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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
去る者、来る者
136/366

1

 丹念に、足跡をたどった。

 すでに、下セカタの草原に敵の姿は無い。骸も、ひとまず皆墓場へ運ばれた。

 ヴァレリウス・コルネリウスが二百騎と五百の兵を連れて、後詰としてミタク城へ入った時には、すでに戦は終わっていた。

 それは予想していた事だが、連環鉄騎が大戦果を挙げたと聞いていた。故に、ティトウスが渋面で、負け戦だと吐き捨てたのは、意外だった。

 一連の戦闘の経緯を、ティトウスを含む複数の者から詳しく聞きとると、ヴァレリウスは百騎のみを引き連れて、現場を丹念にたどってみた。

 たどればたどる程、タカアキ・アンドウと言う男の非凡さが見えてきた。騎馬での駆け合いの間、常にこちらの最も居て欲しくない場所に先回りしている。

 考えてできる事ではないと感じた。将兵の証言から、アンドウ軍の動きをできるだけ再現してみるが、何を考えて動いているのか、判断の根拠が全く解らない。

 それでいて、常に最善の手を打っている。それも、一手先の最善では無く、二手三手先の最善だ。未来が見えるのか、それとも人の心が読めるのかとすら思える。

 無論、事前に考えてできる事ではない。その場その場で、我が軍の動きの一つ一つに対応してきている。

 天性の才能に基づく勘、と言う他無いのだろう。あまりに予想を超え、鋭く、速い。

 しかしそれは、あくまで戦場での機動においてだ。それもおそらく、騎兵のみだからできた事だ。

 戦略に関しては、確かにこちらも非凡なものがある。しかしそれは、膨大な兵書や戦史を読み、読むだけでなく検証して、抽象化し、定理を引き出した結果たどり着くものだと感じた。

 つまり、学習と研鑽を積み重ねる事によって得たものと言う匂いがする。だからこそ、最終局面でティトウスは、アンドウ軍の動きを察知して立ち塞がり、食い下がる事が出来たのだろう。

 戦場での決断力や判断の速さを別にして、ヴァレリウス自身も時間さえあれば、タカアキと同じ戦略に行き着くだろうと思った。

 つまり、戦略を競えば勝てない相手では無い。現に、郷軍と言う仕込みと、連環鉄騎と言う切り札と、騎馬のみで急行すると言うティトウスの判断の三つがそろった結果、タカアキは敗れ、大きな損害を出したのだ。

