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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
去る者、来る者
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5・雪の下

 窓から見える月を眺めていた。名月と呼ばれる時期は過ぎたが、一枚の絵画の様な景色は、また別の趣がある。


「エステルちゃん、いいかしら?」


 戸を静かに叩く音に続き、銀華(ぎんか)の声。


「構わない。どうぞ」


 戸を開け、銀華が遠慮がちにもう一度尋ねる。


「まだ遅くは無いけど、夜分に迷惑じゃないかしら?」

「銀華殿なら、いつでも歓迎だ。大してもてなしもできないが、まあ座ってくれて構わない」

「ではお言葉に甘えて」


 銀華が丸テーブルを挟んでエステルと向き合う椅子に座る。


「銀華殿は、何かご用かな?」

「強いて用を言うなら、お見舞いね。まだ無理はできないんでしょう?」

「まあ、普段の生活や事務仕事には支障はないが、あまり激しい動きはまだ控える様に言われている」

「お見舞いの品を持ってこようかとも思ったんだけど、内臓を痛めたなら食べ物飲み物は良くないかと思って、結局手ぶらになってごめんね」

「いや、あんまり気を使われると、かえって恐縮する。見ての通り大事無いのだから、普通でいい」

「そう。なら普通に、おしゃべりをしに来たという事で」

「お茶で良いか。私の部屋には紅茶しかないが」

「淹れるのが上手だって聞いたわ。ぜひごちそうになりたいわね」

「あまり過度な期待をされてもな」


「エステルちゃん、奥方にはもう会ったの?」

「会った。ご子息の顔も拝見した。堯恒(たかつね)と名付けられたそうだな」

「どんな気持ち?」

「どうもこうも無い。私が共に歩むのは高星で、それは何が有ろうと変わりも揺るぎもしない。

それに、貴族の家にとって跡取りは、重要で微妙な問題だ。妙な感情を差し挟んだりはしない」

「受け取り様によっては、高星には尽くすけど、高星の子には興味が無いとも取れるわね」


 エステルは何も言わず、紅茶に口を付けた。否定はしないが、その一方で余計な言質を与えるような発言はしないとも言える。

 高星に尽くす、跡取り問題に感情は挟まない。エステルが明言した事は、それだけだ。当たり前かつ当たり障りの無い。そういう発言に慎重でいる事が、染みついているのだろう。


「本当に、無理だけはしないでね。あなたはいつも無茶をしすぎる」

「高星ほどではないさ」

「そうだけど、貴方も大概よ。いっそあなたも良い人でも見つけたら? そうすれば少しは無茶しなくなるかしら」

「私の伴侶になろうと言う奇特な人間が居るかな?」

「探してみる前から諦めないの。あなた今年で確か二十三でしょう」

「それを言った銀華殿は、今年で三十路になったはずだろう。とてもそうは見えないが」

「あんまり歳を気にした事は無かったわね」

「なら人の事は言えないだろう」

「でも私が今のあなたの歳だった頃は、三つになる娘が居ましたからね。人生の経験が違います」

「年寄臭い事を言う。外見は若くても中身は誤魔化せないか?」

「そんな事言っていられるのも、今のうちですからね。後になって後悔しても、もうどうしようもないのだから」

「後悔か。……子に先立たれると言うのは、やはり辛くて後悔するものか?」

「そうね。でも思いがけず早くに親に先立たれるのも、同じくらい辛いと思うわ」


 エステルの手が止まった。持ちかけたカップを置く。


「済まん。当たり前の事を聞いてしまったな」

「当たり前の事をあえて聞く。それに意味が無いとは思わないわ」

「では、当たり前の家族とはなんだろうか?」

「当たり前の家族なんて、無いのではないかしら。当たり前の家族、当たり前の幸せ。それは皆、実はその人達だけのものではないかしら」

「なら、私も間違った家族では無かったのだな。何も、有ってはならぬ事なんて、無かったのだな」

「それを決められる人は、居ないと思うけど。エステルちゃんは間違っていたとは思いたくないのでしょう?」

「もちろんだ。が、私が居た事が間違いでは無かったのかと。それ故に災いを呼び、義父上を巻き込んだのではないかと、その思いを拭いきれなかった。

 あれほど私を娘として愛し、何かあれば庇ってくれた人に、私は仇を為したのではないかと思うと怖かった」

「例えそうだとしても、エステルちゃんのお義父さんは、貴方を家族として、娘として扱う事を、間違っているとは思わなかったわ。

 それは、貴方が一番身に染みて解っているはずでしょう?」

「そうだ、義父上は、いつも私を娘と言ってくれた。

 貴族の家として、跡取りの問題は重要であるのに、若い頃に結婚していたと言う以外、後妻もとらなかったが、私の事は最後まで娘と言い続けてくれた」


 銀華がエステルの隣に席を移し、肩を抱く。


「何人かの義父の友人も、私の事を義父上の娘として扱ってくれた。皆、皆私の事を案じてくれていた」


 エステルの目頭から、涙が頬を伝って落ちた。


「皆、エステルちゃんの事を大事に思ってくれていたのね。今だって同じよ。皆あなたの事が好きで、大事なの。解るでしょう?」


 エステルが頷く。


「だから、無理をしなくても、何もできなくなっても、貴方の事を捨てて行ったりはしないわ。だから安心して、辛い時は休んでいいんだからね」

「本当に?」

「本当よ」

「本当に私は、何もできなくなったとしても、ここに居て良いんだな?」

「高星にそう聞いてみる?」

「いや、止めておこう。お前は私の副官で居ながら、何も解っていなかったのかと言われそうだ」

「そういう時は、もう少し優しい言葉を掛けてあげればいいのに。高星ったら」

「いや、それでいいんだ。特定の者、近い者を特別愛する様では、上に立つ資格は無い。近い者にも厳しく、遠い者にも優しく、誰にでも分け隔てないからこそ棟梁の資格がある。

