表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
勝利の神に生贄を
117/366

3・ジヘノ砦攻略

 戦は勝った。

 だがまだそれだけの事だった。陽動で敵に隙を作り、奇襲を掛け、混乱した敵を討つと言う、一連の会戦に勝っただけである。まだこの戦争に勝った訳では無い。

 現に、戦勝後に敵陣の跡地を検めたところ、敵の死体は僅か三十五しか残っていなかった。混乱したところに総攻撃を受けた時点で、反撃を諦めて逃げに専念されたのだ。

 敗走はさせられても打撃は与えられない。最初から高星(たかあき)は、結果をそう予想していた。だがこの討ち取りの少なさは予想以上だった。

 こちらも深追いは避ける様に指示し、退路の森に逃げ込まれた時点で追撃を断念したが、敵の退却の鮮やかさは際立っていた。負けても兵を失わない敵は、相当に厄介な相手だ。


「あれほど危険を冒してこの戦果か。総攻撃に移った後よりも、私達が斬り込んだ際に討った敵の方が多いのではないか?」


 エステルは渋面を隠せずにいた。こういう顔に出やすい所が、指揮官にも交渉人にも向いていない。


「平地戦で倍の敵を追い払っただけでも、十分な戦果だろう。幸い鹵獲品は少なくない、旗や鎧を集めさせろ。多少、傷んでいてもいい」

「旗や鎧?」

「後ろの砦を落とす。そのための仕掛けだ」

「なるほど。今回はなんとなく読めたぞ。早速手配する」

「頼むぞ。私は次の仕掛けに掛からなくては」


 安東(あんどう)軍はコルネリウス軍が陣地に放棄していった鹵獲品の回収や、負傷者の手当てを行いながら、半日ほど休息を兼ねてその場に滞在した。

 滞在の理由は、民兵隊が包囲を続けているジヘノ砦攻略の用意が一つ、騎馬隊の帰還を待つ事が一つである。昼過ぎになって、騎馬隊が帰還した。


「戻って来たか。中小国(なかおくに)はいつも期待を裏切らないな」


 高星は親衛隊を引き連れて、騎兵を出迎えるために陣前に出た。

 すぐに異変に気付いた。隊からまるで生気が感じられず、重苦しい雰囲気を纏っている。そしてこういう時、いつも先頭を進む中小国の姿が見えない。その代りに、四騎の騎兵が持つ担架の上に、騎馬隊の旗を被せられた誰かが横たわっている。

