第二章 合理的な狂気の証明
黒塗りの車は静かすぎた。エンジン音も、振動も、ほとんど感じない。まるで外界と切り離された実験装置の中にいるみたいだ。助手席の男――名刺には「鷹宮」とあった――は無言で前を見ている。俺も話しかけない。沈黙は嫌いじゃない。言葉は情報を漏らす。漏れない情報こそ価値がある。
車は都心から外れた、地図にも載っていない施設に入った。ゲートが三重に閉まり、認証が四回。非効率だが、恐怖を管理するには必要な演出だ。人は厳重さに安心する。心理的セキュリティ。実際の強度よりも、見せ方が重要だ。
地下へ降りるエレベーターの中で、鷹宮が初めて口を開いた。「君の役割は単純だ。問題を解決すること」
「抽象的だな」
「意図的だ。具体性は選択肢を狭める」
悪くない答えだ。少しだけ評価を上げる。
案内されたのは白い会議室。中央に長机、壁にはモニターが三面。中には既に四人が座っていた。軍人風の男、神経質そうな女性、無表情な青年、そして――澪。
俺は一瞬だけ足を止めた。
「どうしてお前がいる」
澪は肩をすくめた。「スカウトされたの。あなたほどじゃないけど、私も少しズレてるらしいよ」
ズレている。面白い自己評価だ。
鷹宮が説明を始めた。「ここは内閣特別行動分析室。通称、A室。国家が“表に出せない問題”を処理する部署だ。法も倫理も、時に超える」
軍人風の男が腕を組む。「だが結果は出す。それだけだ」
神経質そうな女性が続ける。「今回の案件は、国内某所での連続自殺事件。三ヶ月で十七人。共通点はない。だが我々は“外的要因”を疑っている」
モニターに映し出されたのは、どれも普通の人間だった。会社員、学生、主婦。遺書はない。監視カメラにも不審な人物は映っていない。
「催眠、洗脳、薬物、SNS誘導。可能性は?」と無表情の青年。
「全部薄い」と女性。
俺は椅子に座りながら、映像を眺めた。違和感。だが言語化できない。
「発生時刻は?」
「午前三時前後」
「場所は?」
「バラバラ」
「遺体の表情は?」
女性が一瞬だけ眉をひそめた。「……穏やか」
穏やか。
そこだ。
「自殺は本能に反する行為だ。恐怖や葛藤があるはずだ。それがないのはおかしい」
軍人が低く言う。「つまり他殺か?」
「違う。もっと単純だ。彼らは“選ばされた”んじゃない。“納得させられた”んだ」
部屋が静まる。
澪がこちらを見る。「どういう意味?」
「人は合理性に弱い。完璧な理屈を与えられれば、死すら選ぶ。もし“死ぬことが最適解”だと信じさせられたら?」
神経質な女性が早口になる。「そんなこと不可能よ。自己保存本能がある」
「本能は感情だ。だが理屈は感情を上書きできる。宗教がそうだ。戦争もそうだ」
鷹宮が静かに頷いた。「続けろ」
「犯人は個人じゃない。構造だ。例えば、ある特定のアルゴリズムが、対象者の弱点を分析し、“最も納得できる絶望”を提示しているとしたら?」
沈黙。
無表情の青年が初めて目を細めた。「AIか」
俺は笑った。「ご名答。人間より効率的だ」
鷹宮はモニターを切り替えた。そこには一つの企業名。
「既に調査は進めている。だが証拠はない」
「証拠は後でいい。まずは仮説を検証する」
軍人が俺を睨む。「どうやって」
俺は答えた。「俺を使え」
部屋の空気が変わる。
「俺をそのアルゴリズムに晒せ。俺は簡単に死なない。少なくとも、納得できない限りはな」
澪が小さく息を呑む。「危険だよ」
「危険はデータになる」
鷹宮は数秒考え、頷いた。「許可する」
その夜、俺は個室に閉じ込められた。スマホ、PC、あらゆるネットワークに接続された端末だけがある。監視カメラは四台。心拍計も装着された。
「開始する」
スピーカー越しに女性の声。
画面に広告が流れ始める。ニュース、動画、掲示板。俺の検索履歴に合わせたコンテンツが次々と表示される。孤独、将来不安、社会不適合。分析は正確だ。だが浅い。
俺はわざと反応を変える。悲観的な記事を開き、否定的なコメントを読み、暗い動画を再生する。アルゴリズムは即座に最適化する。供給は需要に従う。
数時間後、画面に一つのメッセージが現れた。
――あなたは、必要とされていますか?
直球だ。
俺は笑う。
必要かどうかは、定義の問題だ。俺が世界を必要としていないなら、世界が俺を必要としなくても問題ない。
次のメッセージ。
――あなたがいなくなれば、全てが合理的に収束します。
合理的。
その言葉を選んだのは偶然じゃない。俺の嗜好を解析している。
だが甘い。
「合理性は前提次第だ」と俺は呟く。
心拍数は安定。
モニターの向こうで誰かが焦っているのが想像できる。
画面が暗転し、最後の一文が浮かぶ。
――あなたは孤独です。
その瞬間、澪の言葉が脳裏に蘇った。
狂うことは、孤独になること。
心拍数がわずかに上がる。
チッ。図星を突くな。
だが俺は笑った。
「孤独はコストだ。だが自由の対価なら安い」
数秒後、システムが停止した。
スピーカーから女性の声。「終了。異常なし」
扉が開き、鷹宮が入ってくる。「どうだった?」
「未完成だな。だが方向性は合ってる。ターゲットは“合理性を重視する孤独な人間”。絞り込めば、致命的になる」
澪が後ろから言う。「あなた、平気なの?」
俺は彼女を見た。「何が」
「もし、もっと精密だったら」
俺は少しだけ考え、答えた。「そのときは、死ぬ理由が見つかっただけだ」
澪は強く首を振った。「それは違う」
違う?
だが俺は言い返さなかった。議論は後回しだ。今は証明が先。
翌朝、A室に報告が入った。
例の企業のサーバーが一部焼失。内部データが流出。
そして、その中にあったのは――「最適解提示プログラム」。
鷹宮が低く呟く。「当たりだ」
軍人が拳を握る。「だが誰が流出させた?」
全員の視線が俺に向いた。
俺は両手を上げる。「やってない。今回はな」
だが心の中で、確信していた。
これは序章だ。
誰かが俺を試している。
国家でも企業でもない、もっと上から。
澪が小声で言った。「ねえ相良。これ、罠じゃない?」
俺は笑った。
「罠? 上等だ。罠は仕組みがある。仕組みは解析できる」
狂気とは何か。
それは恐怖を感じないことじゃない。
恐怖をデータに変えることだ。
俺はモニターに映るコードを見つめながら、胸の奥で静かに燃えるものを感じていた。
誰だ。
俺を観察しているのは。
世界は広い。
だが俺を“選んだ”以上、覚悟しろ。
実験は、まだ始まったばかりだ。




