4.黒髪は“ネーロ”で。茶髪は…
ラインハルトが便利屋へ再び来店したのは、あれから三日後。
その間にも事態は更なる展開を見せており、面倒事を引き寄せてきた自覚のある当の本人は前回も使用した個室のソファに座して落ち着きなくソワソワとしていた。
「お客さんさぁ?こうなることが解っててこ~んな女性像を王女様に話したのかな?」
テーブルの上に置かれたメモ帳には箇条書きされたラインハルトの架空彼女、コレットのプロフィールが記載してあり、それをトントンと人差し指で叩きながら目前の彼を睨みつける。
案の定というべきか、王女はコレットに会わせろと厳命してきたのだ。もちろんそれが出来ない身分にあると説き伏せようと試みたのだが、名案とばかりに王族権限で暗部の調査が決定する始末。
まだ動き出していないとはいえ、到底準備時間が足りていないのに待てど暮らせど報告に来ない。
私が苛立ちを抑えきれないのは当たり前だと彼は受け入れて然るべき立場にあるのだ。
完全な自業自得である。
「そ、そんなことは…」
「じゃあどっから出てきたのかな!君の理想!?妄想!?物語のヒロインに懸想でもしたの!?」
「……理想、だ…」
絞り出すような声で白状した。
「理想は理想でしかないって知ってる?!現実を見ようね!」
「も、申し訳ない…」
いつもは背筋を伸ばして威厳に溢れているのだが、今日に限っては少年姿の私に対して叱られた犬のように腰を曲げて俯く、情けない姿を晒している。
それだけでこの感情が萎えることはないが。
「で?まさかこの君の理想通りの女の人を便利屋に依頼するなんてことはないよね?ここは劇場でも酒場でも娼館でもなく、便利屋だよ?僕は王女とマッジシャーレ皇国の第二皇子との円滑な婚姻の執行を依頼されたはずだもんね!?もう王女殿下には奉魔導式典開催まで眠りに就いてもらってもいい?!」
その上に追い打ちを掛けると、懐から重そうな巾着を取り出してテーブルに置き、椅子に腰かけたまま深々と頭を垂れた。
巾着からは金貨が零れ落ち、チャリーン…と甲高い音を響かせる。
「そこをなんとか頼む!報酬は追加で上乗せする!」
で、結局こうなるのだ。
甘々な思考回路の魔導騎士様は荒事を好まないらしい。戦争では先陣を切って敵を葬り武勇を立てまくっていることを棚に上げて。
結論が分かっているからこそ腹が立つ。
なぜなら、この目の前の男の理想女性を演じるのはお師匠様から依頼を丸投げされている私だからだ。
しかし、お師匠様に厳命された事もあって一度依頼を引き受けた以上断れるわけもなく、盛大な溜息を吐く。
「はあぁ~……やるよ」
ラインハルトは承諾した瞬間にパッと顔を上げて、安堵の表情を浮かべた。
「ただし!これでもダメだった時は潔く諦めてもらってこっちの指示に従うこと!いいね?」
「もちろんだ」
威勢のいい返答があったが、理解しているのだろうか?
(まあ、その時には奉魔道式典の時期に差し掛かっているだろうから文句なんて言わせないけど)
一応、念には念を入れて事前認可を得ておく。
「もしもの場合は、いいよね?」
「いや…」
「よ・ろ・し・い・で・す・ね?」
「…分かった」
(よし!)
