表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
雨の戦場
127/366

2・急転

 雨雲が去ったのか、ここ数日はまとまった雨は降らなくなった。足止めを食っていた安東(あんどう)軍は進軍を再開した。

 ジヘノ平地からさらに南下して、次に開けるのが広大なセカタ平原である。ここには東西に三本の比較的大きな河川が流れていて、北から順にセベナ川、セカタ川、セライオ川である。セカタ平原はこの三本の河川の流域と定義する事が出来る。

 セカタ平原はさらに中央を流れるセカタ川で南北に分けられ、北部を下セカタ地域、南部を上セカタ地域と呼ぶ。

 山がちな変州(へんしゅう)では貴重な平野部であるため、セカタ平原には多くの村落が有り、都市と言える規模の街も二つある。

 それは大軍の展開にも、機動戦にも適した主戦場足りうる地であり。また必争の地でもあるという事だ。この地を領有する事で得られる利益は、ジヘノ平地の比ではない。

 そのセカタ平原の入口と言える、セベナ川北岸に安東軍は至っていた。


「確かに、水量は思った程ではないな」


 川を臨みながら高星はつぶやいた。連日雨が続いたため、川の水量も増えていて、場合によってはまた足止めを食う事も想定していた。

 しかし、目の前を流れるセベナ川の水量は、特に増水している様には見えない。


「山の方ではそれほど降らなかったのか。何にしてもあり難い」

「高星」


 エステルが馬を寄せる。


「この水量と流れなら、すぐにでも橋を渡せるそうだ。取り掛からせて構わないな?」

「構わん」


 高星の短い答えを受けて、エステルがまたすぐに馬首を返す。

 通常、街道上の川には橋が架かっている。敷石舗装の街道をいくら整備しても、川がある度に途切れていては機能しない。

 セベナ川にも、街道がそのまま延長したような、石造りの立派な橋が架かっていた。馬車の中に居れば、川を渡った事も気づかない程の橋だ。

 しかしその橋は、見事に橋脚と骨組みだけの姿を晒していた。雨で大分流れているが、微かに焼け焦げた跡が見える。

 おそらく春の戦の後、コルネリウス家が橋を半木製に改造したのだろう。安東軍の侵攻を察知して、焼き落としたのだ。

 しかし橋の改造工事はそれなりの大工事のはずだ、半年も経たずにそれだけの工事を完了させた、コルネリウス家の力の一端が窺える。

 ともあれ橋をかけ直す工事の間、高星は幕舎で地図を広げ、エステルを相手に今後の戦略についての検討に当てる。


「と言っても基本は変わらん。村々から税を取り立てるだけだ。コルネリウス軍が現れたら、一応は応戦するが、今回はまともなぶつかり合いをする気は無い」

「しかし、敵軍の到着は早いと思うぞ。なにせセカタ川のむこうに、ミタク城がある。コルネリウス領北部の、軍事の中心と言って良い拠点だ」

「それでもこちらより少々多い二千五百程だろう。それ以上まとまった兵力は、本拠から進軍してこない限り無いはずだ。あしらえなくはない」

「小さな村は部隊を分けて向かわせるとして、セベナ村はどうする? ここから上流に一日も行けば到着できるが」

「セベナ村か。資料によれば人口は八千程、この規模の村なら最大で一個大隊規模の自警団くらいは持っていてもおかしくは無い。

 兵の質に関しては素人よりましと言う程度だろうが、いかんせんその数では、一個中隊では場合によっては危険だ。

 しかし一個大隊を割くのも、ましてや本隊が向かうのもな。不用意に敵軍に背中を見せたくは無い。

 向こうから何かできる力は無いのだ、ひとまず放置しておこう」