 決して、勝てない相手では無い。個々の戦場、戦闘では勝つ事が難しくても、戦略的に勝つ事はできる相手だ。

 陽が傾いてきた。六日間の戦闘を丹念にたどっているのだ、一日では足りない。切りの良い所で、ヴァレリウスはミタク城へ帰還するべく、戦場跡を後にした。


     ◇


「精が出るな、ヴァレリウス」

「これは、ティトウス様」

「朝早くから戦場の検分に出て、陽が落ちるまで帰ってこないとは、見上げた精勤ぶりだ」

「他にも仕事がある所を、時間を作ってこちらに来ましたゆえ、無駄にはできませぬ」


 ティトウスの言葉に嫌なものは感じなかった。むしろ、覇気に欠けると言う印象だ。


「やはりまだ、気にしておられますか?」

「手を尽くして、完璧な勝利を得たと思ったら、僅かな瑕疵(かし)を得た。その傷が大きくなり、我が命まで危うい所を、敵の情けで見逃されれば、落ち込みもする」


 本当に、命を取れるところを情けで見逃したのだろうか。僅かにそれが引っ掛かったが、そうであるとも違うとも断言する事はできない。

 何を言ったところで、ティトウス自身は敵の情けで見逃されたと言う思いを捨てきれぬだろう。ならば、何も言える事は無いと思った。


「……僅かな瑕疵を得たのは、私も同じです。私の発案した郷軍は大きな戦果を挙げましたが、大魚を逸しました。

逃した魚を捕らえていれば、ティトウス様のお悩みも無かった事です」

「お互いに、詰めを誤ったという事か」

「そういう事に致しましょう」

「そうだな……。ヴァレリウス、この後夕食に同席してくれぬか? そこで、お前が何を見て、何を思ったか聞いてみたい」

「楽しい夕食会にはならぬかもしれませんが」

「構わん。手柄を立て損ねた男二人で、静かにやろう」

「では、お言葉に甘える事に致します」


 一礼している間に、ティトウスは去って行った。去りゆく足音が、重く沈んでいる様に思えた。

 頭を上げてから、郷軍がタカアキを討ち損じた事は、失態とされるのだろうかと言う考えが、ヴァレリウスの頭をよぎった。


     ◇


 ティトウスの言った通り、夕食会は二人の他には給仕の者だけという、静かなものだった。

 ヴァレリウスは促されるままに、昼間戦場を検分しながら考えた事を語った。タカアキは決して勝てない相手では無いという事を強調すると、ティトウスは静かに笑った。


「既に報告は届いているだろう父上は、この戦をどう評価するだろうか」

「落胆はなされるかもしれません。しかし、お怒りになる様な事は無いでしょう」

「それは私もそう思う。しかし、連環鉄騎まで持ちだしてタカアキの首を取れなかったのだ。心中穏やかではないだろう」

「やはり、その一事に尽きましょうな。あれは、一度目は必ず勝てます。しかし、二度目となるとどうでしょう。

少なくとも、勝てぬまでも負けない、連環鉄騎を相手にしない様な戦い方はできます」

「あの男なら、必ず対策を見つけるだろう。故にこちらも、対策の取り様の無い戦場に引きずり出す戦略を考えなければならん」

「ずいぶんと、あの男を意識なされますな」

「初めて軍を率いてぶつかり合い、負けた時から、のどに刺さった小骨の様に心に刺さっていた。

 再び敗れ、馳せ違い、お互いに相手の顔を見た時から、あの男の顔が目に焼き付いて離れぬ。目を瞑ると、いつもあの顔が浮かんでくる。

 そして思うのだ。必ず私の手で、あの男の、タカアキ・アンドウの首を討ち果たさなければならないと。

 火が点いた、とでも言うのかな。ともかく、忘れる事などできそうにない」

「頼もしいと申し上げるべきでしょうか」

「ただ威勢の良い事を言っているだけだ。少なくとも、今はまだな。だが口だけで終わらせる気は無い。そのためにも、戦の検証は徹底的に行わなくてはならないと思っている。

 ヴァレリウスは、どうすればあの男に勝てると思う? それも、戦場でのぶつかり合いでだ」

「戦場でのぶつかり合いで、ですか」

「そうだ。いくら戦略で優位に立とうとも、いつかはそこで勝つ必要に迫られる」

「勝てるかどうかは解らないとしか申し上げられませんが、頭に入れておくべき事はいくつかあると思います。

 まず、常に歩兵の居る状態での戦に持ち込む事。こちらだけでは無く、敵にも歩兵が居る状態です」

「何故、敵に歩兵が居る状態なのだ?」

「タカアキの戦場での機動をたどってみましたが、実に非凡であると言う他ありません。しかし、あの動きは騎兵のみだからこそできた事です。

 その一方でアンドウ軍の歩兵は、郷軍への対応を見ても、タカアキが居なければ並の歩兵、将校も我が軍と同程度の能力と見て良いと思われます」

「タカアキの直轄下になかった二つの部隊のうち、片方は全滅したそうだな。もう片方はほぼ無傷で逃がしてしまった様だが」

「我が軍も、村の自警団に偽装すると言う行為に対して不慣れであったために、露見してしまったようです。

 ただ、取り逃す結果になった事については、偶然の結果、運が悪かったと言う他無いと言う部分が大きいと思います。逆に全滅に持ち込めたのも、運が良かったからそこまでの戦果を挙げられたと言うべきで、二度は無いものと思います」

「まあ、歩兵の質に大きな差が無いという事は解った。しかしそうなると、いよいよ指揮官の力量で差が付くだろうな」

「はい。それに関しても、タカアキは侮れません。しかし、歩兵と騎兵、両方を同時に指揮する事はできません。どちらか片方の指揮に専念すれば、もう片方は部下の将に任せる事になります」

