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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
窮地
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2

 目を開けると、真っ暗だった。

 この船室に窓は無い。同室の者はまだみんな寝ていて、明かりを点けるのもはばかられた。しばらく待って目を慣らし、起こさない様にそっと外に出た。

 甲板の上に出てもまだ暗かった。まだ夜明け前、冬の海上の寒さにジャンは身震いした。

 どうにも自分と船は相性が良くない様だ。酔う訳ではないが、本調子にならない。夜明け前に目が覚めたのも、落ち着いて寝ていられないからだ。

 臨都を発ち、シシリ島のカイフ港までは来た道を戻った。そこから先は、未知の旅路である。夕暮れ時にカイフを出て、明け方にリアルトに着くと言う船便に乗った。

 リアルトは内海航路と東方航路、そして南方航路の交差する都市であり、その名は有名だ。舳先の方に行けば、そのうち見えてくるだろうかと思い、そちらに行った。

 誰かが居た。いや、誰かではない。船首に屹立するその後姿は、一目でそれが誰であるか解る。


「棟梁」

「ジャンか、早いな」

「棟梁こそ。俺は、どうにも船ではよく眠れない様で」

「そうか。私は海が気になってな」

「海? 何か、良く無い兆候でも?」

「いや、内海は北の海とは違うなと思ってな。冬場に、夜間の航海ができる。いくら半日の沿岸航海とは言え、北では考えられん」

「嵐で出航待ちとか、ザラにありますもんね」

「土地や気候が違ってもそれほど気にはしなかったが、海が違うとここは異国なのだと言う気がする」


 ジャンには解らない感覚だった。曖昧に相槌を打つ事しかできない。

 流石に寒くなり、しゃがみ込んで丸くなっていたが、船室に戻ろうと言う気にはならなかった。すっと立っている高星(たかあき)を、いつまでもそばで見ていたかった。

 やがて前方から日が昇って来て、寒さもいくらかやわらいできた。明るくなると、海原はエメラルド色に輝いていた。これもまた、北の海では見られない景色だ。

 甲板に少しずつ人影が増えてくる。そのうちの半分くらいが、船首の方に集まってきた。皆前方を気にしている。何が見えると言うのだろうか、ジャンも前を見た。見えるのは、朝靄の白さばかりだった。

 靄の先に、海面にへばりつくような影が見えて来た。干潟だった。葦が茂って島の様になった、泥の浅瀬。

 その先に、今度は林立する高い影が浮かんで来た。朝靄が晴れていくにつれて、その姿がはっきりと浮かんでくる。朝日の下に、青い海の上に浮かぶ街があった。

 あれが話に聞くリアルトなのだ。またの名を、海の上の都。


     ◇


 リアルトに上陸した高星一行は、窮地にあると言うのも忘れて、街並の美しさに目を奪われ通しだった。

 網の目のように張り巡らされた水路、そこを行く小舟、トサを遥かに超える商店の数々と、店先に並ぶ品の数々。帝国最大の経済都市にして観光地、それがここリアルトだった。

 高星がリアルトを上陸地点に選んだ理由の一つは、この街が自治都市以上の自治権を持つ、帝国内唯一の自由都市であると言うのも理由だった。

 行政・立法の自治に加え、独自の軍事力まで持つ、帝国内国家と言っていい存在である。

 しかも陸地から離れた、干潟を干拓して住む土地を作ったこの街は、陸からはたとえ百万の軍勢であろうと攻め落とせないと言われる。そして海軍は、内海最強の呼び声の高い質を誇っている。