「あまり兵を散らし過ぎるのも良くない。徴発はセベナ川流域に限り、あまり南下はしない方がいいと思うのだが」

「それが妥当だろうな」


 特に目新しい事も無い確認事項だった。そうしているうちに、橋が完成したと言う報告が入る。

 橋を渡し終えた安東軍は、輜重隊と工兵隊をひとまず北岸に待機させ、戦闘部隊のみで渡河、付近一帯の制圧に取り掛かった。


     ◇


 高星は近辺では比較的大きな村に入り、本陣とした。大きいと言っても、縮尺の小さな地図では記載されていない様な村だった。

 軍事的な観点から、この手の村は二種類に大別される。一応の防衛施設を持ち、自衛の兵力を持つ村と、全く無防備な村だ。

 自衛力を持つ村は、当然盗賊などに対してある程度抵抗できる。撃退できないまでも、その土地を治める領主の正規兵が救援に来てくれるまで、持ちこたえる位はできる。

 しかしそれはあくまで盗賊程度であって、何千と言う訓練を積んだ正規の軍勢が相手では、無力も同然である。

 むしろ、下手に軍事力紛いの物を持っている事から、標的とされる危険もある。

 無防備な村と言うのは、自衛力を持つ余裕が無い場合も多いが、あえて持たない村もある。初めから無防備ならば、他所の軍勢がやって来ても逆らい様が無い。

 それ故にかえって財貨さえ差し出せば、田畑や家屋を荒らされる事も、殺される事も無い。黙って差し出すと言う物を、わざわざ殺して奪う手間をかける理由が無いからだ。

 無論、問答無用で殺しつくし、奪いつくされる場合もあるが、そういう軍勢が相手では、ささやかな自衛力などでは対抗しようがない。

 ならばいっそ、初めから無防備を宣言した方が、最悪の事態だけは防げる可能性が上がる、と言う考え方である。治安さえ良ければ、盗賊に怯える必要が無いので、より有効になる。

 高星が本陣を据えた村は、前者に当たる。板壁に防火用の土を塗った物を村の周りに巡らし、素人に毛が生えた様な自警団が百人ばかりいた。

 無論、その程度で安東軍に抵抗できるはずも無く、無抵抗のまま安東軍を受け入れている。

 二千の兵が村の中に入って寝起きはできないので、大部分は村の外に幕舎を張った。高星は親衛隊他一部の兵を連れて、村の中心にある会堂に泊まる事にした。


「予定通り、周辺の村々から税として徴収されるはずのものを徴発する。渡河した事がすでに知られているとして、敵軍の到着は最速で二日後だろう。

 徴発物資の運搬も考えて行動範囲は――」

「殿、一大事です!」


 兵への具体的な指示を完投している高星の下に、不意に額に汗を浮かべた兵が駆け込んできた。


「何事だ、もう敵が現れたか?」

「セベナ川が氾濫し、後続部隊と遮断されました!」

「なんだと!?」


 高星は思わず立ち上がった。後続部隊とは即ち、輜重隊である。敵地で輜重隊と切り離された事になる。


「馬鹿な、水量はまるで無かったではないか!?」

「しかし、実際に流域は水没しております」

「ともかく現場を見る。馬!」


 その場に居合わせた者は一様に、高星の鋭い声に、今までに無い切迫したものが含まれている事を、感じずにはいられなかった。


     ◇


 セカタ川流域は確かに水没していた。

 すでにいくらかは水が引いたようだが、その分泥濘(でいねい)と化した地が広がっていた。


「信じられん」


 高星がうめく様に言う。


「棟梁、もしや敵の水計では」


 ジャンが可能性を指摘する。川の上流をせき止め、敵軍が通過するとき、あるいは通過後に水を放出し、敵軍を押し流す、あるいは退路を断つと言う水計は、戦史に時折見られる。


