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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
セカタ平原機動戦
133/366

3

 ティトウスは、珍しく荒れていた。

 普段は腹に据えかねる事が有っても、それを表に出す様な真似はしない。だが今回ばかりは、怒りと不満を抑えきれなかった。

 前にもこんな事があった。一年前の事だ。一年前、ヤコエ回廊の戦でタカアキ・アンドウにしてやられたとき。いや、もっと前、戦の最中から感情を抑えられなくなった。今思うと、あの時から術中にはまっていた。

 幕舎の隅に掛けてある兜に目をやる。飾りが一つ射落とされた兜。今すぐにでも捨ててしまおうかと思ったが、代わりが有る訳ではない。総大将が、あまりぞんざいな兜を使う訳にもいかなかった。

 連環鉄騎(れんかんてっき)は予想通り敵を蹂躙(じゅうりん)した。戦場に残った死体の数を見れば、安東軍には痛恨の一撃を与えたとみて間違いない。

 郷軍(きょうぐん)が四百の部隊をほぼ全滅させたと言う、それ以上の大戦果もある。

 徹底的な追撃がおこなわれれば、確実に息の根を止められたはずだ。しかし、一千騎で追うコルネリウス軍に、あの男自ら率いる三百騎が立ちふさがった。

 負けるはずの無い戦いに負けた。戦全体で見れば大勝利だが、僅かに切っ先が敵の心臓を貫くまでに至らなかった。そして、最後の反撃で自分は死んでいた。

 三倍の兵力差だった。それがどういう手を使ったのか、中隊長を狙い撃ちにする事で四百の足を遅らせた。それでもまだこちらが倍は居たのだ。

 今思えば誘われた事ははっきり解るが、あの時は何が起きたのか解らなかった。気付けば自分の周りには二百騎しかおらず、三方から三百騎が襲い掛かってきた。ありえないはずの事態だった。

 そしてあの男。総大将だと言うのに、ほとんどまともな鎧も着ていないあの男が、自分を狙ってきたのが良く解った。

 だが殺されなかった。ティトウスには傷一つ付けず、兜の飾りを射落として去って行った。お前では相手にならん。そう言われた気がした。


「失礼します。ティトウス様」

「ヨウユウか。予定通り、明日ミタクへ帰還するのだな?」

「はい。鉄騎の後始末に手間取り、御報告が遅れて申し訳ありません」

「構わん。期待通り。いや、期待以上の戦果を挙げる事が出来たのだ。なんでも、あの紅夜叉(べにやしゃ)と一騎打ちで勝ったそうだな?」

「手傷を負わせただけで、逃げられました。勝ったとは思っておりませぬ」

「だがその一件は我が軍の武名を大いに高める事が出来る。父上もお喜びになるだろう」

「その割には、お顔色が優れぬ様に見えますが」


 ティトウスは無言で背を向けた。


「……明日から追撃戦になります。アンドウ軍は、間違いなく騎兵を以って追撃を止めようとするでしょう。アンドウ家の当主自ら指揮を執る事も、十分にあり得ます」

「だから、何だと言うのだ?」

「雪辱を果たす機会はいくらでもございましょう」

「雪辱など。私はただ、唯一取り逃した大魚を獲る事が出来れば、戦を終わらせられるだろうと考えているだけだ」

「無理な戦だけは、為されませぬ様に」

「解っている。何度も自分に言い聞かせている。余計な心配はいらぬ。下がれ」

「では、失礼いたします」


 一人になると、またあの男の事を考えた。確か、自分より少し年下のはずだ。それがどうしたという事も無いが、妙に意識してしまう。

 ティトウス・コルネリウスは、安東(あんどう)高星(たかあき)に対して、ある種の執着心の様なものが芽生えつつある事を感じていた。


     ◇


 一千騎の騎馬隊は、流石に一角の戦力だった。こうして向かい合うだけでも、一蹴できる相手では無いという事が肌で感じられる。

 高星は振り返って自分の騎馬隊を見た。三百騎。精鋭ではあるが、万を超える様な敵と対したら、芥子粒(けしつぶ)の様なものだろう。

 あれだけの騎馬隊を持っていれば、戦い方は全く違うものになるだろう。高星が敵を見て、ます思った事がそれだった。

 できる事なら、いつか三千騎を率いて戦をしてみたい。それだけあれば、十万の軍勢が相手でも、かき乱す事が出来るはずだ。

 しかし、今手元にある兵力は、三百騎なのだ。たったそれだけとは言わない。言っても仕方が無い。いつだって、手持ちの手札で戦うしかないのだ。そして、勝てないとも思っていない。


