35:森の真珠と呼ばれる果物
昼食の席にはルーナが同席してくれた。
本来もてなすべき精霊王がいないことを、ルーナは何度も詫びたが、昨晩の瘴気襲来の直後だ。王としてすべきことは沢山あるはず。賢者アークエットも私も文句などない。代わりに沢山の美味しい料理、珍しい料理に感謝し、御礼の言葉を口にした。
本当に。
料理は美味しいものばかりだった。
精霊は自然を愛するが、自然を放置しているわけではない。
生態系を破壊しない範囲で狩りも行う。
だから食事の席には肉料理も並んだ。
ただ、フォアグラのような料理は絶対にないが。
多くの料理が宮殿で食べる物と似ていたが、野菜や果物は珍しいものが多い。特に驚いたのが、ルーナが紹介してくれた、精霊達が「森の真珠」と呼ぶ果物だ。
ゴツゴツとした感じの赤い皮に包まれた梅干しサイズの果物は、皮をむいて果肉を食べると言われ、早速挑戦したのだが……。
香りですぐに気づく。
これはライチであると。
そして口にいれ、驚愕する。
とてもみずみずしい。口の中が果汁であふれる。
あの爽やかな香りが鼻へ抜けていく。
しかも、種が小さく、果実の部分が多い。
なんて美味しいのだろう。
元いた世界でもライチは食べたことがあるが、それとは全然違う。
そもそも元いた世界ではライチは輸入品で、検疫の関係で加熱処理されている。その上で冷凍品が流通しているわけだが。このライチは「生」だ。だからこその、この美味しさ!
これは……ノア王太子にも食べてもらいたい!!
そう思った瞬間。
脳裏に浮かんだのはノア王太子の背中。
そこに絶望的に美しい宇宙が広がっている。
そして。
生クリームで作った焼き立ての食パンを一緒に食べた時。
――「サラ考案の食パンは、蜂蜜でも美味しく食べられるけど、サンドイッチにしても美味しいね」
あの時、ノア王太子は……。
食後の紅茶を手に、天使のような微笑みを私に向けてくれた。
最高だった。
幸せ。
満腹。
そんな風に感じていた。
視界がぼやける。
「サラ様?」
ルーナの声が遠くに聞こえた。
目の前のお皿に、ぼたっ、ぼたっ、と滴が零れ落ちる。
あんな風に。
焼き立てのパンの香りをかいで。
風を感じ、陽射しを感じ、青空の下で。
ノア王太子と食事をすることは……もうできないのかな?
「ヘルラン ハリジッエトラン ヘルラン サラルナーン」
◇
自分は割と能天気で明るい人間だと思っていた。
それなのに精霊の持つスペシャルな力を使ってもらっても、こんなにもすぐに負の感情が表出してしまうなんて。自分でも驚きだ。
私のせいで昼食は……ぎこちない空気になりかけ、それを必死にレブロン隊長と賢者アークエットが変えようとしてくれた。ルーナはあの時、すぐに私にクーフライト――癒しの力を使ってくれた。でも、ルーナ自身もその力が必要だった。悲しむ私を見て、ルーナも苦しんでいた。
今のこの状況。
一見すると辛いのは、王太子妃である私だと思うだろう。
でも、違う。
一番辛いのは……ルーナだ。
ノア王太子を見て、そして悲しむ私を見て、ルーナの心は泣いている。
なんとかしたい。
なんとかできないのか。
“君待ち”をプレイした記憶の中で、この状況を打破する手がかりはないのか。
「良かったら皆様は、空中庭園をご覧になってはいかがですか? この館は木の上にありますが、庭園があるのですよ」
自身にクーフライト――癒しの力を使ったルーナは、食後の紅茶を飲みながら、笑顔でこんな提案をしてくれた。その提案を快諾しかけたが……。
「あの、ルーナ様はこの後、何かご予定があるのですか?」
私の問いに、ルーナはハッとした表情になる。
そして苦しそうな顔で言葉を絞り出す。
「……ノア王太子様にお食事を……」
