31:認めたくない
あああああ!
声には出せないので、心の中で叫ぶ。
すごい。
“君待ち”で見た、精霊王ランドールの「王の間」。
床には植物のモザイク。
左右に玉座まで大理石の柱がズラリと並んでいる。柱と連動するように、天井からは豪華なシャンデリアが吊るされていた。左右の壁には美しい自然と鳥や動物の姿が、天井には青空が描かれている。
建物の中にいるのに。
自然の中にいるように感じる。
「サラ様」
賢者アークエットに言われ、慌ててレブロン隊長の後を追う。
玉座にいる精霊王ランドールの前でレブロン隊長が立ち止まり、全員横一列に並ぶ。そこで一斉に礼を行い、レブロン隊長が国王陛下からの書簡を精霊王に手渡し、帰還の挨拶を述べた。精霊王は、国王陛下からの書簡にその場で目を通すと、ゆっくり口を開いた。
「既に戦況がどのようなものだったのか、ここにいる全員が把握していると、こちらの書簡に書かれていました。そしてノア王太子様の身に起きたことも知っていると。……我が妹を助けるため、ノア王太子様がその身を犠牲にしたことを思うと、本当に感謝の気持ちより申し訳ない気持ちが先に立ちます」
精霊王は玉座から立ち上がり、静かに頭を下げた。
「我々、精霊の一族は、ノア王太子様のために、最善を尽くしたいと思っています。まずはノア王太子様の様子が気になるでしょう。ご案内します」
精霊王がこちらへ降りてくると、周囲にいた近衛兵が動く。
今日もアルバに似た衣装を精霊王は着ているが、その色は明るいアイスグリーン色。袖口と裾には金糸と銀糸の糸で細かい模様の刺繍が施されている。そして羽織っているマントは深緑色。裾は金色のフリンジで飾られていた。腰には沢山の宝石が埋め込まれた黄金のベルト。そして頭上には王冠。口元と鼻はいつも通り。衣装と同じアイスグリーンの布で隠されている。
マントを揺らし、精霊王は、そのまま王の間の出口へと向かう。その後にレブロン隊長を先頭に、私、賢者アークエット、ルドルフが続く。
この瞬間から。
レブロン隊長が使ってくれた力が、弱まって行くように感じる。つまり、このロセリアンの森のエストポート<東の砦>に着き、王の間で精霊王に会うまでの間。私の中に、負の感情はなかった。
でも、今、再び……。
心臓が嫌な鼓動を立て始めていた。
「こちらの部屋です」
少し先を歩いていた精霊王が立ち止まり、こちらを振り返った。ノア王太子に会うためにここへ来たのに、会うことが怖くなっている。
「サラ様、大丈夫です。私もルドルフもいますから」
賢者アークエットの言葉にも、ただ頷くことしかできない。心臓がドクドクして、なんだか眩暈がする。
扉の前にいた精霊騎士が退き、精霊王が扉をゆっくり押す。部屋の中が見えるが、まだノア王太子の姿は見えない。代わりに見えているのは、いくつもの大きな窓と、そこから見える美しい木々と差し込む陽射し。
おかげで部屋はとても明るい。
深緑色の絨毯の敷かれた部屋を進む。
「……!」
天蓋付きのベッドに仰向けになっているノア王太子は、眠っているようにしか見えない。
初めて見るノア王太子の寝顔。
アイスシルバー色のサラサラの髪に乱れはない。
整えられた眉毛の下で閉じられた瞳。長い睫毛。
鼻梁の通った鼻の下には、艶があり、潤いを感じさせる唇。
肌の色も血色が悪いと感じるところはない。
清潔そうな寝間着を着て、白いリネンで揃えられたベッドで静かに寝ている。
その美しさは、神殿の秘儀の間で初めて会った時と変わらない。
「先ほど、妹が粛清の力を使ったので、穢れの影響が抑えられ、眠ってる状態です。眠っている……意識を失っているに近い状態ですので、そばにいき、声をかけていただいても大丈夫ですよ」
精霊王の言葉に賢者アークエットを見る。
