3.恋する高慢王女
ラインハルトが退店後。
私は直ちに自室へと戻り、外出の身支度に取り掛かった。
少年の姿はそのままに万が一の場合に備えて王宮の背景に溶け込める従僕の格好に身なりを整える。
姿見でチェックをしていると、鏡に映る籠の中にいつもこの時間はそこで丸まって寝ている飼い猫のオニキスがいない事に気が付いた。
この“オニキス”という名前は黒猫から宝石のブラックオニキスを連想した前飼い主の便利屋会長が名付けたらしいのだが、私のお師匠様と同程度のネーミングセンスの持ち主である。
部屋を見渡して「オニキス?オニキス~?」と何度呼んでも、居たら返ってくるはずの「ナァ~ン」という鳴き声がしない。
きっとどこかに出掛けているのだろうと捜索を止め、身支度に戻る。
そして準備が完了した後、複数人の声がする談話室の方へ向かった。
そこには背格好も容姿もまったくといって良いほど似通った少年二人と彼らにうっとりとした笑みを向けるお師匠様が談笑していた。
彼らは扉前に到着したばかりの私に気が付いて笑顔で手を振る。
「ネーロ、だよね?その姿とても似合っているよ」
にこやかに微笑んで容姿を褒める双子の兄、ジュリアス。
彼も魔導士で、この事実に違わない黒髪に右が黒で左が濃紺の瞳をしており、その所作には年不相応な上品さが窺える。
「でしょでしょ?」
「うん。どこからどう見ても男の子、だね?」
そして威張るように同意を示す私にふんわりと頬を緩ませて変装能力を褒めるのは弟のエリアス。
双子の兄とは左右で瞳の色が逆転している所が唯一異なる点で、ふたりは瞳以外どこをとっても同じ。だけど、その性格を如実に表す表情で与える印象は異なる。
「まあまあまあ!可愛らしいじゃないの~!」
私の存在がやっと視界に入ったお師匠様は悦に浸っている。
お師匠様は超が付くほどのショタコンで、見目麗しい少年を偏愛する。
双子の年齢は今年13歳で、私が14歳。
実年齢よりも少し発育が遅れている双子と男装姿の私のスリーショットがお気に召したようだ。
「ネーロ。あんたずっとそのままでいなさいよ」
「…考えておきます」
「楽しみだわ~」
お師匠様は気分よさげに私たち観賞に勤しむ。
本当は全力で遠慮したいが、拒否すると後々が面倒臭い。特に今から王城に偵察へ行かないといけないのだ。厄介事を増やすべきではない。
「話は変わるんだけど、この前は情報ありがとね。それでなんだけど、僕これから王城に行ってくるから何か新しい情報とか逆に欲しい情報はない?」
ジュリアスは魔導士で、エリアスは魔法使い。
ふたりとも操作魔法を扱い、動物を介して国中の情報を網羅する。
情報収集に長けている人員は彼らだけではないけれど、このふたりは便利屋内でも桁違いに魔力操作が優れている。
そのため会長から情報部門、特に王城の監視を一任されている。
しかし、彼らには現場に直接赴けないというデメリットも存在する。そこは適材適所でお互いに不得手な部分を補い合っているのだ。
それが便利屋という組織だ。
「今の所は目ぼしいものはないよ」
「もし入ってきたら真っ先に教えるね?」
「その対価に見てきた事も教えて」
ほわほわと笑みを絶やさないエリアスと抜け目ないジュリアス。
この可愛い弟たちのためなら、とそんな気持ちが湧き上がる。
「りょ~かい!行ってくるね!」
ふたりに手を振りながら扉を出ていく。
背後から「「いってらっしゃい」」と彼らの温かな声が響いている。
王城に設けられた王女の私室。
そこはパステルカラーで色味を統一された少女らしい内装で、ひとつひとつの調度品はどれも一見して一級品だとわかる。
この部屋主も淡いピンクのふわふわとした可愛らしいドレスに身を包む、それはそれは可愛らしい美少女。
ベレスディア・ローズ・フォン・バラズティエ第一王女殿下
御年15歳になったばかりのフィーリス王国唯一の王女。
生を受けてから家族や侍女達から蝶よ花よと愛でられて育ち、大人の仲間入りをしたとは思えない幼稚さを持つ。
現実が見えていないからこそ、自身の護衛騎士に懸想して駆落ちを持ち掛けたのだ。
