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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
セカタ平原機動戦
132/366

2・汚れた手

 セベナ川の渡河地点南岸に、敗残の安東(あんどう)軍は集結しつつあった。しかし、情況は一向に良くなった訳では無い。むしろ、さらに悪化したと言っても良かった。


「全滅だと!?」


 幕舎も張らず、陣幕で囲んだだけの露天で軍議を行う高星(たかあき)の下にもたらされたのは、蟹田(かにた)分隊全滅の報だった。


「村の自警組織が突如として襲撃を掛けてきまして、我が隊は大混乱に陥りました。自警組織は民兵とは思えない装備と練度をしており、大隊長以下大多数が戦死。我ら以外の生存者は、解りません」


 高星の前で報告するのは、分隊の生き残りの兵わずか七名だった。その他は、ほぼ全滅を確認したと言う。


「三個中隊四百の兵を失ったと言うのか……」


 連環鉄騎(れんかんてっき)相手の惨敗の後のこの報告に、高星以下司令部は打ちのめされた。不幸中の幸いは、もう一方の七戸(しちのへ)分隊は、郷軍の奇襲を事前に察知して、ほとんど犠牲を出さずに帰還した事だろう。


「大隊長が、これを殿に渡す様にと」


 高星に差し出されたのは、資料と言うよりかは覚書の束と言うべきものだった。ほとんどが蟹田大隊長の直筆である様だ。


「これだけを持ちだすのが、精一杯でした……」


 声に、無念の思いが一杯に込められていると感じた。僅かに七人だけ生き残ってしまった。生き残った喜びより、無念と後悔の念の方が大きいだろう。


「よく、生きて帰って来てくれた。今は、休むといい」


 他に、かけるべき言葉も思いつかなかった。


     ◇


「さて、我が軍は今、どういう情況に置かれている?」

「兵の被害はまだ概算ですが、未帰還兵は百人を超えます」

「百人……何人かは戻ってくるだろうが、九割方は戦死と見るべきだろうな。負傷者は?」

「重軽傷者合わせて、三百に上ります」


 高星は思わず天を仰いだ。損害合計は、死者五百、負傷者三百に上る事になる。全軍の四割が戦闘不能。致命的だった。


「もはや総退却しかあるまい。撤退の段取りは?」

「橋はまだですが、渡河は可能な状態です。夜が明け次第、渡河を開始する手配を進めております」

「よろしい。だが我らが渡れるという事は、敵もまた渡れるという事だ」


 居並ぶ将が、一様に重苦しい沈黙をする。こうして見ると、ずいぶん空席が出来た。


(やなぎ)大隊長」

「はっ」

「私に代わって歩兵の全軍・輜重兵・工兵を統括し、撤退の総指揮を執れ」

「では、殿は」

「私は自ら騎兵を率いて、敵の足止めをする」


 追撃する敵は軽騎兵。ただでさえ歩兵では追いつかれる上、今は負傷兵も多く抱えている。足止めは不可欠だった。

 そして、この広大なセカタ平原で騎馬の敵を足止めするには、同じ騎馬を以て対抗するしかない。

 渡河点に防衛線を築く事は論外だった。古来より、川を挟んで対峙した末に守り切った例は無い。別の渡河点に迂回されれば防ぐ事は出来ず、時間稼ぎにしかならない。敵はこちらの知らない渡河点も知っている事だろう。

 その上迂回されれば、今度は防衛部隊が退路を断たれる恐れもある。


「セカタ平原とジヘノ平地の間の山道に入れば、少数の歩兵でも足止めは可能だ。つまり、全軍がそこまでたどり着くまでの間、別の足止めが必要になる。騎兵で戦うしかない。

 補給無しでの活動限界は三日だが、三日あれば十分逃げ切れるはずだ。何か、異論は?」


 何も上がらなかった。皆、主君に最も危険な役目を負わせる事に抵抗はあるものの、それが最善である事が解らない者達ではない。


「ならば、この方向で細部を詰めに入る」


 篝火の火がやけに明るい。いつしかすっかり暗くなっていた。秋の夜空はまだ雲が多いが、切れ目から僅かに星がのぞいていた。


     ◇


「邪魔をする」


 負傷者用の幕舎の一つを高星は訪れた。他は皆野営だが、これだけは幕舎を立てさせた。兵の全員に身に付けさせる応急(ファスト)手当(エイド)以上の処置ができる者を対岸の部隊からもかき集め、治療に当たらせている。


