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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
ジヘノ平地の戦い
109/366

1

 安東(あんどう)軍がその本拠であるトサの街から出陣したのは、第11節5日の事である。

 いくら雪解けの遅い北国と言えど、初夏を待っての遅い出陣である。これ程までに出師が遅れたのは、二つの理由が有った。

 一つは、有る重要な政策を施行したため、その定着を確認する必要が有ったからである。その政策とは、増税政策である。

 以前から安東家の枢要は、急速な軍拡を行うのならば大幅な増税は避けられないと言う結論に達していた。しかし古今東西、増税が喜ばれた例は無い。

 そのためその施行は慎重に機会を待たれていたのだが、ついに新年早々に大幅な増税を行う事を公布し、この春から施行されたのである。この決断は、高星(たかあき)が自ら時機を決めた。

 新しい税率は非常に重く、あらゆる収穫物・生産物・売り上げの五割を徴収すると言う物だった。

 これは庶民の生活水準では、生産に掛かる費用と生活するのに必要な利益を除くと、残ったほぼ全てを徴収される。生活するのでギリギリ、余計な金銭など残らないに等しいものであった。

 当然、新税に対する不満は噴出した。それが予想されていたからこそ、公布から施行まで時をもうけて根気よく説得し、公共支出を増やすなど様々な埋め合わせも同時に施行した。

 それによって一応、不満は収まった。しかし未だに不満はくすぶり続けており、表立った動きが収まったに過ぎない。

 ともあれこれら一連の難しい舵取りに忙殺された事が、出師が遅れた原因の第一である。


 もう一つは、今回の軍制に関わる事である。今回出陣した安東軍の兵力は二千七百。内訳は歩兵一千七百、騎兵三百、輜重兵・工兵それぞれ百、そして民兵が五百である。

 領内の各町村で自警団の様な活動をしている者、正式な兵ではないが武術の心得の有る者、その他志願者を募り五百の民兵隊を組織して同行させた。

 戦力としては戦を生業とする傭兵にも劣る。しかし志願兵であり、傭兵より信用のおける兵である。高星は自軍の兵力の少なさを補うために、民兵を募集して補助戦力として活用する事を考えた。

 なお事前の見積もりでは、最大二千の民兵を動員可能と算出されたが、民兵の活用自体が安東家では今回初めて試みられた事なので、五百名の一個大隊に限るという事で落ち着いた。

 この民兵を召集するために、農繁期である春を避けたのが出師が遅れた二つ目の理由である。

 農業を本業としている者はもちろん、冬が開け、春が訪れるとあらゆる産業が動き出す。そういう時期に人手を奪ってしまう事を避けたのだ。

 なにせ一人が居なくなる事は、一人分以上の影響を及ぼす。一人が抜けた穴をふさぐために、他の人員がより多くの仕事をこなさなければならなくなると、負担が増え仕事の効率が下がる。

 ある部分で仕事の効率が下がると、全体がそれに引きずられる。流れの真ん中をせき止めてしまえば、下流には僅かな量しか流れて来ず、上流がいくら大量に流しても、手が回らない仕事が積み上がるだけである。

 ただでさえ増税の影響で深刻な不景気が生じている中で、さらに産業の能率を落とすような真似は、領内の経済に深刻なダメージを与えかねない。故に、ある程度人手に余裕ができる時期まで待つ必要が有ったのである。

 そこまでの事をして軍事に全てをつぎ込んだ事は、数年以内にコルネリウス家を滅ぼして戦を終わらせるという、高星の並々ならぬ決意を物語るものであった。


     ◇


 安東軍は翌6日、ウトの街に集結。この日一日掛けて総点検を行い、7日にいよいよヤコエ回廊を抜けて、コルネリウス領へと侵攻した。

 半島の海岸線に沿って切り開いた道であるヤコエ回廊を通過するのには、丸一日掛かる。途中、昨年の秋に安東軍とコルネリウス軍が激突した戦場跡を抜けた。

 すでに往時をうかがわせるものは、山裾の一角に小さく場所を取る、戦死者を葬った塚だけであった。塚の傍に植えられた樹木がまだ小さく、若々しい。

 その先に、かつての安東家とコルネリウス家の領境を示す関所の跡が有る。今は完全に安東家の支配下に入り、小さな詰所と倉庫が建っている。いずれ拡張して、物資の集積場にするのかもしれない。

