2・渡り衆
山の民だった。
半分白髪の男が紹介状を持って訪ねてきたと聞いたときは何事かと思ったが、紹介状が若水道人の物であったのですぐに察した。以前から力を借りられないかと考えていた、ワタリ衆の者だ。
一応の護衛としてエステルを伴った以外は、人払いをして面会した。
現れた男は、半分白髪で皺の深い、良く日焼けした顔をしていた。一見厳めしそうにしているが、どことなくカニを思わせる愛嬌もある。おそらく表情次第で、どちらの印象にもなるのだろう。
一目見て山の民だと感じたのは、むしろその格好である。上着は布だが革の胸当てを着け、穿いている物も革の袴である。靴も革長靴であり、幅の有る革紐を脛まで巻いて締めている。長い旅や行軍のとき、脚の疲労を軽減するための工夫だ。
腰に剣を差しているが、これも太短い剣で、どちらかといえば山刀とか剣鉈に近い。その他、山を行くのに便利な小道具の類はあちこちに仕込んである様な様子だ。
しかし見るからに山暮らしと感じるのは、着ている物、身に着けている物がそうであるからだ。これが地味な着物を着ていれば、どこにでも居る隠居の老人にしか見えないかもしれない。
「とりあえず、名を聞こうか」
「見兵衛、と名乗っております」
「私が安東高星だ。副官のエステルも、一応覚えておいてくれ。それで、若水道人の紹介だが、お前は私とどういう関係を持とうという気でいる?」
「まずは、儂のいつもの仕事を売り込もうと思います。そこから先は、安東様との関係次第」
「お前のいつもの仕事とは?」
「飛脚を。山を平地と変わらぬ速さで走れますので速く、しかも安全です。重要な手紙や荷物を、金をいただいて確実に届ける仕事をしております。あまり大きな荷物は手に余りますが」
「お前一人でやっているのか?」
「いえ、配下の者が何人か居ます」
「何人居る?」
「お答えできません。少なくとも、今は」
「まあ、当然か。飛脚以外の仕事を、頼む事はできるか?」
「内容と報酬次第では、受けましょう。若水道人殿の紹介ですので、いくらか深い仕事も引き受けます」
「情報は集められるか? それも、他家の深い所に関わる情報だ」
「相手次第ですが、できます。ただ時間と費用が掛かるでしょうで、多目に金をいただく必要があります」
「金か。金を惜しむ気は無い。だが金で仕事をすると言うなら、より多く金を積まれて裏切らないと言う保証は?」
「たとえ百倍の金を積まれようとも、裏切る事は有りえません」
「ほう、何故そう言える?」
「一度でも裏切れば、金さえ積めば裏切る者と思われます。そういう信用出来ない者に、仕事を依頼する者はおりません。
目先の金に目がくらめば、仕事を失って困るのは儂らですので」
「なるほどな。他に、できる事出来ない事は?」
「仕事上、身や荷を守るための戦いはできますが、戦う事が専門では無いので、正面切った戦いではお役に立てません。それと、暗殺もいたしませぬ。
ただ、山の中で戦う事、暗殺を防ぐ事などならできます。攪乱なども出来ますが、戦場で働くには手の者の数が足りませぬ。あくまで、戦場の外での仕事が専門になります」
「軍勢を先導して、山を抜けると言う様な事は?」
「できます。しかし慣れない者が山を越えるとなると、通れる場所は限られます」
「まあ、案内が有っても山で暮らす者の様にはいくまい。案内が無ければ通れない様な所を通れればそれでいい」
「それでしたら十分にできます」
「見兵衛、お前と手の者は今も別の仕事をしているのか?」
「常に、何らかの仕事はしているものと思っていただければ」
「では仕事のついでに情報を集めて、定期的に持ってきてはくれないか? もちろん仕事で扱う機密を盗み出せと言うのではない。噂を集めたり、諸侯の動向を片手間に探ってくれればそれでいい」
「その程度でしたら、造作もございませぬ」
「いいだろう。報酬は定期的に支払う。とりあえず、このくらいか」