 全身の血が逆流するような思いがした。


「止まれ! お前達、中小国はどうした。手負ったのか?」

「殿……隊長は……」


 一人の騎兵が担架に目を落とした。高星は担架の傍に駆け寄り、被せられていた旗を乱暴にはぎ取った。

 中小国の死に顔は、微笑んでいる様ですらあった。


「死んだと言うのか。中小国ともあろうものが。死んだと言うのか」


 高星は、指が白くなるほどに拳を握り、睨みつけるようなまなざしを中小国の亡骸に落としていた。

 中小国の死に衝撃を受けたのは、誰もが同じだった。エステルは唇を噛んでうつむき、イスカは目を見開いて、蚊の鳴くような声で何事かつぶやいていた。

 紅夜叉(べにやしゃ)は無表情で眺めていたが、(みさお)は紅夜叉の腕に抱きつく様にしがみついていた。

 ジャンは、何も感じなかった。何かを感じると言う事が出来なくなったかのように、全く何も感じなかった。

 ただ中小国と言う、良く知った人物が通り過ぎて行ってしまって、帰ってこない。それだけは理解できた。


「負傷者の手当ては?」

「応急でできるものは、すでに済ませました」

「では重傷者の手当てをしてやれ。エステル!」


 いくらか強い口調で名を呼ばれ、エステルは体を硬直させた。


「棺を一つ、用意しろ。大至急な」

「はっ!」


 何かを振り払う様にエステルは力強く答え、逃げる様にこの場を去って行った。


「お前らもそこで突っ立ってないで、軽傷者の手当てにでも回れ!」


 高星が親衛隊と、異変を感じて集まってきた兵を追い散らす様にして、自分の幕舎へと速足で戻って行った。

 幕舎に戻る高星の横顔は、何事も無かったかのように平然としていた。

 人の死にいちいち心を動かされていては、戦などできない。解っていても、実際近しい者の戦死を目の当たりにして、平然として居られる訳も無かった。

 ジャンは改めて、それを思い知った。


     ◇


「馬鹿な! 何故こちらに来た!」

「ヴァレリウス様、そんなに興奮されては傷に障ります!」


 従卒の言う通り、手当てをしたばかりの矢傷に痛みが走ったが、些細な事だった。本隊から五百程の兵が割かれ、兵糧庫の援軍に送られてきたのだ。


「私は援軍を送ってはならないと伝令を出したはずだ! 伝令が着くのが遅かったのか? それとも伝令の報告を聞いてなお援軍を送ったのか?」

「そ、それは私めにはなんとも……」


 援軍の隊長が、恐懼しながら戸惑う。


「……すまん、八つ当たりだったな。ともかく急いで本陣に帰還しろ。もしかしたら、まだ間に合うかもしれん」


 そうは言ったものの、ヴァレリウスはもう遅いだろうと思っていた。果たしてその後すぐに、本隊が安東軍の奇襲攻撃とそれに続く総攻撃を受け、ジヘノ平地南端まで後退したと言う伝令が駆け込んできた。


「ヴァレリウス様は、これを予想していらしたので?」


 援軍の隊長が驚きを隠せない様子で問う。


「いくら敵の動きを正確に読んでも、それに対処できなければ何の意味も無い。

 我らも急いで撤退するぞ。本隊が退いた今、この場所は突出している上、すでに敵に掴まれている。

 物資を積めるだけ荷車に積め。馬にも人にも、持てるだけの荷を背負わせろ。追撃を受けたら、その時捨てればいい。その方が囮にもなる」

「我らも、運搬に当たります」

「当然だ。こうなった以上、米一粒でも多く持ち帰るのだ」


 陣は蜂の巣を突いた様な騒ぎとなった。すぐに安東軍の攻撃があるとは考えにくいが、大量の兵糧その他物資をいつまでも放置するとも思えない。その前に、撤退する必要がある。