 そういう事を行軍中に考えられるほどに、ヤコエ回廊は安全地帯となっていた。200m級の山々が密集するヤコエ山地を組織的に越える事はまず不可能であり、二千七百の軍を脅かすような規模の奇襲は無い。

 安東軍は日が傾く前に、ヤコエ回廊の出口近くで野営に入った。この先は、いよいよ敵地である。


     ◇


 ヤコエ回廊を抜けた先は、ジヘノ平地と呼ばれる平野部である。そのジヘノ平地の北端、ヤコエ回廊の出口を塞ぐ位置に、小さな砦が道を塞いでいた。ジヘノ砦である。


「120……いや、125m四方。兵力はおそらく五百と言ったところか」


 ジヘノ砦を遠望しながら、馬上の高星がつぶやく。


「こっちは民兵も入れれば五倍の兵力が有りますから、攻め落としますか? 棟梁」


 徒歩のジャンが尋ねる。城攻めは十倍の兵力で包囲するのが兵法の常道であるが、それは同等の条件下で、敵を逃がさずに仕留める場合の話である。敵を城から追い立ててよいのなら、五倍でも余裕がある。


「いや、あの砦はただの時間稼ぎだ。本気で攻める必要は無い、が……」


 高星が簡略な地図を取り出して一瞥する。


「こちらから敵を求めるより、敵の方にお越し願う方が良いだろう。砦を囲め」


 高星の指示の下、安東軍はジヘノ砦を包囲しに掛かった。

 ジヘノ砦の北面には川が流れており、街道は橋になっている。その橋を見下ろす様にジヘノ砦は位置しており、すでに橋の上には拒馬が幾重にも並べられていた。拒馬を撤去しようとすれば、城壁の上から矢が届く。

