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流刑人形の哀歌  作者: 無暗道人
朱耶家戦記
103/366

1・演習

 軍勢が対峙していた。兵力は双方とも五百、平野部で正面切ってぶつかり合う構えだ。

 緊迫した空気が周囲を覆っている。だが殺気は無い。兵が持っているのも、訓練用の武器だ。


「殿は正面からぶつかる気ですかね? 乃木(のぎ)さん」

「その様だ。サイフク、お前ならばどうする?」

「正面からは避けますね、私の本領は騎兵なもので。あ、狡いですよ乃木さん!」

「邪推だ。そんな事はする必要も無い」


 戦場を見下ろせる丘から、朱耶(しゅや)家家臣の乃木光綱(みつつな)とサイフクが観戦していた。今、兵を率いて対峙しているのは朱耶家当主・朱耶克用(なりちか)と、一門の武将・朱耶正通(まさつぐ)である。

 サイフクが狡いと言ったのは、この後に光綱とサイフクが対峙する事になっているからだ。サイフクは手の内をしゃべらせられたと思ったが、光綱はそんな必要も無いと自信をのぞかせている。

 正通は朱耶家の精鋭部隊の一つである重装歩兵隊・百足(むかで)(しゅう)の将だが、今率いているのはごく一般的な兵だ。兵に関しては双方とも質・量ともに同じ条件と言える。

 演習開始時にはそれなりの距離を取っていて、有利な地形に陣取る時間は十分にあった。しかし典型的な猛将である正通は、正面切っての会戦を志向し、敵軍を求めて真っ直ぐに接近してきた。

 対する克用は、意外にもそれを受けて立つ構えを見せ、あえて平坦な地形を選んで正通軍に接近してきた。そして双方が正面から向かい合い形で対峙した。


「殿のお考えは、面白がって正通の馬鹿正直な攻撃に付き合ってやろうと言うのが半分。正通相手に正面からぶつかって、なお勝てる自信が有るのが半分というところだろう」

「いくら百足衆じゃないからって、正通さんの突撃力は半端じゃないですよ」

「そこは、殿の手並みを見せてもらうとしよう。始まるようだぞ」


 光綱が言うのとほぼ同じくして、戦闘が始まった。まず正通軍が突撃し、それに呼応する様に克用軍も正面から激突する。


「オオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 獣の様な雄叫びを上げて、正通が先頭切って斬り込んだ。いや、体当たりをしたと表現した方が近い。二本の太短い直剣を武器にする正通では、その様な攻撃になるのは半ば必然だった。

 巨大な物体同士がぶつかり合う、もの凄い音が響いた。いや、そう錯覚しただけで、実際は音などしなかったのかもしれない。

 それでも総勢一千人の軍勢が真正面からぶつかり合うさまは、そう錯覚してもおかしくないほどの迫力に満ちていた。

 初めは互角に見えた。いや、それは本当に初めの内だけで、すぐに正通軍が押し込んだ。先頭切って敵に突っ込む豪傑型猛将である正通の存在は、何の変哲も無い兵の突撃を、岩雪崩に変える。

 だが、やがて異変が起きた。正通軍が止まったのだ。それもせいぜい数十m押し込んだだけでだ。あの突撃を見れば、相手方を粉砕するまで突き進む以外の展開など、考えられない程であったと言うのに。

 それどころか、正通軍が押され始めた。いや、克用軍が凄まじい勢いで押し返している。無論、正通軍も必死で押し返そうとしているが、克用軍は一向に止まる気配が無い。


「驚きましたな。正通さんが顔を真っ赤にしているのが見える様だ。しかし殿は何故、いやどうやって押しているでしょうか?」

「押し方が違うのだ。正通の押し方は、加速を付け、軍の全体重を乗せて、勢いでぶつかると言うやり方だ。その破壊力は確かに数倍の敵を粉砕できるだけのものが有る。

 それに対して殿は、正通の勢いを巧みに受け流しながら、的確に押しに弱い所を突き続けている。鍋を平らな板にする様に、力の方向を変えてあらゆる方向から小刻みに叩き続けているのだ。

 だから正通は、押し込まれ続ける」

「それをやってのける自信があったから、正面から挑んだんですか。本当に殿は戦が上手い。『名将の息子』ではなく、『名将』として世に認められる日も、遠くなさそうですな」

「確かに戦の才は父君譲りのものが有るだろう。しかしそれで満足してもらっては困る」

「何か問題が?」

「殿が今見せている戦場での呼吸と言うか、勘所の良さは、確かに歴戦の将でなければ、天賦の才の持ち主だけが発揮しうる稀有(けう)なものだ。

 だが所詮それは『戦術』よりも下の『戦法』の上手さに過ぎん。『戦法』に巧みな事で戦術的に不利な状況を覆す事も出来るだろう。

 だがそれは戦場で強いだけだ。そういう強さでは『戦略』は動かせん。殿には戦場で動く事に囚われず、もっと大きく、優れた戦略家として立ってもらわねばならん」

「なるほど、光綱さんは殿が戦場での華々しい活躍におぼれて、大局を見る目を失う事を恐れている訳だ」

「なまじ戦略も戦術も戦法もできる方ゆえ、華々しさに目を奪われて大局を見失わぬかが心配だ。そこは私が意識して申し上げておくが、お主や正通にも協力してもらわなくては」