 ヴァレリウスは指示を出して回りながら、改めて陣内の様子を見た。夜明け前の戦闘の跡はまだ生々しく、地面には赤黒く血がしみ込んでいる所もある。

 そんな地面の染みの一つの前で、足を止めた。


「ここで、あの男は討たれていたな」


 自分の腕に矢を射込んだあの騎馬武者。はっきりと顔を見た訳では無いが、自分よりいくらか若いように感じた。

 矢は腕の骨に当たり、辛うじて命を拾った。薬の備えもあり、腕を落とさなければならないような事は無いだろう。

 あの騎馬武者はヴァレリウスを仕留めそこなうと、馬首を返して離脱を図った。その時、一人の兵が縄を引き、馬の足を掛けて落馬させた。

 落馬した時に首の骨でも折ったのか、その騎馬武者は仰向けのまま無抵抗に討たれた。しかしすぐに他の騎馬が駆け寄り、遺体を拾っていった。

 おそらく上級の将校だったのだろうが、誰かは解らない。その騎馬武者を討った兵も、遺体を拾いに来た騎兵に殺されたので、何も聞く事は出来なかった。

 殺し、殺されは戦の常。誰だか解らない敵が、誰だったのだろうと考えたところで、どうにもなりはしない。騎馬武者の事を頭の隅の追いやり、作業の進捗を尋ねた。


「進捗自体は順調です。しかし、物資全体の三割五分、いえ四割を運び出すのがやっとです」

「そこを何とか五割にするのだ。本隊と合流できるまででいい、平地南部は見通しが悪いから、多少の敵は振り切れる。無理は承知でどうにかしろ」

「しかし、あまり重い荷を持っての移動はやはり危険すぎます。欲をかいて全てを失うよりは、確実に持てる分だけにした方が――」

「これは戦であるぞ。一物でも多く持って退却する。それもまた一つの戦だ。

 無茶も危険も承知の上。だが本隊が退却した以上、我らもまた命がけで我らの戦をしなければならない。この場において我らの戦とは即ち、一物でも多くの物資を持ち帰る事だ。

 何も、物資を死守して全滅するまで戦えとは言わん。できる限りの事をして、それで駄目な時は物資を捨てるのも、降伏するのも仕方が無い。

 だが試みもせず、むやみに安全を求めて捨てなくて良い物まで捨てる。それだけは絶対に許さん。戦なのだから、死力を尽くせ」


 返事は聞かなかった。やれと命じた、後はやらなければ軍法に照らすだけだ。

 自分が正しいと言う保証など、有る訳が無い。これで正しいのだと言う自信も無い。だが無策ではない。安東軍にしてみれば、他に優先すべき事があるはずだ。例えば、ジヘノ砦の攻略。

 ならば矛先がこちらに向く前の、僅かな間隙をぬって物資を運び出す。それは不可能ではないはずだ。そして軍の物資は、兵の命を支える物である。おいそれと捨てて良い物ではない。


「私も荷を背負う。私の分を用意しろ。他の者と一握り分も軽くする必要は無い」


 不安に押しつぶされそうだった。自ら重い荷を背負ったのは、荷の重さで不安を押し潰したかったからかもしれない。


     ◇


 砦を囲んでいた兵が、算を乱して逃げて行った。

 それこそ輜重物資も投げ打って、取る物もとりあえずと言う様相だった。

 それからしばらくして、伝令がコルネリウス軍の勝利を伝えた。安東軍は散り散りになって逃亡しており、現在残党狩りがおこなわれていると言う。

 ジヘノ砦の守備隊にも、安東軍の残党を発見した場合、安東家の領内に逃げ込めぬよう、道を封鎖する様にとの事だった。

 言われるがままに、砦の前を流れる川に沿って哨戒を始めると、確かに数十人規模の安東軍がやってきて、こちらの気付くと迂回行動を取ろうとした。

 何度か行く手を塞ぎ通さぬようにすると、途方に暮れたようにその場に留まった。安東軍は本当に孤立し、近くに遊軍も居ないようだ。

 捕らえようと言う意見もあったが、距離があり、騎兵も居ない守備軍では、追い回したところで逃げられるのは目に見えているので、行く手を塞ぐに止めた。

 そんな事を続けていると、同じ様に数十人規模の隊が二つ、三つと現れては、行く手を塞ぐ守備隊を突破する目途が立たずに右往左往した末、合流を始めた。

 あまり大きな兵力になられては突破を阻止しきれない。そう思いながらも安東軍の残党は増え続け、二百を超えたと思われた。

 その時になって、安東軍の背後にコルネリウスの旗を掲げた一団が現れた。残党狩りに従事しているコルネリウス軍の部隊だろう。ただ遠めなので正確な数は解らないが、旗の数からして百かそこらの様だ。

 再びジヘノ砦に伝令が現れた。伝令は安東軍の背後に居る残党狩りの中隊を名乗り、予想以上に数が多いので、協力を要請すると言ってきた。具体的には、砦からも兵を出しての挟み撃ちである。

 拒否する理由も無いので快く承諾し、ジヘノ砦から半数の二百五十の兵が出動し、安東軍の集団へと迫った。


 およそ二百の安東軍は密集隊形を採っていた。特に何かの陣形という訳でも無く、ただ密集しただけである。

 ジヘノ砦守備軍二百五十は、V字型の陣形を取りながら迫る。安東軍後方の百と合わせて包囲の構えである。

 砦からの出撃を確認した安東軍は、密集隊形のままゆっくりと守備軍に接近した。しかし、ある程度距離が詰まった所で後退に転じ、等距離を保ったまま後退を始めた。

 安東軍が後退に転じた事に気付いた守備隊は速度を速め、安東軍に迫った。距離が詰まるにつれ、安東軍が隊列とも言えなかった隊列を崩して逃亡を始める。

 逃げる安東軍を守備隊はさらに追った。すでに、全力での追撃だった。故に、安東軍の左右より、中央の逃走が早く、凹字陣形になりつつある事に。そしてその窪みに飛び込む形で追撃している事に気付かなかった。