「旗を立てろ!」


 走る間は伏せさせていた、太白星の旗を掲げさせる。敵も味方も見ておけ。安東高星はここに居る。自分の戦を、これから見せてやる。

 コルネリウス軍は真っ直ぐに向かってくる。正面からぶつかるつもりか、それとも逃げる安東軍の歩兵を追う気でいるのか。

 どちらにしろ、こちらは逃がす気は無い。ただし、まともにぶつかり合う気も無い。ぶつかる寸前に散った。

 後方で再集結した安東軍に対し、コルネリウス軍は全軍反転して向かってきた。どうやら向こうもやる気らしい。

 他に有効な選択肢は無いとは言え、本気である事が感じられた。軍全体の気迫の様なものが、必ず叩き潰してやると語っている。それは、軍を率いる将の決意でもあるのだろう。

 だがこちらの目的は時間稼ぎだ。まともなぶつかり合いは徹底的に避ける。騎馬隊を無視して追撃に向かうそぶりを見せれば、行く手を遮る。

 ひたすらに駆け合いが続いた。戦わないが、好きにもさせない。小蝿の様にうるさく付きまとう。隙さえ見せれば、容赦無く一撃も加える。ただ流石に、容易に隙は見せなかった。側背をとっても、突っ込めるほどの隙が無い。

 朝から続く戦いは、陽が中天に達しても休みなく続けられた。安東軍はコルネリウス軍の多さにぶつかり合う隙を見いだせず、コルネリウス軍は安東軍の動きに翻弄されて捕らえる事が出来ない。

 秋の陽が傾き始める頃になって、コルネリウス軍は南へ向けて走り始めた。警戒はしているものの、安東軍には目もくれずに、草原の彼方へと走って行った。


「退いたか」


 高星が馬を止める。止めたとたんに汗が噴き出してきたような気がした。顎の先から滴が落ちる。

 秋の陽は早いとは言え、日没までにはまだ間がある。それでもコルネリウス軍が退いたのは、まだ追撃の意思があるという事だろう。

 退却中の安東軍歩兵を追撃する意思があるならば、その余力を残しておく必要がある。馬とて生き物だ、丸一日全力で駆けさせたら、翌日は疲労で使い物にならない。

 だから疲労の大きくならないうちに退いたのだ。追撃を阻止する側のこちらにしてみれば、大きな優位性だ。

 こちらも少し北上し、野営に入った。幕舎の一つも無い、高星も毛布に包まって寝る、本当の野営である。

 火を熾す余裕はあるので、高星はぬるま湯を作り、それに塩をぶち込んで一気に飲み干した。

 飲み干した椀を持ったまま、今日の戦を振り返った。戦っている間、ずっと気がかりだったことが一つある。コルネリウス軍が、部隊を分けないのだ。

 一千騎の部隊を二つに分け、一方は追撃に、もう一方はこちらの対処に当たらせれば、こちらにとってずっと厳しい戦況になったはずだ。だがそうしようとはしなかった、何故か。

 そうするだけの機略が無いと言うよりも、兵を減らす事を恐れているのでは無いか。昨日の戦の最終局面、一時とは言え兵力差を逆転し、敵将ティトウスを掠めた。

 再びあのような事態に陥り、今度こそは首を討たれる事を恐れているのではないか。ティトウス自身がそれを恐れていなくても、周囲の者がそれを許さないだろう。

 ならば、今後も常に一千騎を一つにまとめたまま戦おうとするだろう。もし分断されれば、何よりも一つにまとまる事を最優先とする可能性も高い。

 動きが読めていれば、それを突く事も出来る。確証など無い戦場で指針とするには、十分な可能性だ。

 ともあれ、明日も今日より厳しくなる事は有っても、楽になる事は無いだろう。ならば、十分に休んでおくに越した事はない。高星は毛布を丁寧に巻き付けると、焚火に背を向けて目を閉じた。


