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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
ジヘノ平地の戦い
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4・ジヘノ平地会戦

「三百騎相手に、五百騎が苦も無く蹴散らされたと言うのか」


 ルキウス・コルネリウスはうめく様に言った。


「いえ、決して苦も無く蹴散らされたという訳では……」

「黙れ! お前の話を聞く限り確かに僅差と言う印象は受ける。だが終始僅差で負け続けており、一度として相手より優位な立場に立っていないではないか。これが敗北でなくてなんだと言うのかっ!」


 ルキウスの厳しい言葉に、先鋒部隊の隊長は恐懼してひれ伏すばかりである。


「それで、損害は?」

「再編の時間をいただければ、五十以下の欠員で再び戦場に立てます。それほど長くはかかりません」

「よかろう。後衛について隊を再編し、次の命令を待て」

「はっ」


 隊長が小さくなってそそくさと退席する。忌々しいが、ここで処罰したところで何の益も無い。


「さてヴァレリウスよ、どう動くべきだと考える?」


 今回の戦にはヴァレリウスを同行させ、嫡子のティトウスに留守を任せた。本来ならばシュヤ家と接する南方がヴァレリウスの担当であるが、全員が最低一度は各方面の戦いを経験しておくべきだろうと考え、同行させた。


「先鋒部隊は敗れはしましたが、敵の実力をまず測ると言う役割は果たしたと言えます」

「確かに対応の早さ、騎兵の精強さなどは十分に測れた。それが解っただけ無駄では無いな。

 特にこれだけ対応が早いという事は、斥候が優秀なのだろう。もしくは密偵に入り込まれているか」

「今の所、内部に密偵が侵入している様子はありません。

 それよりも先鋒部隊を送り出した目的は果たしたと言えるのですから、迷わずに当初の想定通りに行動するべきです。今のところそれで不都合はありません」

「そうか、そうだな」


 同意はする。だが即答はしない。意見をすぐにそのまま採用せず、一旦飲み込んで、あくまで自分の判断を下す。


「当初の予定に沿ってこのまま進軍。陣を……この地点に敷いて敵を待ち受ける」


 地図上でジヘノ平地中部のある地点を指し、命令を下す。こちらの先鋒を迎撃してきた以上、必ず本隊も南下して会戦となるだろう。そう判断した。


「それとヴァレリウス、お前は別働隊を率いてこの地点に向かえ。重要な任務である」

「この地点は、特に戦略上の価値は無いはずですが?」

「だからこそ、ここなのだ。なに、重要ではあるが、言ってしまえば簡単な任務だ」


     ◇


「ほう、良い所に陣を敷いたものだな」


 組み上げたばかりの櫓の上で高星(たかあき)は声を上げた。


「敵を褒めてどうする」


 傍らでエステルがため息を吐く。


「そう言うな。良い所に綺麗な陣を敷いた事は、疑い様も無いのだから」


 コルネリウス軍は、ジヘノ平地南部の林が点在する地域を抜けたところで陣を敷いた。その陣はコルネリウス軍から見て左後方に林、右前方に背の低い草地という、兵書に書かれている良い陣の見本の様なものであったのだから、ため息も出ようというものである。


「ジャン、兵書では後方に森林が来るように布陣するのが良いとされている。だがその理由までは書かれていない。森林を背後にする利が解るか?」

「森林を背後にする利……。森は見通しが悪いから、後ろから奇襲を受けそうなものだけど。

 あ、逆か。見通しが悪いから、兵力の一部を隠したり、敗走した時に森の中に逃げ込んで、追撃対策にあらかじめ伏兵を置いておけばいいのか」

「そうだ。森を背後にする理由は、逃げる時に有利だからだ。今お前が言った事の他に、森の中では機動力に優れる騎兵や、弓矢などの飛び道具が機能しないので追撃が難しいと言うのもある。

