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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
工作
148/366

3

 克用(なりちか)が到着して以来、上層部への工作は着々と進んでいる。

 無論、高星(たかあき)もその間に、下級貴族への工作を推し進めていた。かなり金は撒いたが、生きて仕事をする金だと思っている。


「今日は何処を回りますか、棟梁」


 ジャンの問いかけに、高星はびっしりと書き込みがなされた臨都の地図をめくりながら答える。


「めぼしい所は大体回り尽くした。少し他とは毛色の違う相手を回ってみようと思う」

「毛色の違うところ、とは?」

「まずは、ここかな。チャベス邸、西方の昊州(こうしゅう)の家だが、爵位も無い最下級の家の様だ。それが当主が領地を離れ、はるばる臨都まで来ている」

「そんな弱小貴族が、なんでまたはるばる州境を越えてここまで?」

「さてな。詳しい事は解らん。ただ、軍勢を担っていると言う話だから、一種の傭兵かもしれん」

「弱小貴族が自分を傭兵として、大貴族に雇われると言う奴ですか」

「そんな所かもな。まあ、会ってみれば実情は見えてくるだろう」


 チャベス邸は臨都の外れに広い敷地を持っていた。ただし敷地が広いと言っても大邸宅という訳ではなく、母屋はむしろ慎ましいもので、敷地いっぱいに長屋が建っていて、兵が暮らしている様だった。


「こういうのを見ると、昔を思い出すな」

「下屋敷で皆で暮らしていた頃、ですか」

「二年そこらしか経っていないはずなのに、酷く昔の事の様に思える」


 高星が安東(あんどう)家の当主に成る前の事を思いながら、面会申し込みの返事を待つ。庭では兵らしき男達が行き来し、武器を並べて点検している様子も見られる。

 特に目についたのは、長さは3m半ほどの朱塗りの槍だった。それが何本も並んでいる所を見るに、規格化された装備の様だ。

 取次の老僕が中へ案内したので、それ以上の詮索はできなかった。それほど待たされなかったので、来客は選ばない様だ。

 小さな家だからというのもあるが、武人の家は比較的人を選ばない。チャベス家も、根っからの武人の家の様だ。

 案内された部屋は椅子も無く、板張りの床に敷物を敷いて席が用意されていた。


「粗末な席で申し訳ない。仮住まいな上に、これでも大分無理をして用意した屋敷なもので、どうか御勘弁いただきたい」


 エドガー・チャベスは髭面で、いかにも武人と言った堂々たる体格の男で、地味な平服を着ていた。しかし言葉遣いや立ち振る舞いは礼儀正しく、粗野な武人では無かった。髭で少し解りづらいが、歳は三十代半ばくらいだろう。


「いえ、慣れておりますのでお気づかい無く」


 高星が座る。チャベスが胡坐(あぐら)を組んでいるので、こちらも胡坐だ。少し後ろに設けられた席に、ジャンも座る。ジャンにはまだどうにも床に座るのが慣れない。もっとも、行儀良く椅子に座るのも慣れないのであるが。


「改めてご挨拶を、アンドウ子爵家当主タカアキ・アンドウです」

「はるばる北の果ての変州(へんしゅう)から参られたそうで、何のおもてなしもできませんが、ゆるりとしていかれよ」

「痛み入ります」


 初めて訪れる相手に対して、変州から来たという事は隠さない様にしている。変州から来たと言えば冷たくあしらわれがちなので隠したくなるが、隠してばれた時の方が心象が悪い。

 それに、変州から来たと言った時の相手の反応で、ある程度心の内を察する事が出来る。チャベスはそういう事には全く偏見が無い様だ。西の果ての田舎貴族なので、遠国の差別に実感が無いのかもしれない。