「おや~、これは安東殿」

「ホフマイスター博士」


 高星の顔に、あるかなきかの色が浮かぶ。


「君がエステルの担当をしたのか」

「たまたま処置をしただけですよ。この後はもっとちゃんとした軍医にお任せします」


 ホフマイスター博士の背後で横になっているエステルの様子を窺う。今は、寝ている様だ。


「容体は?」

「足の骨折は大した事ありません。問題は内臓をどの程度損傷したかですね」

「どういう状態なのだ?」

「今はまだ何とも。軽傷ならば放っておいても治ります。重傷ならば壊死した部分を摘出する手術が必要でしょうが、場所によってはそもそも摘出が不可能です。その場合は、諦めていただくしかありません」

「重傷か軽傷かも解らんのか」

「経過を観察しない事には何とも。血尿が出ても自然に治る事もあれば、手の施し様の無い事もあります。

 腹を開いてみないと解らないと言うのが本当の所ですが、必要があるか解らないのに腹を開くのもね」


 話の内容に反して、博士はいつもの様に軽薄な笑みを浮かべている。今日ばかりは、それがひどく気に障った。


「まあ、親衛隊長ともなれば専属の人間が付いて手当てしますから、手遅れでない限り大丈夫でしょう」

「そう願いたいものだ」


 それだけ言って、幕舎を出た。ここに居たところで、ホフマイスター博士ほども役には立たないのだ。

 幕舎を出たところで、特徴的な二つ結びの髪型を見かけた。


「イスカ」

「あっ、棟梁様」


 酷く疲れている様子だ。顔に疲労の色が濃い。それでも、無理をして明るい表情を作ろうとしている。


「負傷者を何人か拾い集めてきたと聞いた。よく、頑張ったな。ありがとう」

「いえ、そんな……」

紅夜叉(べにやしゃ)が、手負ったそうだな?」

「エステルさんも怪我をしたと聞きました。それと、蟹田大隊長が……」

「知り合いだったのか」

「知り合いと言うほど親しかった訳じゃないんですが」

「戦だからな。どうしようもない事もある」

「はい」


 言葉数が少なくなるのは、無理をしているときのイスカの癖だ。そういう事も、気付けばなんとなく解る様になっていた。


「分隊の生き残りが居る。その中に、蟹田の最後を見届けた者が居る。どんな最後だったか、聞きに行くといい」

「ありがとうございます。でも、それは無事に帰れたらにします。今は、他にするべき事が、ありますから」

「そうか。なら、思う様にするといい」

「はい。失礼します」


 僅かに頭を下げ、イスカは去って行った。何かを振り切ろうとするかのように、小走りになっている事を、自覚しているかは解らなかった。


     ◇


 イスカが幕舎に入ると、紅夜叉、(みさお)、ジャンが揃っていた。紅夜叉は真新しい服を着ていて、見たところ怪我をしている様には見えない。


「皆いたのか。怪我はどうだ? 紅夜叉」

「死の縁を彷徨(さまよ)った事もザラだ。こんなもの、何でも無い」


 紅夜叉が感覚を確かめる様に、右手の指を動かしながら答える。


「ジャンも、無事でなによりだ」

「ん……まあな」


 ジャンがやや(うつむ)きがちに目を逸らす。


「ひょっとして、逃げた事を気にしているのか?」


 ジャンが、無言の肯定をする。


「馬鹿馬鹿しい。あの馬群に正面から挑むなんて、まともな神経の持ち主のする事じゃない。尻尾巻いて逃げだす方がまともだ」


 紅夜叉が、吐き捨てる様に言う。


「お前がそんな事を言うとはな。しかも怪我までするなんて、明日はなんか凄いもんでも降るか?」

「何が降るってんだ」

「雪……は普通だし、槍……も、矢の雨が降るくらいならありえるか」

「つまり、何が降ってもおかしくは無いって事だな」


 幕舎の中に、四人の笑い声が響いた。


「実際、あれを見た時に『これは死ぬ』って思った。このままだと死ぬ。そう思った時にはもう、全部投げ出して逃げていた」


 ジャンが不意に表情を暗くして、訥々と語りだす。


「おかげでかすり傷一つ無い。無様だよな」


 自嘲の色を帯びた口調で、ジャンは言った。


「逃げ出す方がまともと言うが、まともな神経で戦争ができるかってんだよな。

 まともな神経をしている。それはつまり、何にもできないって事じゃないのか?」

「そんな事は――」

「なあ、この後どうなるんだろうな?」


 無い。と言おうとするイスカの言葉を遮って、ジャンは問う。


「……おそらくだが、撤退だと思う。戦える者は半分くらいにまで減った。負傷者の護送も考えれば、戦える者はほんの僅かだ」

「そんな事は解っている。俺が言いたいのは、敵は明日以降も追撃を仕掛けてくるだろうなという事だ。それは、どうするんだ?」

「それは――」

殿(しんがり)の部隊を残すしかないだろう」


 今度は紅夜叉がイスカの言葉を遮る。


「それも、この平原で相手が騎馬隊となれば、こちらも騎馬隊しかない。そして騎馬隊を率いて、最後尾で全軍を守る様な戦の指揮を執るとなれば、うちでは一人しかできないだろうな」

