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32/72

32:なんて、なんて、美しい……。

美しい鳥のさえずりが聞こえてきた。

温かく柔らかい光を感じる。


「ヘルラン ハリジッエトラン ヘルラン サラルナーン」


初めて聞く声。

ソプラノの澄んだ透明感のある声を聞いた瞬間。

あの時と同じ。

自然と生命の輝きに心が触れ、そこからとてもつない力を受け取ったように感じる。

そして――。


「サラ。会いに来てくれてありがとう」


ノア王太子……!


その瞬間。


脱力していた体に、力がみなぎっていく。

壊れてしまった心に、命の輝きが宿るように感じた。


目を開けると。

思わず息を飲む。

なんて、なんて、美しい……。


その瞳は……精霊王と同じだ。

七色の瞳。

ダイヤモンドのようにキラキラと輝いている。


緩くウェーブを描く眩しい程に煌めくプラチナブロンドの長い髪。頬と唇は桜色。古代ギリシャを思わせる、純白のキトンのような衣装をまとっている。ウエストには金色のベルト、肩の布を留める金色の飾り。お化粧はしていない。装飾品は最低限のものだけ。それだけでも十分にその清らかな美しさが伝わってくる。


「サラ様。初めてお目にかかります。私はルーナ・フェアウェザー。精霊王ランドールの妹です」


この人が……!

ノア王太子が自らを犠牲にし、助けた精霊……。

助けよう。

まさに助けたくなる、まがうことなき、王女様だ。

慌てて上半身を起こすと。


「サラ様、本当に申し訳ありません」


ルーナはまるで体を二つに折るようにして頭を下げた。

その姿勢のまま……。


「私のせいで、ノア王太子様は、その身に穢れをうけることになりました。取り返しのつかない事態になってしまったと理解しています。本当に、本当に、申し訳ありません……」


「そんな。ルーナ様、頭をあげてください。話は聞いています。あなた自身もまた、幼い子供を守ろうとしていた。そんなあなたをノア王太子様が放っておけるはずがありません。それにノア王太子様は穢れを受けたとはいえ、生きているのですから」


ゆっくりと頭をあげたルーナの瞳からは、真珠のような美しい涙がこぼれ落ちていく。


誰かが誰かのために犠牲になる。

誰かの犠牲の上で助けられた者は、その心に深い悲しみを背負う。


彼女は瘴気の穢れからは助かることができた。

でも同時に、心に大きな傷を負っている。


「あなたを責めるつもりはありません。先程お会いしたノア王太子様は、まるで眠っているように穏やかでした。ルーナ様の粛清の力で、落ち着かれたと聞いています。ルーナ様の献身に心から感謝の気持ちでいっぱいです」


私の言葉にルーナの瞳から次々と涙がこぼれ落ちた。感極まり、声が出ない状態のルーナが落ち着くのを待ちながら、自分の状況を確認する。


気絶、したのだろう。

ノア王太子の背中を見た時。

それが瘴気による穢れだと分かっても、美しいと思ってしまった。


まるで宇宙がそこにあるかのように見えた。

同時に、紛れもない事実。

ノア王太子は瘴気に触れた。

それを理解し、呼吸がままならなくなり、その後は――。

恐らく、後ろにいた賢者アークエットが支えてくれた。


「すみません。取り乱してしまいました」


声にルーナの顔を見ると。

さっきまで泣いていたのが嘘のようだ。

目を開けて初めて見た時と同じ、落ち着いた美しい顔に戻っている。


私が驚いていると気づいたのだろう。

ルーナは微笑を浮かべた。


「クーフライト。人間の言葉では、癒しの力、が一番近いでしょうか。これを使うと、一切の負の感情を正の感情で上書きすることができます。上書きするだけですので、さらに強い負の感情を受ければ、また負の感情は表出してしまいますが。でも長い時を生きる精霊は、沢山の悲しい出来事をこのクーフライトを使い、乗り越えています。それを先程、サラ様にも使い、私にも使いました。本来、クーフライトは精霊同士のみで使うことしか許されていません。でもお兄様に特別に許可を得ました。サラ様は私の命の恩人であるノア王太子様の奥方なのですから。そしてサラ様の悲しみの原因は、私にあるのです……」


