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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
勝利の神に生贄を
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2・奇襲

 強く、踏み出した。前の数人を追い越し、先頭に立った。

 どうでもいい。ただ斬り込むだけだ。

 速く動くために、まず走ると言う考えを捨てた。飛べる訳でも無いし、陸の上を行く以上、足を使わない訳でも無い。

 だが速く動く事が目的であって、速く走る事が目的ではない。だからまず、走ると言う考えを捨てて、どうすれば速いかを考えた。

 いや、考えはしなかった。ただ速さを求めて、その場の直感で体を使った。その結果、いつの間にか今の方法にたどり着いた。

 地を、音が鳴るくらいに、足がめり込むくらいに強く、足場を踏み抜くつもりで垂直に踏み下ろす。

 そうすると反動で、僅かに体が浮く。片足を踏み抜くときに、もう片方の足で地を蹴る。すると一瞬宙に浮いた体が、前へとすべる。

 浮いている間に地を蹴った後ろ足を前に出して、今度はそちらで踏み抜く。それを繰り返すと、走るよりもずっと早い。

 そうやって紅夜叉(べにやしゃ)は、『跳ぶように』駆ける。

 最初の三人は、何が起きているかも解らないままに死んだ。それぞれ袈裟切り、左袈裟、唐竹割で両断だった。

相手の対応が遅いので、いちいち剣を振り上げて、振り下ろして、両断する余裕がある。

 次の集団は流石に武器を構えていた。だがまだ甘い、紅夜叉の事をただの一兵卒くらいにしか認識していない。

 袈裟切りから刀を返し左構えからの薙ぎ、さらに切っ先を落として左逆袈裟に斬り上げる。一人を斬り捨てた状態からすぐに次の攻撃へ、流れる様に捌いて行く。

 いつしか紅夜叉は、高笑いをしながら斬りまくっていた。笑っている自覚すらなかった。


     ◇


 真っ直ぐ直進する、その力は十分にある。なにせ紅夜叉が先頭に立っているのだ。

 危機に陥るとしたら、足が止まった時だ。頑強に抵抗する敵に遮られて足が止まった時、前方広くから包み込むように包囲されるのがまずい。袋の中に飛び込む様なものだ。

 袋の底を突きぬける威力は十分にあるが、それだけに頼り切るのは危うい。そう判断したイスカは、左右の敵を蹴散らすように動いた。

 斜めに前に出て、敵兵を一人突き殺す。そして槍を振るい、周囲の敵を蹴散らす。槍の柄で殴りつけたり、石突で突いたりする。

 まず死にはしないが、それで十分だった。親衛隊は前に進み続けるので、一度振り切った敵は脅威にならない。だから一時、動けなくすればいい。それには打撃の方が速いし有効だ。だから、蹴散らす。

