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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
雨の戦場
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 速い行軍だった。

 空は相変わらず、重い雲が垂れ込めている。いつ降るか解らないので、降っていないうちに距離を稼ごうと、安東(あんどう)軍の進軍は速かった。

 何も雨だけが理由で急いでいる訳ではない。安東家領からヤコエ回廊を抜けたジヘノ平地は、コルネリウス家の領地とは言え、まとまった軍勢が置ける情況ではない。

 襲撃を受ける恐れが少ないので、多少疲労する事は承知で急いでも問題は無い。春の戦の戦果と言って良かった。そして、安東軍にとって機動力は最大の強みとなる。

 しかし安東軍は、ジヘノ平地中央東、海沿いの村とも言えぬ小さな集落に腰を落ち着けた。

 集落の外に幕舎を構えると、さっそく住民の代表が高星(たかあき)に面会を求めてきた。だが面会の様子は、およそ他所から来た軍の将に頭を垂れるというものではない。

 むしろ、高星の方が待ちわびていたと言う様子でいる事が、高星の傍に控えるジャンには不可解だった。


「棟梁、春の頃は、こんな所に集落なんか無かったはずですが?」


 集落の代表との面会の後、ジャンはどうにも納得できずに高星に尋ねた。


「ああ、確かになかった。この集落ができたのは、いや作ったのは、戦の後だからな」

「……作った? 集落を? ……また何か、棟梁の差し金ですか。今度は一体何を?」

「この集落の住民は全員うちの兵だ。いや、元兵と言うべきかな。四十も近くなって、兵としてはそろそろ引退と言う者達を四十名ばかり、素性を隠してここに入植させた」

「ここに、新しい拠点となる街を作るための、下準備ですか?」

「それが第一だな。だがそれだけではない。近隣の村と友好的な関係を築き、将来的に我が領土として組み込むとき、好意を持って迎えられるような下地を作っておく事も狙いだ」

「田舎の村が、そう簡単に余所者を受け入れるとも思えませんが。ああいう村は余所者に厳しいから、犯罪者も隠れにくいし、仕事をやり辛いものです」

「実体験か?」

「まあ、半分くらいは」

「そうか。だがな、どんな排他的な人間も、弱みを握れば脆いものだ」

「弱み?」

「この集落の者には、定期的に金銭を送り届けている。それも小銭をな。それが田舎の村に共通する弱みだ」

「小銭が弱み? 一体どういう事です?」

「農業主体で成り立っている様な田舎の小さな村では、現金を手に入れる機会は年に一度、秋の収穫物を街に売りに行くときくらいしかない。

 その一方で生活必需品や消耗品などは、常に購入しなければならない。そういう物を買う時に、大きな貨幣は使わない。結果的に小銭が常時流出し、田舎の村はどこも慢性的な小銭不足に悩まされる。

 行商人相手の少額の買い物に、金貨なんぞ出そうものなら嫌がられるし、両替をすれば手間も手数料もかかって、ただでさえ少ない現金がさらに目減りする」

「だから小銭を差し出して、村にある物を売ってくれと頼めば、それは抗い難い魅力があると。しかも新興の集落なら、まともな道具も少ないから売ってくれと言うのは、ごく自然な流れという訳か」

