神出鬼没!ライゼちゃん
不思議な来世ちゃんといつかどこかのアランの話
聴き慣れたアラームと共に目を覚ます。
満潮時には海の中に沈んでしまうこの部屋に朝日の差し込む窓などあるはずもないが、時間帯によって調節された光量がいつもと変わらぬ朝の訪れを知らせてくれていた。
朝起きて、咀嚼して栄養を摂り、排泄し、自由意志で肉体を動かし、夜に寝る。
そんな富裕層のようなサイクルが許されているのは、僕が有人国境地域保全の為、この絶海の孤島に居住を課せられた公務員だからだ。
公務員といっても、僕に何か相応しい技能などが備わってたわけじゃない。
身体機能の60%以上が生体で、成人までの評価ポイントが一定基準以上の西日本人の中から無作為に選ばれたというだけの話だった。
「おはようサラ、畑はどう?」
『おはようございますアラン。本日の水やりは終了し、カイワレとネギが収穫時ですよ』
「カイワレとネギは毎日収穫時じゃないか……」
昨日と同じことを言うサポーターにボソリと突っ込みつつ、僕はベッドから這い出した。
毎日生の野菜が食べられるなんて夢のような生活だと思うかもしれないが、こう毎日続くとさすがに飽きてくる。
『カイワレとネギを使用したレシピの新着が187件あります。コックをダウンロー……』
「いらない」
これまた毎日聞き飽きている提案をピシャリと遮る。
このホームに備え付けの素体の型が古いせいなのか、それとも設備の規格が合わないせいなのか、素体にコックをダウンロードしてもレシピ通りに調理が完了した試しがない。
酷い時には素体が散らかしたキッチンを自ら掃除して回らなければならない有り様だった。
「有料データならもっと応用が効くのがあるんだろうけどなぁ……」
『有料データから対応レシピを検索しますか?』
「……いらない。そこまで食にポイント割けないよ……」
そりゃ同年代の平均から考えれば僕の社会評価ポイントはそれほど低くはないだろうけれど、生命維持以外のことに気にせず注ぎ込めるほどの余裕はないのだ。
『アランの関心分野に関連したお得なポイントクエストの新着は3件あります』
「ありがとう。あとで見るよ」
手を振ると、サラはそれきり押し黙り、代わりに脳内には軽快なBGMが流れ始めた。
懐かしの60年代ソングに鼻歌を乗せながらキッチンへ移動する。
そう広くもない居住区画だ。2フレーズも歌わないうちに目的の部屋にたどり着いた。
自炊生活は文化的だけれど、あれやこれやと工程を思い浮かべるだけでも面倒臭さが勝ってしまう。
今日も今日とてプリンター食だなと諦めの溜め息を吐き、顔を上げる。
そこに、見知らぬ少女がいた。
「やぁ。遅かったね。先に頂いているよ」
外見は5、6歳ほどだろうか。
片手を上げて挨拶すると、少女はさっさと食事に戻ってしまう。
扉の前で呆然と立ち呆けていた時間は何秒ほどだったのだろう。
僕は寝癖まみれの頭を掻きつつ、当然の疑問を口にした。
「………誰?」
「さて。誰だと思うね?」
「え、ええと……」
質問を質問で返されて、頭を巡らせる。
まず考えられるのは、この施設のサポートAIであるサラだ。
これまでにも人手が要る作業の際は通称“素体”と呼ばれる汎用アンドロイドにサラを搭載して手伝わせることはあった。
サラ以外にも、調理や修理などの専門技術を実装したAIをダウンロードしたり、本土の医師などに遠隔で問診や治療を施してもらうことはあった。
ただ、施設内にこんな小さな素体が用意されていた記憶はない。
「家庭を持つ単身赴任者向けに子供型素体が提供されることもあるって、契約時に聞いた気がするけど……」
「ははん?つまり君は、ぼくがアンドロイドのボディを遠隔操作している某国のスパイではないかと言いたいわけか」
「いや、そこまでは……というか、そうか……国外からって可能性もあるのか……」
「呑気だねぇ。君の職務から言って、真っ先に疑うべきところではないのかね?」
「そう言われても……」
確かに僕は国境保全の為にここに住まわされているけれど、偵察艇の接近を知らせる警報を聞いたことは一度もない。
海底資源の為に必要な領域とはいえ、すでに防衛の要からは外れていると聞いている。
