7.偽装恋人は理想を体現す
待ち合わせスポットとして王都で有名な噴水。
そこには緩く巻かれた柔らかなキャラメルブラウンの髪を風にたなびかせ、少女らしさを残した愛嬌のある顔立ちに温かみを感じさせる新緑の瞳が誰かを探すようにキョロキョロと忙しなく視線を移す。
時々前髪を気にする素振りを見せて噴水の水面を鏡代わりに身だしなみチェックをする姿は、誰から見ても恋人を待つ少女でしかない。
これらは全て、ネーロの演技だった。
淡くくすんだミントグリーンのワンピースは庶民が少し背伸びをして購入したくらいの仕立てに見せ、それに合わせたオフホワイトのフリルブラウスは上品に。胸元で揺れるワンピースと同色のリボンが年相応の可愛らしさを引き立てる。
ラインハルトと横に並んだ際に身長差で違和感を持たれないよう、ダークブラウンの厚底ブーツで十センチ以上盛ってもいた。
(これは非の打ち所がないでしょ)
脳内でこの完成度に自画自賛を贈る。
待ち合わせ場所に予定時刻よりも早く着いて落ち着きなく待つ姿もネーロ的加点ポイント。
プロフィール内容を反芻しつつ恋人を待つ演技を暫く継続していると、庶民風の服に身を包んでも欠片もオーラを隠し切れていないラインハルトが周囲を気にしながらゆっくりと歩いてきた。
まだこちらの姿を捉えられていないということは、彼の理想を限りなく落とし込んだはずの今の私には、目を引くような魅力は感じられなかったようだ。
(まあ、文字お越ししただけの理想像だしね。仕方ないかな)
初手から幸先が悪いと感じながらも、不自然な行動は決して取らない。
今この瞬間も魔導騎士様は暗部構成員に監視されているのだから。
横目で確認したラインハルトの姿を分かりやすく身体を動かして視界に捉え、自然な満面の笑顔を零し、彼の元まで一直線に駆けていく。そうするとやっと私を認識したようで目を見開いて、歩みを止めた。
(違和感を持たれるような反応やめてよ!)
脳内で悪態を吐きつつ、表では親愛の視線を送る。
「久しぶり。また貴方に逢えて本当に嬉しい」
「あ、ああ…」
(だ~か~ら~…!)
澄んでいながら明るく少女らしい声という難関をしっかりクリアした事に安堵する間もなく、その取り繕えなさに苛立ちを覚えた。
しかし、表情を崩さずに声を掛け続ける。
「王都に来るの私初めてで…。貴方と行きたい所が沢山あるの」
移動するように促したいが、いきなり手に触れるようなことはしない。貴族間で女性から男性の肌に接触するのは破廉恥な行為にあたる。
休日で手袋をはめていないがために少し余裕の残っている袖の生地を指で摘み、必然的な上目遣いで「行こう?」と誘導する。
未だ状況を把握し切れてないことは明白であったが、歩き始めた私に彼も続いたためそっと袖から指を離した。
どうにか道中の会話を繋いで連れて来たのは、カフェ『憩いの場』。
大通りから外れた所にあるこのお店はこだわりの詰まったインテリアに木の温もりと香りが安心感を与える。そして、ランチ時は庶民的な値段でとても美味しい料理を味わえ、夜にはオシャレで珍しいお酒と料理が楽しめるとして知る人ぞ知る名店でもある。
と、便利屋の人達にデートスポットとしてオススメされた。
特にここのイチゴのムースは絶品だと特にオススメされ、迷い込んだ体でこのお店に偶然を装って来店し、食べたのだが、本当に食べないと人生損だと思わされるほどおいしかった。
今日もお昼にはまだ早い時間帯だというのに店内は半分以上の席が埋まっており、見つけづらい立地もあってまだ食べていない料理に更なる期待が膨らむ。
空いているテーブル席にふたりで着き、メニュー表を眺める。種類も豊富で、味も見た目も想像つかない料理名がズラリと並んでいた。
「ラインハルト様。どれにするの?」
「ああ…そうだな」
やっと事態を飲み込めてきた彼はメニュー表を覗き込み、一通り料理名を見ていく。
私はデザート欄をそれはもう熱心に見つめた。
「全部気になっちゃう。どれにしようかな?」
「…君は」
人目も雑音も絶妙に多いこの場所では構成員もあまり迂闊な行動は出来ないから、打ち合わせをしておくにはちょうどいいタイミングである。
しかし、こちらも疑問を抱かせるような言動は慎まなければならない。
何かを口にしようとしたラインハルトにわざと発言を重ねる。
「コレットって、呼んでくれないの?」
「えっ?」
しっかりと目線を合わせて強請るような声音で問いかけた。
呆けた表情を晒す彼を完全無視の方向で今は会話を続ける。
「最後に逢った時は、そう呼んでくれたじゃない」
「いや…」
「…もう、呼んではもらえないのね」
目に見えて意気消沈する素振りでメニュー表に視線を落とす。
それにラインハルトは慌てふためいている様子。
「その…コレット嬢…」
「…コレットがいい。あの時そう呼んでもらえて、私嬉しかったもの」
メニュー表に固定した顔に悲哀の感情を纏わせる。
ちょっと強引すぎたかもしれないが、王女に報告される手前あまり距離を取り過ぎるのは良くないのだ。
関係性が恋人であるならば、ラインハルトに呼び捨てパフォーマンスはしてもらいたい。
たかが呼び方だが、会話の中で一番多く登場する。
王女が王女である限り、彼に呼び捨てで呼ばれることは絶対にない。
こういう細かい所にこそ、こだわるべきなのだ。
「…コレット」
「!なぁに?」
根気強く諦めない姿勢を貫いたおかげで緊張感を孕みながらも名前を呼ばせることに成功した。
それに対して目線を戻し、心底嬉しそうに笑みを零すことも忘れない。
「…君が、担当なのか?」
「そうなの。これからよろしくね?」
言葉にすることを躊躇っていたものの、決心を付けて尋ねられた問いにあっさりと肯定してうふふっと微笑んで見せる。
彼の纏う空気が何故か落胆の色を帯びた。
「こっちに引っ越して来たからいつでも会いに来てね。また手料理を振舞うから」
「ああ…」
「って、今からランチなのにね。ふふふ」
コレットの設定はラインハルトを追いかけて王都へ来た、恋する少女。
そして、現在は花が好きだという彼の要望に応える形で花屋に就職し、休日は得意の料理で王都の味を再現することに夢中になっていて、特技の刺繍を活かして副業も始めた。
手紙にはその旨を丁寧に記してあるため問題はないはずだが、再度念を押す。
が、本当に分かっているのだろうか?