「戦場で派手に暴れるのは俺らの仕事って訳ですね。そして光綱さんが戦術を練り、殿が大局を見た戦略を構想する」

「そうだ。まあ正通には言っても理解できぬだろうから、お前が適当に引っ張ってやってくれ」


 光綱とサイフクが語っている間に正通軍は押し込まれ続け、ついに200m程後退したところで降参の白旗を上げた。


     ◇


 再び五百ずつの両軍が対峙している。だが今度の軍勢を率いているのは光綱とサイフクだった。先に対峙した克用と正通は、場所を入れ替える様にして丘の上から観戦している。

 今、情況として現れている両軍の正面からのにらみ合いも、結果は同じだが過程は違っていた。

 演習の開始と同時に、両軍ともに相手より有利な地形を占拠しようと動き、それを阻止しようと牽制する。お互いにそれを繰り返し続けた末に、どちらも有利も不利も取れず、平地で正面からにらみ合うと言う、対等な情況に収束した。


「読み合いだな。この規模の戦になると、光綱とサイフクの指揮能力はほとんど互角と言って良いか」

「お互いずいぶんうろうろ動き回っていましたが、疲れないんですかね」

「自分は最小の動きで、相手を疲れさせようと言うのも狙いなのだろう。もっとも、お互いに上手く行かなかったようだが。こりゃしばらくこのままかな」

「まどろっこしいなぁ。ただにらみ合ったって疲れるだけなんだから、さっさと攻めればいいのに」


 克用が少し目を見開き、正通に笑い掛ける。


「お前、時々鋭い事言うな」


 馬鹿は時々鋭い事を言う、というのは胸に秘めておいた。


「おっ、動き出しましたよ。サイフクの奴です」


 サイフク軍が猛然と攻撃を掛けた。光綱軍を押しまくる。サイフクも陣形を乱さずにじりじりと退くくらいの事はできるはずだ。だがこの情況で、そうやって退いたとしても、その先に光明は見えない。

 本来騎兵を任せているサイフクにしてみれば、攻めながら判断する方が自分のペースで戦えるのだろう。

 しかし今率いているのは騎兵では無く、歩兵である。当然、機動力に格段の差がある。その差がどう影響するかは解らない。だがだからこそ、不測の事態の起きにくい単純な攻めに出たのかもしれない。

 一方、光綱の方は押され続けている様に見えて、隊列を崩さずにじりじりと引き下がっている。相手の押しに対して無理に付き合わず、退いて圧力を受け流す構えだ。

 だがどこかで反撃に出なればならない。光綱はいつ、どこで、どんな反撃に打って出る気でいるのか。サイフクも攻めながらそれを測っている事だろう。


     ◇


 不意に光綱軍の後退が止まった。止まっただけでは無く、軍の中央部が槍を突きだした様に、そこだけ縦陣で突撃した。

 その『槍』はサイフク軍の2/3程の深さまで突き刺さると、先頭の者から順に、味方の内側を通って引き下がる。『槍』が抜かれた事により、サイフク軍に入った切れ込みが塞がった。

 すかさず、今度は左右両翼で同時に、2本の『槍』がサイフク軍に突き刺さった。一本目と同じ様に2/3程まで突き刺さり、また退いてゆく。


「なるほど、そんな手があるのか」

「殿、光綱さんは何をしてるんですか?」

「あれはな、指揮系統を絶っているのさ。あの『槍』で部隊に切れ込みを入れる、それを抜くと見た目は元通り切れ込みが繋がった様に見えるが、隊列は切れ込みで途切れたままで、すぐには元に戻らない。

 それを隊列まで修復する間を与えず、何度も繰り返す事で、相手の指揮系統を分断するのが狙いだろう」


 克用の言葉を証明する様に、今度は3本の『槍』が突きだされる。それも一度目と二度目の傷口から少しずらして、傷口の修復に意識を向けている兵の背後を突く形で突き込んだ。

 崩れた。傍目からもはっきりと、サイフク軍は統制を失い、混乱した烏合の衆と化した。もちろんそれをただ見ている光綱ではない。誰でもできる様な、愚直な総攻撃。それであっさりと、サイフク軍は敗走した。