 突然、守備隊の背後から鯨波(とき)の声が上がった。誰も居ないはずの背後からの鯨波(とき)の声に、守備隊は我が耳を疑った。そして振り向いたとき、我が目を疑った。

 コルネリウス軍の鎧を着た兵が、背後から襲いかかってきた。一体何が起きたのか、守備隊の多くの兵は理解できなかった。

 ようやく掲げている旗が安東軍の物である事、着ている鎧もよく見れば、所々破損したものを着ている事に気付き、変装した安東軍だった事を理解した時にはもう遅かった。

 自分達が追い立てていた、敗残兵のはずの部隊は逃げながら陣形を整え、槍の穂先をこちらに向けて並べている。守備隊は完全に包囲されてしまった。


「聞け! 我は安東家当主・安東高星である。コルネリウス軍は我が軍に敗れ、敗走した。あの鎧と旗がその証拠である。お前達ももはや無駄な抵抗を止め、武器を捨てて投降せよ! さもなくばここで皆殺しの憂き目に遭うぞ!」


 高々とそう宣言した高星は、弓を引き絞り、守備隊の足元に唸りを上げる一矢を射ち込んだ。

 幼稚なこけおどしだが、包囲され、味方の敗北を証拠と共に伝えられた兵達の揺らいだ心に加える最後の一撃としては、十分だった。一人、また一人と武器を捨て、二百五十人全員が投降した。

 その後、砦も難無く陥落した。やはり味方の敗北を証拠と共に突き付けられた上、兵力の半分がすでに捕らえられた以上、砦を死守したところで一日と持ちこたえられないと判断し、無血開城となった。


「無血で砦を落とし五百人を捕らえるとは、棟梁の策略には驚くばかりです」

「ジャン、これは策略と言うほどの物でも無い。本隊さえ撃破すれば、こうなるのは必然と言ってよかった。

 根元を絶てば木は倒れる様なものだ。何が根元で、何が末枝末葉かを見極める事が大事なのだ」

「砦は枝の一つで、敵本隊が根元ですか」

「ついでに言えば、あの兵糧庫も今回は枝の一つに過ぎなかった。例えあれを焼き払っても、敵本隊は敗走しなかっただろう。

 あれはあくまで先の備えだった。あの時点での敵の兵站は、別のルートを使っていた様だったからな」

「その兵糧庫だがな、高星」


 待機している本隊との連絡を取っていたエステルが、馬を寄せてきた。


「煙が上がっているのを確認して斥候を放ったところ、あの陣は焼き払われていたそうだ。おそらく退却し、持ちきれない物資を焼き捨てたのだろう。

 どれほどを焼き捨てたのかまでは解らんが、少なくは無いはずだ」

「早いな。もう少し混乱し、まごつくかと思っていたが」

「本当に、兵糧庫を襲撃する部隊を出さなくて良かったのか? あわよくばいくらか奪えたのでは?」

「いや、すでに敵本陣から援軍が出ていた。二度目は奇襲も出来ないし、五百や一千ではどうにもできなかっただろう。だから構わん。

 それよりも、棺を早く送ってやれ。もう初夏だ、さっさとしないと葬式前に亡骸が腐ってしまう」

「ああ……そうだな。朽ちた遺体との対面では、御両親も辛かろう。新しい遺体だからと言って、辛く無い訳でもあるまいが」

「それから軍使を出すぞ。コルネリウスに休戦を申し込む。今度の戦はここまでだ」

「解った、休戦条約の内容は?」

「現場の細かい始末を付けたら指示する。使者の用意だけしておけ」

「了解。だが講和では無く、休戦とはな」

「敵は兵力を失った訳ではない、講和など飲まないだろう。だがお互いに態勢を立て直すための一時休戦なら飲むだろう」

「そういう事か」

「本当はもっと押すつもりでいたのだが、軍の再編も必要だ。致し方あるまい」

「……ともかく、手配は任せておけ。では」


 高星は、何とは無しに空を仰いだ。勝利の日には似つかわしくない、厚い雲が垂れ込めた空だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