「!! ノア王太子様は食事をされるのですか!? ということは、目覚めるんですよね!? 私も同席させていただいてもいいですか!?」
気づくと両手をテーブルにつき、立ち上がっていた。
そんな私を見たルーナは……。
「……勿論です。ただ、その、食欲があるわけではなく……」
「先ほどいただいたライチ……森の真珠は、とても美味しかったので、ぜひこれはノア王太子様にも食べていただきたいです。あと、パンケーキ、いやでもそれは朝食……もう昼食は、用意されていますよね?」
ブツブツ言う私に、ルーナが困った顔を向けている。
そうだ。もう昼食の用意はできているはずだ。
余計なことは言わず、ただ同席しよう。
こうして私はルーナとレブロン隊長、賢者アークエットと四人、昼食を運ぶあの美しい召使いの精霊と共に、ノア王太子の部屋に向かった。
天蓋付きのベッドで、仰向けで眠るノア王太子は。先程会った時と、様子としては変っていない。だが、サイドテーブルに昼食をのせたトレンチを召使いが置き、ルーナが近寄り声をかけると……。
ノア王太子が目を開けた。
「ノア王太子様!!」
コバルトブルーの美しい瞳が見えて、胸が高鳴る。
もしその瞳が濁ったりでもしていたら、心臓が止まるところだが、そんなことはない。透明感のあるいつもの綺麗な瞳だ。
「ノア王太子様!!」
ルーナの横に駆け寄り、声をかける。
目を開けたものの、ノア王太子は仰向けのままで、動くことはない。
「ノア王太子様、サラです! 宮殿から会いに行きました!」
瞳はいつものノア王太子だ。
でも何の反応もない。
聞こえていないのだろうか……?
「ノア王太子様!」
「サラ様」
ルーナの少し大きめの声に、驚いて横を見る。
悲しそうな顔のルーナは……。
「いくら呼びかけても、反応はありません。今、目を開けたのも、精霊の力で強制的に起こしたような状態ですから」
気づくと昼食を運んだあの美しい召使いが、ノア王太子の上半身を起こし、背に枕をいくつか当てている。その間、ノア王太子の表情は、何一つ変わることはない。
「ルーナ様、準備できました」
美しい召使いは、ノア王太子の体を支えている。
「こうして支えていないと、すぐに倒れてしまうのです」
そう言ったルーナは、スプーンに少しだけスープをのせ、ノア王太子の口元まで運んだ。そして左手で顎を持ち上げ、親指で口を開ける。わずかにできた口の隙間から、スプーンを差し入れる。そして急いで口を閉じさせ、上を向かせた。
「……成功しました。固形物は無理なので、足りない栄養については、現状は精霊の力を使い、無理矢理補っている状態です。咀嚼させることも、力を使えばできますが……。それではあまりにも操り人形のようで、忍びなく……」
「穢れを受けているとはいえ、そこまでなんですか……?」
心臓が苦しい鼓動を立てている。
「そう、ですね。恐らく、背中が全面的に穢れを受けてしまったので……。手足の一部分に穢れを受けるような場合とは、比べ物にならないレベルなのだと思います」
頭が真っ白になり、呼吸がおぼつかなくなる。
だが。
ここで気を失っている場合ではない。
ルーナはこの状態のノア王太子と、向き合ってくれているのだ。自身が一番辛いはずなのに。
「ルーナ様。我がままを言って申し訳ないのですが、私がノア王太子様に、スープを飲ませてもいいですか?」
「サラ様……」
「今、ルーナ様がスープを飲ませる様子を見ていたので、やり方は分かりました。私でもできると思うので」
「勿論です……」
ルーナ様の瞳から真珠のような涙がこぼれ落ちる。
すぐにレブロン隊長が駆け寄り、クーフライト――癒しの力を使う。
私はルーナに代わり、ノア王太子にスープを飲ませた。
このあともう1話公開します!
20時台に公開します。