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稲目の子、蘇我馬子の代になると、欽明天皇の後を継いだのは、蘇我とは縁のない家系の敏達天皇でしたが、実質は蘇我稲目の血を引く、額田部皇女が皇后になることによって、再び外戚となって蘇我馬子が権力を維持します。
また、その後を継いだ用明天皇も稲目の一族でしたので、これにより仏教は完全にこの国に定着したのでした。
そしてその頃、物部尾輿の子、物部守屋と中臣鎌子の子、中臣勝海もまた、蘇我氏の仏教優遇を批判し、抵抗していました。
後世に聖徳太子と名高い厩戸皇子はこの頃、両勢力の調整役となって双方の言い分をよく聴いて対処します。
日本の神と仏がうまく融和したのもこの頃なのかもしれません。