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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
上洛
143/366

3・旅路Ⅰ

 良い風だった。北風だが、真冬の最中にしては穏やかな方で、港へ入港するには最適だろう。


「長い船旅でしたな」

「仮にも子爵家の当主という事なので、あまり軽快な旅という訳にもいきません」


 ロウの言葉に高星(たかあき)が笑って答えた。

 年が明けるや早々に、高星は二百トン級軍船二隻に、随伴の百トン級軍船三隻の艦隊を率い、帝都に戻るロウも乗せて北方航路を南下した。

 そして15日間の船旅の末に、ガルツ港を目前にしている。

 ガルツ港は帝都の外港、北方航路と西方航路の交差する世界有数の大港である。上陸すればそこはもう、帝国の本国と言っても良い神州(しんしゅう)である。


「向こうの左手に見える辺りが、オウ河の河口ですね。右手側には、城がありますね」

「ジャン、お前はここから密航したんじゃないのか?」

「多分そうだと思いますけど、逃亡中に地理をよく見る余裕なんてありませんから、初めて見るようなもんです」

「それもそうか。なら教えてやろう。あの大河・オウ河を挟んで北が玄州(げんしゅう)、南が陽州(ようしゅう)。ガルツ港は丁度三州の境界に位置している都市になる訳だ」

「河口からは少し離れているようですが」

「こちらの湾の方が天然の良港なのと、河口は土砂が堆積して港が埋まってしまうからな。あれだけの大河ともなると、土砂の量も尋常ではないのだろう」


 オウ河は河とは言うが、河口部の川幅は20㎞にも及び、海と見紛うばかりの大河である。水量も多く、二百トン級の船が中流域まで遡上できる。


「で、右手側の城がガルツ城。見ての通り突き出した岬の、小高い丘の上に築かれた城で、市内を睥睨する堅城だ」


 ガルツ城は海の上からも灯台の様によく見える、優美な城だった。しかし近づいてみると、海に面した部分は断崖絶壁で、100mに少し足りないほどの高さはありそうだった。

 攻め込むとしたら正面からしかないであろうが、岬であるが故に道も狭いようで、少なくとも大軍が一度に攻めかかる事は不可能だという事は、はっきりと解った。

 しかも市内を見下ろす位置にあるので、たとえ市内を占領しても行動が筒抜けになるだろう。


「あの城は攻めたくないなぁ……」

「神州の北の境界を守る拠点だからな。堅牢なのは当然だろう」


 高星とジャンが話し込んでいる間に、櫂や曳船(タグボート)で入港した安東家の艦隊は、錨を下ろし、舫い綱を結んだ。二百トン級の船ですら接岸できるあたり、流石帝都の外港である。


