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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
朱耶家戦記
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5・マイタク会戦Ⅱ

 酷く遠い気がした。

 克用(なりちか)は今、五百の兵と共に敵の眼前で孤立している。

 それが計画通りの誘いの罠だと解っていても、光綱(みつつな)は今すぐ飛び出して救援に向かいたい衝動に駆られていた。

 馬鹿な事を考えるな。自分を激しく叱咤した。今自分は、三千五百の軍勢を統括し、自分の判断が克用の運命を決めるのだ。情に流されて全てを台無しになど、できるはずもない。

 官軍が動き出した。劣勢の中、降って湧いた様な好機に、一瞬のためらいは容易く吹き飛ばされてしまった事だろう。

 例え罠かもしれないと思っても、踏み込んで、踏み破るより他に無い。本当に優れた罠とは、罠だと解っていても踏み込んで来ざるを得ない様な罠だ。

 官軍が、克用隊を包囲してゆく。


     ◇


 引き下がっていた官軍が踏みとどまった。

 掛かった。そう思った時には、敵陣の両翼が前に出て、包囲しようと動き出していた。

 方陣を組ませ、四方の敵に備えさせる。しっかりと組めているか見回りながら、兵を激励した。


「良いかお前ら。守るのではない、返り討ちにしてやるのだ! 四倍の兵力が有れば我らを押し包めると思い上がった敵兵に、痛い目を見せてやれ!」


 おお、と威勢の良い返事が返ってくる。返り討ちにしてやると言うのも、単なる煽りではない。五百のうち四百を四方に当て、百は手元に置いた。

 この方陣は城なのだ。城壁で敵を防ぎ、損害を与え、弱まったところで城門を開いて反撃し、打ち払う。百は打ち払うための兵だ。

 長く持ちこたえられるような物ではない。城壁よりよほど弱い人壁では、反撃用の予備戦力など引き抜けば、目に見えて持ちこたえられる時間が減る。

 反撃部隊も、本当の城の様に出番までゆっくりと休む様な事は出来ない。

 だが、今はこれで良い。味方が敵を打ち破るまでの間だけ持てばいい。それどころか、味方が敵を討ち破りやすいように、包囲の内側から打撃を与える必要がある。

 どんな兵学にも無い、誰から教わった物でも無い。言ってみれば思い付きだが、不思議と自分の思い付きの戦法には、確信に近い物が有った。


「来たぞ! 全軍構えー!」


 敵が来た。前から、左右から、後ろから。完全に包囲されたようだ。それでいい。

 四方から敵が押し包もうと迫ってくる。克用は馬で駆け回りながら全体を見続けた。四方を常に見ていようとすると、自然にそうなってしまう。

 後方の敵が少し遅れている。他の三方はほぼ一斉に襲ってきたが、移動距離が長い後方に回る敵だけは遅れたようだ。


「後方、続け!」


 飛び出した。今まさに攻めかかろうとしていた敵軍は、不意を衝かれて混乱に陥った。脱出するならばもっと早くにするべきであり、いまさら出て来るとは思っていなかったのだろう。

 敵全体の眼が、方陣ではなく反撃部隊に移ってしまっては囮の意味が無い。適当なところで切り上げた。

 方陣の中に戻って再び周囲の敵を見る。左に隙がある。突っ込んだ。戻ってきてまた周囲を見回す。今度は右が乱れている。また突っ込んだ。

 都合三度敵に突っ込むと、敵もこれは容易ではないと理解したらしく、一旦攻撃の手を休めた。今度こそ、四方から同時に攻撃を掛ける気だろう。


「損害は?」

「反撃部隊は四名欠け、一人が重傷です。防衛部隊は負傷者は多いですが、死者は居ません」

「まだ行けそうだな」

「何度でも」


     ◇


「敵軍、殿の部隊を完全に包囲しました!」

「第二陣前進。圧力を掛けろ」


 ここまでは予定通りだった。だがここから先は、官軍がどう動くかによって微細な違いが出てくる。微細な違いが重大な結果をもたらすかも知れない。

 こんな戦は二度と御免だと光綱は心底思った。自分の本領は、山越えで見せた様な、たとえ失敗したところで何の問題も無い情況を用意しての戦だ。

 無論。失敗の許されない情況での戦が避けられる訳でも無いが、それでも賭ける物が克用の首と言うのはたまったものではない。

 しかしまあ、自分はそういう星の下に生まれたのかもしれない。幼い頃から克用の年上の友、教育係として、やんちゃな弟の面倒を見る兄の様な思いをしてきた。

 先代が亡くなられ、まだ年若い克用が朱耶家を継いだ時。年齢不相応に大きく、重いものを背負う身になった克用を心配したものだが、当の克用は背負ったものよりもさらに大きな野望を抱いてみせた。

