鉛筆の憂鬱
「これはよし、これもよし」
「これは少し、色が薄いな」
鉛筆工場の中で、いくつもの製造工程を通って、いよいよ鉛筆が機能として形としてこの世で鉛筆と言われるほどに、成長した私が、一本一本厳密な目視検査で品質チェックを受けていました。
私の性格は鉛筆の中でHBという硬さ柔らかさが中程度の広く誰でにも使われる規格なのでした。
なかには、硬さや書いた時の濃さが、基準に満たなかったり、形がいびつで製品としての性格が与えられないなどの理由で、この世に出ない同輩も多くいるのでした。
鉛筆仲間の界隈では、
「隣の製造ラインで頑張っていたあの鉛筆はどうやら硬さが硬すぎたらしい」
「僕は、品質チェックに受かったぞ!」
「やっと役目ができるようになった」
「がんばるぞー」
などと会話がはずんでいました。
意気込みを伺わせる鉛筆である、私でしたが、合格した後も、さらに競争が待っていました。
それは他社との商品としての価値の競走でした。
これまで使ってきた顧客の評価や実績が私の価値を決めるのでした。
それでも私は一線の実力者なのでした。
常に耐久性を持ち、信頼性ある筆記具としての鉛筆は、社会で欠かせない主人公なのでした。
工場で1ダースごとの紙製の箱に入り、大きな段ボール箱の中で、長い時間トラックの荷台で旅をするのでした。
まず行き着いたのが、問屋でした。
今週の卸値はこれまでの最高値でした。
それは品薄の上に鉛筆の需要が高まっているからでした。
「最高値だなんて、嬉しいな」
「私たちが必要とされているなんて、何か張り合いがあるな」
問屋からそれぞれの小売店へと違うトラックに乗り換えて、さらに旅は続くのでした。
とうとう旅路の終わり、目的の小売店に到着しました。
女性の事務員によって梱包が解かれ、1ダースの鉛筆箱の中の私は、
その鉛筆箱ごと価格のバーコードラベルの名札をつけられて、書店の文房具コーナーに並べ置かれるのでした。
「はぁーやっとついた。じゃあ、このまま休んでいるとするか」
「私の隣の鉛筆は、M社出身の高機能鉛筆か」
「私だって負けないぞ」
こうして私は、商品の鉛筆としての人生が始まったのでした。
私は、鉛筆の紙箱の覗き穴から、商品を選んでいる、お客さんの様子を冷静に伺っていました。
「この鉛筆は昨日入荷した新製品です」
「高機能鉛筆と言って、これまでにない鮮やかなレタッチが特徴です」
「ここに試用品があります」
「試し書きなさいますか?」
商品棚に備え付けてあった、白紙のメモに試用品の鉛筆で、試し書きをしていた。
「どうやら、私の隣の高機能鉛筆に興味が行っているな」
「彼はM社で、私の競争相手なのだけど...」
しばらく、お客さんは商品を選別して、
「この高機能鉛筆と、この隣のHBの鉛筆1ダースください」
「はい、かしこまりました」
「包装はギフト包装と一般の包装と包装なしがございますが」
店員は、包装のありなしを尋ねて
「一般の包装で」
お客さんは普通の方法を選びました。
「はい、かしこまりました」
10パーセントの付加価値のついた感想は、何か偉くなったような私にさせてくれるプレミアムな贅沢のように思えるのでした。
鉛筆曰く、
「この10パーセントでみんなが潤うなんて私も鉛筆として誇らしい限りです」
鉛筆である私を見立ててくれたのは、女子高生でした。
包装紙に包まれた私は、彼女のトートバックの中で、彼女の自宅までの暫しの小旅行に出かけるのでした。
彼女の自宅の机の上に置かれた私は、包装紙を解かれ、彼女のかわいいペンケースに入りました。
紙の上で実力を発揮する前に、少し準備をする必要がありました。
それは鉛筆の先を削ることでした。
彼女は携帯鉛筆削りで私を手入れしていました。
「さあ、これで明日の準備はできたわ」
誰しも理髪店で散髪すると気分がさっぱりしたり、手持ちのパソコンのメモリをクリーンアップすると動作が快適になるように、鉛筆にも定期的に手入れをする必要がありました。
それにより私の能力がいつも最大限発揮できるのでした。
しかし、これを繰り返すといずれ寿命が来ることになるのでした。
彼女にとって新学期の高校では、真新しい鉛筆は鉛筆キャップという帽子を被り、その役目を待っていました。
鉛筆である私の最初の役目は、彼女の学校の学級日誌に使われることでした。
そこでは、ペン先で彼女の意図したことだけを、そのまま忠実に再現することだけが要求されて、鉛筆自身にはわがままなことは許されないのでした。
「2026年4月13日月曜日 天気曇り」
「今日は新学期なので、筆記用具を新しく用意しました」
「制服も新調したので気持ち新たに授業に臨もうと思っています」
ただ彼女の意思に従って、忠実に紙に文字を描き、役目を担うことだけなのでした。
しかし私には自由にできることが一つだけありました。
それは鉛筆を通してみた、記述される内容や社会の様子を感じ取り、こうして報告できることでした。
