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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
脱出
158/366

3

 帝都を脱出した高星(たかあき)一行は、カッシーノ寺院へ向かう道を歩いていた。無論、寺院に行くつもりは無い。山間の道を抜けてキワダ地域に出て、そのままブラチ湖北岸の湖北道を行くのが、ガルツ港への最短ルートになる。


「監視が付かなかったのは何よりだ。そんな余裕もなさそうな情況だったしな。あれはそのうち暴動になるんじゃないか?」

「南朝もそうだが、北朝も統治能力が有るとは、とても言えそうにないな」


 エステルが長溜息を吐く。


「ペルティナクス大公に関しては能力が無いと言うよりも、皇族が強い権力を握る体制と言う理想が、現状とはかけ離れすぎているという事だろうな。

 だが皇族の力を弱めたのは、幼い傀儡皇帝を立て、敵としたアウストロ一門が逆賊にならぬために、別系統の皇帝を立てた事が大きい。

 つまり全ての発端は大公が起こした内乱だ」

「皇族の力を強めようと願って、逆に皇族の力を弱める結果になったのか」

「多分本人は、まだ自分が皇統の守護者であり、皇族の権力が強い体制を築くために力を尽くしていると疑っていないだろうな」

「自分が正しいと信じる事を求める程に、間違った方向へ進んでいると言うのか。皮肉が過ぎるな」

「まあ、アウストロ一門だって、一門を守るために必死になっている結果が現状なんだから、似たり寄ったりだろう。

 一門を守るのならむしろ下手に権力に執着せずに、すぐに頭を下げてしまった方が大公も処罰する罪状に困ったはず……。いや、これは後からの卑怯な物言いか」


 高星がふっと顔を横に向ける。


「どちらも中枢近くに居る者は、目が曇っていると言うか、なんだろうな。むしろ周縁に居る者の方が、正しく評価している。昔から、どこもそんなものだった」


 エステルもまた、そう言って遠い目をした。


「……さて、そろそろ十分距離を取っただろう」


 高星が振り返る。すでに帝都の城壁は、遥かに小さく見える様になっている。


「道を急ぐぞ。馬を手に入れろ。ガルツまで可能な限り駆ける」


 僅かに呻き声の様なものが聞こえた。まだ乗馬に慣れない何人かだろう。


「でしたら、私の分も忘れずにお願いします。金は持ってきましたので、代金は自分で持ちます」

「ドゥルースス殿も付いてくる気か?」


 高星が驚いたように問う。


「北の果て、アンドウ家の領地までお供させていただこうかと」

「なぜだ。我らに付いて来て、一体何の得がある。むしろここで別れねば、どんな巻き添えを食うか」

「ではアンドウ殿の客分として下に付く、という事にすれば問題は無いでしょう」

「そういう事では無くてだな」

「話は、馬を集める間に致しましょう」


 高星はしぶしぶ馬集めの人員を送り出した。混乱に紛れれば六十頭ほどの馬を集めても、怪しまれる事は無いだろう。


「それで、どうして我らに同心すると言うのだ? 我らと行動を共にすれば、同類と目される事になる。

 我々がどういう目で見られている存在であるかは、今更言う必要も無いだろう」

「全てはワイズマン家の為です」

「家のため?」

「権力から遠いとは言え、我が家は宮中に出入りできるだけの家格を備えた家柄です。だからこそ、政府の限界も見えます。

 現政権の行方は別として、いずれ都も戦火から逃れられないだろうと言うのが、父上の見解です」

「それに関しては、私も同感だな。ペルティナクスの政権は、多分一度腰が折れれば脆い」

「そうなったとき我がワイズマン家は、都に重心を置き過ぎているのです。今のままでは都を離れて難を避ける、という事が出来ません。都を失えば、即途方に暮れてしまうでしょう」