 それに付き合わされる自分に気苦労が絶えた事は無い。だが、嫌だと思った事も無かった。なにより克用と共に居て、克用の為す事を間近で見るのは、この上なく楽しいのだ。

 克用の一番近くと言う特等席の代金だと言うなら、この気苦労も相応の対価だろう。


「左翼に敵。側面に回り込む動きです!」

「数は?」

「およそ百、全て歩兵」


 この情況で僅かな兵をこちらに当てる理由は限られる。光綱の判断は即断と言って良い早さだった。


「最左翼の部隊を側面に備えさせろ。それによって生じる間隙は私が行く」


 言うや否や、馬腹を蹴った。三百騎が後に続く。

 官軍は今、克用の首を討とうと必死になっている。元の兵力の少なさもあり、兵力に余裕は無い。その情況でこちらに僅かな兵を振り分けてくる理由は、攪乱で間違いない。

 その手法はおそらく、一隊に側面攻撃の態勢を取らせ、こちらがそれに対応して部隊を動かした僅かな間隙に騎兵を突撃させ、引っ掻き回そうと言うのだろう。

 歩兵の陣列の間を駆け抜け、最左翼の部隊を側面に備えさせた事で生じた陣の間隙にたどり着く。側面攻撃の方は、難なく撃退しつつあった。

 居た。来た。敵騎兵がおよそ百。事前に計画した事でなければ、戦闘中の策など、この程度の単純さだ。事前計画無しに複雑な戦術行動を試みるなど、混乱を招くだけの自殺行為なのだから。

 三百騎と百騎である。簡単に蹴散らした。蹴散らして戻る頃には、周囲の部隊が延伸して、間隙は塞がれていた。

 それよりも移動した事で、思いがけず敵を違った角度から見る事が出来た。


「伝令を出せ! 正通とサイフクにだ!」


 駆け戻りながら叫ぶ。左右に一騎ずつが付いた。


「百足衆は敵右翼を攻撃、これを粉砕せよ。鴉軍は敵の後背に回り突撃。殿と合流を果たし、その後は殿の指揮下に入れ」

「はっ! 復唱。百足衆は敵右翼を攻撃し、これを粉砕する事」

「鴉軍は敵の後背に回り突撃。殿と合流を果たし、その後は殿の指揮下に入る事」

「よし、行け!」


 左右に付いた騎士が、それぞれ別の方向に駆けて行った。

 これで良い。これで敵を決定的に打ち破れる。敵の最も弱い部分と、最も強い部分を粉砕すれば、敵は完全に崩壊する。

 敵の右翼は傭兵部隊だった。政治的理由から、奮戦している姿勢だけは見せる必要があるギョロ家の援軍以上に、士気が低い。これを破れば敵は動揺する。

 克用隊を前後に挟んでいるのはいずれも総督直属の部隊だった。その点においてはどちらも敵の中では精兵だが、克用隊と光綱率いる本隊に挟まれた部隊は決死の覚悟でいる。

 挟まれているのではなく、克用隊と本隊を遮断するためにあえて死地に飛び込んできた兵だ。決死の兵とまともにぶつかるのは危険が大きい。

 その点背後の兵ならば、自分達は激戦地から遠いと言う油断がある。討つならば、こちらだ。敵の精鋭を撃破すれば、敵陣は崩壊する。

 敵の最弱と最強を同時に撃破すれば、軍は維持できない。そうなれば戦は狩りに変わる。


「押し出せ!」


 再び全軍の指揮に戻った光綱がするべき事は、正通とサイフクが戦果を挙げるまで、戦線を維持する事だ。二千五百を統括しての、正面切っての押し合い。

 それこそ、自分の能力に何の不安も持たずにできる戦だった。


     ◇


 ついに、出番が来た。

 出陣してからこの方、早く戦をしたくてうずうずしていた。だが百足衆は精鋭であり、切り札であると言われ、渋々耐えてきた。

 今日の会戦でも自分は後方に留め置かれ、克用が、光綱が戦っている間、自分は見ているしかできなかった。正通はもう、限界だと思い始めていた。

 だから伝令が来て、攻撃命令が下った時は心が震えた。血が一気に沸き立った。

 今まで押さえつけていたものを、もう抑える必要は無い。


「行くぞお前ら! 続けぇー!」


 両手に太短い直剣を握り、黒塗りの重装鎧に身を固めた正通が、腹の底から響く雄叫びを上げて真っ直ぐ敵陣へ突撃した。

 その背後に、同じ黒塗り鎧を着た五百の兵が縦列になって続く。文字通りの、巨大な鎧百足が戦場を走り出した。


「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 声を上げて突っ込んでくる正通に、敵兵の何人かはたじろいで、後ずさる。胆力の有る者が素早く盾を構えて並び、防御の姿勢を取った。