「ルーナ様……」


「珍しい飲み物があります。用意しますから、お待ちくださいね。……目覚めたと、皆様にお伝えしますか? サラ様がお倒れになって、30分ほどです。賢者アークエット様は、お兄様とレブロン隊長と話をしていると思います」


ルーナはそう言うと、シェルフに向かい、飲み物の準備を始めた。ノア王太子の穢れについて、もう少しルーナから聞きたいと思った。


「ルーナ様がいれてくださる飲み物を楽しんでから、声をかけていただいてもいいですか? もう少し、ルーナ様とお話をできれば……」


振り返ったルーナはニッコリと微笑む。


「分かりました。すぐに用意しますので、お待ちくださいね」


頷き、自分がいる部屋の様子を確認する。

ノア王太子と同じような、天蓋付きのベッドに寝かされていた。


真っ白なリネンはとても触り心地がよく、マットレスの硬さも丁度いい。部屋にある調度品はすべて木製で、そのすべてに美しい彫刻が施されている。その模様は宮殿では見たことがないもので、精霊達の独特の文化を感じさせた。


「さあ、できました。どうぞ」

「ありがとうございます」


ルーナからソーサを受け取った。

ガラスのティーカップに注がれたお茶は、澄んだ赤い色をしていた。香りはスッキリしている。


「これはクリ・ブラスというお茶です。赤い果実から作ったもので、疲労回復の効果があるとされています。でも一番の特徴は、飲む者の体調により、味が変わる点です。甘い、すっぱい、辛い、苦い、しょっぱい。感じる味で、体の状態が分かります。サラ様、飲んでみてください」


ルーナはベッドのそばに置かれた椅子に腰をおろす。

私は早速、お茶をいただく。


「……!」

「どうですか?」


自身もティーカップを口に運びながら、ルーナが尋ねる。一方の私は……困り顔でルーナを見ることになった。


「……その、苦いです……」


ルーナはクスリと微笑むと、すぐに蜂蜜を持ってきてくれる。蜂蜜の入った小さな容器を渡しながら、ルーナは苦い味を感じた私の体調について教えてくれた。


「心身の疲労を感じると、苦く感じるとされています。血液の循環が悪くなるせいだとも。……サラ様は睡眠不足ではないですか? そしてノア王太子様のことで心労を感じられている。苦く感じて当然ですね」


少し寂しそうな表情になるが、すぐに元の顔に戻った。

クーフライト。癒しの力。

その効果を感じる。

それは私も同じだ。


「初めて飲んだお茶です。これは精霊の皆様のお飲みものなのですか?」


「いえ、このお茶は人間の国から伝わったものです。東方の国で昔から飲まれているそうで」


「そうだったのですね……! ちなみにルーナ様はどのようなお味に感じられたのですか?」


ルーナは美しい瞳を伏せ、ティーカップの中のお茶を見つめる。


「とても甘く感じます。蜂蜜なんていらないぐらい」


「……! 同じお茶なのに、全然違いますね。そして甘さを感じる時は……?」


「クーフライトが必要な状態ですね。人間の皆様で言うなら、ストレスがかかっている、でしょうか」


精霊は。

とても美しい存在で、本来、自身の暮らす森で静かに生きている限り。ストレスとは無縁のはずだ。それなのに……。


「瘴気は精霊にとって、とてもストレスをもたらす存在です。『粛清の力』を使い、瘴気を倒すことはできますが、精霊はそもそもとして生命を傷つけることを好みません。ですから例え敵であっても手に掛けることは……。それだけでも多大なストレスになってしまうのです」


ルーナはそう言っているが。

そのストレスの原因はそれだけではないはずだ。

瘴気の襲来を受け、子供が犠牲になりかけた。

なんとか子供を助けようとして、ノア王太子が犠牲になった。

自分のせいで……そう、ルーナは思っているはず。

ルーナはノア王太子を思い出す度、クリ・ブラスを甘く感じるに違いない。

このあともう1話公開します!

20時台に公開します。

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