32:なんて、なんて、美しい……。
美しい鳥のさえずりが聞こえてきた。
温かく柔らかい光を感じる。
「ヘルラン ハリジッエトラン ヘルラン サラルナーン」
初めて聞く声。
ソプラノの澄んだ透明感のある声を聞いた瞬間。
あの時と同じ。
自然と生命の輝きに心が触れ、そこからとてもつない力を受け取ったように感じる。
そして――。
「サラ。会いに来てくれてありがとう」
ノア王太子……!
その瞬間。
脱力していた体に、力がみなぎっていく。
壊れてしまった心に、命の輝きが宿るように感じた。
目を開けると。
思わず息を飲む。
なんて、なんて、美しい……。
その瞳は……精霊王と同じだ。
七色の瞳。
ダイヤモンドのようにキラキラと輝いている。
緩くウェーブを描く眩しい程に煌めくプラチナブロンドの長い髪。頬と唇は桜色。古代ギリシャを思わせる、純白のキトンのような衣装をまとっている。ウエストには金色のベルト、肩の布を留める金色の飾り。お化粧はしていない。装飾品は最低限のものだけ。それだけでも十分にその清らかな美しさが伝わってくる。
「サラ様。初めてお目にかかります。私はルーナ・フェアウェザー。精霊王ランドールの妹です」
この人が……!
ノア王太子が自らを犠牲にし、助けた精霊……。
助けよう。
まさに助けたくなる、まがうことなき、王女様だ。
慌てて上半身を起こすと。
「サラ様、本当に申し訳ありません」
ルーナはまるで体を二つに折るようにして頭を下げた。
その姿勢のまま……。
「私のせいで、ノア王太子様は、その身に穢れをうけることになりました。取り返しのつかない事態になってしまったと理解しています。本当に、本当に、申し訳ありません……」
「そんな。ルーナ様、頭をあげてください。話は聞いています。あなた自身もまた、幼い子供を守ろうとしていた。そんなあなたをノア王太子様が放っておけるはずがありません。それにノア王太子様は穢れを受けたとはいえ、生きているのですから」
ゆっくりと頭をあげたルーナの瞳からは、真珠のような美しい涙がこぼれ落ちていく。
誰かが誰かのために犠牲になる。
誰かの犠牲の上で助けられた者は、その心に深い悲しみを背負う。
彼女は瘴気の穢れからは助かることができた。
でも同時に、心に大きな傷を負っている。
「あなたを責めるつもりはありません。先程お会いしたノア王太子様は、まるで眠っているように穏やかでした。ルーナ様の粛清の力で、落ち着かれたと聞いています。ルーナ様の献身に心から感謝の気持ちでいっぱいです」
私の言葉にルーナの瞳から次々と涙がこぼれ落ちた。感極まり、声が出ない状態のルーナが落ち着くのを待ちながら、自分の状況を確認する。
気絶、したのだろう。
ノア王太子の背中を見た時。
それが瘴気による穢れだと分かっても、美しいと思ってしまった。
まるで宇宙がそこにあるかのように見えた。
同時に、紛れもない事実。
ノア王太子は瘴気に触れた。
それを理解し、呼吸がままならなくなり、その後は――。
恐らく、後ろにいた賢者アークエットが支えてくれた。
「すみません。取り乱してしまいました」
声にルーナの顔を見ると。
さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。
目を開けて初めて見た時と同じ、落ち着いた美しい顔に戻っている。
私が驚いていると気づいたのだろう。
ルーナは微笑を浮かべた。
「クーフライト。人間の言葉では、癒しの力、が一番近いでしょうか。これを使うと、一切の負の感情を正の感情で上書きすることができます。上書きするだけですので、さらに強い負の感情を受ければ、また負の感情は表出してしまいますが。でも長い時を生きる精霊は、沢山の悲しい出来事をこのクーフライトを使い、乗り越えています。それを先程、サラ様にも使い、私にも使いました。本来、クーフライトは精霊同士のみで使うことしか許されていません。でもお兄様に特別に許可を得ました。サラ様は私の命の恩人であるノア王太子様の奥方なのですから。そしてサラ様の悲しみの原因は、私にあるのです……」