 負けた時の備えが十分であれば、余裕を持って戦う事が出来るし、本当に負けても被害が少なく、すぐに軍を立て直す事が出来る」

「背後からの奇襲の恐れは?」

「それこそ伏兵を置いておけば、奇襲部隊が奇襲を受ける事になる。そうで無くてもあからさまに怪しいのだから、無防備になどしない」

「それもそうか」

「そうだ。ところで話は変わるが……斥候の報告では敵は五千五百だったな?」

「そう聞いていますが」

「では皆に聞くが、あの軍勢が五千以上に見えるか?」


 確かに陣を敷いているコルネリウス軍は、贔屓目に見ても五千を超えている様には思えない。


「四千五百くらいだと思います」


 操が答えた。


「四千五百か、妥当なところだろうな。では目の前の敵が四千五百として、後の一千はどこへ行った?」


 確かに一千の敵兵の所在が分からないと言うのは、不気味である。


「後詰」


 エステルが短くつぶやく。


「後詰か。当然敗走した時などに備える予備の兵は後方に置くだろうが、せいぜい五百だろう。五千五百から後詰だけに一千も割くのは多すぎる。

 五百が後詰としても、もう五百は行方不明のままだ」

「つまりそれが、コルネリウス軍の策か」

「断定はできん。だが早急に調べる必要がある事は間違いない。現状でも戦闘部隊二千の我が軍に対して、向こうは見えている敵だけで四千五百も居るのだ。

 この上五百に何かしらの策略を持って動かれたら、危険極まりない。斥候を多めに出していち早く探り出せ」

「承知した。だが高星、策略を持って動くと言っても、この平原で姿を見せずに側背に回れるものか?」

「正直なところ、難しいだろうな。だからこそ敵の意図が読めん。意図が読めず、確実に存在する敵の一部を捉えられていないなど、放置できるものでは無い」

「もっともだ。ともかく斥候は十分に出す。高星は正面の敵に専念してくれ」

「頼むぞ」


     ◇


 一人幕舎に戻った高星は、判明している限りの敵陣の詳細を描き込んだ地図を前に、渋い顔をしていた。

 見れば見るほど兵理にかなった堅陣である。このまま会戦を挑んでも、勝ち目は薄いだろう。

 安東(あんどう)家自慢の騎兵も、敵騎兵が未だ九百騎以上居る戦力差では、厳しいものが有る。

 二倍までならまだ勝てるが、三倍ともなると難しい。勝てなくはないだろうが、賭けの要素が大きくなるし、勝ってもこちらの損害が大きすぎるだろう。

 やはり騎兵戦力の増強は喫緊の課題であるが、大きな難題でもある。

 思考が不急のものに傾いている事に気付き、頭を切り替えようと背を反らし、肩を回した。騎兵の増強は重要だが、今考えるべき問題ではない。今は目の前の戦に集中しなくては。

 あまり対陣が長引くと、砦の攻囲を任せた民兵隊が心配である。彼らにいきなり長期に渡る戦は、不安が大きい。

 しかし動くとなるとやはり、姿の見えない敵の別働隊の存在が不安である。無視するには大きすぎる不安要素だ。


「高星さん、失礼します」


 天幕の外から、ノック代わりの声がした。


「操か、戻ったのか」

「定時連絡のために帰還しました」


 いつの間にか、かなりの時が経っていた様である。見れば陽が傾いて、空が赤くなり始めていた。


「その様子では、何も掴めなかった様だな」

「はい。申し訳ありません……」

「よい。調べるにしても、漠然としすぎている。これでは何も掴めなくても仕方が無い。もう少し、相手の意図が絞り込めればよいのだが……」


 案外別働隊五百は幻で、兵に扮した偽兵をこちらの斥候に見せておき、すでに帰らせているのかもしれない。そうであったら、幻想におびえていた事になる。それはそれで、有りうる策略だ。


「このまま闇雲に探してもらちが明かん。お前は親衛隊付に戻れ。他の斥候も、通常の数に戻そうか。このままではいたずらに疲労が溜まるだけだ」

「じゃあ、エステルさんを呼んできますね」

「済まないな。戻って来たばかりだと言うのに雑用を頼む事になって」

「いえ、もののついでですから。では失礼します」


 操が丁寧にお辞儀をしてその場を去る。良く出来た娘だ。少々出来過ぎている。まだようやく今年で16になるはずであるのに。

 同じ年頃の市井の娘と比べても、あらゆる面で優れている。だがそれは果たして幸福な事だろうか?