(さっきから気のない返事ばっかりなんだよね~)
表情には出さないが、一抹の不安が胸に過る。
メニュー表に話題を戻して分からない料理についてあれこれと質問を投げかける。
私が悩みに悩んで選んだのは、結局二人ともがどんな料理か想像も出来なかったボビーヴィールシャンクという料理を。彼は無難にビーフシチューを選んで、デザートは少数販売・期間限定のカッサータというこれまた聞いたことない品にした。
暫く店員待ちで雑談を交わしていると、この国では珍しい褐色の肌をした美丈夫が注文を受け付けた。
黒っぽい濃紺の髪と蒼色の瞳に、魔導士か魔法使いなのではないかと疑惑を持った。
が、そんなことを口に出すようなことはしない。
無事に注文を済ませて料理が届くまで場を繋ぐため、話題提供を次々にしていく。
十分くらい会話を続けていると、先程の異国風の店員が料理を配膳していく。私が注文した料理は煮込み料理で、デザートは食後に紅茶と共に提供するそう。
並べられたおいしそうな料理に純粋な少女のように瞳を輝かせて一口一口味わうようにゆっくりと頂く。
と、考えていたのだが、頬が本当に落ちてしまいそうな美味しさについついはしゃいでしまう。
「ラインハルト様!これすっごくおいしいから、一口食べない?」
「え、えっ…?!」
驚くラインハルトを尻目にスプーンに盛って口元まで運ぶ。
「はい。あ~ん」
硬直する彼の唇にそっとスプーンを触れさせると、おずおずと口を開いた。
彼が咀嚼する様を観察して「おいしい?」と問えば、嚥下した後に「…うまいな」と返された。
この料理の感動を分かち合えて嬉しい。
「おいしいね?ふふふ」
もう一口と頬張ってその美味しさからまた無意識に頬が緩んでいく。
「…こちらも食べるか?」
「えっ?」
一口サイズに切ったお肉をシチューと絡めてスプーンに盛り、こちらへ差し出された。
何パターンかの行動を頭に思い描き、瞬時に判断を下した。
「…あ~ん」
恥ずかしそうに頬を赤らめつつ、発する感情は嬉しそうに。
(いや、これもおいしすぎる…!)
コレットの設定は吹き飛び、ネーロの部分が顔を出してしまう。
「これもおいしいね!」
「ああ。そうだな」
食後に出されたデザートも快晴で暖かいことも相まってさっぱりと冷たく、ドライフルーツがジューシーでとても美味しかった。
仕事に身を入らなくさせる素晴らしい料理に心からの称賛を贈った。
昼食を終えてからは有名な観光スポットやちょっとした隠れスポットを、恋人らしさを損なわないように注意しつつ巡った。
その道中には勤め先の花屋と店主と顔見知りになったお店を通りかかった。
コレットの顔を見て笑顔で親しげに話しかけてくれる彼らにこちらも笑顔で返し、雑談を交わす。
ラインハルトの姿に気が付いた彼らは「デートかい?」なんて言って私達の仲を茶化す。それに頬を染めつつ返答をしてごまかすように先を急ぐ。
腕を緩く引いて先導するコレットにラインハルトは知らず知らずのうちに口元を喜色が彩っていた。
言及することはなかったが、“誰にでも好かれる”ことがラインハルトの理想の絶対条件だとネーロは推測した。
人当たりよく、元気いっぱいな、田舎から出てきた少女を無碍に扱う人はほとんどおらず、あっという間に王都民として溶け込んだ。
便利屋としてこういう依頼は受け付けていないが、ここまでの反応からネーロは潜入捜査に向いていると自身を評した。
初めての偽装デートはラインハルトに家まで送り届けてもらった所で終了を告げた。
ボビーヴィールシャンクはオーストラリアの乳飲み仔牛の骨なしスネ肉。ワイン煮込み料理。
カッサータはイタリアのスイーツで、アイスチーズケーキにドライフルーツを混ぜたような感じ。
作者が色々見ていてただ食べたいと思った料理を出してます。食べたことは一度もないけど…。
地理や植生的なものは一切考慮していませんので、深く考えないで下さい。フィクションです。