「さて安東様、私はここで失礼させていただきます」


 船を降りるや否や、ロウが別れの挨拶を告げる。


「つれないですな。何か急ぎのご用でも?」

「商人とて人の子、娘の顔が早く見たいもので」

「娘さんがいらしたのか」

「もうすぐ四歳になります。安東様もご子息は大事にされる事をお勧めいたします」


 苦笑いするしかなかった。高星が生まれて間もない息子をほっぽり出してここまで来ているのは、ロウのもたらした情報が原因だというのに。


「今度、おもちゃでも贈らせましょう」

「痛み入ります」


 高星は精一杯皮肉な笑みを浮かべて言ったが、ロウは微笑んで受け流した。

 ロウと別れた一行は、ガルツにある安東家の商館に入った。交易の要であるから、かなり大きな商館を置いている。

 ガルツには船旅の疲れを癒す休息と、陸路を行く準備を兼ねて一日滞在する。準備と言っても商館の者が馬や食料の用意をしてくれるので、個人としてはほとんどする事は無い。

 ジャンも商館の食堂で、もてなしとして出されたリンゴを食べながら休んでいた。リンゴの果汁が、久しく新鮮な野菜や果物を食べていなかった体に染みわたる様だ。


「私にもくれないか」


 イスカがジャンの向かいに座った。ジャンは切ったリンゴの載った皿をイスカの方へ押しやる。


「君は街見物に出る方が好みだと思っていたが、今日は大人しいんだな」


 イスカがリンゴの一切れを半分食べる。


「足がな、ふらついて歩けないんだ」


 長時間揺れる船の上で過ごすと、揺れない地面の上に立った時に足がもつれたり、転んだりする事がある。


「なるほど」


 イスカが残り半分のリンゴを頬張った。


「イスカも帝都の出だっけ?」

「まあ、間違ってはいない。人目を避けて生きて来たから、地理に詳しい訳じゃないけど」

「俺も似た様なもんだ」

「君も帝都の出身か?」

「さあ、生まれはもう解らん。飼われていたのが西方に勢力を張る組織だから、もっと西で仕事をする事が多かったと思うが、帝都で仕事をする事も多かった。

 スリなんかは、人が多くて金のある帝都の方がやりやすかったからな」

「あまり良い思い出が無いのはお互い様か」

「昔の事だ。今の俺は、棟梁の従卒だ」

「そうだな。私も今は、棟梁様の護衛だ。エステルさんに少しは楽をさせないとな」

「難しいだろうな。棟梁、船の上でずっと商人のロウさんと話し込んでいたぜ。またなんか仕事を増やす気だよ。それに引きずられて、エステルさんの事務仕事がまた増える」

「だからこそ、代われるところは代わってあげないと」

「そうだな。国で昼寝してる奴も居るんだから、俺達がしっかりしないと」

紅夜叉(べにやしゃ)の奴はともかく、(みさお)ちゃんも来ればよかったのに。遊びに来ている訳じゃないけど、あの二人は本当に都を知らないはずだろう?」

「多分な。でもまあ、操ちゃん本人が紅夜叉の奴と一緒に留守番していると決めたんだから、しょうがないだろう」

「釈然としないが、私達がどうしろと言える事じゃないか」


 イスカが頬杖を突く。ジャンは皿に手を伸ばしたが、もうリンゴは残っていなかった。いつの間にか、結構イスカに食べられている。


「よお、ジャンじゃないか! こんな所に居たのか!」


 聞くだけで疲れそうな、やたら威勢の良い声が食堂に響いた。


陶明(とうめい)か。お前はいつも元気だなぁ」

「二十四時間ぶっ通しで戦ができるぞ!」

「褒めたんじゃねーよ。呆れてんだよ」

「ところでそっちのお嬢さんは誰だ?」


 突然、お嬢さんなどと言う慣れない呼ばれ方をしたイスカが固まる。


「あー、初対面だっけ? こいつは俺と同じ親衛隊のイスカ。イスカ、こいつは海軍の陶明。見たまんまの馬鹿」

「よろしく!」

「よ、よろしく」


 陶明が差し出した手をイスカがぎこちなく握り、陶明が握手した手を大きく上下に振る。


「そうだ聞いてくれよ。俺今度、陸の戦に出られそうなんだぜ」

「嬉しそうに言うな。それ前の戦で大損害を出した穴埋めに、海軍から兵力を引っ張ってくる奴だろう」

「嬉しそうにするなと言われてもな、いくらお通夜ムードになったって死んだ奴が戻ってくる訳じゃない。

 手柄を立てられる機会が増えたのを喜ぶ兵の方が、士気が高くていいだろう?」


「馬鹿の癖に、妙に正論を言うな」

「そうだろう? 馬鹿を馬鹿にすんなよ」

「馬鹿を否定しろ、馬鹿!」


 ジャンが額に手を当ててため息を吐く。


「まあ、武術の腕に関しては俺よりずっと上だから、棟梁の護衛としては頼もしいのかな?」

「強いのか、彼は」

「イスカほどじゃないさ」

「なにー! 彼女はそんなに強いのか! ぜひ一度勝負してくれ!」

「時と場所を考えろ! 帰ってからにしろ!」


 この調子で体が持つのだろうかと、ジャンは一抹の不安を覚えた。


     ◇


 八十人ほどの安東家の一行がガルツを出発し、まずは帝都へと向かった。艦隊の容量ならばこの倍ほどの人員を連れて来る事が出来たが、戦をしに来た訳ではない。

 それに、全員が南朝の拠点まで行く訳では無く、帝都で仕事をするために向かう人員が二十人ほど含まれている。


「ここから先は、言葉遣いも気を付けなくてはならんぞ」

「言葉遣い?」


 高星の注意に、ジャンやイスカなど一部の者は困惑した。


「うっかり北方訛りを出せば、即座に軽蔑の視線を向けられるからな」


 変州(へんしゅう)の人間は、人間以下の者として蔑まれた民。普段それを意識する事がなかったのは、差別される側の住む土地に居るからだ。だがここは、差別する側の本拠とも言える神州だ。ジャンははっとし、イスカは顔を曇らせた。


