45:最後はやっぱり伝家の宝刀
賢者アークエットが言うことはよく分かる。
――「我々は感情だけでは生きていけません。守るべき国民がいる。戦うべき敵がいる。そのためには時に非情とも言える決断も必要なのですよ」
そうだとしても……。
ノア王太子以外との婚姻なんて考えられるわけがない。
「賢者アークエット様、私がひねくれ者なのでごめんなさい。私は『ノア王太子様がこの館に残るなら、私はどうなるか』とは聞いていません。『私もここに残っていいのですか?』と聞いたのですが。そして私の選択は一つしかありません。ノア様が王太子だろうと第一王子であろうと、王族であろうとなかろうと関係なく。私はノア様のおそばにいたいのです」
賢者アークエットは肩をすくめ、降参のポーズを示す。
「サラ様。ノア王太子様がこの館に残り、サラ様は婚姻関係を解消せず、この館に共に残る。それを望まれているのでしょう。でもそれは無理です」
「え……」
「ここは精霊が住まう森です。ただの森ではありません。短い時間の滞在なら問題ないでしょう。短い時間……それは精霊の考える尺度なので、人間からすれば短い、とは言えないかもしれませんが。ともかくこの森は、人間が生きる場所ではないのですから」
そこで賢者アークエットはカップに残る紅茶をすべて飲み干し、大きく息をはく。
「サラ様は異世界から来たので、ご存知なくて当然ですが、この世界にはもっと沢山の種族が存在していました。でも人間が力を持ってからは、その均衡が壊されています。獣人族の多くは、人間が領土を広げる中で、住む場所を奪われ、今や国を持たず、この世界中に散り散りになっています。ですから距離をとろうとしているのです。精霊だけではありません。魔法使いも。ドワーフも。人間とは。その価値観をこちらの都合だけで曲げさせることはできません。それは分かりますよね、サラ様も」
「それは……」
それはそうだ。
一個人の問題ではない。
種族の存亡に関わる問題なのだ。
距離を置こうとしている種族に対し、私一人の意見を押し通すことはできないし、ましてやソーンナタリア国を巻き込むわけにはいかない。
そうか、そうなのか。
ノア王太子様がロセリアンの森に残っても、私はここから出て行かなければならないのか……。
「賢者アークエット様。でもそれって遠距離恋愛みたいものですよね? もしくは週末婚。一緒に暮らしているわけではない。でも会いに行くことはできる。そうですよね?」
すると賢者アークエットは首を振る。
「残念ですが、サラ様。そう簡単なことではありません。瘴気の襲来のような不測の事態に対処する場合、ロセリアンの森に足を踏み入れる許可は、すぐに出るでしょう。でもそれ以外では原則、ロセリアンの森に人間が足を踏み入れることは、禁止されているのです。精霊と人間のハーフである私でさえ、この森に入るには、いちいち精霊王様から許可をもらわなければなりません。森でさえ、そうなのです。精霊王様の館に入るのは……さらに難易度が上がるでしょう。今回、ノア王太子様は精霊王様の妹君を助け、瘴気に触れることになった。だからこそ、私達はすんなりロセリアンの森に入ることができ、この館にも滞在できています。でもこれが普通ではないのです。イレギュラーな事態だと理解してください」
そんな……。
いや、絶望的になるな、私。
だって私はノア王太子をこのままにしておくつもりはない。
今、ホワイトセレネ獲得計画を遂行中なのだから!
「それにサラ様。冷静に考えてください。もしこの館に滞在できたとして、あなたに話しかけることも、微笑むことも、触れることもないノア王太子様と、ご自身の寿命が尽きるまで過ごすのでいいのですか? 精霊は永遠を生きると言われています。ノア王太子様を看病する精霊の皆様からしたら、やがて命が尽きるノア王太子様を見守ったとしても、それは永遠の中の、ほんの一瞬の出来事に過ぎません。その後をやり直しすることはいくらだってできます。クーフライト。人間の言葉では、癒しの力と言われる精霊の力で、ノア王太子様のこともやがて忘れ、長い時間を過ごすことでしょう。でもサラ様は人間なのですよ? 今の状態のノア王太子様と過ごしても、ただ辛いだけでは?」
賢者アークエットのバカ!