「いや、斥候は上流に仕掛けも敵兵も発見できなかった。あったとしたらかなり上流だが、そんな場所でせき止めても我が軍の様子が解らず、機を掴めない」

「純粋に、自然現象という事ですか?」


 高星が口を歪める。


「迂闊だった。雨が降ったのに、水量が少なすぎる事を不審に思うべきだった。

 おそらく上流で土砂崩れがあったのだ。その影響で川がせき止められ、水量が少なかった。そして今になって限界に達し、鉄砲水となって流域を襲ったのだ」


 高星が、歯ぎしりの音が聞こえる程に奥歯を噛みしめる。


「棟梁、対岸との交信に成功しました。部隊及び物資に被害は無いとの事です」

「渡河は可能そうか?」

「残念ながら、しばらくは難しいかと。水量が多い上に流れが速いので、橋を架けられないそうです。無論、川に入っての渡河も危険すぎます」

「可能な限り急ぐように工兵に伝えろ。この洪水の原因はおそらく、土砂崩れによる鉄砲水だ。ならば、一時的なもので、すぐに水が引くはずだ。引いても泥濘(でいねい)だろうが」

「はっ」


 溢れた川は、大声を出せば辛うじて対岸まで届く距離だった。矢文などを使えば、交信は難しくない。

 糸を付けた矢を対岸に放ち、糸に続いて縄を結び付けて両岸に縄を張り、それを掴んで決死の渡河も不可能ではない。

 しかし、二千の安東軍が敵地で兵糧も無く、退却も出来ない情況に置かれた事に対する打開策は無かった。

 少なくとも、渡河ができる様になるまで待つしかない。それは一体何日後の事になるか、遠くは無いはずだとしか言えなかった。


     ◇


 本陣に戻った高星は、善後策を練るために、主立った者達を招集した。同時に全軍に、平静を保って行動するように通達を出した。

 セカタ川の氾濫によって輜重部隊と切り離され、退く事も出来なくなった事に関しては、特に隠蔽は行わなかった。

 渡河が不可能なのは現地を見れば誰の目にも明らかであり、輜重隊の不在も隠し通せるものでもない。隠せないものは、開き直るしかない。


「善後策と言っても、兵糧をどう確保するかに尽きる」


 全員が揃うや否や、高星は開口一番にそう断言した。


「手持ちの兵糧は、通常の携行分しかない。つまり、三日分だ。三日経てば、おそらく退却が可能な程度には水が引いていると見るが、保証は無い。今後、また雨が降れば再び増水する事も考えられる」

「現地調達をするしかないな」


 エステルが渋い顔で言う。


「洪水など、長引いたとしても限度がある。元々コルネリウス家の税収分を徴発するつもりだったのだ。それに加えていくらか買い集めれば、水が引くまでなら足りるだろう。

 問題は、一か所に固まっていては十分な量を確保できないという事だ」

「しかし殿、この情況で敵地で兵を分けるのは、危険が大きい事が明白です」

「だが他に方法も無い。徴発のために、数十や百程度の隊を小出しにする方が危険だ。不意を突かれれば、一つの村の住民相手に皆殺しにされかねない」

「敵軍は、すでにこちらへ向かっているはずです。兵を分けると、各個撃破される恐れがあるのでは」

「その危険は確かにある。しかし情況が情況だ。不利を有利に変える手段を持って対抗するしかあるまい。

 兵を分ければ少なくとも、一撃で全滅したり、包囲される事は防げる。部隊間の連絡を密にし、一方に敵が向かえば他の隊が側背を脅かす構えを見せる。

 敵が向かってくれば守りに徹し、敵が側背を晒せばこれを討つ。そうして小さく敵を叩き続け、疲弊させる」

「掎角の構え、ですな」

「危険も無理も承知だ、だがこうなってしまった以上、安全に退く事は出来ないものと覚悟する他無い。皆も、済まないが綱を渡るつもりで、この事態を抜けるために尽力してほしい」

