未練の短剣(7)
井戸での一件を一通り話すと、ラインハルテは青ざめていた。
「ユーレイこわい」
ナンリは黙ったままだった。
「御令嬢の未練だった短剣をどこに返すのか。まずは事件を調べようということになりました」
井戸は住民が基本的に勝手に作って、水道が出来たときに勝手に閉じている。管理していた代筆屋も一帯から頼まれて見ていただけで、今回のことはとばっちりだった。
埋め立てだけは水道の事業の一環らしく、街が主導している。あの井戸はいつ埋め立てられるかは決まっていない。
だから、公的な記録などはほとんどない。
唯一あったのは、前に埋め立てる話が持ち上がった時の代官所の記録だった。
裕福区の半分ほどの井戸を調査し、可能なら埋め立てる計画は――あの井戸の近くの3つは埋め立てられ、あの井戸だけが残った。
枯れ井戸だと分かったのはそのときだろう。不可、という文字だけ書類に残り、担当の役人はもう辞めていた。
事件なら治安隊だろうと、事件録があるというので調べることにした。
マキアも封蝋の御威光にあずかって、そうっと資料室に入らせてもらい、ラインハルテも動員し3日かけて見たが、結局出てきたのはひとりめの犠牲者の件だけだった。
御令嬢の件は、やはり影も形もない。
念のためと犠牲者の女性のことも調べたが、落ちた時の不審な状況は書かれておらず、女性の身元も分からない。元の雇われていた家には聞き取りを拒否され、目撃者はどうやら事件後街を離れていてそれ以上調査できなかった。
御令嬢は誰なのか、隠蔽した貴族は。
「……その後、代筆屋の店主が、気にかけてくれて色々住民に聞いてくださったそうなんです。当時すでに大人だった人たちは事情が分かっているから口が重かったが、小さな頃にわけも分からず見聞きしていて、思い出した人がちらほらいたようだ」
断片的な証言だが、色々と御令嬢の事件の様子が分かってきた。
ある人は、夜中に外が騒がしく、親が見に行ったあと、血相を変えて戻ってきた、と。
ある人は親とともに外に様子を見に行き、兵士が何人も歩いていたのを見ていた。
ある人は、突然家に兵士がやってきて、ロープがないかとがなり立てた――
「その突然やってきた兵士の身なりは良かった。背の低い子供が見上げたせいで、剣の柄の模様がはっきり見えた」
貴族の紋章だった。
おぼろげな記憶だったが、近い図形を探ると――30年近く前、令嬢を一人亡くしている家があった。
「おそらく、家を抜け出した令嬢が裕福区にいるのを知って、連れ戻そうとした家の私兵が彼らだ。ところが、令嬢は井戸に落ちた。夜なのにあの暗い井戸に落ちたのだと知っていたということは、兵士たちの目の前で、だろう」
井戸はマキアが簡単にまたいで降りられた。
令嬢は暗いこともあり、不用意に近づいて、足を引っ掛けて落ちた。
家の追っ手から逃げ回り、追い詰められてわけもわからず……ということだろう。
落ちた時の、令嬢はただ驚いていた。
水の冷たさに驚いて溺れた。衣服は上等なものだろうから、生地は重いだろう。女性ならスカート。たっぷり水を含み、重さにもがいて……
「その事件のことと一緒に、令嬢のお相手らしい人のことも聞けました。覚えていた人がいたんだ」
井戸を使う一帯よりは離れていたが、かなり裕福な商人の家があったのだという。
当時マキアくらいの年齢の有能な息子がいて、とある貴族の家に出入りを許されていた。具体的な貴族の名前を言わなかったが、御令嬢に気に入られたとちらりと聞いたことがあったという。
ある時を境に、一家は消えた。
ほとんど何も持っていかず、夜逃げに見えた。
「今になってよくよく考えてみると、事件直後だったと」
続きがある。
その後しばらくして、このあたりで見かけないような小汚い格好の男がふらふらとしていた。衛兵を呼ぼうとしたが、男は慌てて商人の息子だと言って見逃してくれ、と。そそくさと逃げていった。
