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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
上洛
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2・悪貨

 ロウ・シーケイ。まだ三十代半ばと若いが一角の大商人である。この一年は安東(あんどう)家の新事業である、硝石の交易における買い付け担当として付き合いがあった。

 そのロウが年末になって突然訪ねてきた。生粋の商人であるロウが大した用も無く訪ねてくる訳はない。何か経済に関する話を持って来たに間違いはないだろう。

 そう考えた高星(たかあき)は、エステルと提督の二人を伴ってロウを引見した。


「この度は突然の訪問にもかかわらず、安東高星様にお目通りできた事を、まずはお礼申し上げます」

「いや、そう固くならず。ロウ・シーケイ殿ともあろう方が、こんな辺境までよくいらしてくださった」

「シケイでもよろしいですよ。あなた方にはそちらの方が発音しやすいでしょう」

「これは……。私の名の発音と言い、われらの訛りにずいぶんとお詳しいのですな」

「道楽の様なものです。地方によって発音やアクセントが違うと言うのは良くある事、違いの元となる各地の言語を調べるのは、半ば私の道楽でして」

「ほほう、半ば道楽ですか。なら残りの半分は、土地の者の警戒を解いて、新たな市場を開拓するための武器と言ったところですかな」


 ロウは笑顔を返しただけだった。


「それで、こんな季節にわざわざ訪ねて来られるとは、一体何の御用で?」

「まあ、そう焦らず。こちらも手ぶらで来た訳ではありません。まずはあいさつの品をいくつか受け取っていただきたい」

「まあ、ありがたく頂戴いたしましょうか」

「まずはこちらから」


 ロウが高星の執務机に、細長い箱を置いた。


「中を検めても?」

「もちろんです。お気に召すとよろしいのですが」


 高星が箱を開ける。中には筒状の物体が一本入っていた。手に取って見ると大きさの違う二本の筒を繋げてあり、伸縮するようになっている。前後にはガラスレンズが付いている。


「これは、望遠鏡か!? 数年前に発明されたばかりと聞いたが」

「ご明察の通り、望遠鏡の実品でございます。何ならお試しになってもよろしいですよ」

「では失礼する」


 高星は窓辺に寄り、望遠鏡で外の景色を眺めた。


「おお……、街を行く領民の表情まで解る。遥か沖合の船も良く見える」

「お気に召しましたか?」

「おう、これが一隻の船に一つあれば、遠くの敵を捉える事も、離れた船団と連携して、敵を挟み撃ちにする事も出来るであろう」

「ご希望とあれば、数を揃える事もできますが」


 変わらぬ笑みで言うロウに、高星は苦笑いを返す。


「それでいくら儲ける気だ? 発明されたばかりの、技術の詰まった品が、そう安い訳も無いだろう。

 素人目に見ても、これは二枚のレンズの調整が必要だ。今のところそのさじ加減を知っているのは、これを作った職人くらいだろう?