 立地と、海軍力と、経済力と、そして外交技術を以って帝国よりはるかに昔から存続してきたこの都市の長い歴史は、それだけで長編物語である。

 ともあれそんな自由都市だからこそ、現状最も中立で、最も安全な場所である。まずここで態勢を整えようと言うのは、妥当な判断と言えるだろう。

 新鮮な海産物をふんだんに使った朝食を済ませた後、高星はホテルを取って腰を落ち着けた。


「この街に滞在するのか? 高星」

「一泊だけな。情報も欲しいし、ここなら銀行から金も下ろせる。この街には情報も多く、そして早く集まるそうだから、下手に急ぐより良いだろう」

「ならば、すぐにでも情報収集に出よう」

「待て、エステル。お前には別にやってもらいたい事が有る」


 高星がチャベスから受け取った封書を取り出す。


「お前は一隊を率いて先行し、この先の道中の安全を確保してほしい。その際これを持って、アダマン山付近で工作をしていると言う男にも接触を図って欲しい」

「解った、やってみよう」


 エステルが封書を受け取る。


「腕の立つ者を中心に、二十人くらい連れて行け。イスカやジャンも持って行け」

「高星の周囲が手薄にならないか?」

「この辺ならばまだ安全だ。目を付けられるような事もしていないしな。護衛が必要なのは、アダマン山系を越えてからだろう」

「ならいいが、くれぐれも無茶はしないでくれよ?」

「信用無いな」

「危なっかしくて敵わんのだ、高星は」


 エステルはやれやれと言わんばかりにそう言い、しかし任務の重さを思ってか、目だけは鋭く真剣な光をたたえていた。


     ◇


「見渡す限り平地だなぁ」


 ジャンがそう嘆息した。先行隊としてエステルの旗下に付いたジャンは、飛び石の様な台場を繋ぐ橋をいくつも越えて、本土に上陸した。

 上陸すると見渡す限りの平地が広がっていた。遥か東の方にアダマン山系の山並みが見えるだけである。


「このラグナ地方はほぼ全土が干拓地だからな。平らな土地ばかりなのも当然だ」

「干拓地なんですか!? 見渡す限りこれ全部!?」

「と言っても、千年以上前からずっと干拓を続けて今に至るそうだが。干拓前は一面リアルトの周辺のような干潟だったらしい。だからこの辺りの地名を干潟(ラグナ)地域というそうだ」


 よくもまあこれだけの土地を干拓したものだと、ジャンは驚くよりも呆れに近い感情を抱いた。


「これだけ見晴らしが良いと、囲まれたら逃げ様が無いな」


 呆然とするジャンの隣で、イスカが顔をしかめた。


「いや、その心配はねーんじゃねーの?」


 イスカの懸念に対し、陶明(とうめい)が暇そうに戟を一回転させながら、覇気のない声で言う。


「……どうしてそんな事が言える」


 イスカが憮然とした表情を向ける。


「これだけ見晴らしが良いと、囲まれる前に丸見えだろ? なんか怪しい連中が付けてきてると思ったら、全力で逃げればいい。騎馬隊でもなけりゃ、それで囲まれる前に逃げられるだろう」