「まあ、慣れてはいるのだがな。残念な事に。進発!」


 敵地にも等しい土地でなお、それとも敵地だからこそか、安東家の行列は胸を張り、堂々とした行進を始めた。

 神州の北東、ガルツの港町はキワダ地域と呼ばれる地域に含まれる。農工商全てにおいて豊かな先進地域で、現在北朝の実権を握っている、ペルティナクス大公の本国でもある。

 この土地の名所は、何と言っても世界最大の淡水湖であるブラチ湖である。ブラチ湖の豊富な淡水と、湖上の水運がキワダ地域の富の源泉と言っても過言ではない。

 ガルツから帝都に向かう道は、大きく分けて湖の北を通る湖北道と、南を通る湖南道の二本である。安東家の一行はより街道の整備された湖南道を進み、ブラチ湖北東岸の街・コキに至った。


「この街は、どこもかしこも鍛冶屋だらけですね」

「コキ派と呼ばれる鍛冶師達の腕前は有名だ。実用的で、なおかつ洗練されている。機能美に溢れた作品を作る事で有名な、武官系の上流貴族御用達の鍛冶師達だ」

「棟梁、あそこの鍛冶屋で立てかけてあるのって、鉄砲じゃないですか?」


 ジャンが指差す先には、なるほど作りかけの鉄砲らしい筒が、何本も壁に立てかけてある。


「驚いたな、量産をしているのか」

「棟梁でも知らない事があるんですね」

「情報収集は怠っていないが、本国から遠い異国だ、知らない事も多い。だから楽しい。家督を継いでからは気軽に来れなくなってしまったが、昔は結構来ていたものだ」


 そしてその分、絶望や屈辱も味わった。人目を憚る必要が無ければ、そう言葉を続けたのだろうと思った。

 ブラチ湖の東岸に沿って南下した一行は、ブラチ湖の南端に至った。ブラチ湖の水はここから流れ出し、川となって海まで続いている。

 ここには帝都の東口と言われるシガ大橋が架かっている。ブラチ湖南端を渡るこの橋は、全長4㎞、幅30mの総石造りという途方も無い巨大橋であり、帝国の国力の象徴でもある。


「この橋だけはなんとなく印象があるな。むしろ一度見たら忘れられないか」


 橋の上は多くの人々が行き交い、屋台やプレハブ小屋の商店までもが並んでいる。ぼんやりしていると、ここが橋の上だと気付かずに通り過ぎてしまいそうだ。


「橋の上だというのに、こんなに店が出ているんだな」


 イスカが不思議そうに言う。確かにいくら人通りが多くても、わざわざ橋の上で店を開く必要があるだろうか。屋台はまだしも、簡素とは言え店と言える物を建ててしまっている店もある。


「橋の上だからこそなのだよ」


 エステルが、徒歩のイスカに少し馬を寄せる。


「橋の上や、河原の(れき)地。要はきちんとした地面の上でない所は、税金がかからないのだ。だから不法店舗が多く、追い払っても取り締まってもすぐにまた集まってくるので、黙認されているんだ」

「一応、違法なんだ……」

「文字に記された決まり通りにいかないのが、世の中と言うものだ。

 この橋を渡るとシガの街。古代は都の有った地だ。今はむしろ、ラテラーノ大聖堂の門前町だな」

「……寺院か」

「あまり、良い印象は無い様だな。大体予想は付くが」

「エステルさんも?」

「君よりは大分マシだろうが、監視に近い視線で見られていた」

「寺院は姉様と友達の仇だ。敵討ちをしようと言う気は無いけれど」

「今は昔より大分マシになったと聞く。それに、権力争いでそれどころではないだろうしな」

「権力争い?」

「各地の歴史ある寺院が力を持っていて、総本山である法王庁の命令に従わない事も多いそうだ。あの山の上にあるカッシーノ寺院などは、法王庁ともラテラーノ大聖堂とも対立している」