その顔は「サラ様、どうぞノア王太子の元へ」と言ってくれていた。
「ありがとうございます。精霊王様」
部屋に入る前はノア王太子の最悪の状態を想像をしてしまい、会うことが怖くなっていた。でも、今目の前にいるノア王太子は、とても穢れがついている状態とは思えない。だから動揺も収まり、彼のそばに行き声をかけることができた。
「ノア王太子様。瘴気を殲滅させ、ロセリアンの森とソーンナタリア国をお守りくださり、ありがとうございます。精霊王様の妹君と幼い子供もお助けになったとお聞きしました。立派なご活躍をされ、とても誇らしく思います」
意識を失っているに近い状態。
それは確かにそうなのだろう。
声をかけても……反応はない。
「あの、手に触れても大丈夫ですか?」
振り返って尋ねると、精霊王は頷き、レブロン隊長が椅子を持ってきてくれた。
椅子に座り、掛け布から出ている手にそっと触れてみる。
体温を感じた。
間違いなく生きている。
すべすべとしたシルクのような触り心地で、剣や槍を使う手には思えない。両手でその手をぎゅっと握りしめる。
「ノア王太子様が出陣された後は、宮殿中を歩き回って、窓ガラスに板を打ちつけ、補強を行いました。DIY……大工仕事の真似事はさすがに経験がなく、あやうく何度も金槌で自分の指を打ちつけそうになって。でも、もう大丈夫です。コツを掴みましたから。その後は、神殿に行き、避難してきた街の人の受け入れをして、炊き出しを作りました。避難した皆さんの料理を用意しているのに、思わずお腹の虫が鳴いてしまって。みんなに笑われてしまいました。王太子妃なのに、ダメですね、私」
反応がないのは当然。
意識がないのだから。
「……まだ、この世界のこと、私、理解しきれていません。王太子妃としてどうすればいいのかも、全然分からなくて。でもノア王太子様を支えたい気持ちだけは、誰にも負けないので。だから教えてください。王太子妃として何をすればいいのか。どうしたらあなたを支えられるかを。瘴気の穢れなんかに、負けないでください」
今にも目覚めそうにしか見えなかった。
あの長い睫毛がゆっくり動き、コバルトブルーの綺麗な瞳をこちらに向け、「サラ」と呼びかけてくれそうなのに。
“君待ち”のプレイ画面で見た穢れによる肌の変色は、どこにも見当たらない。
本当に、穢れを受けた状態なの……?
「精霊王様」
「はい、何でしょうか、サラ様」
精霊王の七色の瞳は、窓の外の木々の緑を受け、グリーンダイヤモンドみたいに見える。その瞳は気遣うように私を見ていた。
「ノア王太子様はどう見ても、穢れを受けているように思えません。精霊王様の妹君の粛清の力で、穢れは浄化されたのではないですか? どこにも肌の変色もありません。顔色も悪くなく、呼吸も落ち着き、ただ寝ているようにしか思えないのです」
「サラ様はそれは」
「連れて帰ってもいいでしょうか? 宮殿に、王宮に。きっともう大丈夫です。ノア王太子様は」
「サラ様!」
穏やかな精霊王の声だったが、その大きさに、体がビックリと固まる。私が身を固くすると、精霊王がツカツカと私の方へと駆け寄った。そして私の両腕を掴み、そのグリーンダイヤモンドのような瞳で、私を射抜くように見つめた。
「サラ様、ノア王太子様は穢れを受けています。それは間違いありません。彼は私の妹と子供を庇ったのです。ですから……」
精霊王は辛そうに顔を歪める。
苦悩に満ちたその表情は、見た瞬間、心臓をキュッと締め付けられるように感じた。
「……ショックを受けられると思い、変色した肌は見えないようにしましたが。ご覧になりますか? ご覧にならないと、彼が穢れを受けていると、納得できないでしょう……」
変色した肌を見せる……?