 二・三人を蹴散らしたら、反対側へと突進する。その勢いのまままた一人を突き、その周囲の数人を蹴散らす。それを何度も繰り返す。

 直進する親衛隊と何度も交差する様にジグザグに駆けては止まり、止まる度に敵を蹴散らす。微かに紫電を引きながら戦う彼女の機動は、まさしく雷電の如くだった。


     ◇


 奇襲の目的は敵に混乱をもたらす事にある。その観点から言えば、最も貢献しているのは(みさお)で間違いなかった。

 操は剣も抜かないまま、火種を手に次々と火器に火を点けては放っていく。敵兵が集まっていれば爆竹を投げ、広い場所に出れば煙幕で視界を塞ぎ、弓矢や飛び道具から守る。

 閃光弾は今回は使わない。味方の視力まで奪う恐れがある。その代り、とっておきの自走爆竹を使う。

 ホフマイスター博士が考案した自走爆竹は輪になっていて、点火すると回転しながら自走し、炸裂する。

 昔、若い花火職人が考案していた花火を大型化し、火薬も爆竹用に調整したものだと言う。

 輪になっているので一度に複数個を持ち、着火できる。十個二十個と言う数の自走爆竹に足元を走り回られて、敵は大混乱に陥っている。

 だがまだ半分も走り抜けていない。今はまだ一方的に暴れているが、残り半分を切り抜けられるか。そこが正念場だろうと思った。

 そうだとしても、自分にできるやり方で戦うしかない。


     ◇


 数人を斬るでもなく、突き飛ばした。斬り込む事には成功した。問題は、斬り抜けられるかだろう。

 初めからそれは想定していた事だが、だからと言ってどうする事も出来ない。奮戦して斬り抜けるか、死ぬかだ。

 高星(たかあき)はすばやく周囲を確認した。もう陣地の中心部近くまで来ているはずだ。


「放火!」


 そう命じて、自身も火筒を取り出した。ホフマイスター博士に開発させていた火器の一つで、陶器の筒の中に火の点いた炭が詰められ、空気が入らない様に蓋をし、土で隙間を埋めたものだ。

 鎮火したばかりの火事場で、焼け跡を片付けようとすると突然火を噴く事がある。燃え残った土蔵の戸を開けた瞬間、火を噴くという事もある。

 物が燃えるのには空気が必要だが、空気が無くてもすぐに火が消える訳では無く、新たに空気を送り込めば一気に火を噴くらしい。その状態を人工的に作った筒だ。

 火傷防止に付けられた籠状の外枠ごと放り投げれば、筒は籠から滑り出し、地面に落ちて割れる。割れた筒の中から、空気の無い状態でくすぶっていた炭が漏れ、一気に火を噴く。

 周囲に突然大きな炎が吹き上がった。ボヤと言う段階を飛ばして、いきなり大火事である。実戦で役に立つかは使ってみるまで解らないと思っていたが、満足いく成果を見せてくれた。

 ただ柔らかい場所にぶつかった何個かが、不発していた。今後の課題として、ホフマイスター博士に報告すれば喜ぶだろう。あれは自分の研究しか興味が無く、その分自分の研究に対する情熱は、狂気すら感じさせる執着を見せる。

 突然の大火に混乱はより大きくなる。この火勢なら、総攻撃の機を待つ本隊からも見えるだろう。

 再び素早く周囲を確認した。今のところ、欠けている者は居ない。


 ひときわ大きい幕舎の前に、五十男が立っていた。戦場にはちょっと似つかわしく無い豪奢な服装に、周囲を固める兵の鎧も、他の者とは違う鮮やかな色彩をしている。

 コルネリウス家当主・ルキウス。そう直感した。その瞬間、向こうもこちらに気付いた。一瞬目が合った様な気がした。決して相容れない。訳も無く、そう感じた。

 高星の傍を駆けていたエステルも気付いた。腰の後ろに差したナイフを抜き、一本、二本、三本投げた。

 護衛の兵が自らの身を盾にして、三本全てを受けた。うち一本は、深々と胸に突き刺さったようだ。エステルの舌打ちが聞こえた。


「追うな」

「ああ」


 エステルの声には悔しさがこもっていた。だがここでルキウス・コルネリウスを討ち取ったとしても、嫡子が後を継ぐだけだろう。

 一人を殺せば全てが終わる。高星達の戦は、そういうものではない。

 高星はもう、前だけを見て駆けていた。奇襲をまともに受けた今までの兵と違い、ここから先の兵はある程度異変を察知して、備える余裕があった。厳しいのは、これからだ。


     ◇


 俄然、抵抗が厳しくなった。

 もう敵兵も、ばらばらに襲い掛かってくるような事はしない。油断無く構え、数人で連携して立ちふさがってくる。

 だが矢の様に突き進む親衛隊の足は止まらない。なにより、先頭に立つ紅夜叉の機動と殺戮は、一向に鈍る様子を見せなかった。

 行く手を剣を構えた三人が塞いでいる。しっかりと腰を据え、正面から崩すのは手間取りそうだ。

 紅夜叉は弧を描く様に三人を避けて後ろに回った。そこに居た、不意を衝かれて動きを止めた兵に狙いを定める。

 腹ばいになる様に地面すれすれに身を低くし、片足を切り落とした。そのまま突っ込み、倒れる体を突き飛ばして、さらに後ろに居た兵を押し倒した。

 後ろから、避けた三人が襲い掛かってくる。左手を地面に突き、横殴りに剣を振りぬいた。背中の上で白刃が空を切る。紅夜叉の剣は、敵の腿を深く切り裂いていた。血が吹いたのでおそらく、大動脈を断った。