 シガ大橋を越えて東に進む一行の右手には、霊山カッシーノ山がそびえている。単に宗教的な聖地と言うだけでは無く、帝都に続く道を見下ろす要害であり、帝都東方の最後の防衛拠点と言って良い。

 そんな重要な寺院であるから、歴史的に権力と近く、対立と妥協を繰り返し、時に政治に大きな影響を持ったり、逆に徹底的に排除されたりしながら、総じて政治の世界に最も近い寺院として存在感を放っている。

 もっとも、政治に影響力を振るおうとするのは、多かれ少なかれどこの寺院でも行っている。

 カッシーノ寺院はその地理と重要性で政治への介入行為が目立つというだけであり、ラテラーノ大聖堂と対立するのも、条件が近いため権力と利権の奪い合いの意味合いが強い。

 そんな堕落しきった寺院に見下ろされる麓の道を抜けると、いよいよ帝都東大門の前に出た。延々と続く大城壁に開いた、見上げる程に巨大な門を潜るとそこは、威容を誇る帝都百万都市の繁栄が咲き誇っている。


「いつ来ても凄いものだな。内乱からまだ二年だが、影響も見られない」

「高星、時間があるならば、少し個人的な用を済ませたいのだが」

「例の手紙の主に、挨拶か?」


 エステルが頷く。


「ならぜひ私も会ってみたい。迷惑ではないだろうか?」

「問題無いだろう。私が紹介する」

「では、頼もうか。皆にも少しくらい、帝都見物をする時間をやろうか」


     ◇


 帝都の一等地に建つ、品の良い(たたず)まいの邸宅が尋ね人の屋敷だった。典型的な中流貴族と言うところだろう。

 財力で言えば安東家も帝都の一等地に邸宅を構える事が出来るが、世間体を憚って準一等地とでも言うべき、少し外れた場所に居を構えている。

 そのため少しと言うにはいささか遠い距離を歩く必要があった。帝都の敷地は広い。

 エステルにとっては懐かしい、見知った道を歩いて屋敷の前に進むと、二人の門番に行く手を遮られた。


「何者か、いかなる用件で参った」

「私は元ハーカー家養女、エステリーゼだ。帝都に上る機会に恵まれたので、伯爵様にご挨拶に伺った」


 途端に門番が目を見開き、顔を見合わせた。そしてすぐに取り次ぐのでしばらく待つ様に言い、困ったような様子で椅子を用意するか、飲み物を出そうかと聞いてきた。


「いや、お気遣いは無用だ」

「そ、そうか。ではしばし待たれよ」


 見るからに狼狽えている門番の背を見ながら、エステルは苦笑していた。


「お前の扱いをどうすればいいか、困っている様だな」

「断絶した貴族の家を継ぎ損ねた元養女だからな。向こうもどう扱って良いか困っているようだ」

「お前の身分は公式にはどうなるのだろうな。貴族か? 庶民か? 貴族としても無爵位の最下級貴族だろうが」

「意味の無い事だ。今の私にはな」

「そうか。まあ身分など、一瞬で無いも同然になる程度のものだ」


 二人が話しているうちに門番が戻ってきて、門を開け丁重に頭を下げて招き入れた。どうやら貴族扱いで歓迎される様だ。

 噴水が静かに水音を立てる庭を抜け、エステルが屋敷の扉を開ける。


「エステリーゼ! 本当にエステリーゼか!」


 一歩中に入るよりも早く、隠しきれない喜びに満ちた声が響いた。


「ワイズマン伯爵! お変わりの無いようで何よりです」


 屋敷の主は歳の頃六十前と言ったところの紳士だった。多分、政治とも関わらず静かな暮らしをしているのだろう。


「変わりないだと、お前が行ってしまってから六年も経ったぞ。ティベリウスが七歳になってしまったわ」

「長く、ご心配をおかけしました」

「そうだな。だが手紙を貰って、こうしてまた会えたのだ。それだけでうれしい」


 ワイズマン伯爵は、目を潤ませている。歳の離れた親子の再会にも、見えなくはない。


「何でも言ってくれていいぞ。ハーカー家が途絶えた時は、ほとんど何もしてやれなかった」