 正通は突く事も斬る事もしなかった。ただ勢いに任せて、敵に体当たりをぶちかました。一人がゴム玉でもあるかのように吹っ飛び、後方の二・三人を巻き添えにして倒れる。

 正通の後に続く百足衆の先頭集団、いわば百足の顎に当たる一団の攻撃によって、傭兵からなる敵部隊は瞬く間に噛み砕かれた。

 後に続く百足の胴によって敵軍はえぐられるように分断され、包囲され始めた。それに気付いた傭兵達は、算を乱して散り散りになって逃げだし始めた。


     ◇


 攻撃命令を聞くや否や、馬腹を蹴った。

 鴉軍に下された命令は、敵の後背に回り敵精鋭を突破、克用隊と合流する事だった。

 敵精鋭を打ち破れ。重要で、華々しい役目だった。鴉軍に、そして何より自分にふさわしいと、サイフクは満足感を覚えた。

 戦場の反対側を、黒塗り鎧の百足衆が駆けているのが見えた。正通は勇躍している事だろう。これまでずっと戦えない事に不満を言っていたのだ。

 勇躍しているのは自分も同じだ。ただし、ただ戦えれば良いと言う物ではない。やはりここ一番、戦場の華となる事こそが、なによりの至福だった。

 遮られる事無く、敵の背後に回った。ただし、戦場を駆ける漆黒の騎馬隊の姿は、すでに敵に捕捉されている。敵は慌ててはいるが、背後に回ったこちらに対し、槍衾(やりぶすま)を並べつつあった。


「我こそは朱耶家のその人ありと(うた)われた、英雄双槍将サイフクなり! 冥土の土産に目に焼き付けろっ!」


 真っ直ぐ敵に向かって馬を駆けた。手綱を離して自慢の二本槍を左右に構え、足を締めて下腹に力を入れる。

 槍衾(やりぶすま)の間に突っ込んだ。馬は賢いから、実戦経験を積んだ馬ならば、槍の隙間に身を躍らせる事くらいは自然にする。

 そうでなくとも熟練した騎手ならば、槍の隙間を瞬時に見抜いて突っ込める。鴉軍の先頭を駆ける兵は、そういう事の出来る最精鋭達だ。

 鴉軍は、槍衾(やりぶすま)程度では止められない。

 両手の槍に手ごたえを感じた瞬間、跳ね上げる様に槍を回した。それで仰向けに突き倒された敵兵から穂先が抜ける。

 敵の陣列の中に飛び込んだ後は、突くよりも薙いだ。隊列を組んでいる兵が相手なら、一人一人突き倒すより、薙ぎ払った方がまとめて蹴散らせる。

 手ごたえはまるで無かった。同数ですら歩兵と騎兵では勝負にならないのに、敵は克用隊を包囲するために薄く伸びていた。鴉軍が相手をしている部分だけなら、こちらの方が数でも勝っている。

 突っ切った。帥旗が見える。今までも十分見える距離だったはずだが、敵を突破した途端、突然現れた様に視界に飛び込んできた。


「殿!」

「おお、サイフク! 来るならお前だろうと思っていたぞ」

「当然です。敵を突破して殿の下に駆けつけるなど、このサイフクと鴉軍にしかできません」


 克用が歯をむき出して笑う。


「合流後は殿のご命令に従う様に指示を受けています。殿、御指示を」

「少し待て」


 克用は戦場全体を見回す。光綱はすでに総攻撃に移っていた。優勢な兵力を持って官軍を押し包もうと、左右両翼が前進している。

 官軍は崩壊していた。百足衆に粉砕された官軍右翼はすでに逃亡しか頭に無く、敗北必至とみて左翼のギョロ家援軍も逃げ出し始めている。

 官軍も全軍敗走には至っていないが、兵卒はすでに逃亡しようとするものが出始めている。


「鴉軍は反転して前方の敵を追討、その後は追撃戦に移れ。我が隊は背後の敵を挟み撃ちにするぞ、一人も逃がすな!」

「承知」


 克用隊と鴉軍は再び分かれ、前後の敵へ攻撃を始めた。もはや官軍に踏みとどまって戦おうと言う気力は無く、ただ逃げるか、逃げるために敵を突破しようと戦うのみであった。

 朱耶軍は官軍を完膚無きまでに叩き潰し、その後二時間に渡って追撃、鴉軍はさらに日没まで徹底的な追撃を行い、戦死または捕虜となった総督軍兵士は六百三十五人に上った。

 負傷者・離散者を考えると、総督軍はまさしく消滅したと言って良い大戦果であった。

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