「タカアキが騎兵を率いれば、その間歩兵は並の将が率いる事になる。そこで我が軍は、騎兵に騎兵を当てて時間を稼いでいる間に、歩兵同士の対決で敵を破れと言うのだな?」

「はい。いくら優れた騎兵が有っても、軍の主力となる歩兵が居なければ、野戦に強いだけで城一つ落とせませぬ。

 そして歩兵の指揮に関しては、ティトウス様は十分な力量をお持ちかと」

「アンドウ軍は騎兵を以って戦う事を考えている。それに対してこちらは、騎兵を相手にする事を想定したうえで、歩兵を以って戦う。そういう事だな?」

「加えて、こちらにとって自軍の騎兵は歩兵を助けるものですが、敵にとって自軍の歩兵は枷です。

 常に騎兵の行動を制限しますが、捨て去る事の出来ない存在です。歩騎共にそろった状態での戦をする事が、敵の騎兵を封じ込める手段かと愚考します」

「歩兵を任せられる、優れた将を配下に持っていればその限りでは無いのだろうがな。こちらはタカアキに対抗できるような騎馬の将は居ないが、それを数で補えるはずだ」


 タカアキは終始、真っ向からのぶつかり合いだけは避けていた。それをすれば、味方の被害が少なくないと考えたのだろう。

 つまり、三倍の戦力差は全くの無駄では無かった。十分に脅威を与え、動きを封じることができたという事か。


「無論、この程度の考えで勝てる訳も無いでしょうが、念頭に置いておくべきだとは思います。

 何よりも、あの男と騎馬での駆け合いをしてはならないと思います」

「全くその通りだ。今回はそれをやって、見事にあしらわれてしまった。あの男と、騎馬同士の戦いは二度と御免だ」


 話すべき事は大体話し尽くし、そこで一度会話が途切れた。しばらく戦とは関係ない、他愛無い話をぽつぽつとしながら食事を続けた。

 再び戦の話題が出たのは、皿が下げられて、テーブルの上が葡萄酒だけになったときだった。


「最後のあれは、何だったのだろうな」


 ティトウスが、ぽつりと漏らす。


「最後のあれと申しますと、丘を越えてみると、アンドウ軍の姿が消えていたと言う?」

「そうだ。あれだけは、今考えても全く見当もつかない。ヴァレリウスは、どう思う?」

「話を聞いただけではなんとも。明日、その現場も見てみるつもりではいますが、丘一つ越える間に三百騎の姿を晦ます方法など、正直なところ、皆目見当もつきません」

「戦の最中は、どう翻弄されてもなにくそと闘志を掻きたてるばかりであったが、あの時だけは怖いと感じた。

戦の最中に全く怖く無い訳ではないが、そういうのとは全く別の怖さを感じた」

「手品の種を見つけられるかは解りませんが、手は尽くしてみるつもりです」

「頼む。何だか解らないが敵が消えたでは、父上に報告もできんからな」


 ティトウスはそれきり戦の話はせず、ただ舐めるように酒を飲み続けた。


     ◇


「あれか?」


 ヴァレリウスの眼前に、小高い丘が現れた。知らなければ気にも留めない様な、何の変哲も無い丘だった。


「はい、あの丘を越えたところで敵軍を見失ったとの事です」


 戦の最終局面で、ティトウスがアンドウ軍を追ってこの丘を越え、越えてみるとアンドウ軍は影も形も無かった。その絡繰(からく)りの、断片でも掴みたいものだ。そう思いながら、丘に向かって馬を進めた。