「……その商人の息子の目の色は、珍しい紫だったそうだ。井戸から拾った短剣の柄にあった宝石は……紫色」
それでも推測は出ないが。
ただ、夜逃げした商人一家に、落ちぶれた姿で再び裕福区……井戸の近くに現れた商人の息子。
これは、偶然と片付けるには難しい。
もし住民に見つからなかったら……彼はあの時どうしていたのだろう。
「この街で他に、当時年ごろの御令嬢が亡くなった家はいないようだった。貴族はそのあたりの記録はきっちりしている……死因は神殿に積んでごまかせても、籍は勝手に書き変えられない……と、役人に聞いた」
それでも、ということは可能だろうが、この街でやるには無茶が過ぎる、とのことだ。
「メアリーの名前を出して連絡したら、伯爵家はすぐに返事をくれた。そのメアリーの兄の伯爵も、両親も病気で亡くなっていたが、夫人が伯爵の生前繰り返し聞かされたのが、妹メアリーのことだったと。伯爵の回顧録も読ませていただいたが……どうも、一家はメアリーを溺愛していたようだ」
メアリーは当時16歳。
元はこの街に定住しているわけではなかったが、メアリーが気に入っているようだから年に2度は滞在していたという。領地もあるのに1年の半分近くいたことになる。
メアリーの気に入っている理由――それがこの街で、伯爵邸の出入りを許された若い商人のためだとは家族は知らなかった。
きっかけは、メアリーの縁談だった。
格上の家で、申し分ない財力と貴公子。良縁だと誰もが喜んでいる中、メアリーだけはふさぎ込む。
彼女は理由は話さず落ち込むばかりで、心配した両親は気晴らしにとこの街にメアリーを連れてきた。
その、数日後。
「彼女が抜け出したのはすぐにバレたが、裕福区まで足取りがわからず、やっと見つけたと思ったら……」
だが、商人の息子が、恋人の貴族の娘にひとりで出歩かせるだろうか。しかもこれ見よがしに、自分の自宅近くまで。
何か行き違いがあったか、メアリーの独断ではないかとマキアは考えている。
「ともかく両親は醜聞を撒くまいと、一帯に脅しをかけた」
しばらく怒りだか悲しみだか、極度の混乱におちいった一家。
「ようやく落ち着いたあと、後悔を始めた。そんなに結婚が嫌だったのなら、もっと気を使ってやれば、と。……メアリーの秘密の相手のことが回顧録で出たのは、そのあたりだ。どうもいつのまにか相手の存在を把握していたのに、何の手段も取っていないのが気になるが……ともかくその相手、商人の息子は、死んでいた」
死因はよく分からないが、裕福区の住民の目撃した話を聞けば、野垂れ死にという結果がありありと目に浮かぶ。
「商人一家はやはり息子のしでかしたことに泡を食って街から逃げた。所在も分かっている。ただ……肝心の息子は、死ぬまでこの街から離れていない」
墓は弔う縁者がいない、浮浪者や行き倒れへの神殿のお情けと同等。かろうじて名前だけは分かっていて、墓は伯爵家も確認した。
それで、終わりにすればよかったのだが……
「どうも、後悔と未練でこの街に住み続けたみたいだな」
「……言っちゃなんだが、何がしたかったんだろうな」
ビクトルもそこを気にしていたらしい。
マキアも、いまいち一貫性がない伯爵家に首をかしげるばかりだ。
身分もわきまえない平民相手に落とし前をつけさせるわけでもなく、悲しんでいるばかりで領地にも帰らない。たしかに、メアリーの墓もこちらにあって、離れがたいのは分かるが。
ビクトルがそういえば、と声を上げた。
「あの伯爵夫人と令嬢は領地に帰ったみたいだぜ」
「そうなのか」
「ちょっと噂を聞いたが、以前はこの街から離れられない理由があって、なかなか令嬢の縁談が決まらなかったんだが、解決したから領地に戻って話を進めるそうだ……という感じだった」
「……理由って」
夫人は確かにどうすればいいのかと困っていた。
