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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
勝利の神に生贄を
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6

 トサに凱旋した頃に降り出した雨は、昨日の土砂降りが嘘のように止んでいた。

 中小国(なかおくに)の戦死を嘆いている様だと言う様な、感傷的な事は思わなかった。その様な詩的な情緒は持ち合わせていないし、その資格も無いし、そもそも自分には悲嘆にくれる事など許されない。

 頂点に立つ以上、いつだって自分にしかできない仕事は多くあり、悲しみにくれてそれを放棄するなど、上に立つ者としての資格が無い。人の上に立つという事に対する、誇りが無い。

 だから皆が悲しみにくれている間、高星(たかあき)はいつにもまして政務に打ち込んだ。特に、騎兵の再編をしなければならない事もあり、やるべき事は多く、寝る間も惜しいほどだった。

 それも大部分は片付いて、ようやく平常に戻りつつあると言う頃になって、どっと疲労が押し寄せてきた。

 この疲労感は、同じく上に立つ責任を背負ったものにしか解らないだろう。

 戸を叩く音がした。


「殿、寺山(てらやま)です」


 続いて扉の向こうから名乗りを上げる声。高星は短く入れと返した。すでに表情を引き締め、疲れた様子などは欠片も感じさせない。


「騎兵士官寺山、御用命により出頭いたしました!」


 直立し、敬礼する。表情もどこかぎこちない。そんな有様に高星は思わず苦笑いした。


「こうして会うのは二度目だが、その様子ではまだ慣れない様だな」

「はっ、いえ、その……申し訳ありません」

「まあいい、慣れなんてものはすぐだ。

 さて、今現在を持って貴官の全ての任を解き、新たな任務を与える。新たな配属先は、私の親衛隊、騎兵担当参謀だ」

「騎兵担当……参謀ですか?」

「そうだ。常に私の傍に侍して、騎兵の運用について立案し、相談相手となってもらう」

「私では、役者不足ではないでしょうか」

「そう思うのも無理は無い。実際、もっと実戦経験を積んだらと考えていた。しかし騎兵は指揮官の交代により、その性質を変えざるを得ん。

 それに伴い、これからの騎兵の運用に関して考える人間がすぐに必要だ。従来通りの戦い方をしていては、遥かに強大な敵には勝てん」

「それで、経験不足を承知で私を?」

「そうだ。今後騎兵は私が直轄するつもりでいる。だが私は騎兵だけに専念しては居られない。だから私の代わりに、騎兵の新たな戦い方について考える人間が、すぐに必要なのだ。