「そうだ。そして何度も取引をする相手に、いつまでも心を閉じても居られない。憎い仇でも無ければな。

 思想や主義主張は、えてして現実の問題にぶつかると脆い。ましてやそれほど強固ではないただの排他性など、ほぐすのは簡単だ」

「棟梁が人の心を語るのも、正直意外な気もします」

「言ってくれるな。人心を掌握できずして、領主も将帥も務まらんだろう」

「それはそうなんですが、なにか棟梁は人の心に無関心な印象があったもので」

「その言葉、包装紙にでも包んで返すぞ」

「うっ……、ごもっともです」


     ◇


 安東軍は3日間この名も無い集落に滞在した。無論、ただ滞在した訳ではない。3日の間に各地に派遣された分隊が、食料等を調達してきた。

 わざわざ収穫期を狙って出兵したのは、これが理由だった。なにも略奪した訳では無い。かと言って、買い上げた訳でも無かった。

 税として納められるはずの物を没収する。それが狙いだった。領民にしては、元々取られる事が決まっていた物であり、ただ納める相手が変わっただけなので、反発も無かった。

 税として納めるはずの物を奪われたので、税が払えませんと言えば、コルネリウス家も無理強いは出来ぬであろう。

 無理に取り立てれば、その年の税収は確保できても、代わりに戦場となる地域の住民感情が悪くなる。公然と反抗しないまでも、敵に情報を売る様な輩が大勢出てはたまらない。

 故に、領民への被害は実質的に何も無いと見て良いだろう。その辺りを言い含めつつ、まんまとコルネリウス家の税収を奪う事に成功した。


「年に二度の出兵は、流石に軍費が馬鹿にならんなからな。少しでも節約できて何よりだ」


 エステルが帳簿をめくりながら安堵の息を吐く。軍は維持をするのも拡大するのも費用が掛かるが、何と言っても戦をするのにかかる費用は莫大である。


「コルネリウス家の方は、我らが税を抑えた事でどれほどの打撃になるだろうか?」

「むこうは金山からの上りが莫大だからな。それに南に行くほど経済力が有る。

 北部全域からの税収が全体の一割。我らが抑えた分と、この先で同じ様に抑えられる分を合わせて、さらに半分と言うくらいだろうな」

「5%か、あるいはそれ以下か。その推論は信用していいんだろうな」

「コルネリウス家の経済力に関しては、大枠は正確に把握している。細かい内情でない限り、ほぼ正確だろう」

「どのみち、蚊が刺した様な物だろうな。軍費に関しても、長引けばこちらが不利だ。新たな財源は確保できそうなのか、高星」

「正直なところ、もう少し時間が欲しい。硝石の貿易は軌道に乗り始めたがまだ小さいし、策もあるがそれも数年欲しい」

「しばらくは節約して乗り切るしか無い訳か」

「そのために今回は、軍勢を絞ったのだ」


 今回の侵攻に高星が動員した兵力は、歩兵一千七百といつもの騎兵三百騎、工兵輜重兵それぞれ一百ずつの二千二百だった。

 春の戦で一定の成果を見せた民兵を、今回は一兵も伴っていない。農繁期に民兵を招集する事を避けたのだが、兵力を少なくして戦費を節約したいと言う思惑もあった。

 そのため、今回の戦ではそれほどの戦果を挙げる事を目標とされてはいない。せいぜいコルネリウス家の税収を奪い取り、損益が赤字にならない程度の戦が出来ればいいと考えていた。


「それに、軍勢を動かして戦費を消耗するのは我らだけではない。迎撃しなければならない側も、懐は痛むのだ。嫌がらせ位にはなるだろう」

「せめて瀬踏みと言え」


 呆れる様に言うエステルに、高星は低く笑った。


     ◇


 ジヘノ平地の集落を立ち、さらに南へと進軍する安東軍だったが、行軍は予想以上に遅々として進まなかった。

 連日土砂降りの雨が降り続き、行軍できない日が続いた。雨具は有れど、流石にこの雨の中、兵を歩かせるのは、風邪をひかせる様なものである。

 高星も幕舎の中で、今年の気候を恨めしく思うばかりであった。


「出陣前は煙る様な霧雨が多かったが、地域差か、それともどこもこんな状態なのか」

「夜も喧しくて、どうにかなりそうですよ」


 ジャンが辟易したと言わんばかりにつぶやく。ここしばらく、行軍が出来なくなるたびに高星の暇つぶし相手として呼ばれていた。それはそれで、ジャンも楽しんではいる。


「ほれ、詰みだ」


 高星が遊戯盤に、駒を景気の良い音を鳴らして置く。


「あー、また負けたか」

「まだまだ精進が足りんな」

「手ごたえのある相手が欲しいなら、エステルさんとやればいいでしょう」

「エステルは強いからな。あれで何故軍才が無いのか不思議なくらいだが、まあただの駒と生きた人間の違いを埋める所が欠けているのだろうな」


 盤と駒を片付けながら高星が言う。


「さて、今日は攻城戦の想定でもしようか」


 高星がジャンに相手をさせるのは、さまざまな戦場を想定してどう対処するか、一種の対話形式のゲームの相手をさせるためだ。


「我が軍は機動力を活かした野戦に相手を引きずり出す事を基本戦略としているが、いつか一度くらいは攻城戦をしなければならない時も来るだろう。

 備えのされた堅固な城に籠る敵を下し、城を攻略する必要がある時、お前はどう攻める。ジャン」


 ジャンは少し俯き、考える様子を見せたが、すぐに顔を上げる。


「時間が掛けられるなら、城の中に内通者を作ります。内部の人間をこちらに引き込むか、こちらの手の者を送り込んで、信用を得させます。

 そして、奇襲的に攻撃を仕掛けると同時に城門を開かせ、一気になだれ込みます」

「ほう! 良い答えだ。確かに古来より、城は内部から崩すのが一番良い。しかし城の攻め方を詳しく書いた兵書があったかな? お前に読ませたのは古典が多かったはずだが」

「いえ、盗賊のやり方を参考にしたんです」

「盗賊のやり方?」

「商隊や村を襲う様な山族じゃなくて、都市型の盗賊です。

 連中はこれと目を付けた屋敷に内通者を作り、その手引きで押し入って金品を奪います。その上で皆殺しにしたり、殺しは絶対にやらなかったりと様々ですが、内通者作りに何年もかける事もあります。