場合によっては、彼女の意思に間接的に働きかけることができるようでした。
鉛筆の働きかけは彼女の重要な機会に、彼女の運命を左右する決定的な役目をするのでした。
毎朝彼女は、学校に通う前に、自室で一日の授業に必要な、教科書などを準備する中で、彼女の筆箱に入った私は、必ず毎日彼女の学生鞄に入ることができるのでした。
いつも机の上で、彼女の予習内容や自習内容をつぶさにみていました。
昨日は、新学期の学習課題である英語小説の翻訳をこの鉛筆で、なぞっていました。
「To be, or not to be ,that is the question. 」
この有名な小説の一説を忠実に彼女の思う通りに鉛筆で、日本語に訳して記述するのでした。
私にとっては、この意味深な英語文は、彼女にとって、興味深いということが、筆跡や書き方からわかるのでした。
鉛筆である私は、彼女がいつも通り朝食をとって、身支度をして学校に登校する姿をいつも伺っていました。
彼女はいつも水色のタータンチェック柄のパジャマ姿で、着替えをして、女学生にとってお決まりのセーラー服に着替えるのでした。
「今日はどのハンカチがいいかなぁ」
「有名ブランドのこれにしようか」
毎日違う柄のハンカチを選んで、靴下もたくさんある中からどれを選ぶのかといつも興味津々の私なのでした。
鏡に向かっての整髪は、彼女にとって欠かせないおしゃれの一つでした。
準備万端整うと、近くのバス停から通学バスに乗って一路、高校へ登校する彼女でした。
バスの中では、
「新学期の英語の課題面白かったわ」
「私、よくわからなかった」
「あの、To be, or not to be….ってどう訳せばいいか難しくてわからなくて...」
「あれはね、beの意味は存在するという意味の動詞で...」
「toは動詞の不定詞なのだから…」
「うん、わかった」
「そう、入門者向けなのよ」
「要は基本を理解すればいいってことよ」
そうしている間に、バスは高校に到着しました。
鉛筆にとっては習う才能があれば、筆記しただけ習えるのだから、よほどのエリートになれるに違いない私でした。
でも私は、演劇舞台の黒子役のように徹し続けていました。
どこにでもありふれていて、決して目立たない鉛筆としての役割は、
彼女の役に立てるときに鉛筆の才能を発揮できればと、鉛筆である私は陰ながら支える姿であり続けました。
女子高生の彼女にいよいよ異性の恋人ができました。
彼女は早速彼に手紙をしたためました。
「大好きな彼へ。」
「いつもみていたのね。」
「そばにいたのに気づかなかった私。」
「あなたのそばでいつも輝いていたい。」
「私の笑みはあなたの金よ。」
「あなたの強さは恋の試金石ね。」
「金のように誰よりも硬い恋愛が結ばれることを祈っているわ」
そこで鉛筆で描く手が少し彼女の意思に働きかけるように、
「”金”は”宝石”にした方が相手に伝わりやすいよ」
と、鉛筆の私は以心伝心で彼女に伝えました。
彼女は、この手紙を直して、封筒に入れ、彼に手渡したのでした。
定期試験や就職試験で彼女を手助けをしようと、鉛筆は策を練っていました。
しかしその前に、鉛筆である私は、ボールペンという大人の筆記具に変えられてしまいました。
私には個性などないので、大量生産の現代社会では当たり前に行われることでした。
小ロット高コストの昔と違って機械化と自動化が進んだ発展を遂げた現代工業においては、大ロット低コストの激しい競争のなかにある筆記具は容易く変えられてしまうのでした。
「私たち鉛筆の仲間は大量に作られて、今も誰かの役に立っている」
「それだけでも、私たちは満足なのさ」
品質検査を厳重に受けて、規格に合格した同輩だけが世に出ることができるシビアな私の社会で筆記具は生きていかなければならないのでした。
「過酷な条件で描き続けるには、私たちと書き手の相乗作用が必要さ」
彼女も私と同じように社会に進出すれば、私と同じ運命をたどることはそれが鉛筆と同化した彼女のアイデンティティを思わせていました。
「彼女も私たち鉛筆と同じように、大量の消費社会に埋もれていくんだね」
就職試験を控えた彼女に何か手助けをすることは何か・・・それは入社試験用のエントリーシートや小論文、履歴書を記入することでした。
しかしその公式な書類の世界では鉛筆ではなくボールペンや万年筆が主流の大人の世界でした。
鉛筆である私には介入の余地はなく、待ったなしの実務と効率だけが求められる彼女の実力が発揮される試練なのでした。
無事希望通りの会社に内定した彼女は、すっかり短くなった私である鉛筆に別れを告げるのでした。
それはどこにやるでもなくただ役目を終えた筆箱のなかに眠り続ける熾烈な競走のない鉛筆の楽な残りの人生を送るだけでした。
彼女が新入社員となった後も、いずれ再び筆箱から取り出されて、事務机で彼女の役に立てることを密かに待ち受ける脇役の私でした。