     ◇


 追撃戦二日目は、まず敵を求める事から始まった。コルネリウス軍は直線的に北上するのではなく、大きく迂回して安東軍騎兵を抜けようと試みた。

 見通しの良い平原とは言え、林もあれば起伏もある。どこかに居る動く敵を捉えると言うのは、容易い事では無かった。

 しかし、渡河点は安東軍が使った、かつて橋の架かっていた地点を選ぶ事は予想できた。他の渡河点を使うと移動距離が伸びすぎて、追撃が間に合わない可能性が有る。追撃の意思を以って渡河するなら、そこしか無いと思った。

 渡河点が予想できれば、後はどういう迂回路でそこへ向かうかだった。これはもう、勘以上の物では無かったが、堅実なティトウスの性格からして、迂回距離を少なくして発見される危険も、迂回しすぎて取り逃す危険も避けようとすると読み、賭けに出た。

 賭けは勝ち、コルネリウス軍を捕捉する事には成功した。しかしそれならそれで、また三倍の兵力差を持つ相手との、果てしない掛け合いの戦である。

 ぶつかり合いを避けながら戦い続けるにも限界がある。二・三度同じ様な手を使えば、向こうもそれに対応してくるようになる。手が尽きれば、正面からぶつかるしかない。

 しかし、ぶつかり合いを避け続けていれば、向こうも緩んでくる。何度も同じ手を見せ続ければ、飽いてくる。また同じ手だろう、どうせぶつかっては来ないだろう。無意識のうちにそう思い始める。その心の隙を突けるかどうかだった。

 両軍がお互いを正面に捉えて駆ける。もう数えるのも飽きる程に繰り返した状態だ。そして動きは違えど、いつもこちらが避ける。

 ぶつかる直前に馬首を右に振った。敵の先頭とすれ違う。すれ違い様に一矢放った。一人、落ちる。その時にはもう高星は、弓を左手に張り付け、右手で千錬剣を抜き、左に向きを変えた。

 コルネリウス軍を斜めに突っ切った。右から飛び出してくる敵を、右手で斬り伏せる。わざわざ死にに来るようなものだ。

 味方の後に付いているはずが、突然敵が眼前に現れ、止まる間も無く殺される兵は不運としか言いようがない。

 敵を突っ切り、反転した時にはもう敵は一つにまとまっていた。突っ切る最中にティトウスの姿を見た様な気もしたが、それらしい姿が有った様に思う以上の事は言えなかった。どちらでもいい事だ。

 その後もしばらく掛け合いが続いたが、とうとうコルネリウス軍はこの日も引き下がって行った。

 正直なところ、追撃にこだわって余力のあるうちに退いてくれるのは、こちらにとってもあり難い。

 追撃を止めるためにここに踏みとどまってはいるが、玉砕する訳にはいかないのだ。もし追撃を断念し、全力で安東軍騎兵の殲滅に掛かってきたとしたら、こちらとしても無事では済まない可能性が高い。

 時間が経てば経つほど退却中の部隊は逃げ延びられる。だがそれは、この場に残る騎馬隊が、より危険な情況に置かれるという事でもある。

 いつ退くか。ギリギリの引き際を見極めなければならなかった。見極めを誤れば、血で代償を支払う事になる。


     ◇


 追撃戦三日目。ここらが潮目だろう。コルネリウス軍は今日中に追撃に移れれば、まだ撤退する安東軍の後軍には食らい付けるかもしれない。

 こちらにしてみれば今日一日持ちこたえる事が出来ればという事だが、そうなればコルネリウス軍が追撃を見切った時点で、全力で潰しに来るだろう。その前に離脱しなければ、大きな犠牲を払う事になる。