ノア王太子をそんな状態にしておくつもりはない。
そのために必死に動ているのだから。
でも、彼は知らないのだ。
ホワイトセレネ獲得計画を。
だからそんな最悪を口にする。
でも……。
もし、ホワイトセレネ獲得計画が失敗したら……?
ルドルフが言っていた三か所で、見つけることができなかったら?
ノア王太子は館に残り、私は王宮で一人……。
ボロボロと両目からとめどなく涙がこぼれ落ちた。
「サラ様、申し訳ありません。あなたを傷つけるつもりも、泣かせるつもりもありません。もう、この話は今日は止めましょう。明日はぶどう祭りで、この森は祝賀ムードになります。せっかく滞在させていただいているのです。ソーンナタリア国の代表として、ここは祭りを祝いましょう」
「私を泣かせるようなことを言っておいて、ヒドイです! 賢者アークエット様!」
心底困ったという顔をした賢者アークエットは、私に尋ねる。
「どうしたら許していただけますか?」
「分かりませんっ!」
そう言ったものの、大人気ないと思い、ハンカチを取り出し、まずは涙を押さえる。一度決壊したのだ。そうは簡単におさまらない。
「ではサラ様。お詫びとしてあなたに、魔法を差し上げます」
「魔法を差し上げる……?」
キョトンとする私の目の前で、賢者アークエットは、自身が首に着けていたペンダントを外す。それは上衣の中に収まっていたが、滴型の美しいガラスのようなペンダントトップが付いている。
「これは、きせき、です」
「きせき?」
気づけば涙は止まっている。
「帰石という、不思議な力が込められた石です。美しいですよね。まるでノア王太子様の瞳のような色で。透き通って、中で細かい砂金が揺れているように見えます。これを握りしめ、自分が行きたい場所を願うのです。そうすると瞬時にその場所へ移動できます。でも使えるのは一度だけ。移動できるのも一人だけですが」
そう説明した賢者アークエットは身を乗り出し、私にその帰石のペンダントを差し出す。
「えっと、これを私にくださるのですか?」
「そうですね。サラ様を泣かせてしまったので」
帰石なんて聞いたこともない。
“君待ち”のアイテムとしても、見た記憶がなかった。
ただ、とても美しい石だ。
ちょっと泣かしたぐらいの私に、くれていいものなのだろうか?
「あの、いいのですか、本当にいただいても?」
「そうですね。いらないのでしたら」
賢者アークエットが手を引っ込めようとしたので、慌てて受け取る。
すると彼はクスっと笑う。
「帰石の譲与は一度きりです。もしサラ様がそれを誰かに与えても、それはただの綺麗な石ころに過ぎませんから。そこは注意してください。そして帰石の力は絶大です。どれぐらいすごいのかというと。その石を死者が手にして、生者の世界への帰還を望めば、戻ることも可能ということです」
「えええええ!?」
なんだか安易にもらっていいものではない気がする。
「賢者アークエット様、どう考えてもこれはとても貴重な石に思えます。私がもらっていいものでは……」
そこで気が付く。
今さっき、賢者アークエットは「帰石の譲与は一度きりです」と言っていた。つまり、私が返却しても、それはただの石ころとして賢者アークエットの手元に戻ることになる。
「死者の話は盛り過ぎですね。だいいち死者がこの石を手にするなんてできないでしょうから。いずれにせよ、それはもう、サラ様ものです。そしていざという時に使えるアイテムですので、肌身離さず持つことを推奨します」
確かにそうだ。
どう考えたって超絶便利な魔法のペンダントに思える。
慌ててその場で首につけた。
賢者アークエットが付けていてもチェーンは長かった。
私がつけると、胸元のあいたドレスだったが、滴型の帰石は谷間の間に収まることになる。その様子を見た賢者アークエットは「よし、よし」という感じで頷く。
「その帰石を欲しいと思う人は多いでしょう。譲与は一度きりでも、元々の持ち主が私だと知らなければ、サラ様が狙われる可能性はあります。帰石を持つことで狙われるのは、嫌ですよね? ですからこの石のことはサラ様と私の秘密です。狙われて死にたかったら話してもいいですが」
「絶対に、誰にも話しません!」
すると賢者アークエットは……。
伝家の宝刀を発動した。
すなわち、あの黄金スマイルだ。
「では今日のところはここまでで。お部屋に戻られたら、余計な事を考えず、入浴をすませ、ゆっくりお休みください」
それに対する私の返事は……「はい」一択だった。
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