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第3節4日。臨都に朱耶克用の一行が到着した。事前に早馬で連絡を受けていた高星が城外で出迎え、馬を並べて入城した。
「よく来てくれた。長旅大変だったろう」
「大変なんてものでは無かったぞ。高星、お前はいつ出立して、何日掛かった?」
「年明けすぐに発って、海路陸路合わせて三十日程だな」
「こっちは昨年中に出て、海路だけで五十日は掛かった。東方航路で大回りしたとはいえ、船乗りの実力に格段の差がある事を思い知らされた」
「一朝一夕でうちの船乗りに追いつかれてたまるものか。それと、ここでは言葉遣いに気を付けた方が良い。都以上にめんどくさそうだ」
「そうか。気を付ける事にするよ、タカアキ殿」
「ノギ殿の姿が見えないが、留守か?」
「ああ、ミツツナに任せておけば、留守は安心だ。サイフクやマサツグは連れて来たところで役に立たないだろうし」
「この後、謁見だろう? 何か聞きたい事が有れば、力になれるかもしれんが?」
「無用だ。シュヤ家は親父の代から帝国の重鎮だぞ。朝廷がどういう所かは、アンドウ家よりも詳しいつもりだ。なめるな」
「そうだったな。では一つだけ、皇帝カルロスは、飾り物の皇帝で満足する気は無い様だ」
「そうか。覚えておこう。一段落ついたら、ゆっくり情況を聞かせてくれ」
「待っている。ではな」
◇
克用が謁見だ挨拶回りだと忙しい間、高星はそれとなく高官の屋敷を見張らせて、克用訪問の反応を確かめさせた。
用事も無く屋敷の中に入る事は出来ないが、克用に対する態度は高星へのそれよりも大分マシであるようだった。朱耶家は民族で分けるならば安東家と同じ異民族扱いではあるが、帝国建設の功臣の家であるのが効いている。
もっとも、アウストロ一門に属する貴族の対応はやや冷たいものであったようだ。アウストロ一門は自身の権勢を脅かす存在となる事を恐れて、克用の父・昌国君の代から朱耶家への警戒は厳しい。
しかしそうであれば、アウストロの傀儡から脱しつつある皇帝カルロスは、かなり好意的に朱耶家を見ていると見て間違いないだろう。霊帝の右腕としての昌国君を思い、克用を自身の右腕にと考えているかもしれない。
「俺は誰かの手足になる気なんて、欠片も無いがね」
高星の読みを聞くと、克用は即座にそう答えた。
「まあ、お前が人の風下に立つ男ではないというのは、一目会ったときから感じている。だが中途半端な逆賊にだけはならんでくれよ」
「筋金入りの逆賊朝敵の安東家の当主、それも父親殺しの梟雄が言うと違うねえ」
「わざと言ってるだろう、お前」
「それは置いといて、本題に入る前に小用を済ませておこうか」
「置いておくな。いや、そんな話題をいつまでも続けても仕方ないのだが。まあいい。小用とは?」
「五百の兵をお前に貸そう。これで失った分はだいぶ穴埋めできるのではないか?」
「……感謝する、盟友よ」
高星が神妙な面持ちで、深々と頭を下げた。
「よしてくれ、別に善意でしている訳じゃない。コルネリウス家がお前の所にかかりきりになってくれれば、俺は変州南部を楽に併呑できる。そのためにある程度の負担を担うのは、十分割に合う戦略だというだけの事だ」
「解っている。それでも助けてもらえるという事は、心底ありがたい」
「いつか、利子をたっぷりつけて返してもらうからな」
「利子は、私がコルネリウス家の目を引いているうちに好き放題できる事だ。五百の兵でまたとない大きな機会が得られるのだから、十分な利子だろう」
克用が舌打ちをした。
「おいお前、今本気で舌打ちしただろう」
「いやいや冗談だ。冗談だって」
「どうだか。油断も隙も無い盟友殿だ、全く」
「ところで、この辺りの情勢は今どうなっている? 五十日も海の上に居たから、最新情報に疎くなってな。知っている限り教えてくれないか」
「構わぬが、私もこの辺りまで来ると詳しい事は知りえないぞ」
「概要が解ればそれでいい」
「そうだな……何と言っても今一番熱い話題は、炎州の反乱だな」
「農民が一揆を起こしていると聞いたが」
「それが在地の領主を血祭りにあげて、自治を行うほどに勢いがあるらしい。それと、指導者は宗教者だそうだ。清浄派とか言ったか」
「宗教絡みか。それは面倒そうだな」
克用が眉を寄せた。いつだって宗教が絡むと問題はややこしくなる。
「どんな教えを説いているのかは詳しく知らんが、法王庁も清浄派は認められないと言う立場らしい。はっきりと異端認定はしていないがな」
「どんな事を説いているんだろうな?」
「来世死後の救済を約束しているそうだ。それが困窮した農民の支持を集めているらしい」
「なるほど。生きてても地獄でやけくそで立とうと言う時に、信仰のために戦えば死後の救済は約束されると言われて、それなら死ぬのも怖くないと勢いづいた訳か」
「宗教よりもむしろ、絶望しきるまで下層民を追いこんだ政治の不味さが引き起こした反乱だな。
しかし高みから批評もしていられない。ただでさえ火薬庫みたいな中央で、松明を持って走り回られる様なものだ。いつどこに飛び火するか解らん。