「いえ、伯爵をはじめ、父の友人方には十分に力を尽くしていただきました。それでも駄目な時は駄目なものです。今はもう、気にしてはおりません」

「そうか、そうか。ところで、そちらの御仁は?」


 ワイズマン伯爵がこちらに顔を向けたので、高星は丁寧に礼をした。


「今の私の主君である、アンドウ子爵家の当主・タカアキだ」

「おお、貴方が。お話は聞いております」

「この度は所用のため、北蛮の地よりはるばる都へ上ってまいりました。まずはご挨拶を」

「北蛮の地などと言う必要は無い。エステリーゼが認めた御仁とあらば、こちらこそぜひにお招きしたいところです。さ、こちらへ。大したもてなしもできませぬが」

「急に押しかけたのはこちらですから、こちらこそ恐懼の極みでございます」


 大したもてなしもできないという割に、奥の部屋に案内された二人の前には、いずれも高級品とはっきり解るお茶・酒・様々な菓子などが次々と並べられた。

 同じく貴族とは言っても、辺境の領主と都に拠点を置く貴族ではこうも違うものかと、高星は思わずにはいられなかった。一方エステルは、ごく自然にもてなしを受けている。


変州(へんしゅう)出の方と話す機会はめったにありませんでな。息子と孫がちょうど留守にしていたのが悔やまれます」

「まあ、多くの者は変州の出だという事を隠したがるでしょう」

「これでも昔と比べれば大分良くなったそうです。特に霊帝の御世の間に、ずいぶん風当たりは良くなったそうです」


 霊帝の治世と言えば、言わずと知れた昌国君(しょうこくくん)鵺卿(ぬえきょう)の活躍した時代だ。共に変州出身の、いわば外様の臣を登用する事で霊帝は、それまで権勢を振るっていた外戚アウストロ一門に対抗しうる力を手に入れた。

 もっとも、アウストロ一門を排除した訳では無く、外戚では無くなってもすでに権勢を誇っていたアウストロ一門と上手く妥協する事で、安定した治世を実現したと言われている。


「まあその反動で、より差別感情を強くした者が居る事も事実ですが」


 ワイズマン伯爵が疲れた様な顔を見せる。


「少なくともあなたは違う。それで十分ですよ。今はね」


 言ってから、少し不穏当な物言いになってしまったかと思う。


「他人を低く見なければ自分の高さに自信が持てない者は、貴族としてふさわしくないと思っております。貴族は無条件に高いから貴族なのです」

「全くですな。貴族が高貴であるのは、自分自身を高貴な存在と定義するからです。他人に決められたから高貴なのではない。逆に誰に卑賤扱いされようと、己が認めなければ卑しくなど無い」

「制度としての貴族とは、何なのでしょうな。こんな男が名門貴族なのかと思った事があります。貴族にふさわしい立派な人物が、貴族から追われていくところも見た事があります」

「統治のための道具、もしくは方便。それに尽きるでしょう。制度など全てそんなものです。真に貴族であるかどうかを決めるのは、意思の高貴さでしょう」

「アンドウ殿の様な、ですかな?」

「ワイズマン伯爵様こそ」


 穏やかな笑いが響き渡る。


「古い友の娘とまた会えただけでは無く、良き若者とも会えました。できれば今夜の食事に招待したいものですが」

「残念ながら旅程の途中でして、ゆっくり招待にあずかる時間がございません。帰りも時間が取れるかは解らないのが残念です」

「そうですか。こんなご時世ですから、またいつお会いできるか解りませんが、また会いたいものです」

「こちらこそ、貴方のような方にお会いできて良かったと思います」


 奇跡と言うものは、小さなものならば意外とあるものだ。今の世に、偏見から自由でいる紳士と会う事が出来たのは、まさしくささやかな奇跡だろう。

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