 いつ追撃を断念するか。それはもう、ティトウスの心次第という事になるだろう。しかし、心に決めた事が、動きに現れる瞬間が必ずある。それを見逃さない事だ。

 ともあれ初めは昨日までと同じ様に、両軍の掛け合いから始まった。いや、昨日までとは比べ物にはならない。もはや猶予は無いと覚悟したコルネリウス軍の攻めは、多少の犠牲には目を瞑ってでもと言う強引さが出てきた。

 隙は生じている。しかしそれ以上に、兵力に物を言わせ、非情な決意で犠牲を顧みずに押してくる攻めは、安東軍をかつてない苦境に追い込んだ。すでに、主戦場が初日よりも3㎞以上押し込まれている。

 耐えて、粘るしかない。三日目ともなれば小手先の攪乱も手が尽きかけている。今までになく執拗で激しい攻めを受けて、じりじりと消耗してゆく。

 唇を舐めたら舌が張り付いた。昼食はおろか、水の一滴も飲んではいられない。そのせいか尿意の一つも無いのはありがたかったが、攪乱の手口までがすでに枯れ切っている。

 不意に、冷たいものを感じた。敵軍の殺気が、大きく膨らんだように感じた。追撃を断念したのか。自分の首だけを狙うと決めたのか。

 最初の一撃で、離脱できるかどうかが決まると見た。

 西日を左手に見て、疾駆した。敵が追ってくる。これまでにない急追だ。追撃戦のための余力を残す走らせ方ではない。反転し、もう何百回繰り返したか解らない、正面からぶつかり合う形を取る。

 ぶつかり合う直前に散った。ここまでは、何度も使った手だ。だが今回は違う。今度だけは、この一回だけは、こちらも本気で攻める。

 小さくまとまって、後ろから敵軍の中に突っ込んだ。二人、三人と敵兵の背中を斬りつけて進む。だが一千騎の敵軍、それも縦に延びた敵に真後ろから突っ込んだのだ。押し切れず、途中で前に進めなくなる。

 前に進めなくなったところで、軍を三つに分けた。それぞれが違う方向に、突っ込みながら駆け回る。腹の中で蛇か何かが暴れている様なものだ。

 腹を食い破って外に出た。そのまま脇目も振らずに北に向かって馬を駆ける。他の二隊が追いつき、合流してきたところで、高星は後ろを見た。

 内側から食い破られたコルネリウス軍は、まだ隊列を立て直す事が出来ていない。立て直したところで、その頃にはもう安東軍は手の届かない距離だろう。

 夕日を浴びて片側だけ赤い安東軍は、遥か草原の彼方へと駆け去って行った。


     ◇


 陽が落ちる前にセベナ川を渡る事が出来た。夜間の渡河は危険が大きい、たとえコルネリウス軍がなおも追いすがって来たとしても、夜が明けるまで川を越える事はできないだろう。

 万が一、そうまでして追って来たとしても、その様な無理を重ねた軍勢では返り討ちにしてやるだけだ。


「殿、御無事で」


 川の向こうでは、付近に潜ませていた連絡役の兵が待っていた。


「例の物は、用意できているか?」

「はい。殿のご命令通りのものを、用意してあります。すぐにご案内いたしましょう」

「頼む」


 連絡役の先導の下、高星とその旗下の軍勢は林の中に入った。林の中には広場があり、幕舎の布を被せた山があった。よくみると広場の切り株は切り倒されたばかりだ。


「殿、これは?」


 騎兵隊長のセイアヌスが怪訝な顔で尋ねる。高星は何も言わずに布の端を掴み、勢いよくめくった。


「殿のご要望通り、七日分の兵糧を用意してあります」


 連絡役の兵の言葉に、高星は満足そうにうなずく。


「殿、補給をここに隠しておいたと言うのは解ります。しかし七日分とはどういう事でしょうか? 味方に追いつくならば、三日分もあれば足りると思われますが」

「まだもう一戦やる。そのために七日分だ。我が軍は追撃を振り切っただけで、負け戦をした事は変わらない。負けっぱなしで終われるものか」

「しかし、もう一戦と言っても……」

「無論、真っ向からやる気は無い。一泡吹かせてやると言うだけだ」


 木々の間から差し込んでくる月光の下で、高星は不敵な笑みを浮かべた。

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