42:もう一度、笑顔の彼に会いたい
精霊王の館を出て向かった先。
それはクロッカスのところだ。
クロッカスは、エストポート<東の砦>を抜けた先にある広場に、寝床を与えられていた。まるで飛行機の格納庫のような大きさの、屋根と三方に壁があるスペースで、クロッカスは翼を休めていたが。ルドルフの気配を感じ取ると起き上がり、しきりに翼をばたつかせ、喜びを表現している。床に敷かれている干し草が、翼の起こす風で激しく舞い上がっていた。
「よお、クロッカス。美味しい朝食をもらったか?」
ルドルフが馬にするよう頭や顔、首を撫でると、クロッカスはもう大喜びだ。
「クゥーック、クゥーック、クゥーッオック」
鳴き声を上げ、ルドルフの体に自身の顔をこすりつけている。
「サラ様、こっちへ」
呼ばれてルドルフの横に行く。
するとルドルフは改めてクロッカスに私のことを紹介する。
「クロッカス。前にも紹介したよな。サラ様だ。俺の大切な人だ。分かるよな、クロッカス。俺がクロッカスを好きなように、サラ様のことも俺は大好きだ。だから仲良くして欲しい」
クロッカスの紺色の瞳が私を見た。
本当に、ルドルフと同じ色の瞳。
「クロッカス、サラよ。仲良くしてもらえる?」
そっと手を伸ばすと、クロッカスが鼻を近づける。
鼻が手に近づくと、温かい空気を感じた。
クロッカスが呼吸し、確かに生きていてそこにいると実感できる。
その時。
クロッカスの鼻が手の平についた。
「サラ様、やったな。クロッカスがサラ様のことを仲間だと認めた証だ。噛みついたりしないから、鼻に額を近づけて。そこでクロッカスがサラ様の額に触れれば、単独で乗ることを許す、ということだ」
ルドルフの言葉に従い、ゆっくり額をクロッカスに近づける。
心臓がドキドキしていた。
クロッカスは私を気に入ってくれるだろうか。
「……!」
額に少しゴツゴツとして湿って冷たいものが触れた。
人間の肌とは全然違うこの感触。
クロッカスが認めてくれた……!
ゆっくりクロッカスが鼻を離し、私は目を開ける。
クロッカスの紺色の瞳と目が合う。
思わず笑みがこぼれる。
「やっぱりな。サラ様は生粋のワイバーンの使い手だ」
「え!? クロッカスが人間みたいに好き嫌いがあるのではないの!?」
「さあな、どれが正解か。それよりもクロッカスが乗っていいと言っているんだ。まずは俺と一緒に乗ってみよう」
こうして、まずはルドルフと一緒に乗り、広場の上を周回した。一度降り、再度、ルドルフと一緒に乗り、今度はロセリアンの森を旋回し、広場に戻った。
そして。
ついに私一人乗せた状態で、クロッカスが飛び立ってくれるのか、試すことになった。
通常はつけない安全ベルトのようなものを腰につけてもらい、慎重に跨る。馬とは違い、首の根元にリングがついており、それを手で掴むようになっていた。
「クロッカスは人間の言葉を覚えているし、聴力も優れている。『上昇』『止まれ』『降下』『待機』『ゆっくり』『早く』『避ける』『前へ』『後ろへ』『左へ』『右へ』――そう言った短い単語を理解しているから。俺がやっていたように指示を出してみて。何か問題を感じたら、俺がクロッカスに呼びかける。俺とクロッカスの絆は絶対だ。精霊王様の館で俺が号泣した時、クロッカスは反応している。だから離れていても、クロッカスのことはコントロール可能だ。安心して乗るといい」
ルドルフの言葉に頷き、リングを掴み、クロッカスに声をかける。
「クロッカス、乗せてくれてありがとう。私を乗せて、飛んでくれる? まずは上昇してもらっていい?」
すると。
クロッカスが頷いた。
通じた……!
