必要だ。

 そして上下がある事も、国がある事も、正統性があって初めて認められる。全てはどう正統性を確立するかという問題に収束するのだ」

「そして正統性とは、そうである理由、皆がこれで良いと納得する理由」


 高星が深く肯いた。


「正義など要らん。だが正統性は要る。差別もまた、正義無き正統性に裏付けられて存在している。だからそれを打ち破る、別の正統性が必要なのだ。それが、国を建てるという事だ。覚えておけ」


 高星の話はそれで終わりだった。ジャンは自分の部屋に戻るため、また暗い廊下に出る。 軋む床板の音を聞きながら高星の話を反復していると、ある事に引っかかりを覚えた。

 差別される事に慣れた者も、人を対等には見れなくなる。敵同士として憎しみ合えば、二度と協力はできなくなる。高星はそう言っていた。

 ならば高星も、敵を憎み、手を取る事など考えられないのだろうか。多分、そうなのだろう。

 戦の時も時々見たが、ここしばらくの高星の目には、よく冷たくて暗いものが灯っていた。あれが憎しみと言うものだろうか。ジャンには経験が無いので、確信はできなかった。

 高星が一瞬見せた表情は、やはり見間違いでは無かった。あれは、憎しみに囚われている自分への、自嘲だったのか。

 しかし敵への憎しみを捨てなければ、高星の目指す、虐げられてきた者達が胸を張れる世界も出来ないはずだ。高星自身がそれを言ったのだ。

 敵を憎むという事は、差別する側される側の対立に、自ら縛られ続ける事になるはずだ。敵を憎む限り、自分が差別される側だという傷を、自らえぐり続けてしまう。

 そこから抜け出す術を、高星は持っているのだろうか。持っていて欲しいし、そう信じるしかなかった。

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