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エゥポライゼとちいさなラカ

エゥポライゼ様とリリラカの日常一幕

「エゥポライゼ様!こちらですかエゥポライゼ様!?」


私が部屋に入ったと入れ違いに、さっと窓辺を何かが横切るのが見えた気がした。

急いで駆け寄って窓の外に首を巡らせれば、屋根の上から麻紐を編んで作ったような縄梯子が垂れ下がっている。

立場ある者が屋根の上によじ登るなどと聞いたこともない話だが、この天衣領でそんなことをする人物に他に心当たりがあるはずもなかった。


「ああ、リリラカかい?登っておいで。良い天気だよ」


そんな呑気な声が降ってきて、その存在が確定する。

登って来いと言われて改めて縄梯子を見やり、私はうっと息を詰まらせた。

これも我が師が編んだものであるなら途中で引きちぎれるなどということはないだろうが、それにしてもどうせ糸を消費して作るならもっと機能的な形状で作って欲しいものである。


ままよという気持ちで縄に手をかけ、天衣の中でもとりわけ軽いのだという己の体を引き上げる。

身体が軽い代わりに力もない私は、腕の力だけでよじ登ることにひどく苦労した。

なんとか足を掛けられるところまで来てふと上を見上げると、そこにはニマニマと面白がるようなエゥポライゼ様の顔があった。


「エゥポライゼ様!一体なにをなさってるんですか!王宮のお使者が待ちぼうけにあっていましたよ!!」

「きみが代わりに書簡を渡してくれたんだろう?みっつの書簡のうち、正しいものを選べたかな?」

「やはりあれはわざとなんですね!?酔狂もほどほどにして下さい!!」

「ハハハァ。臨機応変だよリリラカ。ぼくがいなくても己で判断し、行動できるようによくよく“我”を育てたまえ」

「その試練があの間違い探しですか!?」


エゥポライゼ様の言うとおり、使者に渡す書簡は三枚用意されていたが、大まかに同じ文面であるように見える三枚をよくよく読み比べると、うち二枚には明らかに王に対して不敬な文言が紛れ込んでいた。