 それに、私はお前の見識は高く買っているぞ。多少の経験不足は問題にならないだけの先見性がお前にはあると思っている」

「そんな、私如きは――」

「謙遜は聞きたくない。受けるか、それとも辞退するかだ。辞退するならば、このまま旧職に戻る事になるが」


 寺山が考え込むそぶりを見せる。高星はおそらく彼は悩んでも引き受けるだろうと思った。

 だが高星の予想よりはるかに速く、寺山は答えを出した。


「お受けします。非才の身ながら、全力を尽くします」

「ほう、もっと悩むかと思ったが」

「軍人は、国と主君のために全力を尽くすべきであり、自身の能力が足りるかどうかは考えず、ただ全力を尽くす事だけを考えるべきと思いまして」

「そうか。配属に関しての詳細は、親衛隊長のエステルから受けるように。以上だ」

「はっ、失礼いたします!」


 執務室を去る寺山に、すでに過度な緊張は見られなかった。疲れている場合では無いなと、高星はその背を見ながら思った。


     ◇


 いいかげん政務を切り上げるようにエステルに言われて、初めてだいぶ遅くなっている事に気付いた。

 日が長くなり、いつまでも明るいので、かなり長い時間政務を執り続けている事に無自覚でいた。

 本当は、それだけが理由でも無いだろう。自室に戻った高星は、銀華(ぎんか)を呼び、他の者はしばらく来ない様に指示した。

 待ち構えていたかのように、銀華はすぐに現れた。


「いやに早いな」

「そろそろだろうと思ってね」

「解るものなのか。どうせなら、酒でも用意してくれればいいものを」


 銀華は今回は手ぶらで来ていた。時によっては酒や肴の用意をしていて、それは何時だって高星が口には出さないが、求めているときだった。


「今日はお酒は欲しくないと思ったから」

「ほほう、なら今私が何が欲しいか解るか?」


 特に何かが欲しいとは思っていなかった。ただどんな答えが返ってくるだろうかと思って聞いた。

 銀華は高星の傍に寄り添い、少し抱き寄せる様に体を密着させた。


「あなたが今欲しい物は、無条件で自分を受け入れてくれること」


 高星は、何も言わずに目を瞑り、身を預けた。心が安らぐ、久しく忘れていた安らぎだった。しばらくの間、そのままそうしていた。


「戦の後、兵達が女を欲する理由が解った気がする」


 どれほど時が経っただろうか、不意にその事を理解した。

 戦の後の兵には、何かはけ口を与えてやらなくてはならない。略奪はいずれ自身の国に組み込むつもりでいる土地での事なので、禁止している。だから代わりに、商売女の手配をしてやらなくてはならない。

 それを怠ると、気が立った兵が感情の持って行き場を無くし、軍規に背く暴行事件などが目に見えて多発する。

 それは昔から知られている事なので、高星もそういう事への手配は怠りなくやって来たが、何故そうなるのか、何故それが必要なのかは理解できなかった。

 別に理解していなくても、必要性を把握していればそれでいいと思っていた。

 だが、こうして銀華に身を預けていて理解した。戦場で剣を振るう時は誰もが恐怖など忘れている。戦場の最中で恐怖にすくむ者は、死ぬ。だから戦場で恐怖を感じている生者は居ない。

 だが恐怖を感じない訳では無い。誰だって怖いのだ、そして、辛いのだ。そういう思いを抱えているときに、自分の全てを無条件に受け入れてくれる存在が、安らぎを与えるのだろう。それが例え、金を受け取って、仕事として男の相手をするだけの女であっても。

 何も女に限らず、男であろうとも安らぎは与えられるだろうし、自分を無条件に受け入れて、安らぎを与えてくれる事に関しては、宗教こそその道の第一人者だろう。

 人間の弱さ、愚かさと言えばその通りだろうが、それは同時に人間らしさという事にもなるのだろう。


「多分、古の権力者達が不老不死を追い求めたのも、同じ事なのだろうな。

 死なない身に成れれば、世界が無条件で自分を受け入れてくれたような思いに成れると思うのかもしれない。権力の頂点に立てば、妻や子供でさえ敵も同然だろうからな」

「それはつまり、自分は愛されていると思える。そういう事なのよ」

「愛されている、か。なるほど、月並みな言葉が急に重みを増したようだ。今までは愛などと聞いても、薄っぺらいとしか思わなかったが……なんだか急に怖くなるな」

「怖い?」

「ああ、怖い。戦場に立つときはいつ死んでも構わない覚悟をしているし、むしろ自分がどういう死に方をするべきかを考えている。

 だが、自分が愛されていると思うと、急に未練が湧いてきた。自分の命なのだ、死んだらそれで終わりだと、割り切れなくなるのが怖い。

 そう思う様になったせいで、死の縁で足を踏み外してしまいそうで怖い。いっそ、死んでも誰も悲しんでくれないと言う確信が有った方が、良いとさえ思えてくる」

「そうね……愛されるという事は、とても怖い事だわ。だって本当に愛している人は、自分のためにあなたの命が必要だと言えば、本当に命すら差し出してくる。

 そういう風に全てを捧げてもらえると言うのは、大きすぎて、重すぎて、きっと怖い」

「銀華、お前は私を愛しているのか? 命すら捧げても構わないと思っているのか?」

「当然」

「そうされる事が怖いと解っていて、なお私に全てを捧げると言い切るか。酷いな」

「だって、そうせずにはいられないのだもの」

「それが人を愛するという事か。やはり、私には理解できん」

「あなたはあなたの臣民を、愛しているんじゃないの? その人達のためならば、どんな修羅の道でも躊躇(ちゅうちょ)無く選ぶんじゃないの?」

「それは――」

「それは義務でも、贖罪でも無い。解っているはずよ。そうせずにはいられないの。つまり、愛しているの」

「……なんだか疲れた。夕食まででいい、少し寝かせてくれ」

「お休み。ほんの一時でも、良い夢を」


 高星は姿勢を崩し、銀華の膝の上に頭を乗せた。程無くして、穏やかな眠りに落ちて行った。

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