心の中で大きなガッツポーズを決める。
それだけもしもの際に取れる手段が限られているとのいないのとでは、依頼達成確率が桁違いなのだ。
これはもはや達成が確約されたようなもの。
「じゃあ、コレットの詳細を詰めていこっか!他に何かこうあって欲しいみたいなのってない?」
「…そう、だな……」
急激に機嫌を回復させた私を怪訝に思ったようだが、ラインハルトは真剣に理想の女性像を語っていく。
その所々に矛盾を感じたが、敢えて指摘しない。こちらが取れる行動の余地をそれだけ増やせることに繋がるからだ。未来の自分の首を絞めるような自滅行為はしない。
が、注意喚起をして予防線はしっかりと張っておく。
「これだけは覚えていてほしいんだけど。ここまでの内容を参考にはさせてもらうけど、君の思い描く理想の女性を完璧に再現することは出来ないからね」
「分かっている。迷惑をかけるな」
これを承諾してもらえなかったら、ぶん殴っていたことだろう。デリカシーはないが、まともな感性は持っていたようだ。
「いいよ!前金も貰っちゃったことだし」
「助かる」
会話が途切れ、沈黙が訪れる。
今日、議題に挙げるべきことはもうないはずだ。
しかし、何か忘れているような気がして「う~ん…」と首を捻り、記憶を探っていくと聞いておきたいことを思い出した。
「そういえば!君に手紙って出してもいいの?今住んでるのって寄宿舎でしょ?」
「ああ。問題ない」
気にした風もなく肯定の返事がきた。
一方からしか連絡手段がないのは不便なこと極まりないのだ。
魔導士でも手紙などの配達物は届くようになっていることに少しの安堵を覚えた。
しかし、その内容や品物にはチェックが入り、問題ありと認識されたものは排除されていると考えておくべきだ。
これで大方確認したいことも確認できた。後は行動に移すだけ。
「そうなんだね!次からは君の恋人役コレットが担当に代わるから。よろしく~」
「担当が?またか」
煩わしそうに眉間に皺を寄せて拒否感を露わにした。
実際は引き続き私が担当であるが、少年姿の今の私がコレットに成り替われることを知られたくはなく、担当責任者がいないのに依頼が進行するのもおかしな話だ。
だから、ちゃんと納得しやすい言い訳を用意してある。
「君には僕が女の子に見えるわけぇ?」
「…見えないが」
「ならちゃんとそっちを得意とする人にこの依頼を引き継ぐのは普通のことでしょ?適材適所って奴だよ。騎士団や魔導士団もそうやって配置してるでしょ」
腑に落ちたようで眉間に刻まれた皺が消えていく。
駄々を捏ねられても次回からはコレット姿の私が相手をするのは確定しているが、お客さんとの余計な揉め事はないに越したことはない。
「…そうか。今までのこと礼を言う」
「どういたしまして!」
「最後に。名前を教えてくれないか?」
“僕”の、名前は…。
「名前?そういえば言ってなかったね!僕はマローネだよ」
「マローネか」
「そう!この茶色の髪から取って付けられたんだ~」
横髪を摘まんで弄ぶように揺らした。
本当の呼び名はネーロで、黒髪という意味を持つ。
事実と嘘が入り混じった話に人は違和感を感じづらいものだ。
現にラインハルトもすんなりと受け入れている。
「誰に付けてもらったんだ?」
「お師匠様だよ!ほら、君が初めて来店した時にいた女の人!あの人だよ」
「ああ。あの時の…」
これも本当のこと。
ただ、目の前の彼が思い描くのはしわがれた辛気臭い老婆だろうが、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは濃紫色の髪と瞳を持つ妙齢の美女だった。
お師匠様も私と同様に変装をよくする。便利屋内でも高クオリティだという自負がある。
そして、彼女には一番厳守しなければならない事項がある。
「今回限りで便利屋を利用しないなら必要ないんだけど…」
ちょいちょいと手で顔を招いて寄せられた耳朶に口を近づける。
「お師匠様、ちゃんと女性扱いしないとすっごく怒るから気を付けてね」
これも本当。
ただ、実際に老婆ではないという事実が隠されているだけ。
お互いに遠ざかっていった顔を見合わせる。
ラインハルトは神妙な面持ちで頷いた。
「肝に銘じておこう」
「そうするといいよ。それじゃあ今日の所はこれでお終い!」
「ああ。…ではな」
ソファから立ちあがり、身支度を軽く整えて個室の扉から退出していく。
それを「ばいばーい!」と元気よく子供らしい見送りをした。