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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
去る者、来る者
138/366

3

 顔を合わせたのは、偶然だった。戻って来てからと言うもの、なんとなく知り合いと会うのは避けていた。

 あまり人と会いたくなかったのはイスカも同じなのか、とっさに顔を背けていたが、このまま互いに無視して素通りするのも、かえって気まずくなる様な気がした。


「や、やあ……。その、なんだ。君が無事でよかった」


 イスカの方から先に、そんなぎこちない事を言ってきたので、先に何か言うよりは楽かと言う気持ちでジャンは答えた。


「ああ、まあ……おかげさまで」


 しくじった。話の接ぎ穂と言うのだろうか、次の会話に続くとっかかりが無い。何を言って良いか解らず、二人してまごまごしてしまう。


「あー、その……目、赤いぞ?」


 イスカの眼は元々赤いが、そうではなくて白目が充血している。それを指摘すると、イスカは勢いよく背を向けた。

 またしてもしくじった。イスカが今触れて欲しくない所に触れてしまった様だ。


「その……悪かったよ」

「なんで君が謝る」

「なんでって言われても……」


 気付かないふりをするべきだったから。そう言ったら、それはそれで傷つけるだろう。

 目の充血は、どう見ても泣き腫らしたものだ。そしてイスカが何に対して泣くか、もはや間違う方が難しい。


「……泣いてもらえるなら、ちょっとは死んだ奴らも浮かばれるだろ」


 死人はもうどこにもいない。屍なんてただの肉塊。普段は平然とそう言える程度には冷めているのに、こういう時だけはそんな言葉が出てくる。偽善だと思う。


「本当は、泣く必要なんて無い方が良いに決まっている」

「そうだな」

「でも、出会わなかったら涙を流す事も無かった」

「出会わなければ良かったと?」

「いいや。もう会えない事より、生きてるうちに出会えた事の方がうれしい。だから私は、まだ戦える」


 ああ、全くこいつは。強いのか、それとも単に強情なのか。辛くて苦しくて堪らないはずなのに、傍から見ていてもそれが解るほどなのに。

 それなのに、逃げるという事をしない。苦しみ、悲しみ、死んでいった者達の事、全部ひとつ残らず抱え込んで、背負って、一つとして捨てようとしない。

 本当に、筋金入りの強情者だ。ジャンは呆れか感心か解らないが、とにかく他に無い感情を呼び起こされる思いがした。


「それで、なんで泣いてた?」

「……それをここで言わせるのか、君は」

「わざとやっている」


 イスカは少しの間ジャンを睨みつけていたが、ふっと表情を緩めて話し始めた。


蟹田(かにた)分隊の生き残りの所に行って、大隊長さんの最後の様子を聞いてきた。一人でも多く逃がすため、剣を手に最後まで踏みとどまって戦い続けていたそうだ。

 蟹田さんは剣の腕には自信があるが、大隊長として指揮を執る事はまだまだ全然だと言っていたから、それしかできないと思って踏みとどまり続けたんだろう」

「……ちょっと解る様な気もするな」


 自分には能力が足りないと思う。将来性など関係ない、今必要な能力が無ければ意味が無い。しかし、それが無い。

 そんなとき、どう思うかは別として、一つだけできる事があるとしたら。それだけは、他に負けない働きができるとしたら。そしてそれが、今なら役に立てるとしたら。

 命を懸ける。いや、命なんてものじゃない。それに命以上の全てを懸ける。失敗して、すごすご引き下がってくるなど、容認できない。

 自分は成功して帰って来た。しかし、もし失敗していたら。口ではさっさと逃げると言っていたが、実際には一人でも斬り死にしようとしていたのではないか。今にしてそう思う。


「力が足りないと思っても、どんなに絶望的な情況になっても、私は諦めない。私一人ではほとんど何もできなくても、ほとんどの外にあるほんのちょっとのために、私は諦めない。

 そうでなきゃ、蟹田さんにきっと笑われてしまう」

「……笑いやしねーよ。お前はずっと力が有って、それでも現実は何一つ変えられないくらい圧倒的だ。例えもう駄目だとあきらめても、それを笑ったりはしねーよ。多分、な」

「諦めたとしても、笑わない、か……。そうだな。うん、きっとそうだろう。それでもやっぱり私は諦めない、逃げ出さない、投げ出さない。それが、私自身に課した約束だから」