そもそも生活物質の輸送さえ容易ではない航海の難所だからと、大仰な工業プリンターまでが備え付けられているのだ。
「いや……ほんとに君……君のその素体、どこから搬入したものなんだ?」
「搬入はしていない。ここで生まれたのさ。
それに、ぼくのこの肉体は汎用素体などではないよ。機能的に“basic”とは言いがたいからね」
「生まれた……?ここのプリンターで出力したってこと?」
「そうとも。天衣の糸紡ぎに比べると酷く不粋な構築方式だったけれど、そこはまぁ、弘法筆を選ばずというわけさ。
ぼくの天才性に感謝したまえよ」
「アマ……ニエ……?糸紡ぎって……?」
訳の分からないことを言う少女に困惑しつつ、僕は少女の手元に目を落とした。
皿の上にあるのは、貯蔵してあるマテリアルから出力したプリンター食ではない。
まるで富裕層が食べるような生野菜のサラダに見えるそれに、僕はそっと手を触れてみた。
「本物……?」
遠隔で招いた客と会食する際、雰囲気を出す為に相手が現地で食べている食事をAR投影することがある。
だから、僕はてっきり少女がサラダを口に運んでいる光景も拡張現実による演出だと思っていた。
けれどこのサラダが本物で、それを嚥下していたということは、少女が消化機能を持った生身の人間か、それに近い超高性能のバイオロイドということになってしまう。
生身の人間がこの島に渡航して来て、軍からもサラからも何の警告もないということもあり得なければ、この施設に備え付けのプリンターだけでそんな高度な組み立てが出来るわけもない。
今更ながら目の前の少女の得体の知れなさを実感し、じりと後ずさる。
「本当に……誰なんだ、君は……?」
「ぼくは君の子供さ。そうだな……“来世ちゃん”とでも呼んでくれたまえ」
「来世ちゃん………」
その響きにも、僕の子供だという主張にも、まったく思い当たる節はなかった。
僕はごく普通の集合保育所出身者で、特定の親はいない。
当然、自分自身も結婚や育児といったハイソサエティの文化とは一生縁がないものと思ってこれまで生きて来たのだ。
実子を設けるなんて考えたこともないし、そっちの方面はバーチャルでさえ未経験だ。
「……僕に子供はいないよ」
「いいや。君はこちらでもすでに世界の種を創造している。
今はまだ“輪”が成立していないが、いずれそこに至る必然を備えていることに間違いはないよ。
だからこそ、ぼくはここに繋がれたのだからね」
「………君がなにを言ってるのか、僕にはさっぱり分からない」
「そうだろうとも。君に最初のアランの記憶が引き継がれていれば、何を置いても受肉を阻止したろうからね」
「……………?」
「親なし子の君にしか果たせない仕事があるということさ。そして、ぼくは君の観測点としてここに現出した。
そういうわけだから、これからよろしく頼むよ、“父さん”」
“父さん”などという、フィクションの世界でしか聞かない呼称にむずりと尻がなって、僕は思わず眉を顰めた。
それに今、聞き捨てならない言葉を聞いた気がする。
「あの……これからって、まさかここで生活するつもり?」
「もちろんさ。その為の肉体、その為の現出だからね」
「いやいやいや……この施設の供給サイクルで二人は賄えないよ?」
「畑を拡張すれば良いだろう?なに、ぼくは耕しは得意だったのだよ」
任せたまえ、と幼児のぺったりとした胸を叩いてみせるライゼちゃんのどこにどう安心しろと言うのだろう。
海中農園の運営はそう容易いことではない。赴任直後、素人の浅知恵で下手に手を加えようとして畑を全滅させた時の焦りは今も覚えている。
「と、とにかく、軍に通報させてもらうからね」
「好きにしたまえ。軍は施設内で君の手を介さずこの肉体が構成出来るとは信じないだろう。
君の忠誠心が疑われるか、精神疾患者の判を押されてポイントを大幅に失うか、どちらに転ぶことやらさ」
「…………うぐ」
確かにそうだ。
ライゼちゃんがどこからどんなルートでプリンターをハッキングしたにせよ、ここが絶海の孤島である以上、まず疑われるのは僕自身に他ならない。
入れ替えには多少のコストがかかるとは言え、僕のような量産型の下層民の代わりはいくらでも効くのだ。
「うむ。賢明だね。さすが最後のアロンにして全てのアランの父だ」
「……?どういう意味?