「それで、どこか地方に新たな拠点となるものを構築しておこうと?」

「その一つ、でしょう。父上は父上で別の手を打つでしょうし、いざとなればティベリウスさえ残ってくれれば、ワイズマン家は存続できます」

「理屈としては良く解る。だが何故私の下を選ぶのか、そこを明確にしてもらわなくては、納得がいかんな」

「さてそれは、父上の目に適ったという事でしょう。息子として父上の判断は信頼していますし、誤ればその時は死ぬ覚悟はしております。

 それに私もそれなりの役には立てるはずです。二心が無く、ある程度の力量もある。使う側のアンドウ殿にとっては、それで十分ではありませんか」

「まあ確かに、それぞれの理由を一々詮索しても仕方の無い事だが。それにすでに十分すぎるほど、役に立ってもらっている」

「軍の指揮経験もあります。政府軍の大隊長を二年ほど務めただけで、実戦経験が有る訳ではありませんが」

「貴族の子弟の出世コースだな」

「使い物にならないと判断したら、官僚としてでも使ってくだされ。政務事務の方は少々実績がありますので」

「まあ正直に言うと、ありがたい申し出だ。そういう事なら、こちらから是非に頼みたい」


 人材不足で頭が痛い、とは流石に口にしなかったが、大隊長級かそれ以上の指揮が執れる人材が絶対的に足りない事は確かだった。


「ひとつだけ、お願いしたい事がございます。もしわが父や息子が私を頼ってくる事態になった時は、厚く迎えていただきたいのです」

「無論だ。もしそうなれば、こちらこそ喜んでお迎えしたいほどだ。我が家は、頼ってきた者を無碍(むげ)にする様な事は無い」

「それを聞いて安心いたしました。改めてこのドゥルースス・ワイズマン、アンドウ殿の下で働かせていただきます」


     ◇


 全員分の馬を手に入れた一行は、可能な限り馬を駆け、道を急いだ。途中の宿場町に寄る事も避け、野宿を続けながら駆け続けた。

 ジャンやイスカ、それに陶明(とうめい)なども馬には乗り慣れて無く、半日で馬に乗り続ける事が苦痛になってきた。それに合わせて全体も遅い者に合わせて進む。

 見捨てていくのでなければ、最も足の遅い者に合わせるしかない。ジャンは足を引っ張っている事のもどかしさと口惜しさに顔を歪めながら、必死に馬を駆けた。

 しかし尻の痛さはどうにもならない。それに、手当たり次第にかき集められた馬なので、走らせると揺れが酷い。イスカなども、苦痛にうめいていた。

 それでも歩くよりは遥かに早く、二日半でガルツの港町までたどり着く事が出来た。

 ガルツの安東家商館にたどり着くと、ジャンをはじめとした少なく無い者が倒れ込んだ。もう数日長く馬に乗っていれば、跨っている事も出来なくなっていただろう。

 一方高星は流石のもので、疲れた様子も見せずに今度はエステルと共に船の手配に動き始めた。


「船を出せる様になるまで、どれくらいかかる?」

「最速で用意をします。しかし、水や生鮮食品はこれから用意をしない事には」

「そればっかりは仕方ないな。あとは海路の天候も気にかかる。往時の勢いは無いとは言え、まだ海は荒れているだろう。

だがうっかり港に避難しようものなら、そこはシバ家の領内だ。行きは素直に通してくれたが、帰りは何をしてくるか解らん」

「一旦アドス島に寄港し、天候を見て無寄港でトサまで戻るのがお望みですね?」

「可能ならばそうしてくれ」

「お任せを」


 その後も高星は細々をした指示を下し続けた。その中には、今後の南北朝の戦況に応じて、事業をどう対応させるかも含まれていた。

 そうこうしている所に、一人の訪問者が訪ねて来た。ロウ・シーケイだった。


「何とかお会いできましたな。いずれ戻ってくるだろうとは思っていても、私もずっとここで待つ訳にもいきませんので、行き違わなくて良かった」

「例の件か?」

「そちらの方は大した報告はございません。実際に動かすにはまだ時が掛かりますし」

「世の情況が大きく動きそうだからな、一からやり直さねばならない計画もあるだろう」

「その分、新たに儲ける機会も生まれますよ。もっとも、相場に張って投機的な利益を得る商売は、商人としては邪道ですが」

「お前の様にか」


 ロウは相変わらず、人のよさそうな笑みを浮かべるだけだった。


「それで、硝石でないなら何の話かな?」

「まあ硝石の件も多少はあります。道を作るため、しばらく北の方でやるべき事が有るので、この際お供して北に行こうかと」

「それはついでなのだろう?」

「何が主で、何が従などどうでも良い事ですよ。私には安東殿と共に北に行く事で、利益になる理由が複数ある。それ安東殿に依頼されている業務にも関わるので、それを船賃にしたい。それだけです」