 幸い、川は小川と言った方が適切な程度の流れであり、輜重隊を含めてどこからでも渡河する事が出来た。

 砦からの敵が打って出て、渡河中の部隊を襲う事を警戒したが、北側を囲む部隊以外の全てが渡河するまで、敵は動く事は無かった。

 結局、敵軍は全く動かず、砦は安東軍に包囲された。


「まさか空ではあるまいな? 城壁上に敵の姿は見えるが……」


 流石にここまで無抵抗な事に疑念を感じたのか、砦の南側におかれた本陣でエステルが(いぶか)しんだ。


「いや、連中は元々籠城以外する気が無いのだろう」


 (いぶか)しむエステルとは対照的に、高星は事も無げに言った。


「何故そう言える?」

「見ろ」


 高星が変州(へんしゅう)北部の地図を広げる。


「変州は山がちで、会戦に適した広い土地と言うのは限られている。このジヘノ平地もそういう平地の一つだ。

 つまりコルネリウス家にしてみれば、我らが攻め込んできたとき、この土地で迎え撃つのが最も数的優位を活かせて、有利な戦場だ。

 そしてここで我らを迎え撃つには、この辺りに大兵力を駐屯させる拠点が無い以上、足止めが必要だ」

「その足止めがジヘノ砦という訳か」

「そうだ、あの砦の役割は我らをここで拘束する事にある。無視して進めば当然、兵站線を絶とうとするだろうから、最低限抑えの兵力を割く必要がある。

 そうして時間を稼いでいるうちに、本隊が北上してきて決戦というつもりだろう。故にあの砦は存在するだけで価値がある。下手に打って出て、兵力を失う必要は無い。

 今頃敵の伝令が、全力で疾駆している頃だろうよ」

「ふむ。それで、我らはどうする?」

「敵の誘いに乗ってやろう。広い土地での会戦は我らの望むところなのだから、敵がやってくるまでゆっくり攻城戦をしていればいい。

 こちらに損害が出ない様に、ゆるゆると砦を攻めさせろ。民兵に実戦経験を積ませて、力を測るのにいい機会だろう」

「解った。全軍にそう指示を出そう。敵本体への備えはどうする?」

「斥候を放って警戒させる。ジヘノ平地の南の口まで行かせろ」

「了解した」

「細々とした戦のやり方は各隊の責任において行え。くれぐれも無理攻めをして、兵を死なせるなよ。

 騎兵は付近の哨戒の後、待機。ただしいつでも動けるように。一段落ついたら私は周囲の地形を探りに出る。親衛隊は同行の用意をしておくように。以上」


 各隊の隊長達が、一斉に高星の指示の下行動に移るべく動き出す。天幕に高星と従卒のジャンだけが残された。


「棟梁、一ついいですか?」

「なんだ?」

「敵の本隊がやって来たところを会戦で打ち破るのはいいとして、砦はどうするので? 棟梁の指示の中には砦をどう落とすかが有りませんでした」

「なんだ、その事か。心配は無用だ、敵本体さえ打ち破ればあの砦は、熟れた果実が落ちる様に我が手に落ちてくるだろうさ」

「まあ確かに、本隊を破ればただの孤立無援な砦に過ぎませんね」


 ジャンの答えに高星は、小さく含み笑いをしただけだった。


     ◇


 各部隊が慌ただしく、自らに割り当てられた役割を果たさんと動き出している。そんな中で、親衛隊は比較的余裕が有った。各隊への指令はすでに出されているので、高星の戦場視察に同行するために待機中である。

 だがただ一人、(みさお)だけは別行動だった。斥候隊の一員として、北上してくるであろう敵軍を捉えるために南下するのである。


「じゃあ、行ってくるわね」

「気を付けてな、操ちゃん。……と、本来ならお前が言うべきじゃないのか」


 ジャンがジロリと横目でにらむ。にらまれた方、紅夜叉(べにやしゃ)は鼻を鳴らしただけだった。


「まあまあ、喧嘩しないでくださいね」

「操ちゃんに言われると何か、いたたまれないものが有るな……」


 ジャンがじっとしていられない様な、ばつの悪さに身悶える。相変わらず操の方が態度と言い、物言いと言い、大人びている。


「私達の事なら心配はいらない。棟梁様やエステルさんも居るし、なにより出番が遠くない時の紅夜叉は、余計な喧嘩はしない」


 イスカがため息をつく様な、どこか力の入りきらない言い方で操に言う。


「あはは……。申し訳ないです」

「操ちゃんが謝る事じゃない。この戦場馬鹿が、もう少し自分の周りにある物を自覚すればいいんだ」

「……黙れ」


 イスカの非難に、紅夜叉が冷たく言い放った。だがジャンにはそれが妙な引っ掛かりを感じさせた。紅夜叉ならば、いつものイスカの非難は無視するのが普通ではないのか。それとも単に気分のムラだろうか?


「とりあえず、皆いつも通りですね。うん、それが一番です!


 ではそろそろ……。親衛隊操、これより斥候の任に就きます」

 凛と言い放つ操を、ジャンは笑顔で、紅夜叉は興味なさげに、イスカは心配そうに、三者三様の面持ちで見送った。


     ◇


 ジヘノ平地は北にヤコエ回廊の出口を塞ぐように位置するジヘノ砦、南は山間を通る街道の口、東は海、西は大山脈の裾野に茂る深い森に囲まれた平野部で、南北に街道が通っている。