そして、今この場にはその当事者であるラインハルトとふたりきり。
扉は閉じられていないとはいえ、婚約者のいる王女がこのようなことをしていいはずがなく、現在進行形で醜聞を垂れ流しているようなもの。
これが噂として出回る前に揉み消す人達の苦労と、後々叱責されるラインハルトに同情を禁じ得ない。
その元凶にとってそんなことは知ったことではないのだろうが。
「…ラインハルト様。わたくし、貴方のことを本当にお慕いしておりますの。ですからどうか!マッジシャーレ皇国に嫁いでしまう前に、わたくしを攫って下さいまし」
白く滑らかな手を胸の前で祈るように組み、うるうると膜を張った瞳は吊られたシャンデリアの輝きを受けてきらりと光った。
これを年下の無垢な美少女にされるのだから、罪悪感も湧き上がるというものだ。
(ラインハルトかわいそ)
彼の中途半端な甘さが発端とはいえ、僅かに気の毒に思った。
「…王女殿下。私には貴方様のお気持ちに添えません。ずっと返事を濁し続けていたこと、謝罪申し上げます」
「…どうして…。どうしてですの、ラインハルト様!わたくしのどこがダメなのでしょうか?!」
涙ながらに訴えかける王女は教会に描かれる天使のような儚さを纏う。
しかし、その身に背負う気迫はそんな可愛らしいものではなく、本来の気質を表すかのような獲物を狙う狩人のそれだった。
「王女殿下に非など何もありはしません」
「でしたらなぜですの?!」
「そ、それは…」
(恋人がいるとか適当にはぐらかそうよ!それが無理ならごまかしの言葉くらい先に考えといて!)
煮え切らない反応を示すラインハルトに王女はハッと何かに思い至ったかのように瞳を見開いて、声を震わせる。
「…想い人がいますの?」
(王女様ナイスアシスト!)
心の底から王女に拍手喝采を送る。
「…はい。実は交際している女性がいるのです」
「やはり…その方はどのような人ですの?」
「どのような、ですか?」
(即答しようよ!怪しまれるでしょ?!)
煮え切らない返答にこちらがイライラさせられる。
気まずい空気が場を支配してしばらくの逡巡の後、ラインハルトがようやく口を開いた。
「…純朴で、朗らかで、穏やかな。そんな女性です」
(抽象的すぎ!)
「わ、わたくしとその方は、何が違うのでしょうか?」
(おおっと!?それは答えづらい質問だ!)
王女を擁護すれば今後も迫られ続けるし、かといって誹謗を述べれば王族批判につながる。
このラインハルトの窮地に不謹慎にも胸が躍る。
「…王女殿下は大輪のバラのように優美で凛々しくていらっしゃいます。しかし、私の好いた女性はデイジーのような明るく可憐な方です」
淡いドレスの似合う王女は大輪のバラというよりも月下美人のような儚い花の方がしっくりくる気がするが、所作や振る舞いは王族然としており、彼女の本質もバラが持つ棘の如く。
そういう面をバラに例えたのだろうが、少し納得がいかない。
鈴蘭や水仙、大芹がより彼女に相応しいだろう。
「…わたくしは、貴方の好みではなんですのね…」
(あ、受け入れるんだ…)
王女の天井並みに高い自己肯定感に少し引いた。
「…申し訳ございません」
(…もしかして私要らない感じ???)
重い沈黙が降りた場で話がまとまりそうな雰囲気を感じて呑気にも肩の力を抜いた。
場違い感があるものの、結末を見届けるまではどうなるかは分からないため、一応息を殺して観察に励む。
落胆で俯いていた王女は顔を上げ、決意に満ちた表情でラインハルトを見遣った。
「わたくし!貴方好みの女性になってみせますから…。だから、わたくしを選んで頂けませんか…!」
(おおう…。貴女色に染まります宣言…)
相当な覚悟をもっての懇願だと思う。
けれど、その我儘がまかり通る身分に彼女はない。
ラインハルトが了承する未来は初めから、ない。
「…貴方様は、貴方様です。彼女にはなれません」
「やってみなければ分かりませんでしょう?!その女性の髪や瞳の色は?お声や趣味嗜好はどうでしょう?」
(こ、細か…!)