「エステルさん、この辺りで兵力を持っている勢力は?」


 イスカと透明のやり取りを聞いていたジャンが、エステルに確認を取る。


「もう少し南に行けば、川沿いに寺院がいくつかある。それぞれ独自の兵力を抱え、傭兵紛いの事もやっているそうだが、騎馬隊を多く抱えていると言う話は聞かない」

「だそうだから、まず安心できそうだな」


 ジャンがイスカと陶明や他の者に向けて言う。普段高星の従卒をしているため、自然とエステルの傍に付いて、結果的に取り次ぎ役・取りまとめ役の様な形になっている。


「この辺りは何処の勢力に属しているんだ? 南朝方ではないはずだが」

「ラグナ地域と、この先東に行ったカフチ地域は直轄領だ。名目上は属州総督の支配、実際は総督の代官が居ると言う形だな。

 ただラグナ地域に関しては、リアルト市の影響力が強いと聞く。どちらも治安は良いから大丈夫だろう」


 イスカは高星を護衛して進む事を想定してか、色々な事を確認してくる。


「つまんねー」

「つまんなくていいんだよ」


 陶明は真面目さの欠片も感じられず、頭の後ろで両手を組んでいる。しかしただ緊張感が無いと言うより、危険が無いと確信したうえでだらけていると言う様子だ。

 無理も無いだろう。見渡す限り平和を絵に描いた様な田園風景が広がっているのだから、危険が無いと言うのは素人でも解る。

 あまり油断しきるのも問題だが、少なくともここで必要以上に張りつめている意味は無いだろう。

 警戒を高め、あらゆる事態を想定しながら歩くのは、少なくとも今は一人いればいいだろう。


「イスカ、周りを気にするのは俺がやるから、お前も少し気楽になったらどうだ」

「君が? しかし……」

「危険があるとしたら、むしろこの先だろう。今は俺でも十分だろうから、お前は先に備えて休んどけ」

「なら、そうさせてもらうが、くれぐれも気を付けてくれよ。私達の身だけでは済まなくなるかもしれないんだから」


 心配性だなと思いながら、ジャンは笑って応えた。


     ◇


 カフチ地方に入った。と言っても特に違いが有る訳では無く、ただ街道沿いに境界を示す石碑が立っているだけだった。ここから先は、干拓地では無い大地という事になる。


「ここまでは、何も無かったな。後続も、問題無く通れると思うが」

「ここから先も問題は無いだろう。最初の関門は、アダマン山系越えだ」


 エステルの言葉を受けて、ジャンは改めて前方にそびえるアダマン山系を望んだ。

 近くなった分、威圧感の様なものは大きくなっているが、それ程険阻な山には見えない。地図を見る限り、最も高いアダマン山が唯一標高1,000mを超えているようだ。


「山越えの装備などは必要になるでしょうか? エステルさん」

「いや、おそらく必要無いだろう。道の無い所を通る訳でも無いしな」


 そう答えたエステルだが、数歩歩いて思い直した様に言う。


「いや待てよ。ひょっとしたら必要になるかもしれないな。そうなると、近くの村で山歩き向きの履物くらいは調達するべきか」

「山を越える街道は通っているようですが、それでも必要ですか?」

「チャベス殿から預かった手紙を届ける相手が、街道沿いに居るとは考えにくい。山中に潜伏して、秘密の拠点を作っていると言う話だからな」

「そうか。そうなると、どうやってその人物に接触するかも問題になりますね」

「ああ。だがそれも含めて、我ら先遣隊の任務なのだから、何とかしなければなるまい。ともかく山麓の村を探して、そこで様子を見てみるしかないか」


 接触する以前に、発見するための手掛かりも今のところは無い。この情況で山中の人を捜すのは、厄介そうだ。ただ拠点を構築していると言うのなら、それなりの人数は居るはずだ。

 だが接触できたとしても、手紙を見せれば信用してもらえると言う保証は無い。最悪の場合、その場で戦闘になるかもしれないという事だ。

 もしそうなれば、たとえこちらの方が人数が多かったとしても、地の利は向こうにある。木々の生い茂った山中での戦いは、かなりの危険が予想される。できればその展開は避けたいところだ。

 とは言えこういう場合は、最悪を想定して備えをしておかなくてはならない。


「イスカ、それに陶明も、いいか?」

「どうかしたか?」

「何?」

「これから山に入って、そこに居るはずの南朝方の……なんて言えばいいかな、工作員? そう言う連中と会って、できれば協力をしてもらいたい。ここまでは、解っているよな?」

「ああ」

「要は道案内を頼むんだろ?」

「まあ、ざっくり言うと陶明の言う通りなんだが。最悪、敵と認識されて戦う事になるかもしれないって事だ。

 そうなると、敵に有利な場所で、多いか少ないかも解らない敵と戦う事になる。もしそうなったときは、どうするのが良いと思う?」

「まず全力で逃げる事だ。その場で戦うのは危険すぎる上、私達は絶対にそこを突破しなければならない訳じゃない」


 イスカの答えは早かった。ジャンが尋ねる前に、とっくに想定していたのだろう。


「山を下ってしまえば地の利は無くなるし、別のルートを探せばいい。隠れて拠点を作っているなら、平地に出てきて姿を晒す様な事は避けると思う」

「なるほど、確かに敵地の真ん中で、目立つ事はしたくないだろうな。しかしそうなると、絶対に山から出さずに、皆殺しにしようとしてくるんじゃないか?」

「そんときは、まー相手次第なんじゃね?」


 陶明は相変わらず、緊張感の欠片も無く言ってのける。


「相手次第って、そんな無責任な」

「だってよ、山の中の戦いなら、たとえ敵の数が多くても、数で包囲してくるだけなら恐くは無いぜ。

 一ヶ所を突破しようとすれば、山の中をそうすぐに移動して助けには来れないから、数だけの包囲なんて意味が無い。

 逆に敵の数が少なくても、あちこちに罠が有ったらお手上げだな」

「お手上げってなぁ。お前、山の中罠だらけだから敵とみなされたらお手上げですじゃ、どうしようもないだろう」

「そうだよ、どうしようもない。だから戦わない様にするしかないだろ」

「だから、向こうから敵と認識して仕掛けてきたらどうすんだって言ってんだよ」

「だーかーらー、山を歩いて見て罠が有りそうだったら、戦う事にはならないようにうまく話を持って行って。それでも駄目だったら大人しく降参して、殺されない様にして。それからまたどうにかするん方法を考えるんだよ」


 唖然とした。なるほど戦っても逃げても全滅の可能性が高いとなれば、降伏する。降伏した相手もいきなり殺しはしないだろう、向こうも尋問して、情報は得たいはずだ。

 万が一、そのまま殺されるとしても、戦って死ぬか大人しく殺されるかの違いだ。武人の矜持などには無縁のジャンには、大人しく殺されるくらいならいっそ華々しくなどと言う思いは無い。

 だから、降伏しても殺されるかもしれないとなっても、殺されないかもしれないなら試してみる価値はあるだろうと思うだけだ。

 だがそれがぽんと出てくる陶明の発想には、唖然とする他なかった。普段は馬鹿丸出しの癖に、妙な所で発想が鋭い。


「まっ、これだけ腕利きが揃ってんだから、大抵の敵は突破できんじゃねーの?」


 カラカラと能天気そうに笑う陶明を、いつもとは違う意味で呆れながらジャンは眺めていた。

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