 それに、今のところ我が船団は、こんなものが無くても敵無しの状態だ」

「いやはや、これは参りましたな」


 ロウが大げさに頭に手を当てる。


「まあ、値次第では将来的に導入したいところだ。その時はぜひ頼みたい。安くな」

「頑張らせていただきましょう。ではもう一つ、こちらは少し大きい方の贈り物でございます」


 大きい方の贈り物と言ったが、ロウは服の内側から小さな布の包みを取り出して、高星に差し出した。

 中身はおそらく掌に収まる大きさのものである。紙に書いた目録と言うならば解るが、一体これは何であるのか、高星も少し首をかしげながら包みを解いた。


「鍵?」


 包みの中は、小さな鍵が一本入っていた。見たところ表面のくすんだ、ごく普通の鍵である。


「シケイ殿、これは?」

「私この街にも少々商いの拠点を置いておりまして、貸倉庫を二つばかり借りているのですよ。それはその貸倉庫の鍵です」

「はあ」


 要領を得ず、高星があいまいな返事を返す。


「お解りになりませんか? 倉庫を丸々一つ差し上げるという事です」


 高星の眉が痙攣したように動く。確かに大きい贈り物である。


「……倉庫の中には何が?」

「穀物が、米を中心にそうですな……まあ二百トンは無いでしょう。百八十トンほど、全部差し上げます」

「なっ……」


 高星は声を上げる事も忘れた。百八十トンの穀物と言えば、三百人を一年間養える量になる。いくらロウが大商人でも安い物ではない。それをただでくれると言うのである。


「いやこれは……ありがたい申し出だが、本当に受け取って良いものか」

「何も遠慮は要りません。どうぞお納めください」


 流石に動揺を隠せない高星に対して、ロウは澄ました顔で平然としている。


「何故、そこまでしていただけるのです? シケイ殿は商人でしょう。何の利益が有るので?」

「さて、強いて利益と言うのなら、安東様には以前から興味があり、この際に友誼を結ぶ事が私の利益と言えましょうか。

 もちろん、硝石の取引に関しては、これからもごひいきに願いたい」

「それは問題無い。すでに来年分の契約も交わしてあるはずだろう?」

「はい、今年の倍の量を用立てましょう。さらに増やす事も可能です」

「売る側の道の問題もあるから、それはおいおいな。

 しかし、友誼を結ぶための贈り物とは言え、これだけの物を貰って何も返礼をしないのでは、当家の沽券に関わる」

「それでしたら……実は今少し厄介な事になっておりまして、ひとつお願いをしてもよろしいでしょうか」


 来たなと高星は思った。莫大な贈り物を、ただで贈る訳がない。何らかの効果を狙って贈り物をする。それが商人だ。


「話は聞いてみましょう。お力になれるかは解りませんが」

「そうですな。安東様でも少し難しいかもしれません」


 嫌に挑発的だ。


「まずはこちらをご覧ください」


 ロウは高星の机に一枚の金貨を置いた。一般に流通しているアウレ金貨ではない。大きさはアウレ金貨とほぼ同じだが、妙に輝きがくすんでいる。高星が手に取った。


「重さはそんな気違うと言う感じはしないが、これは金の含有率はどのくらいだ?」

「1/3との事です」

「半分も無いのか。酷いな、アウレ金貨は9割以上だぞ。それでこの目方という事は、大分鉛を混ぜているな。

 一体どこのどいつだ、こんな贋金みたいな金貨を作ったのは」

「自称正統政府。南朝と言うべきですかな」

「なに!?」

「正確には南朝の共同皇帝の一人、皇帝ロベールが新たに発行しようと、今まさに鋳造させている物です。

まあ、皇帝カルロスとその周辺も黙認している様なので、南朝公認で発行予定の新通貨という事になりますな」

「馬鹿な。こんな酷い通貨に切り替えたら、貨幣価値が暴落して、物価が際限なく上がるぞ」

「でしょうな。そうなれば市場は大混乱。私の様な商人にとっては望ましくない事態です。できれば誰かにどうにかしてほしいのですが、流石に安東様でも難しいでしょうなぁ」


 言葉ほどに困った顔を見せないロウに対して、高星は渋面を浮かべている。高星がちらと提督の顔を横目で見ると、こちらも渋い顔をしていた。

 こんな悪貨をばら撒かれて市場が混乱すれば、その影響をもろにかぶるのは、北方航路貿易で巨万の富を得ている安東家である。