 そう考えて高星は、これは自分の信念に反すると気付いた。むしろこれは、あの道士の思想である。

 乱世に弱者では生き残れない。無力、その罪深きを知れ。


     ◇


 エステルが高星の幕舎を訪れたのは夕食後になった。ちょうど夕食の時間が挟まったのと、対陣が長引く事に備えて物資の確認に忙殺されていたからである。

 篝火が焚かれる頃、薄暗い幕舎の中で高星とエステルは対峙した。安東軍は屋外の篝火も、幕舎の中の灯火もあまり明るくはしない。

 目が光に慣れると奇襲を受けて灯火を消された時、何も見えなくなるし、闇の中で動くものを捉えにくくなる。


「エステル、待ってたぞ」

「私もちょうど良いと思ったところだ」

「ん? 何かあるのか。まあいい、こっちの用事が先だ。斥候を通常の数に戻せ、このまま闇雲に探しても斥候員を疲弊させるだけだ。

 それにこの見通しの良い平原では、我が軍の左右を抜ける事はまず不可能だ」

「了解した。私の話と言うのも実は、それに関しての事なのだが」

「まあ、そうだろうと思ったが、何か敵を探るいい方法でもあるのか?」

「ある。……かもしれない」

「聞こう」

「私が魔力を使って敵の現在位置を探る。敵の別働隊がどこに居るのか、そもそも本当に存在しているのかが解れば、おのずとその意図も解ると思う」

「魔力で……そんな事が可能なのか?」

「そういう魔術が有る訳ではないし、前例も聞いた事は無い。だが理論上はおそらく可能だと思う。

 私は理論的な事は専門外なので、やってみなければ解らないのだが、高星の許可さえあれば試してみようと思う」

「……それを行う事で、想定されるリスクは?」

「悪くても私が翌日起き上がれないくらいに消耗する程度だろう。こちらも確かな事は言えないが、身の危険を感じたら中止する」


 高星が顎に手を当てて考える。流石に普段縁の無い魔術がらみとなると、判断に困る様だ。


「高星」

「……そうせがむような眼で見るな。解った、許可しよう。ただし危険は冒すなよ?」

「解っている」

「何か必要なものはあるか?」

「集中できるように、できるだけ静かな環境が有ればいいだろう」

「親衛隊を集めろ。巡察の名目で、少し陣から離れる。何も無い原っぱの真ん中なら、十分だろう」

「済まない、わがままを言っただけの成果は上げて見せる」

「何度も言うが、無理はするなよ?」


     ◇


 親衛隊が招集された。元々高星の屋敷で暮らしていた三十人ほどのうち、二十人を選抜した組織だったが、ときどき高星が新たな隊員を入れるので、今は総勢二十五人になっている。

 その二十五人を前にして高星は、夜間見回りに出ると言い、実際その通り陣内の巡回を始めた。

 しかしただの巡回ならば日が暮れてから、それも高星自身が親衛隊を引き連れて行う必要は無い。だから本当の目的は別にあるのだろう。そうジャンは早い段階から予想していた。

 巡回は陣内の内側から徐々に外側に向かって行われ、ついに陣の外に出た。やはり、何か別の目的があったのだ。

 すでにほとんどの者がその結論にたどり着いているらしく、陣の外に出る事に関して驚いた様子を見せた者は居なかった。

 やがて陣内で灯される篝火が蛍の光の様になったところで、黒衣の一行は闇の中で停止した。


「皆聞け。これより本来の目的である、魔力による敵勢力の捜索をエステルがおこなう。お前達の役目は、捜索中無防備になるエステルの警護だ。

 敵襲の可能性は極めて薄いと思われるが、警戒は怠らぬように。敵兵だけでなく、夜行性の動物による妨害も考えられる。見かけたらできるだけ静かに追い払え」


 地味に、無理難題を言う。


「エステル、他に何か必要な事はあるか?」

「無い。と言うよりも、完全に手さぐりだから、何も言い様が無いな」

「何度も言う様だが、無理だけはしてくれるなよ」

「解っている」

「そうか。では皆、取りかかれ」


 高星の号令一下、エステルは目を閉じて座り、意識を集中する。他の者達は、邪魔が入らない様に、そして邪魔をしない様に、エステルを円状に囲んで外側を警戒する。

 と言っても、星明りで微かに景色が見える草原には、影の一つも無い。


     ◇


 捜索を行う魔術自体は存在する。系統で言えば青と称される、制御や分析に属する魔術だ。

 実際に鉱脈の捜索などで利用されている事があると聞いた事がある。仕組みとしてはスイカや石壁を叩いて内部を探るのと同じ、魔力の波動を測ってその通り方や反射で見えないものを探るものだ。

 だがこれから行う事にその方法は使えない。広大な空間の、どこに居るのか、それとも居ないのかも不明な相手を探すのに、空間全体を覆う魔力の波動を放つなど、人間の限界を超えている。

