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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
朱耶家戦記
108/366

6

 会戦から一夜明けた8日午前、朱耶(しゅや)軍はマイタクの街に無血入城した。

 街の住人は朱耶軍を大歓声で迎えたが、庶民は戦勝者は誰であれ、大歓迎するものである。それが上辺だけの物で終わるか、本心からのものになるか。この時限りのものになるか、今後も続くものになるかはこれからの統治次第である。

 小高い丘にできたマイタクの街の中央、丘の頂上に建つ元総督府に克用(なりちか)は本陣を構えた。


「殿、やはり重要書類は持ち去られているようです。ただそれ以外の多くの書類・資料は残されており、占領統治はスムーズに進むでしょう」

「そうか。特に何かするつもりは無いから、光綱(みつつな)に任せる。可能な限り早く、常態に戻してやれ」

「はっ」


 戸が叩かれ、正通(まさつぐ)とサイフクが並んで入ってきた。


「騎馬隊による周辺の哨戒と残敵掃討より帰還しました。周囲に敵の残党は確認できませんでした」

「市内の巡回の結果、特に大きな問題はありませんでした。スリを一人伸してやったくらいです」

「ご苦労。街の内外共に当面は問題なさそうだな。だがまだ官軍を完全に追い出した訳では無い」

「それも含めて、今後の事について殿とお話ししたい事が有ります」

「ん、いいだろう。丁度正通とサイフクも居る事だしな」

「俺はともかく、正通さんは居てもしょーがない気がしますが」

「なんだとっ」

「確かに。正通は別に居なくてもいいな」

「え、そんな、光綱さんまで」

「まあまあ、一人だけ仲間外れも可哀想だろう。正通も居させてやれ。理解できはしないだろうが」

「殿まで。ううっ……俺そんな理由で置いてもらうのかよ」


 正通が部屋の隅でいじける。


「さて、馬鹿が静かになったところで本題に入りましょう」

「光綱、お前たまに容赦無いな」

「現在属州総督の行方は掴めていませんが、まず間違いなくここから南方の山中に入った所に在る城塞に拠ると思われます」


 光綱は克用の言葉を無視して本題を進める。


「戦時の防衛に難の有るマイタクに対して、この城塞は非常に堅牢で、敵が寡兵と言えども容易く落とせる様なものではありません。

 この地に総督府が置かれて以来、攻撃を受ける度に総督はこの城塞避難して、その後に中央の援軍を受けてマイタクを奪還するという戦略を取り続けています。

 今の政情で中央から軍が派遣されて来る事があるかどうかは別として、敗残兵が逃げ込む先はここしかありません」

「勢いに任せて攻め込んだところでどうにかなる様な城ではなさそうだな。官軍本隊はほぼ全滅したとは言え、城の守備兵は居るだろうし」

「それに関して、殿に進言したいのです。正確には、統治全般について」

「何も遠慮は要らん。言ってみろ」

「私は今回の戦に先立ち、この地の古い戦史を調べ上げました。その結果、この街は放棄すべきであると言う結論に達しました」

「放棄? この街は総督領と南変州(へんしゅう)の中心で、交通の要衝にして経済の中心ですよ!」


 サイフクがとんでもないと言わんばかりに大きな声を上げる。


「それこそが放棄の理由なのだ。この街は、守りが弱すぎるのに対して魅力が有りすぎる」

「……どういう事ですか?」

「サイフクの言う通り、この街は地理的にも経済的にも重要で、ここを確保している事による利益は計り知れない。

 だがほとんど防御力の無いこの街を保持し続けるには、常に野戦を想定した兵力を常駐させるしかない。それも多方面攻撃を受ける可能性まで視野に入れてだ。

 必然的に、大軍を常駐させる事が必要になる。そうなれば本国の守りはどうする? 本国を守れたとして、攻勢に出る兵力をどう捻出する? この街を守るために、ひたすら野戦で敵を打ち払い続ける事による損害はどれほどに上る?