 海軍の維持費などはほぼ全額交易からの利益で賄っているし、陸軍の拡張、今は再建のための費用なども、交易の利が無くなったと仮定すれば、予算は半減である。

 交易事業の悪化は戦費の財源を直撃し、戦費の枯渇は軍の維持すら困難にする。その先にあるものは言うに及ばない。

 安東家にとっては文字通り死活問題である。


「南朝は、いつからこの新金貨発行の準備を進めていた?」

「遅くとも、今年の夏には準備を始めていた様です」

「なら、来年の前半には発行すると見た方が良いか。くそっ」


 正直なところ、対処療法で抵抗する以上の事は思い浮かばない。予想される物価の高騰と、それに伴う市場の混乱に対しては、手の打ち様が無い。

 防ぐ手立てとしては、明らかな悪貨である新金貨の発行を中止させる事だが、いまさら新金貨の発行を中止させる事など、できそうもない。

 アドス島の金を確保している北朝と違って、南朝はまともな鉱山を確保できていない。いずれこうなる事は避けようが無かったと言える。

 しかしだからと言って、このまま泣き寝入りするには影響が大きすぎた。


「南朝方、皇帝ロベールの傍にも経済顧問の商人などは居るだろう。誰も止めなかったのか」

「止めるどころか、積極的に支持したのではないかと思います」

「……金貨の買い占めか」


 新金貨は現行アウレ金貨の1/3の金しか含まれていないが、それでも発行後は1アウレとして扱われる。政府がそう定めて、扱わせると言う方が正しいだろう。

 そうなると新1アウレ金貨=25デナリ銀貨で交換される事になる。銀貨を持っている者にすれば、ある日突然25デナリで買える金の量が1/3に減るという事であり、銀貨の価値が下がった事になる。

 銀貨の価値が下がったと言っても、1デナリ銀貨は1デナリの価値で変えられない。そのため物価の方が上がる。昨日まで1デナリで買えた物が2デナリになれば、同じ量の現金で買える物が半分になり、現金が半分に減ったのと同じ効果がある。

 ほとんど銀貨銅貨しか持っていない庶民にしてみれば、たまったものではないだろう。

 その一方で現1アウレは、新金貨発行後は新1アウレの3倍の量の金が含まれている物体となる。新1アウレ=25デナリなので、その3倍の金である現1アウレは当然、3倍の75デナリと等価として交換される。

 ある日突然3倍の量の銀貨と交換できるようになるのである。事前にこれを知り、金貨を買い占めていれば、何もせずとも財産が3倍になる。

 そういう目先の利益を貪れると踏んで、南朝方権力の周辺に居る商人達は、積極的に悪貨の発行に賛同しているのだろう。


「南朝には碌な人物がいないのか。大学者のコー・バウファン氏が居たはずだが。いや、あの方も学者で経済は専門外か」


 交易で維持している様な安東家の当主である高星にしてみれば、民の生活を顧みず、貨幣経済を破壊しかねず、ただごく一部の内側の人間だけが巨利を得る、許しがたい暴挙である。

 しかし、それを止める方法は無い。


「やはり、どうにもなりませんか。まあ、そうでしょうな。仕方の無い事です。この件を安東様に伝えて、備える時間が出来ただけで良しとするべきなのでしょうな」

「確かにこればっかりはどうにもならん。……が、泣き寝入りするのも性に合わん」

「とは言っても、どうなさるおつもりで?」

「南朝の政府に乗り込んで、直談判してやる。新金貨の発行は止められなくとも、少しでもマシになる様な条件を引き出して見せる。

 幸い、我が安東家は南朝方で、私自身将軍位も持っている。あいさつの名目で乗り込む事は容易い」

「おお、では私の頼みを聞き入れてくれるという事で、感謝の言葉もございません」


 高星は苦笑いするしかなかった。ロウの頼みを聞き入れた訳でも無く、穀物を献上してもらった礼でも無い。安東家自身の死活問題として、取り組まねばならない事だった。

 しかしロウが穀物献上の代わりに陳情をすると言う形で高星に情報を与え、その情報を受けて高星が対処に乗り出した以上、どう否定しても『ロウの陳情を受けて高星が立ち上がった』と言う形が出来てしまう。

 礼を尽くして頼み込めば、大義のために立ち上がる人物であると言う形式と前例を作られてしまった。これで今後、ロウに限らず誰かの頼みを無碍(むげ)にすれば、一度『義の人』の評価が付いてしまった分、高星と安東家の評価は大暴落するだろう。

