外伝 コトリバコ ― 中半 ―
光が、消えた。
次の瞬間、零の視界は真っ暗になった。
足元の感覚も消え、重力がなくなる。
クロの声が遠くで響いた。
「零っ! どこ!? 聞こえる!?」
「……落ち着け。俺はここにいる」
声だけが、闇の中を漂った。
視界の端で、微かな灯が瞬いた。
無数の小さな光――まるで宙を漂う魂の欠片のようだった。
それらはひとつひとつ、泣き声を上げている。
子どもの声。
「痛い」「寒い」「お母さん」――重なり、渦を巻く。
クロが怯えたように震える。
「ここ、まさか……」
零は頷いた。
「“箱の中”だ」
「つまり、あの子たちの……?」
「そうだ。この中には、封じられた魂たちの“記憶”が残っている」
周囲が少しずつ形を持ちはじめる。
黒い闇の中に、土壁のようなものが浮かび、
やがてそれは、古い家屋のような空間を形づくった。
木の梁、藁葺きの天井、湿った畳。
――百年以上前の村屋敷。
「零……なんか、誰かいる」
クロが耳を立てる。
奥の襖の向こうから、子どもの笑い声がした。
零が静かに歩み寄り、襖を開けた。
そこにいたのは、七、八歳くらいの少女だった。
白い着物。
髪は乱れ、頬はやせ細り、しかし目だけは真っ直ぐだった。
少女は、箱を抱えて座っていた。
零の足音に気づくと、にっこり笑った。
「こんにちは、お兄さん」
その声は、さっきまでの“怨念の声”とは違っていた。
穏やかで、どこか人懐こい。
「ここは、どこだかわかる?」
「……お前の記憶の中か」
「うん。この箱の中は、私たちの“おうち”。おばあちゃんが作ってくれたの」
クロが小声で囁いた。
「おばあちゃん……? 零、それって」
「封印の始まりに関わった者だろう」
少女は箱を撫でながら続けた。
「おばあちゃんは言ったの。“この箱の中なら、みんな痛くない”って」
「それで……お前たちはここに?」
少女はこくりと頷いた。
「でも、ね。本当は、おばあちゃんも泣いてたの。“許して、ごめんなさい”って。“お前たちを守るため”って、何度も言ってた」
零の胸に痛みが走る。
クロも言葉を失っていた。
「じゃあ、あの箱は……」
「守るための箱。でも、外の人はみんな“呪いの箱”って言った」
少女は少し悲しそうに笑った。
「ねぇ、お兄さん。私たち、呪ってないよ」
「わかっている」
「本当に?」
「お前たちは“守られた”だけだ。だが、守られすぎて“帰れなくなった”」
少女の瞳が揺れた。
「……帰れるの?」
「帰れる。俺が、そのために来た」
クロが前足を胸にあてて頷いた。
「うん。あなたたちの“痛み”を外に出して、祈りに変えるんだ」
少女は少し俯き、抱えていた箱を見つめた。
「でもね、この箱、壊せないの。おばあちゃんが“壊したら、お前たちも消える”って言ったの」
「消える……」
零は小さく息を呑んだ。
「つまり、封印と魂が完全に同化している。箱を壊せば、怨念も祈りも同時に消滅する」
クロの声が震える。
「じゃあ、救う方法はないの……?」
「ある。“箱を壊さずに、箱の役割を変える”」
少女が首を傾げる。
「役割を……変える?」
「呪いを封じる“祟り箱”から、祈りを集める“願い箱”に転化させる。だが、そのためには――」
「――誰かが“外で生きて祈り続ける”必要がある」
その声がしたのは、背後からだった。
零が振り返ると、
そこには年老いた女の影が立っていた。
白髪を結い、背を丸めたその姿。
だが、その瞳は澄んでいた。
少女が立ち上がり、駆け寄る。
「おばあちゃん!」
「やはり、封印者か」
「ええ」
女は静かに微笑んだ。
「あなたが、あの時代の“黒乃”の後継ね」
「……黒乃の名を知っているのか」
「この村を守ってきた呪術師の一族よ。あなたの祖先が、私に“祟り箱”の術式を教えてくれた」
クロが驚いたように目を見開く。
「じゃあ、零の家系とこの箱、つながってたの!?」
零は黙って頷いた。
女は少女の肩に手を置いた。
「この子たちは、呪われていない。ただ、時代に捨てられたの。“穢れ”と呼ばれて」
零は目を閉じた。
「……だから、封じた」
「ええ。それしか方法がなかった。外に出せば、村が滅びる。だからせめて、眠らせた」
女はゆっくりと歩み寄り、零の前で立ち止まった。
「あなたなら、きっとできる。“呪いを祈りに変える術”。あの頃、私は完成させられなかった」
零は静かに頷いた。
「――引き継ごう」
女の顔に、安堵の笑みが浮かんだ。
「ありがとう。あの子たちを、どうか外の光へ」
その瞬間、空気が震えた。
壁が軋み、天井から黒い液体が垂れる。
少女が叫ぶ。
「おばあちゃん、箱が……!」
女が苦しげに息を詰める。
「封印が……壊れる!」
零が叫ぶ。
「外の現実で、封の糸が切れたか……!」
クロが焦った声を上げる。
「綾女さんが……危ない!」
闇がうねり始める。
土壁が崩れ、無数の手が現れる。
さっき見た、黒い手。
彼らの叫びが空間を満たす。
「出たい!」「生きたい!」「お母さん!」
女が目を閉じた。
「零……行きなさい。私はここで、この箱を守る」
「だが!」
「いいの。私は封印の一部。外に出られない」
少女が泣き叫ぶ。
「やだ! おばあちゃんもいっしょに!」
「大丈夫。あなたたちは、これから“光の箱”になるの」
女は微笑んだ。
「零、あなたの祈りで、この箱を再構築して」
零は深く息を吸い、手をかざした。
「――“祈ノ印・天縫”!」
光が彼の指先から走り、
周囲の闇を裂くように展開した。
無数の符が宙に舞い、光の糸が箱を包む。
女が両手を広げ、叫ぶ。
「この命で、箱を支える――!!」
光が爆ぜた。
少女たちの声が次々と響く。
「ありがとう」「さよなら」「またね」
クロが涙を流しながら叫んだ。
「零っ! 出口が開いてる!」
「行け!」
「でも、あなたは!?」
「俺は“外”を繋ぐ!」
クロは迷いながらも、少女に導かれて光の中へ飛び込んだ。
零は最後に振り返り、女の姿を見つめた。
「お前の想い、確かに受け取った」
女は穏やかに笑った。
「ありがとう、“黒乃”。……これで、やっと眠れる」
光が零の体を包んだ。
――箱が、閉じていく。