 それで自分を盗賊、攻め落とす城を押し入る屋敷に見立てて、やり口を借りてみました」

「なるほどな。お前にとっては同じ穴の(むじな)か?」

「同業者で、お得意様みたいなものでしたよ。むしろ荷抜きとか、倉庫破りを専門にする盗賊の方が多かったですが。彼らが盗んで、組織が買って、闇に流すんです。

 あとは、仕事の時の人出として派遣されて、荷運びや見張り役をやって、代金を受け取ったりしました。まあ、俺にはびた一文入りませんが」

「犯罪組織にもいろいろあるものだな。覚えておこう。取り締まる側になった時に役立ちそうだ」


 高星が素直に感心した様子を見せる。


「さて、話を戻して攻城戦だ。内から城門を開ける。それは理想的だ。だがいつ、どの城で攻城戦をしなければならなくなるか解らない。

 戦は相手がある、準備不足でも、やりたくなくても、城を攻め落とさない事には戦略目標が達成できない事がある。

 さあ、どうする?」


 ジャンが再び少し俯いて、考えるそぶりをする。今度は長い。沈黙の中、雨が幕舎を叩く音だけが聞こえる。

 やがて眉間にしわを寄せたジャンが、顔を上げた。


「解りません。力押しは論外ですし、事前に備える余裕も無し、その城に弱点の様なものはありませんか?」

「あるかもしれないが、あっても隠蔽されていて、解らない」

「なら、お手上げです。そもそも攻城戦に取り掛かる準備が無いんじゃあ」


 ジャンが降参だと掌を見せる。


「それだ。初めから城を落とそうと考えるから手詰まりなのだ。備えが無いならまず攻城戦の準備から始める。城を囲み、陣地を構築し、兵糧をかき集める。そうして一つ一つ、攻城戦の準備を進めていく。

 ある程度こちらの態勢が出来て、城を攻める時も同じだ。決定的な攻め手が無いのなら、一つ一つ、小さな工夫を積み上げていく。城塔すらも超える程にだ。

 あとは幾つ工夫を思いつくかだ」

「地道ですね」

「攻城戦は、一気に片を付けようとすると痛い目を見る。総攻撃は最後の最後、一度きりで片を付けるつもりでいる事だ。

 それは守る側も同じなのだがな。一気に敵を打ち払おうと不用意に打って出れば、城すら危うくしかねる。城が落ちれば、後は無い」

「だから、後があると思える野戦に引っ張り出す事が出来る?」

「そうだ、いざとなれば城に逃げればいい。それは兵を安心させる有利な材料だが、同時に油断でもある。虚を突くとは、油断を突く事。油断とは、安心の同義語だ」

「でも、安心できる理由があるから安心するのでは?」

「将の役目は、人が不可能だと信じて疑わない事を可能にする事だ。不可能を可能にすれば、理由のある安心はただの油断に成り下がる」

「心しておきます」


     ◇


「結局今日は身動きが取れなかったな。この分だと明日もどうだか解らん」

「嫌な雨が続くと、心配になります」

「兵糧は今のところ心配は無い。どうしても足りなくなれば、大人しく引き下がるさ。疫病の兆候も無いし、何も心配する事は無い」

「いえ、そうで無くて、棟梁の奥方」


 高星があるかなきかの反応を示す。


「もう大分お腹が大きくなられてましたよね? こう雨が続いて寒い日が続くと、良くないんじゃないですかね?」

「……(ぎん)が居れば心配する事は無いだろう」

「その銀華(ぎんか)さんが、戦が長引くようなら帰ってくる頃には産まれているかもしれない、と言っていました」

「だからなんだ」

「いいんですか? そんなときに戦に出てて」

「戦火は日を選んではくれん」

「棟梁から仕掛けてますよね」

「戦機も日を選んではくれん」

「とってつけた様にしか聞こえませんが」

「……何もせず、放っておいている訳ではない」


 半分は本当だった。だが半分は嘘だ。男子が生まれればそれは安東家の跡継ぎで、めでたい事のはずである。

 しかし母となる女の生家は、シバ家なのだ。公式には別の家の娘となっているが、血は偽り様が無い。生まれてくる子には、シバ家の血が入っている。

 その血縁を手掛かりに、シバ家による安東家併呑の可能性は結婚前から懸念されていた。しかし婚姻を受ければ、少なくともしばらくはシバ家との直接対決を先延ばしにはできる。

 安東家には今も、シバ家とコルネリウス家を同時に相手にするだけの力は無い。どのような危険があっても、飲むしかなかった。

 しかし子が生まれれば、今の危うい均衡も何かしらの変化があるだろう。シバ家に付け込む隙を与えてはならない。生まれてくる子を政争の道具にしてはならない。

 それを、常に留守を任せてきた提督に託した。志に向かって攻めるが自分なら、安東家を守る役目を、提督に託した。

 だから生まれてくる子を、何もせずに放置している訳ではない。しかしそれは、あくまで安東家のため。いや、それ以上に高星自身のためであり、子の為ではなかった。

 子の為にもなるだろう、子にとってもその方が良いだろう。そういう、付随的な理由でしかなかった。


「棟梁、棟梁はまともな親になってくださいね。でないと、真っ当な生き方のできない子になります。俺みたいに」


 そして、高星自身の様に。そう言われた様な気がした。適当に、唸るような返事をしておけばいいと思ったが、唇が張り付いた様に開かなかった。

 雨音が幕舎を叩く音だけが、喧しく響いていた。

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