第七十八話 呪いのブログ閲覧数 ― 中半 ―
瀬川ひすいを連れて事務所を出ると、空は夕暮れにはまだ早いはずなのに、不自然なほど暗く沈んでいた。
クロは黒猫の姿で零の肩に乗っていたが、やがて光の粒に包まれて、ふっと少女の姿へと変わる。
「零……空気が重いよ……。これ、呪いの影響なんだよね?」
「間違いない。“閲覧者”がこちらを追ってきている。」
ひすいが顔をこわばらせる。
「えっ……み、見えるんですか?誰か……ついてきてるんですか……?」
零は歩調を緩めず答えた。
「姿は普通の目には映らない。雨のように薄く滲んだ“影”だ。だが──俺には分かる。」
クロが不安げにひすいの手を握る。
「だいじょうぶ。絶対に守るからね。」
ひすいは唇を震わせながら、小さく頷いた。
零が向かったのは、彼女の自宅だった。
「呪術は“媒介”を必要とする。ブログを刻んだ端末、そしてお前自身──どちらかが呪い主へつながる。」
ひすいのマンションに着くと、
エレベーターの前にだけ“異様な気配”が溜まっていた。
クロが後ずさる。
「零……なんか、これ……」
「罠だ。」
零が眉ひとつ動かさず断言した瞬間──
エレベーターのランプが勝手に点灯した。
【 4階 → 3階 → 2階…… 】
誰も乗っていないのに、エレベーターが“降りてくる”。
ひすいが青ざめた。
「いや……いや……あの動き……昨日の夜も……!」
クロが叫ぶ。
「零っ!まずいよ!」
扉が開く。
誰もいないはずなのに──
冷たい濁流のような“視線”だけがあった。
零は筆をわずかに構える。
「出ろ。“閲覧者”──」
空気が震え、エレベーターの影がゆっくり歪んだ。
影の奥から、何かが手を伸ばすように揺らめき……
次の瞬間、ひすいの眼前に“黒い腕”が飛び出した。
「ひっ──!」
クロが叫ぶ。
「させない!!」
クロの足元に魔方陣が広がる。
彼女の身体はふっと軽く跳ね、猫のしなやかな動きでひすいを庇った。
“黒い腕”は、ひすいに触れる直前で弾かれる。
零が冷静に呟く。
「“防壁符”。この程度の霊的干渉なら問題ない。」
黒い腕はひび割れ、霧のように崩れた。
ひすいは涙をこぼしながら問う。
「こ、これ……何なんですか……!?」
零の声は低い。
「“閲覧者の手”。閲覧数が増えるたびに力を得ていく“呪い主の従者”だ。9,999,999に到達した今、もうすぐ最終段階に入る。」
クロはひすいの肩に寄り添い、不安そうに言う。
「じゃあ……あと一回ブログが勝手に読まれたら……?」
「お前の魂は“呪い主のブログ”に引きずり込まれる。」
ひすいの呼吸が乱れた。
「や……やだ……!そんな……そんな死に方……!」
零は扉の奥を鋭く睨む。
「犯人は……このマンションにはいない。だが、“ブログに組み込まれた術式”が、ここに向かって侵蝕している。」
クロは眉をしかめて零を見る。
「零……術式を辿るには?ブログのデータから……?」
「正解だ。呪術が刻まれたコードを読み解き、逆流させる。」
ひすいが悲鳴を上げた。
「で、でも……私、そんな知識なんて……!」
零は歩き出した。
「俺がやる。お前は心配するな。」
その声は、呪いを前にしても微動だにしない強さを秘めていた。
部屋は整然としていた。
だが、ひとつだけ異様なものがあった。
ひすいのノートパソコンの上に──
“濡れた手形”がくっきり残っていた。
クロが悲鳴を飲み込む。
「なにこれ……っ」
ひすいが震える声で言う。
「昨日……勝手に電源がついて……誰もいないのに……キーボードが勝手に動いて……ブログが……更新されたんです……!」
零は手形を触らず、冷静に分析する。
「呪い主はこの端末を通して干渉している。……ここが“呪術回路”の始点だ。」
「始点……?」
「つまり、ここを叩けば流れが止まる。」
クロは身を乗り出す。
「どうするの、零?」
零は筆を構え、パソコンの上空に紙を広げた。
その紙にはすでに黒い術式が刻まれはじめている。
「“追跡符”──呪術の情報を逆流させ、呪い主の場所を暴く。」
ひすいは息を呑んだ。
クロが頷く。
「犯人、見つけるんだね。」
零は紙に最後の線を描く。
黒い光が迸り──
『閲覧者99,999,99→10000000』
パソコン画面の数字が、勝手に点滅した。
ひすいが絶叫する。
「いやっ……いやだ!!増えないで……!!」
クロが叫ぶ。
「零!!急いで!!」
零の目が細く光った。
「……行くぞ。“呪い主”──」
符が燃え上がる。
黒い光線が走り、部屋中を貫くように“どこか”へ吸い込まれていく!
零が低く呟く。
「見つけた。」
クロが息を呑む。
「どこ……?」
零はひすいに向き直る。
「瀬川ひすい──お前の“過去のブログ仲間”の中にいる。」
ひすいの顔が強張った。
零は最後に静かに告げる。
「呪い主に会いに行く。命が欲しいなら──来い。」
雨音が激しさを増す。
まるで“呪い主が待っている”かのように。