……遺言か何かで、この街にずっといたのだろうか。会ったこともない夫の妹のために、自由に出られないなんて。
やはりよくわからない伯爵家だ。
「解決って、このこと?」
ラインハルテの言葉に、マキアとビクトルは顔を見合わせてパラパラと頷く。
「……たぶんな」
「だろうな」
見切りをつけるには十分だろう。
総合して、この件は――
「……迷惑な一家、だな」
死者を貶すつもりはないが、御令嬢も含めて。
マキアはそう結論づけた。
誰からも反論はなかった。
ビクトルとラインハルテは帰っていった。
ラインハルテは何か言いたげな顔をしていたが、結局何も言わなかった。めずらしいこともある。
「ふぅむ、俺がいない間になかなかのことがあったようだな」
ナンリが軽く手を打ち合わせた。
「……あまり、自分でもこれでよかったとは思えないんだ」
ナンリは片眉を跳ね上げた。
「結果だけなら上々であるが、な。終わったあとなら何とでも言えるが……マキア、行動が逆だ」
「……ん?」
「先に井戸のことを詳しく調べたほうが、心の構えができただろう」
「……あ」
少なくとも犠牲者がいるところまでは、調べることができた。分かればもっと警戒したはずだ。
「お前は、感覚に頼りすぎているのだろう。今までモノしか相手にしていなかったためであろうな。これからは先に出来るものなら調べるといい」
「ああ」
「だが、実際に見ないと分からぬこともあろう。犠牲者の方にばかり目を向けていると、おそらく御令嬢にはたどり着けず、祓うことも……失敗に終わったろう。ようは塩梅だ、そのところはそのうち身につくだろう」
「分かった」
「うち、まずはお前は霊視が出来ることが確認できた。短剣をしかるべき場所にと無理に祓わなかった。この点は良かった」
「……ああ」
霊を感じとり、姿を見る。
今回は姿は見せなかったが、あんなにはっきりと同調したのだ。
マキアが視たものは、すべてメアリーの記憶そのものだった。
落下しながら見上げた自分の手足は一回り小さく、履いていたのは女性用のかわいらしい靴。感情はすべて彼女のもので、あまりの鮮烈さに一瞬自我を失いかけた。
霊視については、出来るだろうと前から言われていたのだが、確認するにはタイミングがなかった。
「……だが、俺を待たなかったことが大きな失敗であろうな」
真面目な顔をしている。
「今回の霊はただの未練であったからこの程度だった。これに怒りや恨みがあったなら……年月も含めると、怨霊になっていたであろう」
「……ああ」
そうだろうという気はしていた。
「お前の封印や退魔、浄霊除霊ではまだ無理だ。さらに言うなら、土地なら地霊、神、さらに格上も可能性はある。俺でも無理なものがある」
「……認識が甘かった」
「うむ。国のことわざに『触らぬ神に祟りなし』というものがある。言葉通り、神にわざわざ
触らなければ祟られることはないということだ。それも一つの手。我らにとって幸運なことは……この街には老師がいる。あの方にとって怨霊に魑魅魍魎も、地霊に神も、敵ではない」
「……そんなに……」
すごいと思う反面、なんだか自分があくせく修行しなくてもと、多少思ってしまう。
「だが、あの方がするのは主に退魔と調伏だ。浄霊はされん」
「……え?そうなのか?」
「方術は浄霊は向かん。意外と難しいのだよ、浄霊は」
「……陰陽師は、」
「息をするようになさるな、国の御方たちは」
ははは、と気楽そうにナンリは笑う。
「鎮め浄めるのは僧で、祈祷師だ。俺の国で主流であるのだが、老師の国……レイでは流行らなんだ」
「そういう違いが」
陰陽師は修験者と一緒でナンリの国、クサナギの術士だとは聞いていた。
「どの術も一長一短、すべてにおいて完璧があるならそれは神仏であろう。我らが目指すはその境地だが、道は果てしなく遠い」