高星は引出しから銀貨の十数枚入った袋を取り出し、執務机の端に置いた。見兵衛がそれを受け取って、中を確かめる。
「足りるか?」
「この程度の仕事の報酬としては、十分です」
「依頼以外の事でも、何か価値のある情報や仕事には、別途報酬を支払おう。こちらから呼び出したいときは、どうすればいい?」
「何か合図になる物でも身に着けていただければ、3日以内に儂か手の者が訪れます」
「合図か。では呼び出したいときは、私の帯刀に白い布を結び付けておく、というのはどうだ?」
「よろしいでしょう」
「色々と深く話し合ってみたい事もあるが、今はまだお互いに仕事を頼む側と受ける側でいるとしよう。今日はもういいぞ」
「ではまたいずれお会いいたしましょう」
そう言って見兵衛は、音も無く消えるのかと思いきや、普通に歩いて去って行った。その方がむしろ、こちらに余計な警戒心を抱かせないのかもしれないと思った。
◇
見兵衛と会ってから3日、刀に白い布を結びつけた。呼べば来ると向こうが言ったのだ、その言葉を違えはしないだろう。それでも、試してみたいと言う気持ちはあった。
合図をした翌日に、気配を感じた。それも、私室に一人でいる時にだ。現れたという事を教えるために気配を感じさせたのであり、おそらくその前からすでに傍に居たのだろう。
「構わん。姿を見せろ」
言いながら、露骨すぎたかなと思った。こちらがこうやって試す事を想定して、どこか近くで待っていたのかもしれない。
現れたのは、見兵衛では無かった。見兵衛よりずっと若い、丸っこい童顔の男だった。
「糠助と申します」
本名とは限らないだろうと思った。見兵衛にしてもそうだ。仕事上、名は幾つも持っているだろうし、名乗った名が本名とは限らない。もっとも、どうでもいい事とも言える。
「見兵衛とは、どういう関係だ?」
「見兵衛様の相方、とでも申しましょうか。手の者をまとめて見兵衛様の御手伝いをしております。こうして姿を現す時は必ず、見兵衛様か私が現れます」
「手の者の実態は、決して晒さないという事か」
「それで、ただ呼んだだけという訳ではないでしょう?」
「お前達の力を知るために、一つ仕事を頼みたい。もちろん、気になっている事だから頼むのだ」
糠助は何も答えない。例え戯れでも、見合った報酬さえもらえるのならば、仕事をするのだろう。
「私には、弟が居る。私が当主を継ぐ時に、追放した」
やはり、何も言わない。これだけでもある程度の当ては付けられるだろうが、解っていても何も言葉には出さないようだ。淡々と話し続ける。
「その後、コルネリウス家の庇護を受けてしばらく都に居た事が解った。その後、多額の資金を受け取って、どこかへ去ったらしい。その後の行方は、調べていない。
弟が、今どこで何をしているのかを調べ出してくれ。大まかな事だけでいい。行方が知れないので、少々手間取るかもしれんが」
「問題は無いでしょう。その弟君のお名前は?」
「ジョバンニ、ジョバンニ・アンドウ」
「これは、ずいぶん違うお名前ですな」
「私は長男だから伝統的な名を付けられたが、弟は都でも通用するような名を付けられた。
名を付けた方も、付けられた方も、安東家に生まれた事をむしろ嫌がっていた様な気がする。解らぬ事でも無いのだが」
「報告は、定時の物と一緒にでよろしいでしょうか?」
「良いだろう、急ぐ物でも無い。報酬はその時として、別に経費が必要なら、いくらかここで払うが?」
「この程度の事なら、無用でございます」
「そうか。では、頼むぞ」
軽く頭を下げて、糠助は姿を消した。見事な技だが、それをことさらに見せるあたり、見兵衛より若いのかもしれない。
◇
政務の息抜きも兼ねて、自ら市内の巡察に出た。一年の収穫が集まって街が活気づくのは、もう少し先と言った様子だ。
「今日は、珍しく暖かいな。エステル」