相手が熱狂だけで突き進んでいる民衆だけになおさらだ。どっちへ行くか解らん」
「各地の勢力は、反乱にどう対処しているんだ?」
「南朝は何も。今のところは接点が無いからな。北朝はようやく統一された征討軍の編成が始まったらしい」
「法王庁は?」
「形の上では厳しく非難する声明を出しているのだが、私が見た印象では内心では穏便に済ませたいと思っている気がする。公表された声明文がいまいち煮え切らん。
最近は反乱を指導している宗教者に、宗教者規定違反だとして出頭を命じたそうだが、あくまでよく話し合おうと言う態度のようだ」
「弱腰……いや、違うな。ただの弱腰では無くて、強硬な手段に出るのはまずいのか」
「おそらくな。ここで下手に清浄派の指導者を異端として裁けば、殉教者として更に信仰される恐れがある。そうなると反乱は皆殺しにするまで収まらなくなると見ての慎重策なのだろう」
「つくづく宗教が関わると碌な事がねえな」
「宗教統一が為されていない、信じる神の違いで戦争をしていた時代よりはましだろう」
「世界中の宗教を統一しようと考えて、それをやってのけた初代の法王は、間違いなく頭がぶっ飛んでるぜ。良い意味でな」
「私達がやろうとしている事も大差無いと思うがな。今、まとまった事を話せる話題はそれだけだ」
「まとまっていない話題ならあるのか?」
「南朝の大将軍でもあるウンベルト第一皇子の姿が見えないとか、コー右丞相のまだ若いと言うより幼い息子が麒麟児だとか、そんなところだ」
「結構重要そうな事じゃねーか」
「だが今のところ何も情報は無い。本題でもないし、後回しだ」
「あんまり本題と関係の無い事を気にしている余裕も無いか」
「さて、本題に入るとするか。俺は何をすればいいんだ?」
「下級貴族への根回しはすでに進めている。お前は高官を中心に攻めてくれ」
「お前では碌に会ってもくれない連中を、代わりに俺が口説き落とせばいいんだな?」
「そうなんだが、お前もうちょっと歯に衣着せろよ」
「どうせ貴族連中の相手をしていたら、歯痒い思いをするのは目に見えているからな。今のうちに言いたいだけ言っておくのさ」
「言いたい放題言われる方の身にもなれ」
「このまま街を見物して帰ろうか」
「足元を見ている気か? うちが破産したら、お前は孤立してお終いだぞ。協力してくれずにうちが潰れれば、お前も道連れだ」
「そんな後ろ向きな脅迫は、初めて見たぞ」
克用が呆れ顔になる。対して高星は、一本取り返してやったと言わんばかりだ。
「解った、高官を説き伏せて行けばいいんだな。まあ、どうにかなるだろう」
「それに関してだが、ダマスス内務卿を狙ってくれ」
「要人なのか?」
「南朝政府は今のところ、コー右丞相―ダマスス内務卿のルートを中心に動いているようだ。最終目標は右丞相の賛同を得る事だ」
「それなら初めから本丸を攻めればよくないか?」
「いくらお前が私より格上の平東将軍位を持っていると言っても、三公にそう易々と面会して話し合いの場を持てる訳も無かろう。
右丞相は高名な学者であるが、それだけに身分や官位の上下に基づく秩序というものにうるさい方だそうだ。格下が紹介も無く頻繁に会いに行くと、不興を買いかねん」
「なんだ、大学者と聞いていたが、結局理屈倒れかよ」
「そう言うな。それがアウストロ一門と言うだけで高位高官に就ける事を批判して、流刑にまでなった原因でもある。ならぬものはならぬ、というお人のようだ」
貴族達の話を総合すると、大体その様な人物像が見えてくる。
「まあ、どのみち他の高官も取り込んでおく必要はあるか。ところで、そうやって多数派工作をしておいて、お前は何を要求するつもりだ?」
「そうだな、お前には教えておかねばならんな。工作をするにしても、意思の統一はしておく必要があるしな。
ある権利を要求するつもりでいるのだが……耳を貸せ」
高星は克用に耳打ちをした。それを聞いた克用が、目を見開く。
「お前のそう言う発想だけは勝てないと思うぜ。しかし、いくら多数派工作をしたところで、そんなものが通るのか?」
「通るだろう。今の南朝政府には、目先の事しか考えていない奴か、先を考えてもせいぜい来年の事を考える程度しかできない連中が大半だ。あとはコー右丞相を説得できれば、障害は何も無いはずだ」
「本当だろうな?」
「一足早く根回しを始めてみて得た感触としては、間違いない」
「解った。しかし、その権利を得たとしても、すぐに何か利益が有る訳ではないと思うが」
「無いだろうな。すぐにどうこうできると言うものではない」
「俺はてっきり例の悪貨に対抗できる手段があるのかと思っていたが」
高星が力無く首を横に振る。
「酷い新金貨の発行に対抗する手段はない。当面は、自前で何とか対策を取るしかないだろう」
「それでも、その権利をこのどさくさに紛れて手に入れる価値はあるんだな?」
「ある。所領の経済を守り、場合によっては武器となり、そして何より我らの目指す新国家の建設に絶対不可欠なものだ。それを誰からも非難される恐れ無く、堂々と手に入れられる」
「火事場泥棒だけどな」
「お前、ここで茶々を入れるか」
「何分性分なもんでな」
克用が悪びれた様子も無く笑った。




