29:そうこなくっちゃ!
賢者アークエットの話をろくに聞いていなかったが、ジョディはしっかり聞いてくれていた。そこは専属メイドだけある。プロの仕事ぶりというのだろうか。それに比べ私は……。
ともかくジョディのおかげでこれからすべきことも理解した。
冷水に顔をしばらくつけ、シャキッとしてから身支度を整える。
ノア王太子が少しでも明るい気持ちになれるようにと、ジャスミンを思わせる明るい黄色のワンピースに着替えた。髪は編み込みにして後ろで一本にまとめ、動きやすく邪魔にならないようにする。
その後は……国王陛下夫妻とノア王太子の兄弟、宰相、帰還した陸・水・空の騎士団に会い……合間に朝食をとったようだが、その記憶はない。とにかく沢山の励ましの言葉をもらい、気づくとレブロン隊長、賢者アークエット、そしてルドルフと共にクロッカスのそばにいた。離れた場所に厩舎も見えるので、どうやらここはワイバーン達の寝床のようだ。
「嫌だ。俺はサラ様をクロッカスに乗せるつもりはない。見てみろ、今のサラ様を! いくら俺につかまれ、と言っても無理だ。落馬ならぬ、落ワイバーンになる。時間はかかるが、馬車にすべきだ」
「でもワイバーンが一番早い移動手段なのです。魔法での転移は体への負担がかかります。でもサラ様は睡眠不足で、心労も大きい。魔法で転移しては、到着同時に動けなくなる可能性もあるのですから」
「だから馬車にすればいいだろう!」
軍服姿のルドルフ。
深緑色のローブにアッシュグレイ色のチュニック姿の賢者アークエット。
この二人が珍しく言い争いをしていた。
それを止めたのは……軍服姿のレブロン隊長だ。
「二人とも、やめてください。サラ様がすぐおそばにいるのですよ? 分かっていますか?」
レブロン隊長の言葉に、ルドルフと賢者アークエットが黙り込んで私を見た。
私は……ただ無表情に二人を見つめるだけだ。
「サラ様が例えお元気だったとしても、騎士でもワイバーンの使い手でもないのです。ワイバーンでの移動は、どんな時であろうと、私は反対するでしょう。その上で、解決方法として提案します。まず、本来は人間に対して使うことは禁じられている力を、これからサラ様に使いますが、これは内密にしてください。バレれば、私は精霊騎士の隊長の任を解かれ、二度と人間との接触ができなくなるでしょうから。……この力を使い、サラ様が元気になられたら。弟の転移の魔法で、ロセリアンの森へ移動してもらいます」
賢者アークエットが驚いた顔をして、レブロン隊長を見た。ルドルフはなんのことが分からないようで、困惑している。
「レブロン、いいのか……?」
「そうするしかあるまい。私はワイバーンに乗ったことはないが、転移の魔法で移動できるのは二人。それはお前とサラ様だ。そうなると私がこの団長殿とワイバーンに乗るしかない」
「そういう意味では……」
戸惑う賢者アークエットの肩を、レブロン隊長がポンと叩く。
「ノア王太子様は、精霊王様の妹君を助けてくださった。その感謝の気持ちもある。だから構わない」
そう言うとレブロン隊長が私と向き合った。
金色の瞳が優しく私を見ている。
「サラ様。肩の力を抜いてください」
レブロン隊長が私の両肩を掴んだ。
「気丈ですね。サラ様は。涙をこぼすこともなく。ここまでやってきた。でもとうに限界を超えています。……少し、気持ちを楽にしましょう」
とても優しい眼差しを私に向けたレブロン隊長は、穏やかな表情になった。
そして――。
「ヘルラン ハリジッエトラン ヘルラン サラルナーン」
美しい言葉だった。
普段のレブロン隊長の声とは違う、澄んだ高音の声。
言葉の一つ一つが、耳から全身へと流れ込んでいく。
澄んだ青空に吹く風の音。
川のせせらぎ。風に揺れる草木の葉音。
鳥のさえずり。動物の鳴き声。虫の声。
全身が光に包まれ、温かく感じ……。
気づいたら目を閉じていたようで、目を開けると。
目の前にノア王太子がいる。
「私は大丈夫だから。心を強く持って」
その瞬間。
鉛のように重くなっていた体に、力がみなぎった。
どこかに置いてきてしまった感情が、戻ってきたように感じていた。
目が覚める。
まさにそんな感じだ。
そう。私はこれからノア王太子に会いに行くのだ。
そのノア王太子は……。
元気がない。
ノア王太子の元気がないのであれば。
