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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
雨の戦場
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3・不可解

 不可解だった。


「間違い無い事か、(みさお)

「はい、ミタク城の敵軍は、動く気配がありません。全く動きが無い訳ではないですが、どう見積もっても、一千以上の軍勢が出動する用意はしていません。

 むしろ、これからやってくる軍勢を、迎え入れる準備に専念している様に見えました」


 何故だ。輜重部隊と退路を断たれ、食料を現地調達するために、敵地で軍を三分した安東(あんどう)軍を見逃す理由が解らない。

 隠しても、隠し通せるものではないと腹をくくり、むしろ動揺はしていないと言う姿勢を前面に出す様に努めさせた。気付いていない訳は無い。

 だと言うのに、どうしてこの千載一遇の機会を見逃すような真似をするのか。


「内部に問題を抱えている様子は?」

「ミタク城を探った限りでは、何も」


 深く探った訳ではないが、もっとコルネリウス家の中枢に近い所でも、問題が起きている気配は感じられなかった。少なくても出陣前までは、だが。

 兵糧の欠乏も無いはずだ。今年の冷涼な気候は広範囲に影響を及ぼしたはずだが、北辺の安東家領よりも情況が悪いとは思えない。

 ならば、今すぐに戦いを仕掛けてこない理由は、なんだ。


「……ミタク城にとらわれ過ぎか?」


 地図を引っ張り出し、他の可能性が無いかを確認する。

 それなりの規模の軍勢が活動しようと思えば、どうしたって拠点となる城塞か、ある程度の規模の街が必要だ。

 セカタ川よりも北、下セカタ地域で拠点となりうるのは、セベナ川上流のセベナ村、セカタ川中流のシザン村、セカタ川上流のダワトの街くらいだ。

 セベナ村は高星(たかあき)が本陣を置く村から西、ミタク城と合わせれば挟み撃ちには良い位置だ。しかしこちらに近すぎて、軍を隠すのは不可能だ。現に今も、偵察部隊は常に様子を窺っているはずだ。

 シザン村はミタク城から遠くなく、セカタ川を挟んで対岸と言って良い位置にある。ミタク城を兵站基地、シザン村を前線基地とするのはありだろう。だがいかんせん、村の規模が小さすぎて、大軍の駐屯には不向きだ。

 ダワトの街は他とは比べ物にならないほど大きい。純軍事基地の周囲に関連産業が集まって街を形成しているミタクより一万人は人口が多く、この街だけである程度の軍勢を維持できる。

 しかし遠すぎる。騎兵のみで急行しても、ダワトからここまで、どうしたって二日はかかるだろう。

 結局、どの街や村もミタク城に代わる拠点としては不十分だ。こちらが察知していない敵軍が付近に存在する可能性は、低いと結論を出さざるを得ない。

 しかしこれでは、また振り出しに戻っただけだ。


「まあ、三日待てば退却のめどは立つはずだから、すぐに敵が動かないなら特に懸念材料は無いか?」


 釈然としないが、これ以上いくら検討を重ねたところで何も解らないだろう。新たな情報が無ければ、これ以上先には進みようがない。


「斥候は通常の警戒を続けろ。それと馬に乗れる親衛隊員を招集、気晴らしついでに付近の地形でも調べて回る事にする」

「はい、確かに承りました」


 行儀良く一礼し、操は身を翻した。


     ◇


 嫌な感じがした。

 安東軍の本陣が置かれた村の中を歩く度、操は言葉にできぬ気持ち悪さの様なものを感じていた。

 故に時間ができる度に、村の中を調べ回った。しかし、どうしても気持ち悪さの正体を掴む事が出来ない。

 操自身、何がこれほどまでに違和感をもたらすのか、解っていなかった。だから、どこを探ればよいか見当がつかない。

 濁った水を突いて、魚を取ろうとする様なものだった。当てずっぽうに突いても獲れるはずも無いが、他にどうしようもない。

 見る限り、ごく平凡な村の様子だ。まず疑ったのは村の住民だが、特に怪しい所は見られない。ごく普通の、どこに行っても見かける様な農民と、その家族達だ。

 人におかしい所が無いのならば、この村そのものか。村全体が罠になっていると言う可能性を考えて、建物の配置を調べ、村民共有の倉庫などにも忍び込んだ。しかし、これも空振りに終わった。