「棟梁、か」

「ま、騎馬隊の戦に俺らの出番は無い。何もできやしないんだから、足引っ張らずに大人しくしてるこった」


 何もできやしない。その通りだ。紅夜叉の言う通りだ。何もできない訳じゃない。しかし、何ができるとは言う事が出来ない。誰でもできる、皆ができる、そういう事しか自分はできない。

 本当にそうか? ジャンの深い所にある何かがそう問いかけてきた。本当に、今お前にできる事は何も無いのか?

 何を馬鹿な。無いに決まっている。あるはずがない。自分は棟梁に会うまで何も無く、棟梁と出会ってようやく人並みに漕ぎ着けたのだ。自分に何かなど、今ここでできる事を得る過去など、ありはしなかった。

 過去。ジャンの過去。自分の過去。言葉にしてしまった。口には出さないが、心の中で言葉にしてしまった。言葉にすると、もう知らぬ振りはできなくなってしまった。

 それは捨てた過去のはずだ。捨てたと言う意識も無いままに、自然に忘れ去る様に捨てた記憶だ。だが今はもう、それについてしか考えられなくなってしまっている。

 腹立たしい事に、完璧な言い訳がある。安東家の、皆の、棟梁の危機だ。自分のつまらぬこだわりで、せっかくある可能性を捨てていいはずが無い。正論だが、言い訳だ。


「でっ!?」


 目から火が出た。鞘に収まった刀で、脳天をぶっ叩かれた。叩いたのはもちろん、紅夜叉だ。


「テメーはときどきそういう難しい顔するよな。どうせ碌でも無い事を考えてるんだろう」

「お前には関係ない」

「そうだが、目の前で周りも見えないくらい考え込んでいる奴が居たら、おもちゃにしてみたくなる」

「最低だな」

「褒め言葉と受け取っておくぜ」

「受け取んな、この野郎」

「で、お前はどうする気だ?」

「どうって……」

「何もしなけりゃ何も考えてないのと同じだ。考えた事を何か行動に出さずに死ねば、それは何も考えていないのと一緒だ。

 お前はお前の考えを、行動に移すのか、それとも無かった事にするのか」

「うっせぇ、お前みたいな快楽殺人狂にあれこれ言われたくは無いわ!」


 ジャンは勢いよく立ち上がり、幕舎を飛び出して行った。ジャンが去った後の幕舎で、イスカが紅夜叉に冷たい視線を向ける。


「イスカさんイスカさん」

「なんだい、操ちゃん?」

「ジャンさんは、ここを飛び出してどこに行くのでしょうか?」

「どこって……」

「紅夜叉に言われて飛び出したという事は、なにか心当たりがあるって事じゃないでしょうか? 何も無いならあんな反応はしないと思います」


 イスカが軽く目を見開く。


「失礼する!」


 そう言って、イスカも幕舎を飛び出した。


「私もちょっと見て来るけど、無茶しないで、ちゃんと養生してね」


 操が紅夜叉に、微かな笑みを見せる。紅夜叉は、顔を動かさずに目だけを逸らした。


     ◇


 陣幕で囲んだだけの露天の本陣で、高星は一人地図に目を落としていた。

 見ている、という訳ではない。ただ眺めているだけだ。眺めているうちに、新しい考えが浮かぶ事もある。

 不意に、背後に誰かが居る事に気付いた。こちらが気付くのを待っていたかのように、その何者かは声を掛けてきた。


「突然の無礼をお許しください。安東様」

見兵衛(けんべえ)か。お前が暗殺者でなくて良かったと思うぞ」

「暗殺者ではないからここまで来れるのです。本来ならば、正面から案内を乞うべきですが、危急の(とき)ゆえにこの様な訪ね方をいたしました」