 この街は魔都だ。多くの者がこの街を捨てる事を惜しみ、割に合わない消耗を続ける事を強いられ、戦力を失ったところで官軍の大反攻を受けて滅びて行った。

 この街の存在自体が大きな罠なのだ。故に、私はこの街を放棄すべきと進言する」


 光綱が説明する間、克用は黙って卓上の地図を見つめていた。


「殿、御決断を」

「……流石光綱だな。確かにこの街は危険すぎる。俺達と敵方、どちらにしても死地になる土地だ。戦時に腰を据える場所ではない。俺もなんとなく放棄という事を考えていた」

「ご英断です」

「ここに総督府を置く事を考えた奴の脳味噌はどうなっているんだろうな。平時は交通の便の良い地方中枢都市。戦時は蟻地獄のような恐ろしい罠。こんな事を考え付く奴は頭がおかしい」

「一応、コルネリウス家の初代当主と言われておりますが、実際に考え出したのは幕僚の誰かなのでしょうな」

「まあ、そう言う奴は歴史の土に埋もれてしまっているのだろうな」

「それで、放棄するにしてもどういう形にするかは考えなければなりません。市内に兵は残したくはありませんが」

「そうだな。街が大きい分市壁の総延長も長い。これを守ろうとすれば、結構な兵力を食われる。やはり治安維持の者だけ残して、まともな兵は全て引き払うべきか」

「街の北山に砦を築くのはどうですか? あそこなら街を含めて遠くまで見張れるし、山頂の要塞なら少ない兵力でも持ちこたえられるでしょう」


 立ち直った正通が提案した。


「正通、お前軍事になると少しは頭良くなるな」

「喜んでいいんですかね、それ」

「だが駄目だ。あの山に砦を築くのは良くない」

「どうしてですか」

「来い」


 克用が席を立ち、戸を開けて廊下に出る。今まで居た元総督の執務室は南側に大きく窓が取られており、街の北山は廊下に出ないと見えない。


「草木のまばらな岩山だ。あの山はおそらく、井戸を掘っても水は出ない。麓を囲まれて水を絶たれたら一巻の終わりだ。

包囲を突破できる兵力を置いておいたら放棄の意味が無いし、そもそも籠城が出来ない時点で砦を築く意味が無い」

「えーっと、じゃあ小さな見張り台とか」

「数名の見張り員を置いたとして、敵が攻めて来たとき逃げ切れるか? 周りは平野だぞ」

「……完全放棄しかないと思います」

「俺もそう思う」


 克用が執務室に戻る。戻ってくる克用に、光綱が尋ねた。


「完全放棄と言ってもそれはあくまで軍事的にです。この地域を占領下に置いた以上、治安維持の人員や、行政官は残して行かねばなりません。彼らの安全はどうします?」

「治安維持隊以上の護衛は付けない。余計な不安をあおる結果になりかねんからな。敵軍の反攻が有っても、無抵抗の非戦闘員が降伏すればそうそう粗略にはされないだろう。

 もちろん危険はあるし、脱出が可能ならばそれに越した事はない。だが占領した敵地に残る以上、ある程度の危険は覚悟してもらうしかない」

「ではせめて通信網を密にして、迅速に敵の侵攻を察知できる体制を整えておきましょう」

「そうだな。俺の手元にも早く情報が届いた方がいいし。だがまあ、すぐに敵の反攻は無いだろうから、しばらくは無防備でも問題無いと思うが」

「なんで敵の反撃が無いと言えるんですか?」


 正通の疑問に、克用より先にサイフクが答える。


「総督軍は壊滅状態で立て直しに時間が掛かる。周辺諸侯はわざわざ総督のためにタダ働きする理由は無い。

 諸侯が動くとしたら、それは見返りがある場合だろうけど、今の総督府に見返りを支払う能力が有るとは思えない。

 だからまあ、当分は心配ないだろうって事ですよ」

「そういう事だ。軍の方は早ければ明日にでも引き上げるとしよう。明日発てば今節中にはタガに凱旋できるし、他所の軍にいつまでも居座られたら市民も嫌がるだろうしな」