 平地北部は草原が広がっているが、南部の方はまばらに林が点在しており、一千程度までの軍勢ならば、森の陰を密かに移動できそうである。

 街と言うほどのものはなく、小さな集落がまばらにあるだけで、貧しい暮らしをしている様だ。

 集落のほとんどは街道より西に集中していた。平地の西の端は、テンラ(ばやし)と呼称される深い森である。

 このテンラ林は大山脈の裾野に当たり、僅かに地面が傾斜している土地に、上は密生した常緑樹が日光を遮り、下は腰の高さまで下草が生い茂っている。

 そのため不用意に入り込むとたちまち方角を見失い、山菜取りに入った地元民が毎年遭難死すると言う危険地帯である。


「あのテンラ林の語源は『天羅(てんら)』であると言う。ジャンよ、知っているか?」

「確か……軍を率いる際に近づいてはならない地形、と兵書にあったはずです」

「そうだ。ああいう草木が密生し、踏み込むと著しく動きが鈍る地形を天羅と言い、近づいてはならないとされている。

 他に近づいてはならない地形に、絶壁の切り立った谷の底である『絶澗(ぜつかん)』、井戸の様にそこだけ落ち込んだ『天井(てんせい)』、三方が通行不可能な『(てん)(ろう)』、水気の多い低地の『天陥(てんかん)』、山間部のでこぼこした『(てん)(げき)』がある」

「天羅・天井・天陥は一度入り込むと動きづらく、脱出困難になる。絶澗は前後を塞がれると逃げ場が無い。天牢は牢番の様に正面を抑えられると他に出口が無い。天隙は見通しが悪くてどこに伏兵が居てもおかしくない。と、言う事ですね?」

「なんだ、解っているじゃないか。つまりあそこを越えて敵が来襲しようにも、時間が掛かりすぎるうえに、我らに察知されたら動きの悪い所を一方的に叩かれる。だからこちらから敵が来る心配は無いという事だ。

 まあ、そもそも敵は優勢な兵力で押し包む戦をするつもりだろうから、そんな迂回作戦はしないだろうがな」


 高星が馬首を廻らした。西側はもういいらしく、東へ向けて馬を進める。高星の視察に先立って、騎兵が平野部全体を哨戒して敵影の無い事を確認したので、のんびりしたものである。

 ジャンも騎馬で高星に続いた。乗馬の鍛錬を積んだ結果、ジャンも馬に乗れるようになった。

 ただし、歩かせる事しかできない。走らせると乗ると言うより、馬の首にしがみついているような状態である。


 街道より東側の地域にほとんど集落が無い理由は、海沿いまで行くとなんとなく察しがついた。

 海に近い辺りには沼沢が無数に点在し、ぬかるんでいた。しかもこの沼は、所々に白く塩が吹き、明らかに塩水の沼であった。


斥鹵(せきろ)の地、だな。おそらく井戸を掘っても塩水しか出ないだろう。だから集落はみな西側にあるのか」

「この沼地を越えて敵が進軍してくる事もなさそうですね。まさに天陥です」

「まあ、東西の両脇を除いても十分に軍勢が動き回れるだけの広さはあるがな。だがそれにしたって不可解だ」

「何がですか?」

「この辺りの集落は、いくら何でも貧しすぎる。条件で言えば、我が領内だって決して大差無い」


 言うや否や高星は馬を下り、濡れるのもお構いなしに沼の中へと足を踏み入れた。


「棟梁!? いきなり何を!?」


 ジャンだけでなく、親衛隊の多くの者が思わず声を上げる中、高星は膝の深さのあるところまで進み、腕まくりをすると水底を探り始めた。

 しばらく水底を探った高星は、何かを掴みとるとそれを持って戻ってきた。


「見ろ、これを」


 高星の手には大きなシジミ貝が多数握られていた。海水よりも塩気が薄く、シジミ貝の生育に適しているのか、高値が付くだろう大きさだった。


「これだけの物が獲れるのに、なぜ漁をしない。目の前に海が有って、漁をするという発想が無い訳ではあるまい。

 つまり貧しすぎるのだ。この辺りの住民は、貧しすぎて飢えないだけの作物を育てるのに精一杯で、新たな事に手を出す余裕が無いのだ。

 漁をする余裕があれば、これだけの貝が獲れるのだ。この貝を売って金を得れば、生活はぐっと楽になる。農地を耕すのに牛馬も使える様になる。だがそれに手を付ける事さえできない程に貧しいのだ」


 高星の言葉が熱を帯びる。ここが自分の領地ならば、この地の住民を貧しいままにしておかないという事だろう。

 そしてこの土地は元々、安東家の、アラハバキの民の治める土地だった。


「皆、心せよ。この戦い、必ず勝つぞ。勝ってこの世を変えるのだ」

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