 つまり今後高星は、ロウの頼みを断れなくなったという事になる。苦笑いするより他に無い。


「それにしても、シケイ殿はずいぶんと皇帝ロベールの内情にお詳しいですな?」

「一時招聘されて、傍近くに居ましたので。新金貨の発行もその時に知りました」

「ほほう。ではあえて金貨の買い占めで財を築く事をしなかったと」

「当然です。商人にも商道と言うものがあり、あの様な輩と同列に見られるのは心外です」


 憮然とした表情でロウは断言した。表に出す言動は常に作るのが商人だが、それでも皇帝ロベールの周囲に群がる様な商人と一緒にされたくないと言うのは、本心だろう。


「皇帝ロベールの招聘を受けておきながら彼の元を去ったという事は、シケイ殿の眼鏡には適わぬ人物でしたか?」

「あれは半分棺桶に入った白骨ですな。話になりません。遠からず滅びるでしょう」

「それほどか。どこがどうよろしくないので?」

「外に対しては無軌道で、一貫した方針が有りません。内に対して綱紀が無く、臣下が好き放題に振る舞っています。

 その上、皇帝の面目を保つために税を取れるだけ取ろうとしていて、数えきれないほどの種類の税を課しています。私が計算したところでは、全部合わせて九公一民の税率ですな」

「それはそれは、古人の言葉に『一公で理想政治、三公で善政、五公は並で七公は暴政、九公を取れば亡国』と言うが、まさに亡国の様相だな」


 高星は何とも言えない表情を浮かべている。仮にも皇帝ロベールは、味方側の大勢力なのだ。すぐにも滅ぶであろう愚か者と笑い飛ばす事も出来ない。


「シケイ殿は商人でありながら、治乱興亡の原理をよく心得たお方とお見受けする。どうだろうか、この際私に今後取るべき方針について、何か一言いただけないだろうか」


 高星としては、ちょっとしたもののついでのつもりで尋ねた。しかしロウの表情は、大きな商談に対したときの様に真剣なものに変わる。


「しからば一つ愚考を披露いたしましょう。

 古来より帝を擁き、勅命を盾に覇業を推し進める実力者は、皆成功を収めております。今、皇統は二つに割れたとは言え、実力のある者が出て皇帝を擁立すれば、到底止められるものではないでしょう。

 私が思うに、もはや帝室の再興は望めず、かと言ってこれと言った覇者も未だ現れておりません。

 そこで安東殿が採るべき方法はただ一つ。ここ変州(へんしゅう)の地に地盤を築き、天下に乗り出して大望を果たす機会をうかがう事です。

 なぜなら、中央では遠からず戦乱に見舞われて、他所に目を向ける余裕など無くなるからです。中央に強大な覇者が現れてからでは、いくら我が身を保とうと思っても手遅れとなるでしょう」

「いや、まさにその通り。ご教示まことに痛み入る」


 高星は寒気すら感じた。この男、ロウは自分の目指しているものすらも読み切っているのではないかと思った。

 天下に乗り出して大望を果たすとロウは言った。それだけならば、帝国全土を征服して新たな王朝を立てるための方策とも取れる。

 しかしロウは、変州に地盤を築けと言った。そして遠からず中央が乱れるだろう今が好機で、覇者が現れてからでは遅いとも言った。

 すなわち、変州に独立国家を建てるならば、中央が固まる前にこちらの態勢を固めて、手出しできないようにしなければ独立を保てないという解釈もできる。

 うがち過ぎだろうか。どちらにしてもロウが優れた見識の持ち主である事は、疑い様が無い。

 そのロウが今、通貨の情報をもたらしに来たのだ。動かぬ訳にもいかぬし、今動くべきだとロウは思っているから、情報を提供したのだろう。

 ともかく、年が明けたら海が時化ないうちに、高星自ら行くしかないと思った。

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