 残りの二人は無視した。後続はその程度を残したせいで死ぬほど、甘い奴らでも無い。もし死ねば、それはそういう奴だったと言うだけだ。

 槍が突き出されてきた。右前方に移動しながら左手で槍の柄を掴み、槍を持つ敵の左腕を片手持ちの剣で落とした。


「ど素人が」


 思わず吐き捨てた。イスカの槍に比べれば、突く前の予備動作が丸見えだった。逆手に持った槍の柄を斬り落とし、穂先だけにした。大分血脂が巻いて、剣の切れ味が落ちてきた。

 また一人、上段から斬り込んできた。右手の剣で受け止め、懐に飛び込む。そして左手に持った槍の穂で、抱きかかえる様に背中から胸を貫いた。

 力の抜けた死体を右に払いのけ、また駆ける。前に敵、後ろからも来た。十分近づいたところで、切っ先を前に向けて剣を投げた。上手く、敵の胸に突き刺さり、仰向けに倒れる。

 倒れ行く敵兵の手から剣が落ちる。左手でそれを逆手に拾い、頭を下げ、尻を突きだす様に屈みながら、後ろから来る兵を貫いた。

 体をはね上げて屍を突き飛ばし、剣を持ち直してまた前へ。次の敵と剣を上段で打ち合いながら、懐に踏み込む。左手で敵が腰に差していた短刀を抜き、腹を突いた。

 あと何回斬ればいいだろう。あと何人殺せばいいだろう。

 永遠に続いたって、構わない。


     ◇


 敵陣中央部を抜けてから、明らかに敵の動きが変わった。斬り込んだばかりの頃は、何が起きたか解らずに逃げ惑う敵兵も居たが、今は逃げるどころか向かってくる。

 剣の腕に自信が有る訳ではないジャンは、やや後ろに付いて走っていたので、いくらか冷静に戦いの様子を見ていられた。

 やはり何と言っても紅夜叉がずば抜けている。数えた訳ではないが、他人の倍は間違いなく斬り伏せているだろう。

 それに次ぐのはイスカだろうと思った。事前に打ち合わせた訳ではないはずだが、左右を守る様に遊撃している。同じ敵兵一人でも、目の前の敵をただ倒すのとは価値が違う。

 隊列の中央、親衛隊に守られるように走る高星は、少なくともこの斬り込んだ隊の指揮官であると敵にも見られているらしい。明らかに高星一人を狙って突っ込んでくる敵が居る。

 当然、ジャンを含めた親衛隊でそれを阻止するのだが、なにせここは敵陣の中だ。敵の数は、全て防ぎきれるようなものではない。

 そういう、親衛隊を突破して高星に迫る敵は、エステルが流れる様な剣捌きで次々と屠る。

 どれほど敵が多くとも、親衛隊の壁を突破して一度に高星に襲い掛かるのは、多くて二・三人止まりだ。その程度の敵を相手にして、剣術に長け、魔術まで併用するエステルが後れを取る事は無い。

 高星もただ守られてはいなかった。むしろ積極的に敵に向かって行き、千錬剣の錆とする。その度にエステルが非難がましい眼差しを向けていた。

 高星とエステルの二人で、紅夜叉と並ぶくらいの戦果を挙げているのではないだろうか。


 先頭を行く紅夜叉が大きく迂回した。三人並んでいる敵と、正面からぶつかる事を避けたらしい。無視された三人は前後どちらに対応するか戸惑い、一人が後ろを向き、残りの二人がこちらに構えた。