「ところで、どの様なご用件で?」

「用件と言うほどの事はございません。ただなかなか機会が無いので、挨拶できる方には挨拶をしておこうと言うところです」

「ははは、それでこんな田舎貴族にまで挨拶回りとは、かえってこっちが恐縮してしまいますな」

「それは謙遜が過ぎると言うものでしょう。かの兵達を見る者が見れば、一目で精鋭と解ります」


 (うかが)う様に上目遣いになりながら、高星はチャベスの顔を見た。髭のせいか、チャベスの表情は解らない。


「陛下のご下命を受けて、はるばる兵を集めて馳せ参じた以上、恥ずかしい兵は見せられませんのでな」


 南朝はこんな弱小貴族からも兵をかき集めなければならない程、苦しい立場にあるという事か。


「チラと見ただけですが、見事な精鋭です。貴家には良き家臣が居りますな」

「いえ、彼らはチャベス家の家臣ではありませぬ。陛下の下に馳せ参じる道中で徴募した者達ですよ」

「なに、それは本当、いや真か」

「我が家の兵では領地を守るのが精一杯でしてな、新たに徴募するしかなかったのだ。それと、無理に言葉を飾らなくとも結構。私も堅苦しいのはうんざりでしてな」

「では平易に行かせてもらうが、兵を集めるにも、彼らに新たに武器装備を用意するにも、かなりの金が掛かったはず。何故そうまでする?」

「無論、我が主への忠義のため」


 きっぱりと断言した。語調からもその忠義の厚さが容易に(うかが)える。それだけに不可解だった。


「皇帝ならば他にも居る今の世で、カルロスにそこまで忠義を尽くす理由が?」

「武人は一度主君と決めたお方の為ならば、何であろうと耐えられるものだ」


 チャベスが微かに含み笑いをした。それが高星の何かに引っかかった。今チャベスは耐えられると言ったが、それは今まさに何かに耐えているから出た言葉ではないのか。そうで無ければ、尽くすとか、捧げるとか、他に言葉があるはずだ。


「チャベス家の当主がここに居る以上、領地は空でしょう。兵は居ても上に立つ者が居ない。もし変事があれば、領地を失う事になる」

「その心配はない。領地には弟が居るのでな」

「弟君?」

「十二歳下の弟なのですが、こと武人としては優れた資質を持っていますので、心配はしておらんのです」

「チャベス家の領地に居るのは、弟君だけですかな」

「他の兄弟は幼い頃に亡くなったので、弟と代々の家臣達に任せている」

「貴殿の主君もそこに居るのでは?」


 チャベスの動きが一瞬止まった。高星はすとんと腹に落ちる様な納得を感じた。

 この男は高星と同じ事を考えている。己の目的のために、南朝についてそれを利用しようと言う考えを持っている。

 ただし、高星よりも隠すのが下手で、本当に考えているのは彼ではなく、彼の主君だろう。


「貴殿の主君に俄然興味がわきました。おそらく私と同じ事を考えて、そのために南朝を利用しようと考えている。無論、多く群がっている連中の様な、小さな私利私欲のためではない」

「否定も肯定もできませんな。ただ私は我が主に忠を尽くしてみようと言う気になり、主の夢に形を示す者も居るという事です」

「そして貴殿はそのためならば、いかなる労苦も耐える覚悟であると。高位の貴族共を相手にするのは、戦場よりも大変でしょう」

「いや全く。連中ときたら、首をへし折ってやりたくなる時があります」


 つかの間、高星とチャベスは目を合わせた。そしてどちらともなく低く笑い出した。


     ◇


「旦那様、お客様がお見えです」


 高星とチャベスが笑い合っている所に、高星を案内した老僕が入ってきた。


「客だと。今面会中だと言って追い払え」

「それが、ゲラン様とジェンチェン様です」

「む……ならば無下にも出来ぬな。お通ししろ」


 筋を通す事を好む武人気質のチャベスがあえて通すという事は、高官だろうか。しかしどちらも聞き覚えの無い名だ。


「私は御暇した方がよさそうですな。特に用が有る訳でも無し」

「いや、もし不都合が無ければ、アンドウ殿にも引き合わせたい。信頼できる方々だ」

「ほう、チャベス殿の御友人で?」

「そういう訳でも無いのだが」


 何か煮え切らないが、色々と微妙な立場があるのだろう。深い詮索は置いておいて、会わない事には始まらない。まずは、会ってみる事だ。

 客人はどちらも四十代と見られる男で、それぞれオーギュスト・ゲランとシーザー・ジェンチェンと名乗った。ゲランの方がやや年上の様だ。


「お二方、こちらはこの度はるばる変州から参られたタカアキ・アンドウ殿だ」


 チャベスの紹介に合わせて頭を下げる。


「チャベス殿が儂らに紹介するとは、若いのになかなか気に入られた御仁の様だな」

「まことに、なかなか不敵な面構えをしている。一度戦ぶりを見てみたいものだ」


 どちらも上流貴族の嫌味は無い。儂と自称したゲランの方は、粗野と言うか、荒々しさを秘めている。今はそれを表に出していなくても、振る舞いに滲み出している。

 一方ジェンチェンの方は、一応の礼儀作法を身に付けているらしく、ごく自然に優雅な振る舞いをしている。ただし、手などは日に焼けて荒れ、とても貴族の手には見えない。


「お二方は、どういったご立場で?」

「まあ、一言で言えば、陛下の寵臣と言う所であろう」

「寵臣?」


 思いがけず重要人物と知遇を得たという事になるのか。しかし、何故この二人が寵臣なのか。そんな高星の心の内を見越した様に、チャベスが横合いから説明を加える。


「こちらのゲラン殿は、朱州に領地を持つ身だが、無爵位の貴族ゆえ領地からの上りよりも、内海の海運業で富を得ていたと言う方だ。

 先の帝都内乱の折、都落ちするアウストロ一門を見ていち早く内海の船乗りをまとめ上げ、アウストロを迎えて船を抑えた事で、アウストロはゲラン殿に頭が上がらなくなったという訳だ。

