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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
工作
146/366

1

 皇帝カルロスへの謁見を済ませ、高位貴族を中心に挨拶回りも済ませた高星(たかあき)一行は、いよいよ本格的な工作活動に乗り出し始めた。


「それで、何から手を付けましょうか、棟梁」

「お前ならどうする? ジャン」

「ええと、目的がこちらの要求を朝廷に飲ませる事だから、朝廷で影響力の強い貴族を狙って説き伏せる。ですかね」

「ま、そうなのだが、我らの立場では事はそう簡単には運ばない。まず説き伏せる前に接触する事も容易では無い訳だ。そこから手を付けていくしかない。

 まあ、手は打ったと言えば打ってあるのだし、まずは方々回って反応を確かめるとしよう。戦で言う、威力偵察だ。少し叩いて反応を見る。手分けして、臨都中の貴族に面会を申し込むぞ」

「嫌な思いをしそうですね」

「怒りを抑えられそうになかったら、休んでいてもいい。特にこういう事が苦手そうな奴らも、何人かいる事だしな」

「それでも無理して行きそうなのも居ますしね。ところで、結局棟梁は朝廷にどういう要求を飲ませるつもりなんですか?」

「お前にはまだ秘密だ」

「という事は、教えた人も居ると。エステルさん?」

「今のところはな。さあ、時間が惜しい。すぐに取り掛かるぞ。時は金なり、だ」


 高星とその配下六十人のうち、五十人ほどが臨都の貴族の屋敷に散っていった。

 すでに贈り物は贈っているので、ほぼ手ぶらでの訪問である。贈り物を持って行ったときは丁重に迎えたのに、手ぶらと解るや門前払いを食らわせる者も少なくは無かった。

 その他にも言を左右にして面会を拒否する者、面会はしたものの関わり合いはなるべく避けたいと匂わせる者などは、枚挙に(いとま)が無かった。

 その度に奥歯を噛みしめる様な思いに耐えねばならず、使いの者に過ぎないと知るや、容赦無く水を浴びせかけて追い払う者まで居る始末だった。

 一通りの訪問を終えてホテルに戻る頃には、誰もが野良犬同然の扱いを受けた事に、憤懣(ふんまん)遣る方無いという様子がありありと見てとれた。


「皆、苦労を掛けるな」


 労いの言葉を掛ける高星には、怒りよりもむしろ、切なさに近い悲しみの様なものがこもっていた。


「だが皆の苦労は無駄では無いぞ。今日はもういいから、休んで好きにしてくれ」


 今回の旅では、高星は配下の者達が自由に使える滞在費を、通常よりも多く与えていた。辛い思いをする事は避けられないであろう任務において、せめて憂さを晴らす金くらいは奮発してやりたかった。

 だが憂さを晴らす事など考えず、任務に励む者も居る。


「それで、何か収穫はあったのだろうな?」


 他の者が散ったのを見計らって、エステルが言う。尋ねるというより、高星がすでに何かを得ていると確信したうえでの反語に近い。


「とりあえず、当面の課題は見えたかな。一つは解り切っていた事だが、異民族である我らへの蔑視」

「それにやや重なり合う形で、身分の差だな」

「手ぶらで訪問して会ってもらえるのは、九卿の更に下の次官級までと言ったところかな。

 まあ、これに関してはじきに解決するとして。新通貨に関わる件だとほのめかしたら、皇帝ロベールに対して遠慮を見せる様子があった」

「ロベール・ユグノー公爵を共同皇帝として引き込む事で、北朝に対抗できる勢力をやっと築いた手前、皇帝ロベール抜きで話を進める事には抵抗が有る訳か」

「まあ、半分は言い訳で、要は事なかれ主義なのだがな。そしてその事なかれ主義が全体に蔓延している。この情況を変えるには、まずはこの全体の空気を換える必要があるだろう」

「となれば、下級貴族から多くの支持を集めればいいな。そして単独で政治に大きな影響力を持てない下級貴族は、利益と時流で動く」

「流石、良く解っているな。利をちらつかせて支持を集め、自分達が多数派だと思わせればいい。いや、実際に多数派工作をするのだから、錯覚させるのは最初だけだな」

「金はある。賄賂をばら撒くのか?」

「いや、ただ金を撒くよりも、後々まで有効なやり方をしようと思う。まあ、金を撒く事には変わりない。どこにどれだけ撒けば有効か、見積もりを頼めるか?」

「お安い御用だ。今回は久々に、活躍の場があるという気がするな」

「いつだってお前は私の傍で活躍しているだろう」

「それはそうだが、事務処理の様な裏方ではなく、表立って重要な仕事は久々と言う気がする」

「まあ、お前が満足ならそれでいいがな。貴族への工作など、陰険でお前は好かないと思っていたが」

「好いてはいない。だが否応なく身につけた技能が、役に立つならそれはそれで十分満足だ。高星の役に立つならな」

「そうか。ま、用意の方はよろしく頼む。営業は私の方が向いているだろうからな」


     ◇


 翌日から高星の戦略は、外堀から埋めていく、と言えるものになった。下級貴族の屋敷を数多く回って、彼らの好意を獲得していく。

 人の好意を得るのに最も良い方法は、困っている所に手を差し伸べてやる事だ。そして下級貴族の大部分は、同じ悩みを抱えていた。

 内乱に敗れて都落ちした貴族には、金が無いのだ。しかし金が無いからと言ってあまり情けない姿を見せれば、貴族としての沽券に関わる。単にみっともないというだけではなく、出世昇進に響くのだ。

