古道具屋ツクモ(2)
その箱は、同僚の知り合いが手に入れたものらしい。
その箱をもらってから、毎晩不思議な物音や人の気配がするようになって、不眠におちいった。
それを、親身になって聞いた同僚が、ビクトルに話を持ち込んだ。
この同僚、何にでも首を突っ込むので、隊のトラブルメーカーとなっている。
今回もそのひとつ。
なんだかよく分からないうちに、箱はビクトルが預かることになっていた。
そして、持ち帰った家で、両親や年の離れた妹が、同様のことを訴えて、この箱のせいだと……
「だけど、俺は全然そういうの気づかなかったから、話半分だった」
「でしょうね」
「……なんで俺だけ気づかないんだ?」
「こういうのは、気づいてくれる人間にしか訴えません」
「……意味が違ってたら悪いんだが、おれは、鈍感だって言われてる?」
「いえ、合っています」
「……」
さっきの仕返しだろうか。
怒るべきかどうか、考えているうちに彼は箱を組み直し、続けた。
「では、御家族が訴えられて、こちらにお持ちいただいたと」
「あ、ああ」
「……ちなみに、どなたからこの店のことを聞きました?」
探るような目で見られ、ビクトルはため息をつく。
「さっき言った同僚だ。さすがに毎晩家族に起こされて寝不足の俺を見て、責任を感じたらしくてな」
噂を聞いたと言っていたはず。
そこまでこの店は有名ではないということだろう。まあ、この様子なら確かに客も少なそうだし、特定の人間しか来ないだろう。
こういう、困っている人間以外は。
「……嘘ではなさそうですね」
「嘘って」
「では、この小箱を手に入れた最初の方は、その後お元気ですか」
「あ?ええと、俺は詳しくは聞いていないんだが」
「そうですか、ならば、すこし気にかけてください。もし何おかしなことが続けば、この店を紹介してくださってかまいません」
「うん?箱のせいじゃないのか?」
「箱のせいですが、怨念というものはどこに作用するかわかりません。条件や触れた人間によっては、ずっと悩まされることもありますから」
しれっというが、ぞっとしない話だ。
実感はしていないビクトルだが、妹の泣き叫ぶ姿を見ているだけに、とんでもないことに聞こえる。
「……って、そういうのって、神殿に行けば……」
「ええ、対処できると思いますよ、ただ、寄付金が……ね」
「そ、そういえば」
怪我や病気は神殿で神官に祈ってもらうのが常識で、こういう人知の及ばない不穏なことや、霊や死者にまつわることも専門と言えるだろう。
ただし、寄付と称して高い料金を取られるのも事実。それが適正な金額かというのは、素人にはわからない。
「あと、神殿は、こういったものは不得手で雑なんです。それなら私のほうがまだ何とかなります」
「自信あるんだな」
神殿より自分と言い張った。驚きだ。
けれど、彼はなんでもなさそうに肩を竦める。
「まあ。話を戻しますが、これをその方はどこから手に入れたか具体的な話はお聞きしましたか?」
「いや、うーん、仕事で支払いが遅れた客からカタにもらったって聞いたな。ああ、大工なんだそいつ」
「………なるほど。では、小箱がこういうものだとは聞いていなかったんですね」
「ああ、じゃなかったら受け取らなかったって言ってたな。その客も、ホントかどうか知らないが、こんなものだと知らなかったと言っていたと。こいつももらい物らしい」
「人手に渡っていますね。……まあ、いいでしょう」
懐からペンと紙を取り出し、
「念のため、その大工という方と、あなたのお家の家族構成を教えてくださっても?」
「そんなもの必要なのか?」
「ええ、重要です。お名前などはいいです、年齢と性別だけでも。決してほかには漏らしません」
「んーまあ、いいぜ」
大工の方はうろ覚えだったが、自分の家は両親に妹だとはっきり答えた。
「ありがとうございます。もし、なにかおかしなことがあれば私にご相談ください」
「おう、って、あなたのお名前は?」
「……失礼しました。この古道具屋ツクモを営んでおります、店主のマキアです」
「え!?店主なのか!?」
「よく言われます」
しれっとマキア。
こんな店だから、老人か偏屈な年上がやっているものだと思い込んでいた。
気になる、なぜこんな商売をやろうと思ったのか。
だが、好奇心で首を突っ込むと手痛く反撃を食らいそうだ。
ここは、我慢だ。
「……俺も名乗らないとな。治安隊所属のビクトルだ。この街で何か困ったことがあれば、俺に相談してくれ」
「心強いです」
にこ、っとこれはたぶん、営業スマイルと言うやつなんだろう。
けれど、初めての笑顔だ。彼がまとう空気がさらっとそれだけでも変わる。