 それをカルロス陛下に気に入られ、海軍の総司令官職を賜っている」


 安東家と同じ様なものだ。ただし安東家は海運とそこから得た富を自分のために使ったが、安東家よりもさらに小さいゲランは、上手く機を掴み、アウストロに返しきれない大恩を売る事で地位を得たという事だろう。


「ゲラン殿は、弓術にも長けているとお見受けする」

「ほう、何故そう思う?」

「左右の腕の長さが違います。左腕が長いのは、長く右腕で強弓を引いたからでしょう?」

「大した目利きだ。その通り我が弓は、波間に揺れる船の上でも獲物を逃す事は無い。それを見抜く貴殿も、相当な弓の使い手と見た」

「まあ、馬で疾駆してすれ違い様に、敵将の喉を射抜くくらいはできます」


 なんでも無い事の様に言い、上目使いにゲランの顔を見た。ゲランも高星と同じ、窺うような視線を向けていた。お互いに、口元が緩んだ。


「ジェンチェン殿はどういった功が有って陛下に信頼されているので?」

「カルロスを皇帝に仕立て上げたのは、私さ。奴とは奴が皇族と言うだけの田舎貴族だった頃からの仲だ」

「タカアキ殿、この男はこれでもアウストロ一門に属するのです」


 ゲランがジェンチェンを指して言う。


「属していた、が正確だ。放蕩が過ぎてアウストロ一門から叩き出されてしまった。それでカルロスの所に転がり込んでいた訳だ。

 ジェンチェンと言う姓は、アウストロを名乗れなくなったときに自分で好きに付けたのだ」

「なるほど。それで竜胆(ジェンチェン)と言う変わった姓なのですか。ところで、カルロス陛下を皇帝に仕立て上げたとは?」

「そのままの意味だ。このままでは逆賊になると狼狽えている実家は、何とか皇帝を別に立てて逆賊を回避しようとしていた。が、そんな情況で手を挙げる者は居ない」

「そうでしょうな」

「そこで私がカルロスを焚き付けたのだ。傀儡だろうと何であろうと、皇帝にさえなってしまえばこちらのもの。いずれアウストロを叩き出して実権を握る謀もできる。だが帝位を他の誰かに取られれば、二度と機会は無いとな」


 チャベスが信頼できるとして会わせようとした理由が良く解った。この二人もまた、皇帝への忠義は建前で、皇帝を擁している事や、アウストロ一門までも利用して、成り上がろうと野望を燃やしているのだ。

 そして皇帝カルロス自身も、まず皇帝になり、それを利用してのし上がろうとしている。南朝の非アウストロ派の共通項は、身分門閥を破壊してのし上がる事なのだ。皇帝自身さえも。


「本来ならば、もう一人会わせたい方が居るのですが、あいにく彼はしばらく帰らぬ。残念な事だ」


 チャベスが心底から残念そうに言う。


「彼はまさしく席の温まる暇も無いからな、向こうから会いに来ぬ限り会う事は出来まいよ」


 ゲランは笑っている。口ぶりからして、その彼と言うのは若い男のようだ。気にはなるが、会えぬ者は会えぬと諦めて、この思いがけぬ機会を利用しない手は無い。


「ゲラン殿、ジェンチェン殿、初めてお会いしたのに厚かましいですが、一つ頼みを聞き入れてもらえぬでしょうか?」

「ふむ。私らでよければ、とりあえず聞くだけ聞こう」

「陛下に上奏をいたしたいのです。一つ朝議に掛けていただきたい案件がございまして、事前に陛下に上奏して理解をいただければと」

「その位なら容易いだろう。上奏文は全て自ら読まれるお方だからな。ただし受け入れられるかは別であるぞ。朝議に掛けるとなれば、右丞相などが首を縦に振らぬ事には通らぬだろうし」

「あの人はお堅いからな。儂などは顔を合わせているだけで息が詰まるわ」

「右丞相の方は、こちらでどうにかいたしますで、お気遣い無く」

「そう申すならばよかろう。上奏文が出来たら私の屋敷に届けよ。すぐに上げておこう。屋敷の場所は解るか?」

「はい、把握しております。上奏文と共に、改めてご挨拶に向かいます」


 これで懸念の一つに解消の目途がついた。仮にも相手は皇帝である以上、鶴の一声でひっくり返されない様に、こちら側に引き込んでおく必要は絶対にある。

 そのためには事前に上奏と言う形で説得しておく必要があるのだが、最も手っ取り早い尚書を経由しての上奏は避けたかった。

 はっきりした理由は無いが、尚書のユエションとは距離を置いた方がいいと本能が告げている。麻薬の密売に手を出している以上の何かがあるかもしれない。

 そこは清濁併せ呑むとしても、上奏ルートが二本できたと言うのは都合が良い。上奏の内容や政治情況によって使い分けられる。

 その必要がある様な事態になるかと言えば、可能性は低いだろう。しかし、狡兎三窟と言う、保険はあるに越した事はない。

 それに、南朝にも意外な所に優れた人物達が居るという事が解った。それを知れた事こそが、最大の収穫かもしれない。そう高星は腹の内で笑った。

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