確かにアロン博士は全てのアランの父だろうけど、僕は見ての通りただのタイプ:アランだ。
誰の父でもないよ」
「いやいや!もちろん、これから産むのさ!
安心したまえよ。ぼくはただの観測点じゃない。
新進気鋭のデザイナーにして不羈奔放たる孤高のアーティスト、ライゼちゃんだ!
君の世界樹を完成に導くため、ぼくはかわいい弟子を残してこちらにやってきた。この転生を無駄にはすまいよ」
「へ……?」
世界樹、という言葉にぎくりとして、思わず間抜けな声が出た。
どうしてライゼちゃんが僕の趣味の創作活動を……それも、まだどこにも公開していない新作の構想を把握しているのだろう。
「……ひょっとしてライゼちゃんて……僕のメタワールドのファン………?」
「………………」
飄々と余裕の態度を崩さなかったライゼちゃんが、初めて渋面を作った。
うげぇ、とでも漏らしそうな顔だが、これはこれで図星を突けたと考えられないだろうか。
「つまり君は、僕のファンで、ネットストーカーで、押し掛け弟子ってわけ?」
「……………好きに捉えたまえよ。
さ、席に座って共に食卓を囲もうじゃないか」
ライゼちゃんがトントンとテーブルを叩くと、デフォルト状態だったダイニングにダウンロードした覚えのないテクスチャが投影された。
30年代風とでも言うのだろうか、まだ中流家庭というものが日本に存在していた頃のような、家族という共同体の生活感を感じさせる装飾だ。
初めて見る景色なのに、何故だか懐かしいと感じてしまった。
見回しつつ席につくと、向かいに座るライゼちゃんが両手のひらを合わせている。
僕も彼女に倣って同じポーズを取った。
「いただきます」
それは宗教的な慣習ではなかった。
超常的な存在に何かを祈るのでも、崇拝を示すのでもない。
目の前の食事に、それを生み出した技術や労力に、この世界にまだ辛うじて存在する、人の営みと自然の摂理に対する感謝。
生まれ出づり、循環へと還っていく生命への敬意。
「………いただきます」
そう唱えてから、僕は採れたてのカイワレを口に運んだ。
青臭さとわずかな苦味が、食べられまいと足掻く植物と食べる為に創意工夫する人間との攻防を思わせる。
「……美味しい」
「そうだろうとも。さすがぼく」
また得意げに胸を張るライゼちゃんに苦笑しつつ、僕はカイワレサラダを咀嚼した。
彼女が何者なのか、何が目的でここに現れたのか。
まだ何も分からないのに、こうして食卓を囲むだけで、不思議と受け入れつつある自分に驚いている。
ただ生きてそこに居ることだけを生業として、自己流のメタワールド創作という手慰みを生き甲斐としてきた“僕”の人生が、確かに変化した瞬間だった。