「まあ、現下(げんか)喫緊(きっきん)と言ったところだな。で、用件は?」

「微力ながら、安東様の窮地を救うべく加勢に参りました。もっとも、突然の事態ゆえ糠助(ぬかすけ)以下五名しか手の者が居ませぬが」

「なに? どういう風の吹き回しだ。お前達とは、まだ金で雇う雇われるの関係でしかないはずだが」

「それは何と言っても、若水(じゃくすい)道人(どうじん)様直々の紹介をされたお方ですから」

「お前とは短い付き合い、と言うのも長すぎる程に短い付き合いしかないが、紹介を鵜呑みにして、自分の眼で判断しない者には思えないが」

「高く買って戴けている、と見るべきでしょうか。解りました、この様な時ですが、私の本心を打ち明けましょう」

「本心を打ち明けると言ったからと言って、本当に本心を言ったとは思わぬ方がいいのかな?」


 高星の問いかけに、見兵衛は静かに微笑み返しただけだった。


「安東様は、渡りと呼ばれている者達が、どこから来たと思われますか」

「どこからと言われれば、元は修行者の一団だろう。いや待て、お主らの様な者は、修行者とは少し毛色が違うな。

 夏場は村に住み、冬場は獲物を求めて山々を渡り歩く猟師の一団も居るが、それとも少し違う」

「実を言うと、本当の所は我らにも解りませぬ。しかし言い伝えの一つに、我らの先祖は遥か海を越えた南方からやって来たと言うものがあります」

「海の向こうの南方か。島の多いところで、未だ国を持たずに生きている者達が居ると言う噂は聞いた事がある。見てきた者は居ないとも言うが」

「まあ、言い伝えは所詮言い伝えでございます。しかし、我らがどこか他所の土地から流れてきた、異邦人だという事はなんとなく伝わります」

「渡りの技術の一部も、元はどこか遠い異邦の技術か」

「そうでございましょうな。そしてそういう他に無い技を持った者が、異邦の地で身寄りも無く生きていくためには、まあ色々と工夫が必要になります」

「権力とは決して関わらずに、渡りとして生きる事。それでいて、独自の技術を以って権力者に必要な存在でいる事、か」

「外に対しては、その様なものです。内にも色々と掟がございますが、それは今はいいでしょう」

「しかしそうなると、お主のしようとしている事は、渡りの掟に背くのではないか?」

「背くでしょう。しかし、咎められる事も無いでしょう」

「何故だ?」

「前例の有る事だから、でございます。渡りが渡りとして生きる、それは望んでそうしております。しかしそうしている限り、我らはずっと異邦人のままです。

 我らが大手を振って正業の徒として生きる道。渡りではない生き方を選べるという道。それができる場所、国、世界。それを求めるという気持ちも、我らにはあるのです。

 故に、時代の変わり目に、我らの一部は渡りである事を捨て、新しい権力者に力を貸す事が、これまでにも何度かありました」

「しかし、未だそれは叶わぬ願いのまま。という訳か」

「我らの技は裏の仕事でこそ役立つもの。そうである以上、求められる役割もまた、裏の仕事での働き。

 裏の仕事を表立って評価する訳にもいかぬでしょう。仕事を為した者の子孫が、表の世界で家を興す事は有っても、渡りを取り巻く情況が変わるという事はございませんでした」

「ならば、私に力を貸したところで同じ事ではないのか?」

「そうかもしれませぬ。しかし、安東様は今までの者達とは違います。だからこそ、我らの思いを知っている若水道人様がわざわざ紹介をしたのでしょうし、私もそこに光明を見出しております」

