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後の世に、雄略天皇と呼ばれた覇者がいた。
その名を大長谷若建命という。
若建命の気性はとても荒く、ものごとに躊躇するような性格ではありませんでした。
しなくてはならない、と感じたならば迷うことなく身内でも手にかける、よく言えば素早い決断力を持った、まさに英雄と言うにふさわしい人物なのです。
彼は、兄の穴穂【安康天皇】が、とある身内の恨みをかって殺害されると、即座に行動に移って事態を収拾、権力を掌握し、宋の皇帝の承認を経ずして自ら、倭、百済、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓、七国の諸軍事を都督する安東大将軍の倭国王と称して倭王の座に就きました。
※後に正式に上表したとき、高句麗と宋の関係上か、百済は外されて六国諸軍事とされた。