 小柄な影が飛び出した。操だ。ジャンと同じく、やや後ろに付いて攪乱に専念していたので、剣も抜いていない。

 操が跳躍する。だがどう見ても、着地点は敵よりも手前だ。一体何をと思った時、目の前を青い影が横切った。

 右から左へ、親衛隊を横切る様に駆け抜けるイスカの導線上に、操の着地点は位置していた。

 イスカが駆け抜けながら槍を回した。操の足裏が槍の柄に乗り、弾き上げられる。空中で前転しながら操はイスカと目を合わせ、お互いに微笑んだ。

 操は前転しながら彼女の体格に合わせた短めの直剣を抜き、こちらに対していた敵への後ろに着地する。

 頭上を飛び越えられた敵兵の一人が振り向いたとき、もう操は剣で敵兵の首を打っていた。同じ角度の打ち込みでも、短い剣の方が刀身の移動距離が短く、打ち込みが早い。


 三人のうち、二人が倒れた。残る一人は、ジャンの前に立ちふさがった。幸いな事に、仲間がやられて狼狽えている。覚悟を決めた。

 剣を腰だめにして体ごとぶつかった。(つば)が敵の腹に着くくらい深々と貫く。血が手元を濡らした。

 この程度では人間はまだ反撃してくる。それは解っていた。だから、道連れにされてなるものかと、えぐる様に刀身を回した。頭上から血が降ってくる。敵が血を吐いたのだろう。

 敵兵の体を突き飛ばした。だが意外に飛ばず、剣が刺さったまま抜けない。地に倒れ伏した死体に足を駆けて、引っこ抜いた。骨にでも引っかかったのか、固い抵抗があった。

 気分の良くない感触が手に残っているが、意に関している暇は無い。走った、走り続けた。足を止め、味方から置いて行かれれば、あっという間に死ぬ。死にたくなければ、死ぬまで走るしかない。

 その後も何人か立ちふさがったが、それはもうほとんど突き飛ばした。剣も斬りつけるよりも、邪魔な敵を殴り倒す様にして使った。大したもので、それだけ乱暴に使っても折れない。折れていたら、棒切れほどの役にも立たなくなっていただろう。

 不意に、視界が閉じた。闇になった訳ではない。だが闇の様に黒々とした何かが周囲に林立し、見通しを塞いでいる。これでは敵の姿も見えない。まずいと思った。


「止まれ!」


 声、高星の声だ。だが意味が頭に入ってこない。止まれと言ったのか。馬鹿な、こんな時に足を止めたら、それこそ死んでしまう。

 頭に強い衝撃を受けて倒れた。やられた、俺は、ここで死ぬのか。胸倉を掴まれて体を起こされた。顔を思いっきりひっぱたかれた。


「正気になったか?」


 紅夜叉の顔がそこにあった。ようやく、自分が森の中に居る事に気付いた。つまり、敵陣を抜けたのだ。


「正気になったかと聞いている」

「お前にだけは言われたくないな」


 紅夜叉が放り投げるように手を離した。周囲を見回す。間違いない、ここは最初の待機地点の反対側に位置していた森の中だ。血を見過ぎたためか、緑がやけに濃く見えて、黒いくらいだ。


「点呼を取る。呼ばれたものは答えろ」


 エステルが一人一人の名前を呼んでいく。その度に返事がした。紅夜叉も、操も、イスカも居る。ジャンは自分の名を呼ばれて答えた。声がかすれていた。


「全員確認」


 エステルのその言葉を聞いたとき、ようやく全身の力が抜ける感じがした。


「休んでいる暇は無いぞ。ここは敵の逃走経路だ、すぐに離脱し、本陣に戻る」


 高星が刀身の血を拭いながら言った。足に力を入れ直し、歩き出す。自分の手と刀が血濡れな事を思い出し、布きれを取り出して拭き取った。刀身を拭い、鞘に納めようとする。


「待て、まだ納めるな」


 高星に止められた。


「そうか、まだ敵と遭遇しないとも限らないんだったな」

「それももちろんだが、拭いた程度ではまだ刀身が汚れている。そのまま納めると、鞘の内側に汚れが付いて刀を痛める。水洗いしてから納めた方がいい。

 まあ、気にするほどの物ではないがな。紅夜叉など、剣を捨てて奪ったから、納める所が無い」


 一度抜いた剣を、再び納める事も無く使い捨てると言うのも、紅夜叉らしいと思った。

 ともあれ長居もしていられない。早々に森を抜けて、自陣に向けて移動を開始した。

 ほどなくして、背後で軍勢のぶつかり合う声が聞こえてきた。奇襲の成功を受けて、安東軍が総攻撃に移ったのだ。

 勝ったのだ。まだ保証は無い、だが理由も無くそう確信した。

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