 それに昨日まで贅沢な暮らしをしていたものが、金が無くなったからと言って急に節約できるものでもない。節約の仕方も分からず、ただどうにかしろと周囲の者に怒鳴り散らすのがせいぜいだ。

 それも元々の財産が多い大貴族よりも、中小貴族の方がより深刻に金に困っていた。

 だから高星は、安東家名義で困窮した貴族に金を貸し付けたのである。金額は一人当たり、40アウレ50アウレと言った規模。それほどの大金という訳ではない。庶民なら一家がまあなんとか一年は暮らせるだろうという金額である。

 つまり、その程度の金をありがたがるほどに困窮しているという事である。小さな恩恵でも、困っている時に与えれば大きく感謝される。

 また高星は、貸し方にも一工夫を加えた。まず利子を年利二割に設定した。これは一般的な債権と比べて低めであり、貴族達に喜ばれた。しかし重要なのは利子ではない。

 債権の返済期限を定めなかったのだ。つまり、いつでも返せるときに返してくれればそれで構わないとした。

 この一項は、金を借りて当座の息継ぎはできたものの、返済できる当ての見えない貴族達を大いに喜ばせた。しかし、高星は決して好意を得るためだけに、この様な契約で金を貸し付けた訳ではない。


「ジャン、返済期限の定めが無い債券の恐ろしさが解るか?」


 高星が証文の束を弾きながら問う。口元がニヤついていた。


「恥ずかしながら、勉強不足でよくは解りません。ただ返済期限が無いという事は、永遠に利子が付くという事ですか?」

「それもある。それもまた恐ろしい所の一つだ。しかし期限のある債権でも、期日までに返済できなかったときは、超過分に利子を付ける事が出来る」

「なら返済期限の無い債券は、期限付きの債権と比べて、どこが恐ろしいんですか?」


 高星が歯をのぞかせて笑った。


「返済期限が無い。それ自体が最も恐ろしいのだ。解るか?」

「と、言われても」

「まあ、貸し付けたほとんどの貴族も解っていないだろうな。返済期限が無いという事は、永遠に首根っこを押さえているという事だ。

 返済期限の無い債券は、債権者が返済を要求した時に払わなくてはならない。正確には、要求してから三十日以内だな。債務者が払えようと払えなかろうとだ。

 ある日突然借金を返せと言われて、払えなければ財産を差し押さえる。それがどれほど恐ろしいかくらいは想像がつくだろう? 特に、払う当ての無い、金の無い相手にはな」

「確かに恐ろしいですけど、首根っこを押さえるというのは?」

「返済を要求して、払えないと相手が絶望する。そこに返済を待ってやってもいいが、代わりに要求を飲んでくれと持ちかけるのさ。朝廷での法案への賛成、とかな。

 あと単純に、債権と言うものは売れるから、お前の債権を敵対派閥の貴族にただ同然で売ってしまおうかと脅す手もあるな。

 そしてこれらの手口の元になる債権は、返済されない限り永久に法的効力を持つ。まあ、踏み倒されないとは限らないが、その時は公証人の名の下に踏み倒しを公表すれば、社会的信用が無くなって終わりだな」

「金の無い相手に金を貸して、借金を盾に言いなりにするという訳ですか」

「何も悪い事はしとらんさ。違法行為は一つも無い」

「合法でも無いでしょう」

「何とでも言え。いくらわめき立て、非難されたところで、どうしようもないのだからな。ただ虚しく騒いでいるだけだ」

「あくどいですねぇ」

「こんなのは可愛いものさ。朝廷の上に居る連中は、もっとえげつない策謀を巡らしているようだ。まあ、関わり合いにはならない事だ」

「関わり合いにはならなくても、情報収集は怠っていないのでしょう? せっかく貴族の屋敷に出入りしたんですから、情報もついでに集めているんじゃないですか?」

「ほう、お前もなかなか解って来たじゃないか」


 ジャンの言う通り、高星は下級貴族の好意を得ながら、その実首根っこを押さえていく一方で、詳しいとは言えない南朝上層部についての情報も集めていた。

 ただ今のところ、重要な情報は無い。最高位の左丞相に在るのがアウストロ一門の現総帥、グレゴリウス・アウストロ・ヴァロだが、帝都内乱で死亡した兄の後任としてその座に就いただけで、実際の影響力は無いに等しい。

 実際に政務を執っているのが右丞相のコー・バウファンで、その下に内務卿のダマスス・アウストロ・ノアが居るというのが今の南朝の主軸らしい。謁見の場で高星に対して、朱州の穀物を買わないかと持ちかけてきた男が内務卿の様だ。

 別に名前を覚えておくほどの事も無い相手ばかりだが、基本的な勢力図は見えて来た。

 大学者と名高い右丞相のコーと、アウストロ一門の良識派が政務を執り、アウストロのその他がそれにぶら下がる。勢力の端に、皇帝カルロス直属と言える勢力がある。そう言う構図だ。

 やはり要となるのは右丞相のコー・バウファンか。彼を落とせば半分以上決まったも同然であるし、逆に落とせなければ要求を通すのは難しいだろう。

 とりあえず今は、根回しに専念して下級貴族の支持を得る。そうして要求を上げた時に、賛成多数の雰囲気を作る事が第一だ。あわよくば高位の貴族への伝手も掴みたい。


「それと、皇帝カルロスだな」


 我の強そうな皇帝。それをどう利用できるかを頭の隅で考えながら、高星は次の貴族の屋敷へと向かった。

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