「確かにそうだが、本来このくらいのものだろう。今年は嫌に肌寒い」
「その肌寒いのに合わせて厚着をしているものだから、暑くて敵わん。喉も渇いた事だし、どこかで一息入れたい。ジャン!」
「はい、棟梁」
「ひとっ走りどこか適当な店に行って、予約を入れて来い。今から集団で行くから、茶の用意をしろとな。迷惑にならない様に、空いている店を選べ」
「はい!」
ジャンが確保した店に着くと、エステルとジャンを含めた数人を連れて店内に入った。他の者は、店の外で警護をしながらの休憩である。
高星はざっと店内を見回した。客は三人居るだけである。客の一人、地味な着物を着て茶を啜っている老人の後ろの席に、高星は座った。
「わざとらしく視界の端をうろつかれなければ、こうして座っても気づかなかっただろうな」
「そうでなければ、この仕事はできませんのでな」
背中合わせのまま、見兵衛が答える。人ごみはおろか、閑散とした店内に居ても気にも留めない程に、印象が薄い。第一印象が強烈過ぎたせいかもしれない。
「定時の報告か?」
「依頼された仕事の成果もあります。それと、もう一つ売りに来た情報も」
「手早いな」
「ただの偶然です。弟君が割と目立つところに居てくれたので、すぐに足取りを追えたと言うだけの事。
とりあえず定時報告の情報は、こちらに」
見兵衛が折り畳んだ紙を渡してくる。できるだけ何気なく受け取り、仕舞い込んだ。
「それで、うちの愚弟はどこでどうしている?」
「都を出た後、傭兵家業を始めています。今も、傭兵として渡り歩いているようですな」
「なるほど。確かにあいつは腕も立つし、用兵も悪くなかった。悪くは無いと言うだけだが。ともかく妥当な落ち着きどころだろうな」
「ジエ橋会戦に参戦していた様です」
「なんだと?」
玄州の覇権をめぐって、北朝内の二大勢力の一方ユアン公爵と、武名名高いコウスェン子爵がジエ橋南方の平原で激突したのは、今年の春の事だ。今年最大の大会戦と言って良い。
「それで、どちら側に居た?」
「コウスェン子爵方に」
「負け戦か。ならタダ働き同然だな。傭兵をやっていれば珍しくも無い事だ」
「その後、蒼州へ移動したらしいという事までは、調べが付きました」
「妥当だな。仕事の多い所だ。競争も激しいだろうが」
見兵衛が茶を啜る音が聞こえる。高星も茶に一口付け、ついでに頼んだおはぎを丸々一個口に放り込む。
「都の方で動きがございました。大きな動き、と言って良いでしょう」
見兵衛の言葉を高星は黙って聞いた。おはぎが口に詰まっていてしゃべれない。
「南朝の、内丞相(第三位宰相)と尚書令(皇帝政務秘書長)が北朝方に捕らえられ、処刑されました。どうやら北朝内に内通者を作る工作の締めとして潜入していたところ、発覚した様です」
「最上位の高官と言って良い二人だ、南朝には大打撃だろう」
ようやくおはぎを飲み込んだ口で、高星が言う。
「今のところ南朝方はひた隠しにはしていますが、内通者をあぶり出し次第、北朝方が公表するでしょうから、まあ無駄な努力でしょうな」
「しかし、それだけの高官が都合良く二人揃って潜入していたところを発覚とはな」
「私はそれについては、何も申し上げる事はございません」
見兵衛はどう見ているだろうかと思ったが、こちらの心を読んだように先んじて言われた。自分の意見は決して言わないと言うのが、密偵をする者の在り方という事か。
「まあいい。報酬だ」
財布から金貨を一枚取り出して、後ろに弾いた。
「ついでにもう一つ依頼だ。こっちに来て座れ。会わせたい相手が居る」
「それを込みで、この報酬という事ですかな?」
「そうだ。受け取った以上、嫌とは言わせん」
見兵衛は特に渋る様子も無く、高星と向き合う席に移動した。
「ジャン、ちょっとこっちへ来い」
「お呼びですか、棟梁」
「座れ」
ジャンを隣の席に座らせた、見兵衛とは斜めに向き合う席に当たる。
