回想1 零と黒弥 ― 後半 ―
黒弥は、血に濡れた床の中央で立ち尽くしていた。
顔には穏やかな笑み。
しかしその手には、まだ温かい“仲間の血”が滴っていた。
零はゆっくりと歩み寄る。
靴底が血を踏むたび、ぺたり、と湿った音がする。
「黒弥……もう、一線を越えたのか。」
零の声は震えていない。
けれど喉の奥で、殺気と怒りが静かに燃えていた。
黒弥は肩越しに振り返り、とても楽しそうに、まるで研究結果を語るように微笑んだ。
「見たかい?“呪術式核”は、ただの器じゃない。こうやって喰えば──術者の個性も、呪力の性質も、全部取り込める。」
床に転がった師匠の亡骸は、すでに“肉の形”を保っていなかった。
零は静かに目を伏せる。
「……術者の魂を喰らう呪術。それは禁忌だ。師匠も、決して使うなと──」
黒弥は突然、腹を抱えて笑い出した。
「禁忌?零、君はまだそんな“きれいごと”を信じているのか?」
笑い終えた黒弥は、血だらけの手のまま零に近づいていく。
「師匠が禁じたのは、“力を持たない術者に扱えないから”さ。僕と君なら扱える。そうだろう?」
零は黒弥の瞳を静かに見返す。
その瞳の奥には──
“底無しの飢え”だけがあった。
黒弥はさらに続けた。
「零、僕は思ってたんだ。君と僕は同じ核を分け合ってる。なら、一つになればいい。」
零は筆を握りしめた。
「……仲間を喰って“完全な存在”になるつもりか。」
黒弥は頷く。
「そう。これでまだ“半分”なんだよ、零。僕は完全じゃない。でもね──君の半分を手に入れれば……僕は最強になる。」
零の胸に静かな怒りが灯る。
「……お前は、仲間をなんだと思っている。」
黒弥の笑みが消える。
声が低く、氷のように冷たくなる。
「“材料”だよ。僕が超越するための。」
次の瞬間──黒弥の影がうねった。
床の黒い影が生物のように伸び、零の足元へ襲いかかる。
零は即座に筆を振り下ろす。
「“拒絶”。」
瞬間、影は弾け飛ぶ。
黒弥は楽しそうに拍手した。
「やっぱり零は天才だ。影術を無詠唱で弾くなんて、君しかいない。」
零は無言で構え直した。
黒弥は首を傾ける。
「さあ零──選んでくれないか?“僕に喰われて完全になるか”、“僕を殺して半分のまま生きるか”。」
零の目が細くなる。
黒弥の声は甘い毒を含んでいた。
「君を殺したら僕は完成する。でも──君が僕を殺したら?」
黒弥は微笑んだ。
「“ずっと半分のまま”なんだよ、零。中途半端なまま、一生苦しむ。」
零はわずかに目を伏せた。
だが、次の瞬間。
ゆっくりと顔を上げた零の瞳は、どこまでも透き通っていた。
「……初めから決まっている。」
黒弥が目を細める。
「答えを聞こう。」
零は筆を構え、筆先が霧のような呪力をまとった。
静かに──しかし確かな意志で言う。
「“俺は誰も殺さない”。ましてや、お前なんかのために自分を汚さない。」
黒弥は笑う。
「綺麗だよ、零。本当に綺麗すぎる。だから壊したくなるんだ。」
黒弥の影が膨れ上がる。
空気が震える。
影が刃のように尖り、零へ一斉に襲いかかった。
零の声が静かなまま響く。
「“斬呪”。」
筆を振った瞬間、黒い線が空を裂き、影を斬り払った。
黒弥の目が細くなる。
「やっぱり……君は美しいよ。」
影が再び形を変えて迫り──
零と黒弥は、互いを殺すためではなく、互いの“正しさ”を証明するために、激しくぶつかり合った。
憎しみでも、復讐でもない。
世界のどこかで歪んでしまった、“過去の二人の決着”。
その戦いの結末は──
この回想ではまだ語られない。
ただひとつだけ確かなのは、
零が生き残り、黒弥は闇に消えた。
そして零の心には、“深い傷”だけが残された。