いつもは無表情に近いのだろう、どこか世捨て人のような浮き世離れした雰囲気で、なんとなくかわいそうになってくるのだ。
店には、ぴったりなのがまた、物悲しい。
「……やはり、そこまで強い念ではなさそうだ。これは……」
「なあ、その、御札ってやつ……」
考え込み始めたマキアに気になっていたことを聞くと、彼は、ああ、となんでもなさそうに別の御札を出した。
「これは、先ほど言ったように封印の術がかかっています。これを、こういった……厄介なものに使うと、この効果で怨念や呪いなどは効果が薄くなります」
「すっげえ!そういう魔法もあるのか!」
「いえ、これは魔法でありません」
すぱっと、盛り上がったビクトルに切って返された。
「この国では方術と呼ばれています。……ご存じですか?」
このマキアとか言う男、独特の会話のテンポだ。
「ん、ん?いや、知らないな」
「そうですか。東洋の術……とだけ、言っておきましょう」
「へー東だとこんなこともできる魔法があるのか、あ、いや、魔法じゃないんだっけ」
どうにも不思議なことは魔法だと思ってしまうのは、ビクトルがその方面に疎いからだ。
小箱だって魔法か何かだと思っていたが、家族が絶対に違うと言っていた。それは当たりだったのだが。
マキアはふと、目を伏せた。
「ええ。特に魔法士の方々は、そういった誤解をされるとひどく気分を害されるようなので……ですから、この事はあまり大っぴらには口外しないでいただきたい」
「ああ、分かった」
その、気分を害すとは?
また好奇心がムクリと起き上がってきたが、魔法士が絡むのなら、あまりつつかない方がいい程度の知識はある。
魔法士の権威はこの国の全土に広がっている。
数代前の国王が熱心に魔法の研究と活用を進めて、今では騎士団と並び魔法士集団が国のお抱えになっている。
魔法を使える魔力持ちも少ないため、希少で重宝されている。
それに関わることは下手を打ちたくない。
「ええと、じゃあ、これは……」
「触るな」
テーブルの上の御札を指に触れようとしたら、短い叱咤が飛ぶ。
「術が発動している。崩されたらまた箱が活性化する。意味は、分かるか?」
「……分かった。すまん」
実は半分も分かっていないが、マキアの剣幕が凄かったので両手を上げる。
「……この御札はまあ、そういう術の道具だと思ってくれ」
「じゃあ、これがあれば箱は悪さしなくなるのか?」
「……何でも聞きますね」
「性分なんでな!」
こういう、未知のことにはワクワクする。
マキアという店主、おそらく人が悪いわけでもなく秘密主義というわけでもない。でなければここまでビクトルの言うことを聞いてくれるはずがないのだ。
商売だから、というのもあるだろうが、本当に嫌なら叩き出すくらいはしそうだから、ビクトルには勝ち目がある。何の勝ち目かは知らないが。
案の定、うろんげな目をしたマキアだが、こだわることもなさそうに口を開いた。
「いえ、一時的に抑えただけです。人間で言うなら、縄で縛っておく……ようなものでしょうか」
「お、おお、それは……」
「ええ、一時しのぎです」
「どうするんだ?このままにしないだろ?」
「……ええ、そうですね」
なんだか、諦めたような顔をしたマキアだった。
「これくらいなら、俺でも祓えそうだ」
「ん?」
ビクトルが首をかしげている前で――
マキアは、手を組んだ。
不思議な組み方だった。指をいくつか立たせて、その他の指は絡ませる。
手を離す、すばやく組み直す。指のかたちが違う――
彼が歌い出した。
いや、歌というより淀みなく、発音している。
聞き慣れない、一定のリズムで声が流れるように。
……異国の言葉だろうか。
高くもなく低くもない彼の声が、音程は変わらず強弱だけつけて。
やがて、ビクトルにもわかるほど、周囲の空気が変わった。
ふわりと窓もないのに風がそよぎ、ざわりと肌をなでられるような感覚。
……鳥肌が立つ。
緊張して身体を縮こませたビクトルに構わず、マキアは何度か手を組み替えて、それから指を2本だけ立てて、その箱に触る……
ふっと、部屋がもとに戻った。
「……浄化完了。これでこれは、ただの小箱だ」
「すっ……げえ」
「見えてないだろうに」
「でも、分かったぜなんとなく!うおお、こういうのは見たことないからな!いいもん見た!」
「それは、よかったな」
ふと、彼は笑った。
うっすらとだが、確かに。
そうやって笑っていればいいのに、と思うのだが、まあ人の勝手である。
「だが、これを怨念が籠もるほどにした理由もあるんだ。もし、これを探して誰か来たら、この店を教えてくれ」
「うん?理由?」
「……あー」
箱を丁寧に手ぬぐいに包み、彼は持って立ち上がった。
「今度は、紅茶でいいか」