おわりのアラン
トマス=アロン視点の前日譚。
視界に映し出されるワイヤーフレームの大地に、ポツポツとマーカーが点在している。
マーカーはアランの分体の中でも周波数が合わせやすい個体か、もしくはこちらが意図的に生み出したアロンの器を示すもので、観察記録と並行して常に行動予測演算が行われていた。
十三のアロンの型の中でも特にわたしと周波数の合う個体の予測演算は的中率が高く、これを元に行動指針を示して誘導するのもわたしの仕事なのだ。
『アロンJr.様からコールです』
サラの声が脳内に響いて通知する。
わたしはしばし逡巡した。本当は今の時期にあまり楽園から注意を逸らしたくはないのだ。
楽園の時の流れは一定ではなく、こうしてこちらから観測している間のみ時間の指向性と速さが同期することが分かっていた。
しかもたんに記録を取っていれば良いというわけでもなく、ヒトの意識に認識されるかどうかでも流れの速さが異なるという事例が確認されているのだ。
デジタルクローンから育成したAIに観測させる実験も続いているが、人の意識が介在したケースとでは雲泥の差がある為、なかなか離れがたい。
わたしは観測の認識は残したままコールに許諾を返した。
電脳化していれば意識をデュアルで分担出来るのだろうが、あいにくわたしは適合していない。
アロン受信体の行動観測にまじって、見慣れた少年の顔が認識される。
『やぁ、“父さん” 。元気かな?』
「元気だとも。そっちこそ、小学校はどうだい?」
『うん。とても興味深いよ。ここの子供たちを見ていると、戦争も災害もまるで他所ごとのように感じられるね』
「それは何よりだ」
兄として慕っていた年嵩の男が自分の息子という立場を振り翳してくることには、未だに強い違和感がある。
けれどそういった立場も含めてわたしをアロンにしてくれているのだ。笑って受け止めるのがアロンらしさというものだろう。
「こちらも順調だよ。今は器の生成に向けて大事な工程の最中だったんだ。
……少し、目を放しづらい時期でね」
『ああ、例の砂の王様かい?それとも蛇の飼い主のほう?』
遠回しに通話を切りたいと伝えたつもりだが、アロンはそれをあっさりと無視した。
昔から彼にはこういうところがある。
転生してもしっかりと受け継がれているようで喜ばしい限りだ。
「砂の王子は希望薄だ。出来る限りのシミュレーションを試したけれど、どんなに甘言を囁いても頑なに実子を設ける未来が発生しないんだ。
まさかこちらの思惑に勘付くということはないだろうが……」
『なら、今は蛇の方がメインなのかな。確かそちらも王族だったっけ。君の系譜は権力者の子が多いよね』
「……権力者の血筋の方が付随情報が豊富で演算しやすいというだけだよ」
権力への執着が強いと言われている気がして、少し気持ちが波立ってしまう。受け流したくて、わたしは努めて軽い調子で肩をすくめた。
『そうかい。まぁなんにせよ、あまりことを急いてはいけないよ。
もしくは、欲張りすぎないことだ』
「……言ってくれるね。わたしには君ほど時間の猶予はないんだが?」
『それこそ、何をもって君とするかだよ。“アロン博士”?
“僕”はとうにアロンであることを脱ぎ捨てた。今は君の息子の尾張アランだ』
「………………」
楽園にランダム発生する受信体……アロン因子の持ち主は、わたしたち十三人のアロンのうちの誰かの性質を受け継いでいることが多い。
ミサラとの共鳴率が高いマリア型などは出現数も多いのだが、わたしとは相性が悪いのか、男女の精神性の違いなのか、干渉も容易ではなかった。器としても機能を満たし難い上、マリアのデジタルクローンを通じて汚染しても何故かあまり協力的には育たないのが困りものだ。
そしてこれまた腹立たしいことに、わたしに最も適合するトマス型は容姿や運動能力が理想には遠く及ばない個体ばかりだった。
だから今は、トマス型の二世三世をデザインすることに専ら苦心している。
「………まぁそうだね。わたしも、あの巨人は本当に惜しいことをしたと思ってるんだ。
あれの二の舞いにならない為にも、今度は本当に慎重を期したいところだよ」
『うん。がんばってくれたまえ』
“皆んな”の為に奮闘しているわたしに対して、他人事のように激励を返してくる彼に心がささくれそうになる。
けれど今の彼はアランで、わたしこそがアロンと成ったのだから、仕方ないと言えば仕方ない。
アロンの約束は、アロンが果たすべきだ。
トマスを……十三人のアロン全員を楽園に連れて行く。それが、真のアロンであるわたしの使命だ。
「……もちろん、力は尽くすさ。これまで通りね。
それよりも、何か用事があってコールを入れてきたんじゃないのかい?」
『ああ、そうそう。大学入学に保護者の同意が必要なんだ。書類を送るから、サインを頼むよ』
「……大学に籍を置くのか?まだ生まれて五年だろう。いくらなんでも目立つんじゃないか」
『ははは。君に焦るなと言っておいてって感じだね。けどどうしても使いたい施設があって、急を要するんだ。
それにまぁ……タイプアランの普及の為と思えばこのくらいの箔付けはしておいても損はないだろう、とね』
「ふぅん……わたしは君が良いなら構わないけどね。オーケー、サインはしておくよ」
『ふふ、ありがとう。よろしく頼むよ、“父さん”』
「……………」
わざと強調されたその呼称にぞわりと肌が粟立ったけれど、表情には出さず手を振って通信を切った。