私は元気でいないと。
私まで元気がなかったら、困るよね、ノア王太子も。
太陽の陽射しを感じる。
嵐が去り、空には雲一つない。
清々しい風が肌に触れ、気持ちがスッキリしていた。
「皆さん、ごめんなさい! 私、どうかしていたわ。もう大丈夫です。なんだかすごく元気になれました。さあ、行きましょう。ノア王太子様の元に!」
「そうこなくっちゃ! それこそがサラ様だ。ノア王太子様は死んだわけではない。大丈夫。それに俺は聞いたことがある。ダークフォレストには、どんな瘴気の穢れでも癒せるホワイトセレネという花が」
「「ルドルフ!」」
レブロン隊長と賢者アークエットが同時に叫び、ルドルフは「うわぁっ」と腰を抜かそうになっている。
「余計なことを言うのではない!」
「さあ、早く私をそのワイバーンに乗せてください。どう考えても我々の方が到着が遅くなるのですから。出発です」
賢者アークエットとレブロン隊長に畳みかけられ、ルドルフはタジタジになりながらも、クロッカスに声をかけた。クロッカスはおとなしく姿勢を低くし、二人が乗るを待っている。
「では賢者様。ロセリアンの森のエストポートで」
「ええ。気をつけて」
「レブロン隊長、ルドルフ、お気をつけて!」
「ええ、サラ様もお気をつけて。フィル、サラ様を頼んだぞ」
こうしてレブロン隊長とルドルフをのせ、クロッカスはあっという間に上空へと飛翔した。
その姿をしばらく見送ると。
「サラ様。お元気になれて良かったです」
「レブロン隊長に無茶をさせてしまったようですね」
「聞いていたのですか?」
「心はここに在らずでしたが、音として聞こえていました」
「でもそれは秘密ですから。忘れてください」
「はい」
そこで賢者アークエットは大きく息を吐く。
「サラ様のお気持ちが戻ってよかったです。先ほどまでのサラ様は、サラ様であり、サラ様ではなかった。まるでサラ様に、穢れがついてしまったのかのようでしたよ」
「それは……そうですね。本当は私が一番しっかりしないといけないのに」
「そんなことはありませんよ。動揺したのはサラ様だけではないのですから。ご覧になったでしょう。私とルドルフが口論になっていたのを。あんなこと初めてです。私も……かなり動揺していたのでしょうね」
その言葉で気づいてしまう。
賢者アークエット、彼もまた、私と同じぐらい、ノア王太子のことを好きなのではないかと。長い時を生きる彼からしたら、ノア王太子は可愛い子供みたいなものだろう。いずれ国王として立つ彼を支えたい。そう思ってずっとノア王太子のそばにいたはずだ。その彼がまさか瘴気に触れるなんて……。
彼がノア王太子と過ごした時間は、私なんかよりずっと長い。思い出だって沢山あるはずだ。私よりうんと悲しいはずなのに、それをこらえ、事に当たっている。私が沈んでいる場合ではない。
「賢者アークエット様、ルドルフが言っていたホワイトセレネって……?」
「本当に。ルドルフはうっかりが多過ぎて……。忘れてくださいと言っても忘れられないでしょう」
出会ってそんなに時間は経っていないのに。賢者アークエットは私のことをよく理解している。
「ホワイトセレネというのは、ダークフォレストの奥深くに咲いていると言われている花です。その存在は一輪だけ。その花を求め、森に足を踏み入れる者がかつては多くいましたが、生きて戻った者はいません。もはや伝説。古い伝承。昔話。おとぎ話。今となってはダークフォレストに、その花を得るために足を踏み入れる者も、いなくなりました」
初耳だった。“君待ち”をプレイしている私でも知らない情報。
「そもそもダークフォレストには精霊王様も……精霊達も近寄りません。あの森に足を踏み入れると、精霊達はすべての力が弱まってしまうそうです。人間は……まあ、入ることはできるのでしょう。過去にホワイトセレネを求め、踏み入った者が沢山いたのですから。でも入ったら最後。生きては戻ることはない。そんな場所に入っていきたい人間なんて、いないですからね。結果、精霊も人間も近づかない。鳥や動物も見かけない。虫さえも寄り付かない。あの森を嬉々として闊歩するのは、瘴気ぐらいですよ」
そこで賢者アークエットは懐中時計を見つめる。
「ではサラ様、私達も参りましょう。ロセリアンの森のエストポートへ」
このあともう1話公開します!
20時台に公開します。