書簡は王ご自身が読み上げるのでなし、その程度は秘書官が如何様にも汲み取る部分だろうが、逆に言えば王宮役人に足元を見られる隙を作ることになる。

公的な書簡での言葉選びは慎重にと私に教えて下さったのはエゥポライゼ様ご自身であるのに、どうしてそんな危ない橋を渡らせるのか。

私が疑うことを知らない無垢なるヅァンのままであったなら、取返しのつかない事態に陥っていた可能性もあるのだ。

いつもいつも、この方は遊び心が旺盛に過ぎる。


やっとの思いで屋根の上まで登りきると、エゥポライゼ様が私の腋に手を差し入れて引き上げてくれた。

そのまま膝の上に座らされ、向かい合う形になる。

四度目の生を生き、この天衣領の成り立ちから現在までを知るエゥポライゼ=ドゥルブデンの外見は、人で言えば十八、九の少女といった風貌だ。

ともすればぼんやりと眠そうにも見える瞳が面白そうに私を捉えている。


「相変わらず軽いなぁリリラカは。うっかり天に昇っていってしまわないか心配だよぼくは」

「……いくらなんでも、浮き上がったりはしません」

「それはどうかな?この世の在り方から考えれば、案外あり得ない話ではないと思うけれどね」

「この世の在り方とは……?」

「それはきみ自身で見極めたまえよ」

「また適当なことを……だいたいエゥポライゼ様は日ごろから……ん、ンぅ……っ」


小言ごと塞ぐように口を吸われる。

目を開けたままでいると、エゥポライゼ様の伏せられた睫毛が間近に見られた。そうすると、何故だか私の方が間違っているように感じられて思わず私も目を閉じてしまう。

そして不思議なことに、視界を閉じるとエゥポライゼ様の舌の質感や温かさがより鮮明に感じられる気がした。

最近はいつもこうなのだ。まるで人の男女が想いを確かめ合うような行為に、私の中に取り返しのつかない何かが目覚め始めているように思える。

エゥポライゼ様の細い指が私の産衣の裾からするりと入り込み、乳が出るわけでもないのに無駄に膨らんだ乳房を揉み始めた。


「……それ、いやですと何度も……」

「……うん?ごめんよ。ぼくは好きなんだけどなぁ。きみの乳房の揉み心地」

「けれど、なんだか以前より膨らんできている気がするのです……ひょっとして、唾液に何か注入していますか?」

「ふっふっふ。さて、どうかなぁ?微量の毒の成分を検出する訓練だと思ってよくよく集中してごらん?」

「…………」


そう言われると何か悔しい気がして、私はエゥポライゼ様の唾液の味に気を移した。

唾液の中には確かに微量の毒を感じるが、親愛を超えるような何かは検出できなかった。

そしてひとが検めに集中しているというのに、いつのまにやらエゥポライゼ様の指の動きがより激しさを増している。

まだ乳も出ない乳頭を捏ねることになんの意味があるのだろう。

ただ気紛れに弄んでいらっしゃるだけなのか、何か深淵なお考えがあっての行為なのか、この方の言動は相変わらず真意が分かりにくい。


「……ぼくが朽ちれば他の輩がきみの唇や乳房に触れるのかと思うと、なんだか耐え難い想いに駆られるよ」

「なにを縁起でもない……必ず転生を成して、私が朽ちるまでお傍に置いてくださればいいではないですか」

「そうだね………」


ふいに離れた唇から漏れる言葉が、はるか未来を見通す瞳が、何故だかひどく遠くに感じられて、私は自らエゥポライゼ様の舌を求め、口を吸ってしまった。

結局気を狂わすような量の毒は検出できなかったのに、私の魂がずっとこうして師と睦み合っていたいと訴えているようで、離れ難い。

そんな私を抱きしめたまま、エゥポライゼ様はふと視線を地平の先に移されてしまった。


「……ごらんよリリラカ。この世のなんと狭苦しいことだろうか」


言われて私も首を巡らせたけれど、見えるのは広がり続ける広大な天衣領の領地と、遥か地平に追いやられた森の木々だ。


「そう……でしょうか?私には、十分広く感じられますが……」

「そうかい?まぁ、きみが言うならそうなのだろうね」

「なんですかそれは……」


相変わらず適当なことを仰るエゥポライゼ様を軽く睨んでおく。

……いや、私の造形は幼きに過ぎるようで、睨みをきかせたところで大した効果がないことは立証済みなのだが……それでも意思表示は我の育成にとって大切だというのが師の教えなのだ。


「世界というのはね、自己を中心に見える範囲のことを言うのだよ。つまりきみにとって世界が広大であるのなら、きみにはぼくよりもずっと多くの事柄が見えているということだ」

「そんなはずないでしょう。私はただのヅァンで、あなた様はドゥルブデンですよ」

「転生の数など関係ないさ。ましてや生きた年数に因るものでもない。

きみにとって世界は広い。ぼくはそれを、なにより誇らしく思うよ」

「…………」


微笑まれ、抱きしめられ、頭を撫でられながら褒めそやされる。

口から流し込まれる毒で得られるものとも違う強烈な快楽が、私の体を構成する糸の隅々までを満たしていくのが分かる。

それは溺れるような快感、幸福の毒と言えるものだった。


ふと気付けば、私の虚空の入り口を、エゥポライゼ様の糸管がぴたりと塞いでいる。


「エゥポライゼ様……?何か紡がれるので?」

「……ああ。きみに新しい衣を贈ろうと思ってね」

「衣、ですか?」

「そう……ぼくの小さなラカにぴったりの、丈夫な衣さ」

「………?」


エゥポライゼ様がそれ以上語って下さらないようなので、私は胎の中に押し入ってきた糸管から注がれる構成に意識を向けてみた。

それは思い付いて今ここで紡いでみせたと言うには、あまりにも複雑怪奇で斬新な設計に見える。

興味深くて、しっかりと構成を把握しようと集中しようとした私に、思わぬ邪魔が入った。

突然快楽の毒が流し込まれ、私の集中はあっという間に伽の快感に押し流される。


「や、エゥポライゼ、さ、ま……っ、これでは……構成が……正確にっ」

「それでいいのさ。新しい生命というのはねリリラカ。快楽を求め、苦痛に呻く愚かしさの中から、どうしようもなく生まれ出づるものなのだよ」

「けれど……っ、天衣は……ぁっ」

「さぁ、きみとぼくの祝福と呪い(エラ・ヲレ)が行きつく先を、どこぞの覗き魔に見せつけてやろうではないかね」

「覗き……?だ、だれの、こ…………あっ、はぁッ……んっ」


私が与えられた肉欲に溺れている間にエゥポライゼ様の新しい構成が胎の中で展開、構築され、生命を産み落とすには小さく不便な腰を押し広げて、繭が吐き出されてしまった。

まとった糸を吸収して膨らんだそれを広げてみる。

実際とても美しい衣だったが、あの複雑で緻密な構成がどのような機能を果たすのか、その見た目からでは窺い知ることが出来ない。

あれほどの糸紡ぎを、たかが快楽の毒ごときですっかり見逃してしまうなど、一生の不覚だ。


「も、もう一度展開から……いえ、せめて設計を見せて頂けませんか!?」

「だ~め。せっかくの仕掛けだ。その時が来てからのお楽しみだよ」

「その時とは?また何か壮大な悪戯を?」

「ま、その時なんて来ないに越したことはないのだけれどね」

「……?」


あえて私の質問を受け流すエゥポライゼ様にそれ以上追及することは出来なかった。

我が師は思わせぶりで享楽的に見えるけれど、内に秘めた意思は誰より固く、揺るぎない。この方が話さないと決めたのなら、たとえ今際の際にも話しては頂けないのだろう。

口惜しくもあり、同時にそんな師を慕わしく感じてしまうこれが、私の“我”なのかもしれない。


「……そういえばお使者様から、新しく出来る白のための宮の建立には口出しなさらないようにというお達しがありましたよ。何かまたろくでもないことをご提案なさったので?」