思わず感動したその時。
翼を羽ばたかせたクロッカスは、ふわっと宙に浮かんだ。
浮かんだと思ったら、もう自身の寝床の遥か上空を飛んでいる。
「すごいわ、すごいわ、クロッカス。そのまま前方を飛んで」
クロッカスは風を受け、気持ちよさそうに飛んでいく。
私も清々しい風を感じ、心が洗われる気分だ。
ノア王太子はワイバーンに乗ったことはあるのだろうか?
私がワイバーンに一人で乗ったと知ったら、驚くだろうか?
間違いなく、驚くだろう。
驚いたついでにノア王太子を乗せて、空を飛んだら……。
腰を抜かしちゃうかな!?
「ねぇ、クロッカス。私の言葉、分かるかな。私ね、大好きな人がいるの。クロッカスやルドルフと同じぐらい、大好きな人。でもその人は今、悪者のせいで、意識がないような状態なの。その人のことを助けたくて……。そのためにはクロッカス、あなたの力が必要なの。だから協力して。お願い。もう一度、笑顔の彼に会いたいの。ノア王太子と話したい……」
外見の変化は背中だけ。
一見すると何も変わらない。
でも。
どんなに呼びかけても答えてくれない。
優しく名前を呼んでくれることもない。
私の食べっぷりを見て目を丸くすることも、驚くことも、笑うこともない。
ノア王太子の声が聞きたかった。笑い声を聞きたかった。
ずっと。
ずっと。
我慢していた。
大声で泣くことを。
ルドルフみたいに泣かずにいたから。
今、クロッカスしか聞いていないと分かった瞬間。
子供のように大声で泣いていた。
散々泣いて、涙でぐしょぐしょになるかと思ったけど。
空を飛び、風を全身に浴びていたから。
涙は全部飛んでいってくれた。
それにしても。
体の水分が全部なくなるのでは?
そう思うぐらい泣いた。
泣き過ぎると呼吸がしづらくなることも、初めて知った。
そこで自分がどんな状態であるか気づく。
泣くことに没頭して、クロッカスに指示を出すのを忘れていた……!
そう思い、周囲を見渡すと。
高度がかなり下がっていて。
目の前に広がるのは……。
黄色の花が一面に咲いている。
クロッカスは黄色の花畑にゆっくり着地した。
可愛らしい黄色の花。
名前は……分からない。
花びらは6枚。丸みを帯びたアーモンドみたいな形の花びらをしている。
丸みを帯びた花びらだからだろうか。
なんだか優しく感じる。
それに黄色ってビタミンカラー。元気をもらえる色。
「もしかしてクロッカス、あなたは私が泣いていたから、ここに連れて来てくれたの?」
クロッカスは紺色の瞳を私に向けると。
頷く代わりのように目を一度閉じ、ゆっくり開いた。
そうか。そうなんだね。
私の悲しみを感じ、ここに連れて来てくれたんだ。
「ありがとう、クロッカス」
思わずその体に抱きつく。
猫とか犬とかウサギと違って。
クロッカスはワイバーンだから。
フワフワもモフモフもないし、むしろゴツゴツとして冷たいけれど。
こうやって心を通わせると。
愛着がわく。
「クゥーッ、クゥーッ」
突然鳴き始めたクロッカスは、姿勢を低くする。
これは「乗って」ということだ。
黄色の花を一輪だけ摘み、すぐに鞍に乗る。
「クゥーッ」
一度鳴いてこちらを振り返る。
首元のリングを掴むと、クロッカスはまるでそれが合図のように、一気に飛び上がる。
その後は。
私が指示するまでもなく、軽快に空を飛んでいく。
ああ、そうか。
突然、姿を消したからルドルフが呼んでいるんだ。
クロッカスは大急ぎでルドルフの元に帰ろうとしている。
眼下遥か先にエストポート<東の砦>が見えてきた。
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