 だが探すのが『人間』であるのなら、別の手がある。はずだ。

 どんな人間も、いや、あらゆる動植物は必ず魔力を持っている。ただ微弱すぎるだけだ。その魔力を拾う。

 自分の内部にある魔力を把握し、制御する事は、魔術の基本だ。ならば自分の外側にある魔力を把握する事も、不可能ではないはずだ。

 草木や虫や小動物は、人間以上に魔力が小さいので問題無い。空気中のちりが視界を妨げないのと同じだ。例え砂嵐の様に酷くても、全く見えなくなる訳では無い。

 一人の人間を察知するのもまず無理だ。大きな魔力を持つ魔術師が相手でも、何の備えも無くその魔力を察知して、存在を捉えるのは無理がある。どれほど背が高くても、水平線の彼方に立っていては米粒ほどにも見えないのと同じだ。

 だが今探すのは、少なくとも数百人と言う集団だ。個人を特定するのではなく、それだけの集団をぼんやりと捉えられればそれでいい。それ位ならば、不可能ではないはずだ。

 意識を集中して敵陣の方角を探る。初めのうちは魔力を捉えるという事が上手くできなかったが、あれこれと微調整しているうちにぼんやりと見えてきた。

 ある一部分だけがぼんやりと光っている様な感覚がする。敵陣が有る場所だ、間違いない。

 そこを起点に、周囲を探り始める。敵陣の真後ろの方に、もう一つ感覚が捉えた集団がある。おそらく後詰だ、規模は辛うじて本隊の1~2割程度だろうかと解る。漠然としすぎていて、正確な事は解らない。

 仮に本隊の一割の兵力の後詰なら、五百人のはずだ。ならば別働隊がどこかに存在するはずだ。それを探り出さなくては意味が無い。

 一度に広い範囲を捉えようとすると、すぐに全て見えなくなってしまう。望遠鏡を覗く様に、範囲を絞って少しずつ調べていく。だが捉える部分を動かすと、すぐに感覚がぶれて見えなくなってしまう。想像以上に厄介だ。

 どれだけ探し回ったか解らない。すでに時間の感覚が無い。だが見つけた。後詰と同程度の人間の集団が、本隊よりも西側の一角に集まっている。

 ついに捉えた。喜びで気を抜きそうになるが、あわてて気を引き締める。もっと正確な事を知りたい。

 今は移動している様子は無い。だが夜なので休んでいるだけかもしれない。それはこの方法では知りようが無いので仕方が無い。

 まずい事に距離が解らない。この方法では、捉えた物までどれくらいの距離があるのか全く解らない。目で見ているなら目測ができるが、初めて感覚で見るという事をしているので、目測に当たる様な距離の把握ができない。

 はたと気づいた。感覚で捉える範囲を広げる。一度捉えた物ならば、感覚の範囲を広げても何とか見失わずに済むかもしれない。いや、そうできなければならない。

 本隊と別働隊を同時に捉えた。比較対象さえあれば、距離を概算できる。本隊の距離を一として、別働隊はそれよりは遠い。だがおそらく二倍は無い。

 全体がぼやけてしまって正確に捉えられない。もう少し、せめてもう少し正確な情報が欲しい。


「エステル!」


 突然、体を強く揺さぶられた。意識が引き戻され、その瞬間意識を失いそうになった。辛うじて気を失わずにこらえる。

 戻ってみると、全身がべっとりと濡れていた。大量の脂汗をかいている。息が上がって、唇も乾いた感じがした。


「私が解るか?」

「ああ……高星。私はどうなっていた?」

「微動だにしないまま大量に汗をかいて、一度は赤くなった顔色が蒼白になって来たんで危険だと判断した」


 まるで自覚が無かった。余程集中して居たのだろう。それほどの集中力が必要だったという事だ。見れば、月がかなり移動していた。時間の感覚すらも失っていたようだ。


「エステルさん、ともかく少し休んでください」


 そう言って、ジャンが竹筒の水筒を差し出した。栓を抜き、一口飲むとむせかえった。水も満足に飲めないほど疲れている。


「ともかく今日はもう帰還する。お前は早く寝た方がいい」

「待て、敵別働隊を捉えた。位置は――」

「明日でいい。これは命令だ」


 冷酷さを感じさせるほどに高星は言い切った。そして、満足に立ち上がれないエステルを数人掛かりで馬の背に乗せ、落ちない様に気を付けながら陣地へと帰還した。

 エステルは馬の背に揺られるうちに、深い眠りに落ちて行った。


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