「うん?いやいや。そんな遊び心を挟む隙はなかったさ。シゼル宮が王から直々に一任されたのだからね。

あれもぼんやりしているようで案外抜け目なく動き回っているから、きみも気を付けたまえよ。リリラカはぼくには口うるさいわりに、自分のことでは案外抜けているのだもの」

「……精進いたします」

「もぉ~!素直だなぁ!そんなところが愛しいけれど、まったく心配でたまらないよ!」

「………」


実際に改善の余地のある部分だったので重く受け止めていると、何故かぎゅうと抱きしめられて頭をぐしゃぐしゃと撫でまわされた。

なんとはなしに気恥ずかしくて、私は話題を白の宮に戻すことにする。


「と、ところで、白の宮は随分と三宮から離れた場所に建立されるそうですね」

「ああ、強い我の影響から遠ざけて、なるたけ新しく分かれた宮々にも恩恵を与えようという目論見だそうだからね。なので白の宮……ヅァニマ院と名付けられるそうだけれど……その管理者には宮に仕えた経験のないヅァンを置くことになったのだとか」

「宮に仕えた経験のないヅァン……ですか?そのような者に、他者の管理が出来るでしょうか?」

「まぁ、しばらくはただ白を保管する場所になるだろうからね。管理も何もって感じさ。

なのでそのお飾りの管理者も、宮の名では呼ばない方針なのだそうだよ。何と言ったっけね……そうだ。

確か“トルド”という言葉を使うのだとか」

「トルド……?巨人語ですか?」

「うん。森の巨人がシンの座を自ら譲った説話になぞらえられたそうで……まぁ、中継ぎとか間に合わせとか、そのような意味で使われる流行り言葉なのだそうだ」

「なるほど……」


すでに歴史に消え入りつつある古語はもちろん、太古の巨人にまみえることもなくなった現代では、巨人語とてそうそう新しい言葉が生まれはしない。

けれど人は如何様にも言葉の解釈を広げ、彼らの暮らしに沿うように意味を作り替えてしまう。

三度の転生を成したドゥルブデンの知らない用法が蔓延っているというのは、少し面白くなかった。

そんな不満が顔に出ていたのだろう。エゥポライゼ様がからかうような表情で覗き込んできた。


「人の知恵は、そう馬鹿にしたものではないよリリラカ」

「べつに馬鹿にしているわけでは……けれど、エゥポライゼ様の仰る馬鹿に出来ない根拠というのは、例の天啓がどうのというお話ですか?」


以前話して頂いた、人の身に下りる天の言葉のことを持ち出してみたが、どうやらエゥポレッタ様の意図するところは違うようで、ふるふると首が振られる。


「そうではない。確かにこの世を創り、この世そのものである天の意思に触れるというのは素晴らしい体験だろうけれど、大切なのはそこに生きる人の力だという話さ」

「人の力……ですか」


正直、日々欲に溺れて下らない用事でエゥポライゼ様を呼びつける王宮の人々が敬意を払うべき知恵などを持ち合わせているようには到底思えない。

けれど、エゥポライゼ様がそう仰るのであれば、そのお考えに至る何かがあったのだろう。

空の青と、森の緑を混ぜたようなその瞳が私に語り掛ける。


「人の知恵、人の力は、共に生きる者があってこそ生まれ、育まれるものなのだよリリラカ。

きみも、誰かに共に生きて欲しいと思った時には、そのひとと共に在ることを怠らないようにね」

「……私は、最期まであなたと共に……あなたの転生の為に、この命を賭したいと考えております」

「…………そうかい。すまないね」

「謝られることなど……」


エゥポル宮が……エゥポライゼ様がグェルデンクス=シアに到達して下さるのなら、私は喜んで身も心も、魂すら捧げたいと思っているのだ。

光栄でこそあれ、不満などあろうはずもない。

むしろ、エゥポライゼ様の転生に役立てずに生き続けることほど惨めなことはないだろう。


「さぁ、おいで。ぼくの愛しい、ちいさなラカ」


伸ばされた腕の中に飛び込んで、身を委ねる。

私の決意が伝わったからかは分からないが、エゥポライゼ様の双眸には慈しむような光が灯っているように思えた。

もしも私が転生を課されたエゥポル宮だったとして。何度生まれ変わろうとも、この優しい緑の光を忘れることは出来ないだろう。

そんなふうに想いながら、あの方の胸の中で目を閉じた。

春の枝の一日だった。

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