「ジャンだ、私の従卒をさせている。今はな」
「……どうも」
情況が理解できないまま、ジャンは会釈をした。
「ジャン、こちらは見兵衛殿。今後こちらの依頼を受けて、主に密偵をやってもらう事になるだろう」
「何故、儂と彼を会わせたのですかな?」
「特に深い意味は無い。ただ面識が有れば役に立つ事もあるかもしれないと思っただけだ。今思い当たるだけでももう一人、会わせておこうかという者が居る」
操の事だろうとジャンは思った。目の前の老人が密偵だと言うならば、役割が最も近いのは、操だ。
「あの道士ともそこそこ仲良くしていたようだしな、その程度の理由だ。一応、顔と名前を覚えておいてくれればいい。お互いにな」
「そうですか。若水道人殿と」
「いえ俺は、そんな大した付き合いが有る訳じゃありませんが」
面喰いながらも、見兵衛と言う老人の顔はしっかりと記憶した。しかし、意識して覚えないとすぐにでも忘れそうな顔だ。
「今は、これだけだ。中央の裏の動きまで捉えているとは、恐ろしくもあるが、そうで無くてはとも思う」
「ご期待に応えられている様なら何より。また御贔屓に願いたいものですな」
そう言って見兵衛は席を立ち、店を後にした。人ごみに紛れると、どこぞの隠居老人にしか見えない見兵衛の姿は、すぐに解らなくなった。
◇
政庁に戻ってすぐに、提督を呼んだ。そして、見兵衛から聞いた中央での動きを話した。
「南朝の高官二人が捕らえられ処刑、ですか……」
「どう思う? もちろん全て事実だと仮定した上で、だが」
「南朝にとってかなりの痛手である事は間違いないでしょう。ですがそれ以上に、アウストロ一門にとって致命傷でしょうな」
「やはりそう思うか。死んだと言う二人の高官は、どちらもアウストロ一門の人間だったはずだ。
帝都内乱都落ちで痛手を被ったアウストロにとって、ここでまた主要な人材を二人も失う事は、止めと言って良いほどの打撃のはずだ。それだけに、不可解だ」
「高官二人がそろって敵地に潜入していた事、それが北朝方に知られていた事、当然護衛は居たはずなのに捕らえられた事。確かに不可解な点が多いですな」
「北朝方が謀略を以て誘い出した、にしては都合が良すぎる気もする。一人ならまだしも、最上位の高官が二人同時だ」
「となれば、味方に裏切られた。しかしそれでも疑問が残りますな。ここでアウストロに致命的な打撃を与えれば、南朝そのものを脅かしかねません。
かと言って、その様な事を考えない末端の者の仕業と言うには、高官二人同時と言うのは無理が有ります」
「提督、何も当事者が冷静で客観的な考え方ができるとは限るまい。目先だけを見てアウストロ一門を目障りと感じ、主要人物二人を死地に追いやって売り渡せる人間が、一人居る」
「南朝の皇帝、カルロス」
「皇位など到底望めない末端の皇族から、一気に皇帝に担ぎ上げられた。しかし、名ばかりの皇帝だ。だがアウストロ一門を除けば、名実共に皇帝として君臨できる。そう考えてもおかしくは無い」
「そして内通工作の総仕上げと言う名目は有れど、最上位の高官二人を敵地に潜入させるなどという事が出来るのは、皇帝だけ。
皇帝カルロスが全ての首謀者だと考えると、全てのつじつまが合いますな」
「実際は、裏にもう一人居るのかもしれんがな。だが皇帝カルロス自身の意思だとすれば、大人しく傀儡になる様な玉ではないという事だ。
南朝はとんでもない男を皇帝にしてしまったのかもしれないな」
「荒れそうですな」
「荒れるだろう。その余波がどれだけこちらにも影響を及ぼすかが問題だ」
「注視しておきましょう。影響が及びそうな事全てに」
「頼むぞ。私は近いうちに、もう一度戦をやる。いつも留守を任せてすまないな」
「なんの。殿が安心して戦に出られるなら、誇らしいくらいです」
提督が屈託のない笑顔を見せた。高星も、それに素直な笑みを返した。