「そうか。まあ、お前がそう決めているなら、それでいいんじゃないか」


 本当は、言葉ほどに強くは無い。今にも泣きだしてしまいかねない、ただの少女だ。

 しかし、思いを言葉にする事で、イスカはただの少女ではなくなる。戦う時に変身する様に、覚悟を決めた一人の戦士に変わる。

 色んな重い物を背負っているくせに、全く重荷と言うものが無い。むしろ、重荷を背負い込んで身動き取れなくなっているのは、自分の方だ。


「絶望的な情況でも諦めずに、何かを成し遂げたのは君の方だろう。……なのに、どうしてそんなに暗い顔をしている」

「暗いか?」

「暗い。というよりも、顔色が悪い様な感じだ」

「そんな事は無いはずだ。棟梁にも褒められたぜ。お前一人で二百人分にも匹敵する働きを成し遂げてくれた。ってな」

「……そんな寂しそうに笑われてもな」


 ジャンの顔から笑みが消え、後ろ頭をぼりぼりと掻き始めた。


「参ったな、そんなに顔に出てるか? 良くこれで潜入工作ができたもんだ」

「なにが……なにがそんなに辛いんだ?」

「別に、何も辛い事なんてない。ただ、過去を清算する事なんてできないんだという事を、改めて思い知っただけだ。

 お前は、過去を消し去りたい、忘れ去りたいと思った事は無いか?」

「無い、と言えば嘘になる。でも今は、絶対に忘れたくはないと思っている。辛い事も、苦しい事も含めてだ」

「まあ、お前ならそう言うよな。俺は意識して忘れようとした訳でもなく、いつの間にか忘れ去っていた。過去を見ない様にして、目を背けていたと言うやつなのだろうな。

 でも結局、過去の方が追いかけてきて、逃がしてくれないんだなぁと知ったよ」

「自分には結局、手を汚す事しかできない。自分の手はもうとっくに汚れきっている。私が思っている以上に。

 ……そう言っていたな」

「良く覚えてるじゃないか」

「何故だ。何を体験すれば、自分の手を汚れきっているなんて言える!?」

「何を体験すればと言うより、何も体験しなかったから、かな」

「なに?」

「ただ黙々と、淡々と、ありとあらゆる事に手を染めてきた。何も考えないまま。何も感じないまま。一片の良心の呵責すらなく、だ。今も、無い。通り過ぎてしまったと事としか、思えない。

 気が付いてみれば真っ黒よ。いや、そんな表現じゃ生温いのかもな。だがどちらにしろ、それを何とも思えない。紅夜叉(べにやしゃ)の事をどうこう言えないな、俺も。

 それでも、技術ややり口と言った奴は、しっかりと身についていた。十年近くやってりゃ、そりゃ身に付くに決まってるよな。

 それが俺が生きてきて唯一得た物だった。今更他の何かを始めたところで、ずっと遅れて始めた以上、出来が悪いのは当然だ。ただ一つ、裏仕事を除いてはな」

「そんなの私だって同じだ。ずっと姉様と二人で、隠れる様にして生きてきた。全てをようやく始めたばかりなのは、私も同じだ」

「いいや違う。お前はただの駒じゃなかった。ちゃんと大事に思ってくれる人が居ただろ。

 だが俺は、自分の全てを裏仕事をこなす駒として作り上げてしまっていたんだよ。だから俺には、手を汚し続ける以外にできる事が無い」

「違う! 違う違う違う! そんなはずはない!」

「お前も頑固だな。俺の事なんか、もうほっといてくれればいいのに」

「君は間違っている。手を汚す事しかできない? 自分の全てを裏仕事をこなす駒として作り上げてしまった? それは違う!」

「どう違う」

「君は……君はあの時、春のあの雨の日、私に寄り添ってくれたじゃないか!」


 何を言われているのか、すぐには理解できなかった。

 ようやく今年の春の戦で、騎兵隊長だった中小国(なかおくに)が戦死した時、雨に濡れてしゃがみこんでいたイスカに、傘を差しだした事を言っているのだと気付いた。


「君は人に寄り添う事が出来る人間だ。その証拠に私に寄り添ってくれた。あの時、どんなに私が心強かったか」


 イスカが顔を真っ赤に染めながら、叫ぶように声を上げる。


「君はあの時、私の痛みを解ってくれた。そうでなければどうして私に寄り添った。私に傘を差し出してくれた!


 私の痛みを解って、それを見過ごしにできない。そういう心が君にもあるからだろうが!」


「イスカ……」


 左頬に焼けるような熱さが走った。気付くと尻と背を地面に着いていた。殴られた頬に手を当て、首だけ起こすとイスカが半泣きで胸蔵を掴んできた。


「紅夜叉にだけでなく君までも、どうして男は皆こう馬鹿なんだ! 自分一人で不幸に成れると思うな! 誰も傷つけずに自分だけ畜生に堕ちれると思うな! 自分一人で生きてるんじゃないんだぞ! 他人を悲しませる様な事をするな! もっと本気になれ! 平穏でも、幸せでも、自分の望む何かを掴む事に、本気を出して生きろ!」

「イスカ……」


 ジャンが身を起こし、指でイスカの涙をぬぐう。


「泣いた顔もかわいいな」

「なっ……!」


 元から赤いイスカの顔が、ゆでだこの様になる。


「でも、やっぱり笑っている方が良い。悪かったよ、つまんない自虐なんかして」


 イスカは俯いたまま小刻みに肩を震わせている。ジャンがまずいと思った時には遅かった。顔面に、拳。

 再び仰向けに倒れるジャンとは逆に、勢い良く立ち上がったイスカは、何か言おうと口をパクパクさせていたが、結局言葉が出てこなかったのか、そのまま踵を返して走り去った。


()つつ……。やり過ぎだっての。まあ俺もやりすぎたかもだけどさ。

 ……自分一人だけで不幸には成れないし、誰も傷つけずに畜生には堕ちられないか。耳が痛いこった」


 しばらくそのまま空を見上げた。久しく空など見上げていなかった事に、今更ながら気付いた。

 いつだって自分は、気付くのが遅い。おかげで殴られた。そうジャンは自嘲した。

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