「ルーナ様……」
「珍しい飲み物があります。用意しますから、お待ちくださいね。……目覚めたと、皆様にお伝えしますか? サラ様がお倒れになって、30分ほどです。賢者アークエット様は、お兄様とレブロン隊長と話をしていると思います」
ルーナはそう言うと、シェルフに向かい、飲み物の準備を始めた。ノア王太子の穢れについて、もう少しルーナから聞きたいと思った。
「ルーナ様がいれてくださる飲み物を楽しんでから、声をかけていただいてもいいですか? もう少し、ルーナ様とお話をできれば……」
振り返ったルーナはニッコリと微笑む。
「分かりました。すぐに用意しますので、お待ちくださいね」
頷き、自分がいる部屋の様子を確認する。
ノア王太子と同じような、天蓋付きのベッドに寝かされていた。
真っ白なリネンはとても触り心地がよく、マットレスの硬さも丁度いい。部屋にある調度品はすべて木製で、そのすべてに美しい彫刻が施されている。その模様は宮殿では見たことがないもので、精霊達の独特の文化を感じさせた。
「さあ、できました。どうぞ」
「ありがとうございます」
ルーナからソーサを受け取った。
ガラスのティーカップに注がれたお茶は、澄んだ赤い色をしていた。香りはスッキリしている。
「これはクリ・ブラスというお茶です。赤い果実から作ったもので、疲労回復の効果があるとされています。でも一番の特徴は、飲む者の体調により、味が変わる点です。甘い、すっぱい、辛い、苦い、しょっぱい。感じる味で、体の状態が分かります。サラ様、飲んでみてください」
ルーナはベッドのそばに置かれた椅子に腰をおろす。
私は早速、お茶をいただく。
「……!」
「どうですか?」
自身もティーカップを口に運びながら、ルーナが尋ねる。一方の私は……困り顔でルーナを見ることになった。
「……その、苦いです……」
ルーナはクスリと微笑むと、すぐに蜂蜜を持ってきてくれる。蜂蜜の入った小さな容器を渡しながら、ルーナは苦い味を感じた私の体調について教えてくれた。
「心身の疲労を感じると、苦く感じるとされています。血液の循環が悪くなるせいだとも。……サラ様は睡眠不足ではないですか? そしてノア王太子様のことで心労を感じられている。苦く感じて当然ですね」
少し寂しそうな表情になるが、すぐに元の顔に戻った。
クーフライト。癒しの力。
その効果を感じる。
それは私も同じだ。
「初めて飲んだお茶です。これは精霊の皆様のお飲みものなのですか?」
「いえ、このお茶は人間の国から伝わったものです。東方の国で昔から飲まれているそうで」
「そうだったのですね……! ちなみにルーナ様はどのようなお味に感じられたのですか?」
ルーナは美しい瞳を伏せ、ティーカップの中のお茶を見つめる。
「とても甘く感じます。蜂蜜なんていらないぐらい」
「……! 同じお茶なのに、全然違いますね。そして甘さを感じる時は……?」
「クーフライトが必要な状態ですね。人間の皆様で言うなら、ストレスがかかっている、でしょうか」
精霊は。
とても美しい存在で、本来、自身の暮らす森で静かに生きている限り。ストレスとは無縁のはずだ。それなのに……。
「瘴気は精霊にとって、とてもストレスをもたらす存在です。『粛清の力』を使い、瘴気を倒すことはできますが、精霊はそもそもとして生命を傷つけることを好みません。ですから例え敵であっても手に掛けることは……。それだけでも多大なストレスになってしまうのです」
ルーナはそう言っているが。
そのストレスの原因はそれだけではないはずだ。
瘴気の襲来を受け、子供が犠牲になりかけた。
なんとか子供を助けようとして、ノア王太子が犠牲になった。
自分のせいで……そう、ルーナは思っているはず。
ルーナはノア王太子を思い出す度、クリ・ブラスを甘く感じるに違いない。
このあともう1話公開します!
20時台に公開します。









































