第五章 最適解、相良狂志
都市実験の翌日、メディアは「謎の午前三時騒動」とだけ報じた。パニックは起きなかった。死者も出なかった。だがSNSには無数の“おはよう”が残り、奇妙な連帯感がトレンドになった。観測者の狙いは外れたように見える。だが俺は分かっている。あれは前哨戦だ。本番はこれからだ。
A室の空気は重い。坂東は警備を倍増させ、御堂は通信ログを洗い直し、久瀬は黙って俺を観察している。鷹宮が静かに言った。「相良くん、君に対する脅威は現実だ。単独行動は控えてくれ」
「合理的じゃないな」
「何がだ」
「観測者は俺を狙う。なら俺を隔離するのは、相手の土俵に乗ることになる」
澪が低く言う。「あなた、自分が餌だって分かってる?」
「当然だ」
「それで平気なの?」
俺は少しだけ考える。「平気じゃない。だが効率はいい」
その夜、自室に戻った俺はスマホを見つめていた。通知はない。だが静寂は嵐の前触れだ。
午前三時。
画面が自動で点灯した。
――最適解提示プログラム:対象 相良狂志。
来た。
心拍が上がる。だが逃げない。
画面に次々とデータが流れる。俺の過去、停学記録、母の涙、藤堂の嘲笑、澪の言葉。
――あなたは孤立している。
――あなたは理解されない。
――あなたの合理性は社会に適合しない。
分析は正確だ。
だが浅い。
次の一文が表示された。
――最適解:観測者になる。
思わず笑う。
「なるほどな」
観測者は俺に選択肢を提示している。敵対するのではなく、同化せよと。
――あなたは既に人を操作した。都市を動かした。ならば側に来い。
――孤独は共有できる。
甘い誘惑だ。
孤独を共有? それは矛盾だ。孤独は定義上、共有できない。
だが心のどこかが揺れる。もし観測者の側に立てば、証明は一瞬で終わる。世界は操作可能だと。
澪の声が頭をよぎる。
「狂うって、孤独になることだよ」
画面が続く。
――あなたは母を守れない。
――あなたは澪を巻き込む。
――合理的に考えれば、関係を断つべきだ。
拳を握る。
合理的。
確かに俺は周囲を実験材料にしてきた。都市すら使った。なら澪も例外じゃないのか?
その瞬間、インターホンが鳴った。
午前三時過ぎだ。
ドアを開けると、澪が立っていた。
「やっぱり来た」
「……何が」
「あなたの最適解」
彼女は部屋に入り、スマホを覗き込む。表示を見て、眉を寄せる。
「観測者になる、か」
「悪くない提案だ」
澪は強く首を振る。「悪いよ」
「なぜ?」
「それ、あなたが一番嫌ってる側じゃん」
言葉が刺さる。
俺は観測者を敵と定義している。理由は単純だ。人を一方的に測るからだ。
だが俺も同じことをしてきた。
澪は続ける。「あなたは合理を武器にしてる。でもね、人は計算だけじゃない。あなたが都市に提示した“おはよう”は、合理じゃなかった」
「合理だ。連帯はパニックを抑制する」
「違う。あなたが少しだけ、信じたからでしょ」
信じた?
俺が?
都市の人間を?
確かに、あの瞬間、俺は計算だけじゃなかった。
“人は非合理な連帯を持つ”と、どこかで信じた。
それはデータじゃない。仮説でもない。願いに近い。
スマホが再び光る。
――回答期限:午前四時。
あと四十分。
澪が俺を見る。「どうするの?」
「決まってる」
「本当に?」
俺は深く息を吸う。
観測者になるのは簡単だ。孤独を受け入れ、上から眺める側に回ればいい。
だがそれは、俺の証明を放棄することでもある。
俺が証明したいのは、狂気が合理を超える瞬間だ。
合理に従うなら、ただの計算機だ。
俺はスマホに入力する。
「拒否する」
画面が揺れる。
――非合理な選択。
「当然だ」
――理由は?
俺は少し考え、打ち込む。
「面白くないからだ」
沈黙。
数秒後、画面に新しい一文が浮かぶ。
――ならば、次は奪う。
同時に、窓の外で閃光が走った。
遠くで爆発音。
俺と澪は顔を見合わせる。
スマホに位置情報が表示される。
A室の座標だ。
澪が青ざめる。「坂東さんたち……!」
俺はすぐに走り出す。
観測者は交渉をやめた。
同化が無理なら、破壊。
タクシーの中で、俺は笑っていた。
観測者、やっと本気か。
都市規模でも足りない。
今度は国家中枢だ。
だが一つだけ違う。
俺は孤独じゃない。
隣に澪がいる。
合理的じゃない。
だが、それでいい。
狂気は孤独か?
それとも、選択か?
答えはまだ出ない。
だが次の実験は、もっと血の匂いがする。
俺はスマホを握りしめた。
観測者。
俺を奪うつもりなら、覚悟しろ。
狂気は、奪われない。