 そうであってこそ、私は高星に尽くし、同じ夢を見ようと言う気になれる」

「でも一度でいいから、自分だけを見て欲しいとは思わない?」

「それは、その……」

「思うでしょう?」

「……思わないでもない。言っておくが、断じてやましい気持ちは無いぞ。あくまでも主従として、特別に目を掛けられる者であったらと思うのであって――」

「はいはい、解ってますからね」

「本当に解っているのであろうな」

「私が嘘を吐いたり、誤魔化しをした事がありまして?」

「無い……はずだが、何か釈然としないな」

「釈然としなくても、何も問題は無いでしょう」

「むう……」


 何か銀華に良いように誘導された様な気がしないでもないが、反論のしようも無くエステルは沈黙した。

 なんとなく心にのしかかっていた重石もいつの間にか消えていると感じたので、まあいいかと思う事にした。


「冷えて来たな。火を入れようか」


 エステルの私室には暖炉がある。屋敷内の雑用を為す者を呼び、火を点けた薪を持って来てくれるように頼む。まだ一番太い薪が、一本あれば十分だろう。


「確かに夜は冷える様になったわね。今年も終わり、と言うには気が早すぎるけど」

「実際、刈り入れも終わって、後は冬に備えるだけだからな。暦とは別に、一年の終わりと言ってもいいのかもしれんな」

「騒がしい年だったわね」

「ああ、死んでいった者も多い」

「新しく生まれた子もいるわ」

「そうだな。だがどちらも、戦乱をより加速させる方向へと向かわせる事は、同じだろう」

「そう……やっぱり戦争はまだ続く。いえ、まだ始まったばかりなのね」

「待つ側にしてみれば、もう十分すぎる程長いか?」

「たった一日ですら長いものよ。ただ待つ事しかできない身にはね。だからときどき、エステルちゃんが羨ましくなる事があるわ」

「確かにただ待つよりは、自分の手で戦える方が気が楽なのかもしれない。

 だが私は、戦い続けなければこの天地に生きる場所が無い身でもある。その点銀華殿は、私よりは生きる場所があるだろう。私にはそちらの方が羨ましい」

「私に他の行き場所なんて無いわ。再び故郷も大事な人も失うくらいなら、一緒に死ぬ方が良い」

「そんな事を言うものではないぞ。銀華殿ならば、どこへ行っても生きて行けるだろうし。何度でも大切な人と言える人ができるだろう。ならば、何が有ろうと生きて欲しいものだ」

「あなたが高星も、私達の居場所も守ってくれるのなら、何の問題も無いのよ」

「これは一本取られたな。確かにその通りだ。

 だが約束はできないな。今回の戦は、それを痛いほど思い知らされた」

「そう……。来年も、また激しい戦乱が続くのね。そしてそれはもう、誰にも止められない。今度は誰に先立たれるのかしらね」

「済まない。銀華殿には心配をかけてばかりだ。皆の分も、ここで詫びておこう」


 小さく頭を下げるエステルに、銀華が静かに首を振った。


「誰も彼も、何もかもが、戦乱を激しくする方に働いている。人が死ぬ事、生まれる事さえも。

 それはもう、どうしようもない大きな流れがそういう方向に向かっているのだと思うの。その中では一人の願いも力も、どうしようも無く小さなものでしかないのでしょうね。

 たった一人、大事な人さえ守れない。それは力が無いからでもないし、命と引き換えと願っても叶わない。

 それでも……それでも私は皆を信じている。その背中を応援している。それを忘れないで」

「銀華殿……」


 エステルは束の間唇を強く結び、ふっと笑みを浮かべた。


「高星にな、こう言われたよ。私より先に死ぬ事は許さん。生き続けて、私が天寿を全うするまで守り続けて見せろ、とな。

 私は高星の副官で、個人的には同じ道を歩む同志だと思っている。高星を守り抜き、欠けているところが有れば補うのが役目だ。

 だから銀華殿の思いは必ず届く。私が必ず届けて見せる。そうすれば、あの高星が銀華殿を悲しませる事は絶対に無い」

「そうかしら」

「そうだとも。照れているのか不器用なのか知らないが、高星にとっては銀華殿が支えなのだ。それは常に傍に居れば解る。妬けるほどにだ。

 そして高星は、自分の支えを自ら折る様な愚かな男ではないし、万が一の時は、私が一度痛い目にでも遭わせて解らせる」

「あら、首筋に牙でも突き立てるのかしら」

「なんなら血も吸ってやろうか」


 顔を見合わせて、二人はくすくすと笑い声を立てた。

 どれほど辛くても、窮地でも、決して負けずに力を溜める。

 そういう雪の下の草木のような強さを持った者達である限り、本当に負ける事は無いのかもしれない。


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