そんなはずはない。
ノア王太子に穢れなんて見当たらない。
「そのお顔を見る限り、やはりお見せしないとダメなようですね」
精霊王が掛け布に手を伸ばした。
「やめてください!」
「!?」
「ノア王太子様に穢れなんてありません! 彼は瘴気に負けたわけではないのです! 穢れなんて受けていません!」
精霊王の手を掴む私の手を、ルドルフが掴んだ。
「サラ様、落ち着いてください」
ルドルフに手を掴まれ、それどころか後ろから抱きしめられるような形になり、身動きがとれなくなった。その間にも、精霊王は掛け布をとり、ノア王太子をうつ伏せにしてしまう。
「やめてください、精霊王様! ノア王太子様に穢れなんてありませんから!」
「サラ様、落ち着いてくれ、頼む!」
ルドルフが泣きそうな声で私を制するが。
ダメだ。穢れなんてない。
穢れは受けていない。
肌の変容を見たら……穢れを受けていると認めるしかなくなる。
だから、見たくない!
「これが証拠です、サラ様」
「イヤです!」
目を閉じる直前に、精霊王の手が、ノア王太子の寝間着をめくりあげるのが見えた。
その瞬間に目を閉じている。
だから、何も見ていない。
私は、何も……。
「ノア王太子様……」
急に体の拘束が解かれた。
驚いたが、ルドルフが私のそばを離れたと分かった。
「ノア王太子様、すまなかった。俺がそばにればこんなことにならなかったのに! 俺も一緒にロセリアンの森へ入ればよかった。ノア王太子様、すまなかった」
ルドルフが……泣いている。
泣きながら、叫ぶように、苦しそうに声をあげていた。
「ルドルフ団長、落ち着いてください」
「ノア王太子様……!」
精霊王がなだめるように声をかけ、ルドルフの悲痛な声が響く。
「精霊王様、私が隣室へ連れて行きます」
「頼んだよ、レブロン隊長」
暴れるような音と、ルドルフの泣き叫ぶ声。
何度も何度も何度もルドルフは「俺がついていれば」と繰り返している。
「落ちついて」「こちらへ」「イヤだ!」
問答が繰り返され、騒然とした音が続き、そして――。
静かになった。
「サラ様」
賢者アークエット。
「あなたがノア王太子様の妃として、自分のすべきことを果たしたいというのなら、目を開け、現実を見てください。もし今日、その現実に向き合うのが無理というなら、明日でも構いません。今日はもう」
「賢者アークエット。私は……そうです。あなたの言う通り、ノア王太子の妃。……役目を果たします」
いつも明るく陽気なルドルフ。
その彼があんなに泣き叫んでいた。
現実。
そう、ノア王太子は穢れを受けている。
それが現実……なんだ。
いつまでも目を閉じて、そこから逃げようとしても仕方ない。
賢者アークエットが私の両腕を後ろから掴んだ。
「では、王太子妃であるサラ様。目を開け、ノア王太子様を見てください」
凛としたその声に。
ゆっくりと目を開ける。
あああああ……。
全身から力が抜け、立っていられない。
賢者アークエットが支えることで、なんとか座りこまずに済んでいるが。
信じられなかった。
目の前に見えている光景が。
こんなことが、こんなことが現実だなんて。
とても信じられない。
ノア王太子の背中はまるで宇宙のようだ。
濃紺に染まった背中は、ゆらゆらと揺らめき、白い斑点がまるで星のように明滅している。
美しいとさえ思えてしまうそれは、間違いない。
瘴気に触れ、穢れを受けた証。
穢れを受けた人間に襲い掛かる症状。それは――。
頭痛、倦怠感、無気力。
生きているのに覇気がなくなり、眼光から輝き失せ、生気が感じられなくなる。定期的に精霊により粛清の力で浄化してもらう必要があるが、生きる気力がなくなっているのだ。気づくと穢れを持った人間が消えている――ということも多い。
呼吸ができない。
苦しい。
目の前が真っ暗になった。
昨日に続き来訪いただけた方、ありがとうございます!
この投稿を新たに見つけていただけた方も、ありがとうございます!!
このあともう1話公開します!
12時台に公開します。