恋人がいるとはぐらかせなかった前科があるために意中の女性がいない事実が露呈する、とハラハラとした焦燥に駆られる。
「…茶色の柔らかい髪に、木漏れ日の差す森を彷彿とさせる瞳。声はフルートのように明るく澄んでいて、趣味は刺繍だと…」
彼が絞りだしたことにひと安心するも、随分と具体的な女性像に首を傾げる。
そして、もしもの事態に備えて念の為メモ書きを残す。
同様の疑問を王女も抱いたようで、途端に機嫌が悪くなっていく。
「貴方の好いたご令嬢はどこの貴族家の者ですの?!」
王女の唐突なヒステリックな叫びにラインハルトは目を白黒させた。
「彼女は令嬢ではなく…」
「平民だというの!?」
王女が絶叫して、今にも崩れ落ちそうになっている。
刺繍を“仕事”ではなく、“趣味”としているのは裕福な女性。つまり貴族女性に多い。
因みに王侯貴族の女性は刺繍が必須教養にあたり、王女は刺繍が大の苦手である。
そのことも彼女からしたら、当てつけにしか思えなかっただろう。
(デリカシーがない…)
ラインハルトには知り得ないことだと思うが、一女性として王女に同情を禁じ得ない。
「他に!他にはありませんの?!」
「えっと…彼女は小花が好みなようで、この前も私が贈った花を観ながらハンカチに刺繍を施していました。あと、料理も得意です」
(理想的すぎるでしょ!どこの物語から取ってきた?!)
頭の痛みに耐えてメモを走らせる。
一流の料理人が腕によりをかけた料理が食卓に並ぶのが王女に生まれた彼女にとって当然の日常であるため、王女自ら料理をする機会なんて今までも、そしてこれからも一生ない。
これ以上王女の傷口に塩を塗ってやるなと念を送る。
が、現実は非情だ。
「わたくしではなくその女性を選ぶのですから、それだけではありませんでしょう!?」
「いつも笑顔で、抜けている所が可愛く思えて…」
(属性を盛り過ぎ!!!そんな女子はどこにもいやしないよ!?夢見すぎ!!!)
「それ本当ですの?!そのロマンス小説のヒロインのような女性はどこの誰なのかしら!?」
身分も価値観も、何もかもが異なる王女と心が一致した瞬間だった。
しかし、それに気づかないこの男は詳細を語ることをやめない。
「名前はコレットで、とても可愛らしい人です」
「そのコレットとかいう女性のどこが貴方をこれほどまでに魅了するんですの!?」
(きっと理想か妄想か物語の人物だからだよ!)
ヤケクソ気味に胸中で悪態を吐き、メモを残していく。
怒りを通り越して女性の設定自体に疑問を向ける王女に、やはり気が付かないラインハルトは真面目腐った表情を張り付け、王女を見遣る。
「…彼女だけは、私を魔導士や騎士という枠組みだけで判断しないのです」
「………そう、ですの…」
何も言葉を紡げない王女。
彼がその内に秘めた願望に、私はひとり納得していた。
魔導士として国へ忠誠を誓うことを強制された人生を送る彼には期待や憧憬、嫉妬、恋慕、私怨といった、良くも悪くも常に数多の感情の矛先が向けられてきた。
それが、彼の日常。
でも、もし。
もしも、ラインハルト・ガーディン・フィン・フィールズ魔導騎士としてではなく、ただのラインハルト一個人として接してくれる女性が存在したなら。
居てくれたら。
きっと、今までに感じたことのない景色が待ち受けているだろう。
「…王女殿下が幾ら言葉を連ねようとも、私が貴方様を慕うことはございません。失礼致します」
最後まで真摯な姿勢を貫き、丁寧な礼の後、退出していった。
ひとりとなった王女はゆっくりと地面に膝から崩れ、嗚咽を漏らす。
これ以上監視する必要はないだろうと判断して王女の私室に設置されている姿見とリンクさせている自分の手鏡との中継魔力を切断し、ここ数日間を過ごしていた王族用避難通路を後にした。
全21話。
20:00に毎日投稿する予定です。