「明日、ですか。いささか早すぎるのでは?」

「特に軍がすべき事も無いし、これだけ行政資料が残っていれば、方針さえ示しておけば俺が居る必要も無いだろう。

 ましてこれ以上戦を続ければ、農地にも馬鹿にできない被害が出るだろう。そうなれば占領地の民衆の感情は一気に悪化するし、収穫の上がらない土地を得てもしょうがない。

 それと……」

「それと?」

「そろそろ北の方でも動きが取れるようになるはずだ。盟友が動きやすいように、せいぜいコルネリウスの領境を荒らして牽制してやらねばならん。

 加えて例年ならそろそろ、シバ家がヤリュート家にちょっかいを出し始める頃だろう? これからはちょっかいで済まなくなる可能性もある以上、いつでも嫁の実家を助けに行ける様にしておく必要がある」

「そういうお考えであるなら、撤収を急がせましょう。正通、サイフク、聞いての通りだ、お前達も撤収の用意に掛かれ」

「はっ」


 二人の声が重なって一つの返事をする。退出する二人の背中を見送った光綱も、辞去する。


「では殿、私も行政・事務方の指示と引継ぎがございますのでこれで」

「万事、よろしくたのむぞ」

「お任せを」


     ◇


 一人、廊下を行きながら、光綱は会戦直前の克用の言葉を思い出していた。

 あの時自ら五百の兵を率いて囮になると克用が言い出し、周囲が猛反対する中、克用は『これはコルネリウスーシバ同盟を潰すために、そしてその前提として、諸侯を一網打尽にする情況を作り出すための第一歩なのだ』と言っていた。

 つまり、克用の頭にはコルネリウス―シバ同盟を軸とする北朝方連合の完全撃破のシナリオがある。

 その前段階として、南変州諸侯の併呑が有る。これは敵の手足を奪い、こちらの後顧の憂いを無くし、力を蓄えるために必要な事だ。

 だが普通に諸侯を一つ一つ制圧していては、どこかの段階で危機感を持ったコルネリウス家かシバ家が本格的に介入してくる。それでは計画が破綻してしまうため、介入を受ける前に諸侯を一掃する必要がある。

 大家の介入を許さずに諸侯を一掃するには、敵をひとまとめにして一撃で叩き潰すしかない。そのためには、大家が出てくるほどではないが、各諸侯単独では朱耶家に対抗できないという危機感を持たせる必要がある。

 その程良い危機感を持たせるのに最適なのが、数千の敵軍の撃破だ。ただ勝つだけならば、兵力に勝る朱耶軍は正攻法で押すだけでいい。

 しかし数千の敵を逃がさず撃破するためには、敵を逃がさない策が要る。そのため克用は自分が囮になる事を考えた。

 無鉄砲な蛮勇とは程遠い。克用は壮大な戦略から逆算して目の前の戦の戦い方を考えていたのだ。


「殿に対してつまらぬ心配は、杞憂に過ぎないという事か」


 巧みに戦法を駆使する才の持ち主ゆえ、それに溺れて大局を見る事を忘れぬかと心配したが、全く要らぬ心配であったようだ。


「っといかん。これからも見失わずにいると言う保証は無いのだ、何しろお若いのだから」


 自分もまだ三十を過ぎたくらいだ。他人の事を若いと言うほど自分も歳ではないが、幼少の頃から克用の相手をしていたら、すっかり年下の面倒を見る立場になってしまった。

 これはよほど長生きせねばなるまい。なにしろ克用のいたずら癖は、老人になろうと変わりそうにないのだから。


 光綱の手際の良い戦後処理のもあって、朱耶軍本隊は翌日9日にマイタクの街を後にし、第9節14日にタガへと凱旋した。

 北辺の地で安東(あんどう)軍が動き出したのは、その二十日後の事である。

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