「丘の麓にたどり着いたとき、敵軍は丘の頂上付近に居たという事であったな?」

「はい。証言によると、平地を駆けている間はもう少し距離があったとの事です」

「木立の生えた斜面を登る分、どうしても速度は落ちるから、それで距離が詰まったか」


 ヴァレリウスも、騎馬のまま丘の斜面を登ってみる。木立はまばらで、乗馬に慣れた者ならば駆ける事も不可能ではないだろう。

 アンドウ軍の騎兵は、非常に練度が高い。その差は平坦な場所よりも、この様な難所を越える時の速度に如実に表れる。

 おそらく丘を越える間に、また引き離されたのだろう。丘を降りきってしまえば、平坦な草原を全力で駆ける事ができ、さらに距離は開く。

 しかしいくら距離をとったところで、視界を遮る物も無しに姿が見えなくなるなど、そうそうある物ではない。3㎞、いや馬上の高さなら、4㎞先は見えるはずだ。

 丘を越えた。広々とした草原が広がっている。やはり、姿を消す事ができるようには見えない。


「丘を下る途中で兵を伏せたり、進路を変えて身を隠したまま移動することは可能だろうか?」

「不可能だと思われます」


 振り向いて、そうだろうと思った。丘の木立はまばらで、一騎二騎ならともかく、三百騎を伏せる事は不可能だ。

 丘から離れる程に樹木は減っているので、身を隠しての移動も不可能だろう。


「……ここで立ち尽くしていても仕方が無いな。四方に斥候を放ち、何か変化が無いかを知らべさせろ。他の者は、斥候が戻るまで休憩とする」


 ヴァレリウスも馬から降りて草原に腰を下ろし、水筒の水を口に含んだ。空が良く晴れていた。散策でも楽しみに来た様に思えてくる。

 秋特有の、群れているような雲が並んでいた。雲を掴むような話だな。思わずそうつぶやいていた。

 斥候はそう遠くには行かせていない。あまり遠くを探ったところで意味は無い、アンドウ軍がいくら速くても、騎馬の限界を超えた速度で走れる訳では無いのだ。

 だから調べさせているのは、僅かな間に引き離す事が出来たであろう距離だけだ。せいぜい2㎞圏内、元からの距離を合わせて、その程度が限度だろう。

 その程度の近場を調べている斥候の姿は、ヴァレリウスからも良く見えた。右手側の斥候が、些細な変化も見逃すまいと駆けずり回っている。

 ゆっくりと首を左手に向け、そちらでも同じ事をしているのを見て、無性にほほえましく思った。

 不意に、妙だと思った。正面を向き、立ち上がる。


「おかしい」

「ヴァレリウス様、いかがなされました?」

「この景色を見て、何かおかしいと思わぬか?」

「はて、おかしいと申されましても、一体何が……?」

「左右の斥候の姿は良く見えている。なのに、同じ距離に居るはずの正面の斥候の姿が何故見えない?」

「あっ!」

「誰か、正面方向に向かって駆けてみよ。そしてそこに居るはずの斥候と合流し、こちらが見えるか確かめろ!」


 すぐに、一騎が飛び出した。驚くべき事に、その騎士の後姿は、ある所まで進むと急に足元から見えなくなった。


「これは……!」


 同じ様な現象を知っていた。水平線の向こうに去ってゆく船は、水面に近い所から見えなくなる。

 しかしそれは、灯台の上から沖を見れば、数十キロ先で起こる現象だ。たった2㎞の距離では通常起こりえない。

 二騎が戻ってきた。それほど遠くない位置に、突然現れた様に感じる。


「ヴァレリウス様、向こう側からは、百騎の本隊が全く見えません」

「こちらからも、お前達は見えなかった。確かに、遠くない位置に居たのだな?」

「測量した訳ではありませんが、3㎞は離れているとは思えません」

「アンドウ軍が姿を消した仕掛けが解ったな。しかし、何故僅か2㎞程の距離で見えなくなる」


 ヴァレリウスの疑問に、答える者は居ない。


「この平坦な草原で、僅か2㎞先が見えないなど信じられん」


 誰かがそうつぶやいた。


「この平坦な草原で……平坦?」


 突然、ヴァレリウスは頬が地面に着く程に顔を下げた。


「ヴァレリウス様、一体何を?」

「測量だ! 槍を持って来い! 同じ規格の物を二本だ!」


 ヴァレリウスは弾かれたように身を起こし、鋭く叫んだ。すぐに二本の槍が持ってこられる。そのうち一本は自分が持ち、もう一本はほぼ同じ身長の兵を選んで持たせ、五百歩離れた位置に立たせた。槍は尻を地面に着かせ、垂直に立つようにする。

 短剣を取り出し、目線の高さに合わせた。切っ先を五百歩先の兵の眼を狙う様に合わせ、槍の柄に斬り込みを付ける。


「やはり……!」


 斬り込みは、僅かに上を向いていた。


     ◇


「それで、手品の種は見破ったのか?」


 ミタク城に戻ったヴァレリウスは、すぐにティトウスに呼び出された。ティトウスも、アンドウ軍消失の謎が気になって仕方が無いのだろう。


「あの草原は、僅かですが高低差がある物と思われます。高低差がある事を示すのか、それとも誤差か、どちらとも言えない様な荒い測量ではありましたが、高低差があると仮定すれば、全ての辻褄が合います」

「ほう、どう辻褄が合うのだ?」

「あの草原は、丘を背に2㎞進めば姿が見えなくなります。それは実証されました。問題はその理由でしたが、ほんの僅かな、それこそ1㎞につき1mと言った様な高低差が有れば、最も高い地点で視界は遮られます」

「たった1mの起伏が、2㎞先の三百騎を隠すと?」

「事実、平坦としか見えない草原で、敵を見失っています。そうとしか考えられません」

「理屈としては理解できる。しかし、本当にそんな事が……。それだけではない、丘一つ越える間に、2㎞も引き離されていたと言うのか」

「馬の最高時速は70キロに及ぶと言います。競技用の馬では無く、軍馬なのでもう少し遅いでしょうが、2㎞を駆けるのに2分もあれば足りるでしょう。

 ましてやその時ティトウス様は、木立のある斜面を降っていたのです。2㎞を引き離すのに、5分もあれば事足りたのでしょう」

「それが手品の種という訳か」

「少しは、お悩みが晴れましたか?」

「代わりに新たな悩みが出来たわ。あの男は、地形や馬の脚、こちらの行動速度やそれが生む効果。そう言ったもの全てを把握して、大掛かりな手品をやってのけたという訳だ。

 一体、奴の頭の中はどうなっているのやら……」


 ティトウスが今感じている事は、ヴァレリウスには今更の事だった。常にこちらの想像を超えてくる相手、それがヴァレリウスの最初のタカアキに対する評価だった。

 それに比べれば、どんな戦術的な才能も、些細なものでしかない。その考えを知る事が出来ない事が、ヴァレリウスには最も恐ろしかった。

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