「相変わらず、食えぬ御仁だ。まあ、乗客が一人増える位どうとでもなる」

「痛み入ります」

「心にも無い事を」


 高星が苦笑いをする。腹の内の読めない男だが、アウストロ一門とやりあうよりはずっと不快なものが無かった。


「出港準備にはしばらくかかる。準備が整っても、天候次第ではさらに待つ事になるぞ」

「私を誰だとお思いです。商売の為ならどこへでも行く商人ロウが、その程度の事も知らないとお思いか?」

「そうであったな。これは失礼した」


 全く、憎たらしい相手だ。一度、朱耶(しゅや)家の克用(なりちか)とぶつけ合わせてみたいと思った。


「ともかく私も流石に疲れた。用が済んだならこれで失礼したい」

「大まかな事を聞き及んでおります。大冒険でしたな」

「耳が早いな」

「情報は、最も早く掴んだ者が、最も価値を得る機会を手にするものですので」

「最も価値を手にする、ではなくて、その機会を得るか」


 いち早く情報を掴んでも、それを活かせない者のなんと多い事か。例えば北朝も、南朝の軍事行動を筒抜けに知りながら、それを活かすどころか自ら混乱を招いている。

 ぼんやりとそこまで思い至ったのが限界だった。度重なる苦境を乗り越え、その度に頭を巡らし責任を背負ってきた高星の精神力は、すでに限界だった。

 ロウにお座なりな別れを告げ、割り当てられた部屋の寝台に倒れ込むと、そのまま深い眠りに落ちて行った。


     ◇


 外で騒ぎが起きているのを感じて目が覚めた。いや、外の騒ぎは目が覚めた後に気付いた。起きたのは感覚が、向けられる敵意を感じ取ったからだ。

 高星は寝台から跳ね起きて、千錬剣を掴みとった。微かに殺気立った気配も混じっている。


「何があった」


 商館の表に面した部屋まで出ると、何が起きているかは見てとれた。商館の前に、二十人ほどの武装した騎士達が押し掛けてきている。今のところはまだ、形の上では穏便に話し合っているようだ。


「高星、厄介な事になったぞ。あれはラテラーノ大聖堂所属の聖堂騎士団だ」

「聖堂騎士団が、何の用だ?」

「私達に、と言うよりも安東家に、炎州(えんしゅう)反乱の指導者である清浄(カタロス)派の要人を匿っていると言う疑惑があると言っている」

「なんだと」


 高星の顔が曇る。


「つまりあれか。連中は異端審問に来たという訳か」

「そう言う見方もできるだろうな。商館を検めさせろと騒いでいる。特に根拠になる様なものは無く、ただ受け入れないのなら力ずくで調べると言い張っている」

「厄介な連中に目を付けられましたねぇ」


 高星の後ろから、ロウがやってきた。


「ラテラーノ大聖堂は、対立するカッシーノ寺院が法王庁の命に従って異端審問を止めたので、違いを強調するためにも異端審問に積極的だと聞きます。もちろん公式には禁止されていますから、隠れての審問という事になりますが。

 安東家は流刑者や亡命者を受け入れておりますから、清浄(カタロス)派が逃げ込んでもおかしくないと思われたのでしょうねぇ」

「受け入れているのではない。押し付けられているのだ。役目としてな。他人事みたいな顔をして」

「他人事ですから。私はただ商用で滞在中の客人と言うだけです」

「それを真に受ける連中か?」

「疑われる事にはなれていますので、疑いの目をすり抜ける術は心得ております。お気遣い無く」

「気遣うものか」

「高星、それはいいから、表の連中をどうにかしなくては」


 エステルが急き立てるように促す。


「解ってる。とりあえず入れて、好きなだけ見せてやれ。その代り手当たり次第荒らされるのだけは避けろ」


 高星の指示で、聖堂騎士団の騎士達が商館の中に入れられた。騎士達はそこら中、目についたところは手当たり次第調べようとしたが、実際に手を触れるのは商館の者が先回りしてやり、騎士達には本当に見るだけになる様にした。

 その間高星は、隊長格と見た騎士にぴったりと張り付き、あれこれと話題を振って拘束した。事情を察して、ドゥルーススも同じ様に騎士達にまとわりつく。寺院と縁が深い家の出だけに、騎士団員の扱いも心得たものだった。

 結局騎士達は、一物一片の手掛かりも掴めぬまま、苦虫を噛み潰したような顔で引き下がっていった。それを形だけは丁寧に見送る。


「これで引き下がるだろうか?」


 騎士団が去った後の商館で、エステルが言う。引き下がるとは全く思っていない事がはっきりと解る、冷え切った声だった。


「間違いなく諦めないだろうな。と言うよりも、連中に諦めさせる事が無理だろう。今はひとまず引き下がらせたが、清浄(カタロス)派を匿ってはいないと言う事を完全に証明する事は、不可能だ」

「悪魔の証明だな。匿っていない事をいくらを主張しても、それを完全に証明する事は難しい。疑っている者は、証拠を隠しているのだろうといつまでも疑い続ける。

 それでどうするつもりだ? 連中がこのまま大人しく、我らの船出を黙って見過ごすとは思えないが」

「逃げるしかないだろう。場合によっては強行突破になる」

「やれやれ、いつになったら落ち着けるのやら」

「私に聞かんでくれ」


 高星は疲れたような笑みを浮かべた。だがその目は精気に満ち、すでに次の手を模索しているようだった。

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