「私が、多く居た新しく国を興した者達と、何が違うと言うのかな」


 わざとらしく、空っとぼけてみた。


「強いて言うならば、アラハバキの民の棟梁である事でございますかな」


 見兵衛は柔和な笑みのまま、そんな答えを返してきた。つまらぬ事をしたと思い、低く笑った。


「しかしいかにお主でも、一千騎の追撃は止められまい。助力はありがたいが、さてどうしたものやら……」


 現実の問題に話を戻す。不意にまた別の声がした。ジャンが、陣幕の入口に来ているようだ。

 高星はとっさに見兵衛の方を見た。まだそこに居た見兵衛は高星の意を察し、小さくうなずいた。入れ、と高星が言う。


「失礼します、棟梁」


 陣幕の中に入ったジャンは、見兵衛が居る事に少し驚いたそぶりを見せたが、すぐに高星に視線を戻した。


「何の用件だ? ジャン」

「明日からの作戦は、撤退になるのでしょうか」

「先程そう通知を出させた。まだ聞いていないのか」

「はい、すれ違いましたかね」

「まあ、それはいい。それで、撤退ならばなんだと言うのだ?」

「敵はこの機に執拗な追撃を掛けて来る事は間違いないと思います。足止めの部隊を残すのですか?」

「そうだ」

「騎馬隊で、棟梁自ら指揮を執るのですか?」

「そうだ」

「必要性は解りますが、危険な任務です。何故棟梁が自ら残るのですか?」

「何故残るのか、か。撃破しなければ、追撃される。それでは気分が良くない。だから、()る。言ってみればそんなところかな。

 殲滅してやる、と言いたいところだが、流石にそれは無理かな。撃破がせいぜいだろう」


 高星は、負け戦の最中とは思えない、不敵な笑みを浮かべて言ってのけた。

 ジャンが、つばを飲み込んだ。ここまで来て、やはり引き下がるなど、できるものか。腹くくれ。


「棟梁。俺を、ミタクに行かせてください」

「なに?」

「ミタクで敵軍の施設に騒ぎが起きれば、少しは追撃を止められるかもしれません」

「それは私も考えた。だが当てはあるのか?」

「ある、とは言えません。どういう情況かも解りませんから、計画もその場の情況次第です。でも全くの無策という訳でもありません」

「そんなあやふやな計画で、危険な任務に送り出す事を許可できると思うか?」

「不可能と思えば、何もせずに戻ってきます。どのみち準備も何も無いんですから、駄目元で、考えうる限りの事をすべきだと思います」


 高星は一度大きく息を吐くと、腕を組んで天を仰ぎ、しばらくそのまま動かなかった。


「それは、裏仕事になるぞ。解っているのか?」


 ジャンに視線を戻した高星は、低い声で尋ねた。


「解っています。覚悟も、多分できています」

「覚悟と諦めは別物だ。しかし、正直今は一つでも多く手が欲しい」

「なら――」

「許可はできん。お前だけを行かせる許可はな。そこの二人、入って来い」


 イスカと操が姿を現した。イスカの方は驚きと戸惑いの入り混じった様な表情をしている。


「……いつから気付かれてたんだ?」

「イスカの方は最初から、操は途中からわざと気づかせたな? ジャンの話は、ほぼ全部聞いていたから解るな」

「……聞かれてたのか」


 ジャンは妙な気恥しさと、居心地の悪い思いを覚えた。


「操、お前はジャンに同行して、ジャンと共に任務に当たれ」

「ミタクの軍施設で騒ぎを起こし、敵の後方を攪乱して追撃を断念させるんですね」

「そうだ。見兵衛殿、二人を助けてやってくだされ。万一の時は、どうかよろしくお願いする」

「心得た」

「……私だけ蚊帳の外だな」


 イスカが表情を暗くする。


(しお)れている場合か。エステルも紅夜叉も負傷した今、撤退する本隊を守るのはお前の役目だろう。お前が最後の盾だ、皆を頼むぞ。イスカ」

「棟梁様……。済まない、弱気になっていた。何が有ろうと、私が必ず皆を守る。

 でも最後の盾だと言うのなら、私の出番は無い方が良い。皆、必ず帰って来てくれ」

「言われるまでも無い。これは、生きて帰るための戦いだ。皆それを忘れるな」


 力のこもった返事が、高星に返ってくる。


「よし、ジャン達はすぐに出ろ。徹夜で急げば、昼前にはミタクに着けるだろう。他に必要な物はあるか?」

「軍資金を、できるだけたくさん」

「有り金を好きなだけ持って行け。どうせもう、使う当てはないのだ」

「必ず、ご期待に応えて見せます。棟梁」

「行け。裏仕事をする者が、余計な事をしゃべるな」


 無言で一礼して、ジャンは高星の前から下がった。陣幕の外に出たところで、後ろからイスカに呼び止められた。


「何か用か?」

「いや、本当に大丈夫かと思って」

「まあ、なんとかなるだろう。二年ぶりになるが、十年間やり慣れた仕事をしようってんだ」

「それは、つまり……」


 イスカの顔が曇る。


「俺は何もできなかった。俺には結局、手を汚す事しかできないのさ。この二年でそれを思い知った様なものだ。

 まあ、俺が手を汚して得をする上が、ずっとマシなものになったんだから文句は無いさ」

「……私は君の過去を知っている訳じゃない。でも、それでも、そんな事は、手を汚すしかできないなんて事は、言わないでくれ」

「残念ながらな、イスカ。俺の手は、もうとっくに汚れきっているのさ。お前が思っている以上にな」


 悲しげな顔をするイスカに、ジャンは微笑みを浮かべて言った。高星の言う通り、諦めの笑みだと自覚していた。

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