「決まったな」


 兵の敗走が始まってすぐ、サイフク軍に白旗が掲げられた。


     ◇


「こうして向き合ってみると、やはり光綱の指揮は隙が無いな。それに調練だと言うのに、実戦さながらの気迫に満ちている」


 三度目にして最後の演習は、規模を拡大して双方一千の軍勢がにらみ合っている。克用軍と対峙する光綱軍は、整然と陣を組み、隙が無い。


「サイフク、お前ならあれをどうやって破る?」


 克用の下にサイフク、光綱の下に正通がそれぞれ部将として就いている。その適性をどう生かすかも鍵となるだろう。


「そうですな。俺なら相手が動くまで待ちます。騎兵が居ればまた別ですが、今回の情況なら、守りに徹した光綱さんにこちらから手を出すのはまずいでしょう。

 ならとにかく緊張感を保ったまま耐える事に専念して、相手が動き出した隙を突くのが良いと思います。光綱さんに下手な陽動が通用するとも思えませんし」

「演習で勝つならばそれが手堅くて確実だろうな。だが実戦では兵糧が持たないかもしれない、敵の援軍が近づいているかもしれない。

 早めに決着を付ける必要があるときは、どうするべきか――」


 克用が言葉を途中で切る。相手方に何やら妙な動きが有った。


「殿、何騎か前にでてきましたね?」

「というか、あれは正通だよな?」


     ◇


「おい正通! 演習中に何をやっている!」

「演習だからこそですよ光綱さん。実戦じゃいきなりこんな事は出来ないでしょう?

 まあ任せてくださいよ。俺達でサイフク辺りをおびき出して見せますから、光綱さんは誘き出されたサイフクをボコボコにして、そのまま殿も負かす用意をしといてください」


 そう言って正通は、数騎の供と共に挑発を始めた。


「おらー、サイフク! 聞こえるかー! この朱耶正通様がボコボコにしてやるから掛かってこいやー! それとも臆病風に吹かれたかー? その二本の槍は飾りかー!」

「いかん、こいついつの間にか、馬鹿に磨きがかかっている」


     ◇


「馬鹿だ、馬鹿が居る」


 思わずサイフクは言葉を漏らした。


「挑発ですら無いな。というより、あいつ完全に遊んでやがるな。光綱は今頃頭痛がしてるだろうなぁ」


 克用はむしろ、楽しんでいる様でもある。


     ◇


「うぬぬ……。流石サイフク、これだけ馬鹿にしても出てこないとは、肝が据わってやがるな」


 むしろお前が馬鹿にされているんだ、と光綱は言う事が出来なかった。頭痛に加えて胃痛まで発症し始めている。


「仕方が無い。作戦変更して殿を挑発しよう」

「お前命知らずだな!?」


 流石に光綱も思わず声を上げた。


「馬鹿言っちゃいけませんよ。従兄殿が怖くて戦ができるか! です」


 言うや否や正通は、止める間も無く克用の悪口を言い始めた。


「おいこら克用―! ちょっと評判が良いからっていい気になってんじゃねーぞー! この間裏門に罠を仕掛けたのを忘れて、自分で引っかかって粉まみれになったの知ってんぞー!」


     ◇


「あいつ、今度は私を挑発しに来たか。つーか、見てたのか。見られてたのか」

「殿、そんな事やってたんですか。いや、それよりも、今ので光綱さんにバレましたよね?」

「……後で二人きりで話をする必要がある様だな」


 正通の思惑とはいささか違うが、克用を怒らせることには成功しているな、とサイフクは思った。どうやら面白くなりそうだとも思った。しかし、事態はサイフクの予想を上回った。


     ◇


昌国君(しょうこくくん)の息子だからっていい気になってんじゃねぇぞー! お前の親父なんか蒼州(そうしゅう)で延々もぐら叩きをしてただけのボンクラじゃねぇかー!」

「よし、百足衆はもう駄目だな」


 光綱が断言した。


     ◇


「殿、あんな馬鹿は放っておいて光綱さんの陣を破る策を――」

「正通! そこを動くなぁ!」


 父の悪口を言ったのが逆鱗に触れたらしい。克用は激昂すると単騎で駆け出した。


「殿!? 駄目ですって! 真剣抜かないで――」


 サイフクの制止も振り切って、克用は剣を抜き放ち、真っ直ぐに正通に向かって駆けて行く。


「ああもう! 全軍、殿に続けー!」


     ◇


「うぉっ!? 殿が単騎で突っ込んで。いや、全軍で来た!?」


 何故だと思う間も無かった。急いで陣営に戻らなければ大軍の波に飲み込まれる。正通は振り向き、全力で駆けた。


「光綱さん、なんか解らないけど後はよろしく……あれ、居ない?」


 光綱の姿はすでにそこには無かった。正通が昌国君の悪口に及ぶや否や、馬首を廻らして陣営に戻り、指揮を執る態勢を取っていた。


「はぁ……正通も正通なら殿も殿だ……。さて、遭遇戦の調練に切り替えるか。全軍、突撃!」


 結局、この日最後の調練は、片や実質的に指揮官不在、片や完全に予想外の不時遭遇戦という、不測の事態に対応する調練であったという事にされた。

 なお乱戦の最中、両軍に挟まれる形で巻き込まれた正通とその伴数名は、軽傷の打撲を負った。調練中の事故と言う扱いになった。

 調練後、克用と正通に対する光綱の説教は三時間に及んだ。サイフクは逃亡したが、直接的な関与はしていないという事で大目に見られた。


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