 板壁に覆われた村の外には田畑が広がっている。粗末な門を出て、村壁に沿って周囲を見回ったが、やはりこれも大したものではない。

 村の周囲の畑では、麦を蒔いていた。秋蒔きの麦を蒔くのは、雪の多い安東家領ではあまり見られない。

 大山脈より東側に位置するコルネリウス家の領地では、比較的雪が少なく、特にこの様な平野部では、麦蒔きができる程に少ないようだ。

 麦蒔きを見ながら操は、もしやこの村の位置する場所や地形こそが危険な罠なのかと考えた。だがもしそうならば、他ならぬ高星が気付かないと言うのも妙な話である。

 やはり、思い過ごしなのだろうか。気持ちとしてはそうは思えないが、証拠が何も上がらない以上、何事も無いとしか言いようがない。

 村壁の外に野営する安東軍の陣に、村人が集まっていた。

 たくましいもので、野菜や酒などを手当たり次第に売りつけている様だ。兵士の方が渋い顔をしているので、足元を見られて高く売りつけられているのかもしれない。

 それとは別に、若い男の一団が兵と何やら話し込んでいる。時々武器を振ったり、隊列を組んだりしている。

 どうやら村の自警団らしい。戦い方について教えてもらっているようだ。

 ちょっと見たところでも、個人で武器を扱う分にはそこそこの腕前だ。そのため主に、集団で戦う方法について教えを受けているらしい。

 飲み込みは早いようで、操が眺めているうちにも様になってきた。これで軍装を整えれば、行進に関しては正規兵にも劣らない見栄えだろう。

 ふと何か、既視感の様な物を覚えた気がしたが、ちょっと首を捻っただけだった。行進なんてものは、どこの軍隊も同じ様なものになるのだから、そのせいかも知れない。


     ◇


 高星と親衛隊の宿舎にしている会堂に、操は戻った。斥候任務はしばらく順番は回ってこないので、高星の護衛で宿舎詰めになる。


「お帰り、操ちゃん。お茶でも飲むか?」


 ジャンが茶碗を持ってやって来た。湯呑の代わりだろうか。


「お茶があるんですか?」

「村人に押し売りされて、買わされた」


 ジャンが苦笑いを浮かべる。


「じゃあ、ごちそうになります」


 操がおかしそうに笑い返す。

 ジャンは小鍋に水と茶葉を入れ、暖を取る火鉢に掛けた。煮出さないといけないあたり、よほど安くて悪い茶を売りつけられたようだ。


「また見回りか。違和感の正体は……その様子じゃ収穫無しか」

「やっぱり気のせいなんですかねぇ」

「俺は何にも感じる所が無いから、何とも言えないなぁ」


 板張りの床をつとつとと鳴らす足音がした。イスカがふっと顔をのぞかせる。


「ジャン、ここに居たか。ちょっと話が……ああ、操ちゃんも居たのか。丁度いいかな」

「イスカさん、何かしましたか?」

「ちょっとね……。操ちゃんの感じている物とは違うけど、私も最近ちょっと違和感がして」

「俺に話を振って、何か役に立てるかね」


 言いながらジャンは、小鍋に水と茶葉を足した。


「紅夜叉の事だ。あいつ、最近何か変じゃないか?」

「ああ、その事か。確かに俺もそれは感じていた。いつもならもっとこう、戦の前は機嫌が良いはずだ。だが最近は妙に機嫌が悪い気がする」

「あっ……そうだ、私が嫌な予感がしているのに、あいつがそれを感じないなんておかしい」


 操がいつもより一段大きな声を出す。


「いままで、あいつが危険を察知しない事なんて無かった。私が気付かない様な事も、あいつは気付いた。でもその逆は、私だけ危険に気づいた事は無かった」

「今の紅夜叉の奴は、明らかに集中力に欠けていると思う。操ちゃんが感じる違和感に何も言わないのも、多分それが原因だろう」

「やる事がいつも荒っぽいから解りづらいけどな」

「茶化すところじゃないだろう」

「茶化すついでに茶も沸いた」


 ジャンが三人分の茶を並べる。その間イスカは、終始刺すような視線をジャンに向ける。


「そう睨むなよ。やれるだけの事はやってるんだから、それでどうしようもないなら、それこそどうしようもない。