「もちろんでございます、殿。それで、兵は如何様に分けましょう?」

「やがて来るであろう敵に対するためにも、ある程度は私の手元に残したい。第二、第三大隊から、それぞれ一個中隊を抜いたおよそ四百を分隊とし、別行動をとらせる。

 各分隊の指揮は各大隊長がそのまま執れ。本陣に残る二個中隊は、暫定的に第一大隊長の指揮下に入る物とする。騎兵は全騎本陣だ。異論は?」


 異議無しの返答が、順番に上がる。


「三隊の間で定時連絡を行い、連絡が途絶えた場合は、攻撃を受けたものと判断して、行動しろ。上流方面に行く分隊は、可能なら別の渡河可能地点の捜索も行え。早く退けるなら、その方が良い。

 私からは以上だ。何かあれば言え」


 やや間を置いたが、何も上がらなかった。何も無い訳ではないが、もっと下の打ち合わせで済むものばかりという事だろう。


「では迅速に取り掛かれ。解散」


     ◇


 分隊が本陣を離れ、担当地域へ向かう。第三大隊を基とする、蟹田(かにた)分隊も今まさに出立する所だった。


「蟹田隊長!」

「イスカ君じゃないか。また会ったな。何かご用でしょうか」

「用、と言うほどの事も無いけど、見送り」

「それはそれは、ありがたい」

「……あまり良い情況じゃない。気を付けて」

「重責だが、果たさない訳にはいかない。隊長は私で、誰かに代わってもらう事は出来ないのだからね。まあ、精一杯自分の責任を果たす努力をしてみるつもりだ。

 君こそ、殿の事を頼むぞ」

「大丈夫。棟梁様は、必ず守る。それが、今の私の責任だから」

「お互い、自分の責任を果たそう。では、行ってくる」


 蟹田隊長が騎乗し、号令をかける。部隊が一斉に動き始めた。


「頭では解っていても、この情況で兵力が減るのは心細いなぁ」

「ジャン、居たのか」

「居たと言うか、今来た。俺も見送り」


 ジャンが親指で指差した方向には、(みさお)の姿があった。こちらに気付いた操が駆け寄ってくる。


「操ちゃんも行くのか。いつもの、斥候任務?」

「はい、いつにも増していち早く、正確に敵情を掴む必要があるので、流石に少し緊張してます」


 言葉ほど操の表情に、緊張の色は無い。


紅夜叉(べにやしゃ)の奴は見送りなんかしないからな。なんか、代わりに俺が見送るのが恒例になってきた」

「別に気にしませんけど、ありがとうございます」

「操ちゃんなら大丈夫だと思うけど、十分気を付けて」


 むしろ、言葉を掛けるイスカの方が不安げな表情をしている。


「大丈夫ですよ。何も心配する事は有りません。ただ……」


 操が初めて不安げな声を上げる。


「ただ、なんだ?」

「何か問題が?」


 ジャンとイスカが揃って心配そうに尋ねる。


「いえ、何と言うか確証が得られないんですけど……。何か嫌な空気がするんです、この村」

「この、村?」

「洪水やらなんやらで慌ただしかったので、確かめる時間が無かったんですが、何か引っかかる気がして」

「イスカ、お前は何か感じたか?」

「いや、私は何も」

「ただの気のせい、と言う可能性ももちろんあるので、高星さんにはまだ言っていないんです。だから、お二人に頼んでおきます。万が一を考えて、十分に気を付けてくださいね」

「見送る側が気を付けてと言われるとはな。まあ、大丈夫だ。イスカが居る」

「その通りなんだが、何か納得できない」

「俺が居たって、特に何もできないし」


 イスカは何か言いかけて、口をつぐんだ。そして改めて操に言葉を掛けた。


「こっちは私達が居る。操ちゃんは自分の任務をがんばって」

「はい、それでは後はよろしくお願いします。後ついでに、紅夜叉の面倒もお願いします」

「後者については不本意だが、操ちゃんの頼みならしょうがない。なあ、イスカ?」

「全くだ!」


 三人の笑いが、少しの間響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