親というものを何より嫌悪して結ばれていたはずのわたしとアロンとの絆が、今や父と息子などという形式を取っているなんて、なんとも皮肉が効いている。
とはいえ、受信体との相性が遺伝情報だけでは決定されないということをデータが証明している以上、今さら父親という役割への抵抗を示すつもりはなかった。
受信体がアロンの器に成るためには、アロン因子が色濃いだけではまだ足りない。
環境要因として、肉親への執着や憎悪を生む体験記憶が意識に刻まれている必要があると判明している。
特にわたしの場合、相性の良い受信体は肉親に侮蔑の感情を持っているケースが多い。
まだ見ぬ砂の王の両親は二人ともアロン因子の持ち主だったが、当人たちは器はおろか受信体としても不十分だった。
生まれた子供に都市の名を冠させ溺れるほどに甘やかすよう誘導し、謀略によって砂の王が一度奴隷に落ちるよう仕向けているのも、環境を呪う性質を意識に刻み込む為だ。
あとはそんな砂の王と不遇な彼の妹の間からもう一段色濃いアロン因子と負の連鎖を受け継いだ子供を生成できれば、かなり純度の高い器に成るはずだったのだが……そちらの計画は王が実子を残す未来が演算出来ず暗礁に乗り上げてしまっている。まったく忌々しいことだ。
と、整形で歯並びが整えられた奥歯を噛み締めていると、テントの外から声がかかった。
入室の許可を出せば、上半身だけひょっこりと覗かせた若いスタッフが申し訳なさそうな声音で問いかけてくる。
「申し訳ありません博士……その、管理区の検体が博士を呼んで欲しいと………」
「ほう?どの子かな?」
「33番です。名前持ちの」
「おお、彼女か。第二で待ってもらっていてくれ。今日の引き継ぎが済んでから向かうよ」
「は……しかしその……とても急いでいるようで……」
「うん?」
「糸病が末期状態の別の検体を連れていて……」
「ふぅむ……」
あの個体のことはよく覚えている。
ミサラの分体の中でもとりわけ記憶が豊富かつ鮮明で、しかも女性体で生まれながら周波数はオリジナルのアロンに高い比率で適合するという稀な個体だ。
彼女が手に入るのであれば中断もやぶさかではない。
けれど、彼女の他にめぼしい検体の心当たりはなかった。
「その末期の検体も記憶持ちかな?」
「いえ……その……」
「うんわかった。出来る限り急いで行くと伝えて待っていてもらってくれ」
「はい……」
何かまだ喉の奥に引っかかっているような顔をしていたスタッフだが、わたしが判断を覆さないと悟るとトボトボと重たい足取りでキャンプ地の入り口へと戻っていった。
医者あがりのスタッフの中には、彼女たちに人間と同等の権利があると錯覚してしまう者がいる。
だがそれはとんだ誤りだ。
国やアロンが彼女らの取り扱いに一定の規定を設けているのは、今や彼女らミサラ分体に様々な利権が絡んでいるからだった。
それさえなければ、ここは表向きテロ組織との紛争地帯。そしてわたしはここで誰に何を咎められる立場にもなかった。
「荒地の王……最後のアロン、か……」
それはきっと、わたし以外にとっては空虚な冠と映るのだろう。
アロンにしろ国にしろ、楽園や方舟計画よりもアランの受肉の副産物であるミサラ分体やタイプアランの方に関心が移りつつあることは分かっている。
楽園への転生が叶わないとほぼ分かりきっている者たちにとっては、この地獄でどう生き続けるのかという課題の方が切実で当然だ。
だけれど資格のない者たちがどう思おうと、わたしにはわたしの大義があり、この歩みを止めるつもりはさらさらなかった。
わたしが改めて決意を固めていると、接続している控えのテントから冴えない丸顔の研究員が飛び出してきた。
まだ交代時間には早いはずだが、先ほどのスタッフに何か頼まれたのかもしれない。
「あ、あの、お疲れ様です博士!交代します!」
「………うん。じゃあ、頼もうかな」
名もなきミサラ分体の為にわたしがあくせくと予定を調整するというのは癪に触る話だ。
けれどわたしは悲劇の英雄アロン博士で、スタッフの心証を悪くして良いこともない。
比較的トマス型に周波数が合う彼に観察を交代すると、引き継ぎ事項を思念出力して送信する。
フラッシュの危険性はあるものの、こうして細かなニュアンスがダイレクトに伝わるのだから、便利な時代になったものだ。
引き継ぎを済ませ、特に意識を向けて欲しい事象を口頭でも念押しすると、わたしは観測用テントを後にした。
「博士……!お願いします!彼女の話を聞いてあげて下さい……!自分もう、聞いてられなくて……!」
「………………」
第二応接テントに向かうわたしに、先ほどのスタッフが嘆願してきた。
末期の検体などいくらでも切り刻んできたくせに、一体何をどう訴えられればここまで籠絡されてしまうのか。
いや、あるいはその罪悪感も利用されているのかもしれない。
楽園の小人にしろミサラ分体にしろ、純アロン型に適正がある個体にはある種のカリスマ性のようなものが備わっているのかもしれない。
……トマス型にはあまり見慣れない傾向だ。
目的のテントの幕をくぐると、アロンとミサラを煮詰めた泥人形がおぞましくも人間らしい佇まいでこちらを振り返ってきた。
彼女は糸の膿が吹き出し皮膚が爛れた憐れな妹を、それはそれは大事そうに抱いている。
深い情と強い意思を秘めた聡明な瞳がわたしを射ぬく。
かつて誰よりも憧れ、目指した目だ。
くり抜いてやろうかという言葉を飲み込んで、わたしは彼女に片手をあげて声を掛けた。
「やぁ、アーヤくん。いらっしゃい。
―――歓迎するよ………!」