 お前達がやって駄目なら、俺はもっと駄目に決まっている。つまり、茶を淹れる位しかできないんだから、非難されてもどうしようもない」

「別に、非難するつもりは無いが……」


 何事かぶつぶつ口の中で言いながら、イスカは茶を口に運ぶ。ジャンと操も茶を一口啜(すす)った。


「渋っ! ひでーなこれ」

「このまま煮詰めたら、防腐剤になりそうですね」

「普通に柿渋を絞った方が良いだろう……」

「くっそ、あのクソババアめ。こんなもん4セルスでも高いわ」

「ご愁傷様です」

「茶代なら払わないからな」


 別の苦さを感じた気がしたジャンは、渋い顔をしてまた茶を(すす)った。


     ◇


 敵軍が動いた。しかし、僅か五百余りの軍勢だった。

 第二大隊を基とする七戸(しちのへ)分隊を攻撃する構えを見せたが、蟹田(かにた)分隊が背後を窺う構えを見せると、あっさりと引き下がった。双方、若干の負傷者を出しただけの小競り合いだ。

 それ以来、敵軍に目立った動きは無い。

 高星自ら周辺の地形を探ったが、それなりに変化はあれど、大規模な伏兵が置ける場所は無かった。むしろ、騎馬の戦いに向いた土地だった。

 退路の方は、まあ順調に確保できていると言って良かった。すでに水は引き、押し流されてきた木石を撤去中だと言う。近日中に退路は確保できるはずだ。

 斥候から、新しい報告が上がってきた。


「それは、間違いない事か?」

「はい、間違いありません。ティトウス・コルネリウス率いる一千騎の軍勢が、ミタク城に入りました」


 コルネリウス家の嫡男・ティトウスが出てきた。いよいよ本格的に動く、という事だろう。

 ただ引き連れて来た軍勢が、騎馬のみ一千というのが気にかかる。ミタク城に駐屯しているはずの軍勢と合わせて、千五百騎の騎馬隊と、同数の歩兵になる。

 騎兵のみならば、こちらが退路を確保する前に戦闘に入れるだろう。最初からそれが狙いだったという事か。

 千五百騎は、流石に脅威だった。こちらの騎兵は三百騎しかいない。こちらは弓騎であるという事を考慮しても、戦いは避けるべき兵力差だ。

 しかしこちらには歩兵が、少なくとも手元にあるだけで九百いる。一方、敵軍はこちらを逃がさずに捕らえようとすれば、もはや歩兵は間に合わない。

 騎兵のみ千五百と、騎兵三百と歩兵九百の戦い。歩兵をいかに使い、敵の騎兵の動きを封じるかが鍵となるだろう。


「全軍に指令。大至急、騎兵に対する備えを固めよ。両分隊は特に警戒と対策に全力を挙げるべし。これは最優先事項である」

「はっ」


 一人になると地図を広げ、その上に卓上遊戯の駒を並べる。分隊に警戒命令は出したが、退路を断たれたこの情況で狙うとすれば、やはり本陣だろう。

 全軍を集結させる手もあるが、未だ退路を確保できていないこの情況ではむしろ、分隊と言う逃げ込み場所がある方が兵の心理には良いだろう。

 自ら退路を断つ戦術は、能動的にするべきもので、将帥だけが知っている退路を用意しておくものだ。

 止む無く退路を断たれた情況では、万一失敗した場合に取り返しがつかない。

 しかし、一年に少し足りないくらいぶりに再び(まみ)えるが、ティトウス・コルネリウスとはこの様な野戦・機動戦に長けた将ではないはずだ。

 無論、ただ一度の会戦で敵将の全てを知った気になるのは危険だが、今回の戦術行動は、どうにも前回のティトウスという将と一致しない。


「いかんな……、受け身受け身になっている」


 戦は常に主導権を握った方が有利だ。そして主導権を握るには、敵情に通じていなくてはならない。より多くの情報を集め、敵の行動を予測しなくてはならない。

 だが今の安東軍は、主導権無く、敵の狙いは読めず、十分な兵糧や退路も無い。

 流石の高星も、背筋が冷たくなる思いがした。

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